098.お兄ちゃん、恩を返す
たとえ、人ですらなくても、相手の事を慮り、大切にできるセレーネ様の事が、私は大好きですわ!!
ルイーザのその言葉を聞いた時、僕は一つの事を思い出した。
昨日、僕は馬上で意識を失ったにも関わらず、どこには怪我はなかった。
つまり、それは、僕がパートナーとして選んだあの馬──クレッセントが、僕の異常に気付いて、怪我をしないように安全に降ろしてくれたということに他ならない。
おそらく膝を折って、フィンが僕を降ろしやすい体勢を作ってくれたのだろう。
自分の事ばかり考えていた僕は、そんなことにすら考えが及んでいなかった。
まったく、本当にルイーザの買い被りに胸が痛くなってくる。
でも、彼女のおかげで僕は気づけた。
だから、乗れるか乗れないかは、今はいい。
とにかく、僕を助けてくれたと言っても過言ではないあの優しい馬に、一言でもお礼を伝えようと、僕は牧場までやってきたのだった。
「おっ、嬢ちゃん。今日も来たんだね」
牧場に着くと、最初に顔を合わせたのは、昨日も対応してくれたあのおじさんだった。
「昨日は何か大変だったようだけど、身体の方は大丈夫なのかい?」
「はい。ご迷惑をおかけして……。あの、それで……」
「ああ、クレッセントかい? あの馬なら、今日も放牧場で、仔馬達と遊んでやってくれてるさ」
「あ、ありがとうございます!!」
一礼すると、僕は昨日もやってきた放牧場までの道を駆ける。
息を切らしつつやってきたそこには、昨日と変わらず、子ども達と追いかけっこをしてあげているクレッセントの姿があった。
「はぁはぁ……」
息が整うのを少し待っている間にも、こちらへと気づいた彼女が、小走りに駆けてきた。
その瞳には、確かな心配の色が浮かんでいる。
ああ、やっぱりこの馬は優しい心を持っているんだな。
僕は、彼女を安心させるようにニッコリと微笑んだ。
「大丈夫ですわ。昨日は、ありがとうございました!! あなたのおかげで、こうやって無事ですわ!!」
力こぶを作るようにしてみせると、彼女は安心したように、小さな声で鳴いた。
そうして寄せてきた頭を僕は優しく撫でた。
「突然叫んだりして、驚かせてしまったでしょうに……」
健気な彼女の姿に、胸がキューンとなってくる。
うん、そうだ。
「何かお礼をさせていただきたいですわ!」
ポンっと手を叩いた僕の姿を、彼女は首を傾げながら眺めていた。
「ほ、本当にやるのかい。お嬢ちゃん?」
「はい! 是非、お願いします!!」
作業用のパンツルックへと着替えた僕は、竹ぼうきを片手に胸を張る。
彼女への感謝の気持ちを伝えるために、僕は、彼女の身の回りの世話をすることに決めた。
その第一弾は、馬房の掃除。まずは、彼女のために、清潔で過ごしやすい環境を作ってあげねば。
「まあ、うちも結構な数を飼育してるからよ。なかなか毎日は手が回らなくて、やってくれる分には助かるが」
おじさんの言うように、クレッセントの馬房は不潔とは言わないまでも、あまり手入れがされているようには見えなかった。
彼女は女の子だし、綺麗な環境を作ってあげるのも大切な事だろう。
「では、さっそくやってきますわね!!」
「あ、ああ……。しかし、貴族のお嬢様だってのに……。案外、こっちの嬢ちゃんの方が変わってるかもしれんなぁ」
そんなわけで、清掃作業スタートだ。
まずは、馬房内に敷いてある古くなった藁を処理する。
糞尿のついた藁を鋤のような道具で掻き出し、荷車に乗せると廃棄場所へと運ぶ。
全ての藁を掻き出したあとは、掃き掃除だ。
竹ぼうきなんて使うのは久しぶりだったが、前世の学校では毎日掃除していたわけで、こういった作業はお手の物。
しつこい汚れもブラシでゴシゴシと削ぎ落し、30分もする頃には、馬房はピカピカになっていた。
清潔な環境が作れたところで、次は寝藁の準備だ。
藁置き場から、何往復もしつつ十分な麦藁を運んできた僕は、それを馬房に敷き、均していく。
馬にとってのベッドメイクのようなものだ。
最後に、おじさんが配合したという燕麦等が混ぜられた飼い葉を桶に入れれば、環境はバッチリ整ったと言っていい。
「ふぅ、こんなところでしょうか……」
「おおっ、こいつはたまげた。すっかり綺麗にしちまったな」
と、いつの間にか馬房へとやってきたおじさんが、清掃された馬房を見て、満足げに腕を組んだ。
「ここまで丁寧になんて、俺達でもとてもやらねぇ」
「クレッセントには恩がありますので」
そう伝えると、おじさんはなんだか不思議なものでも見るような目で僕を見た。
「お前さん、やっぱ変わってるなぁ。まあいいや。そろそろあの馬も戻って来る。どうせなら、あんたが手ずから身体を洗ってやってくれるか?」
「もちろんですわ!」
こうして、放牧から帰ってきたクレッセントの身体を洗うことになった僕。
水桶でブラシを湿らせて、丁寧に馬体を拭いていく。
「ヒ、ヒィーン♪」
「あら、気持ち良いですか?」
小さく唸るように鳴きつつ、目を細めるクレッセント。
僕は心を込めて、そんな彼女の身体を隅々まで磨き上げた。
最後に顔周りをタオルで拭き終えると、彼女はまるで、ありがとう、とでも言うように、僕を怖がらせない程度の音量でいなないた。
「ふふっ、良かった。喜んでくれたようですわね」
「あっ、姉様!!」
無事、感謝の気持ちを伝えられたと満足げに微笑んでいた僕の元にやってきたのはフィンだ。
「もう、寮に行ってもいないから、心配したよ……」
「あっ、すみません」
いかんいかん。勢い勇んで、アニエスに御者をしてもらってここまで来たは良いものの、フィンに連絡するのをすっかり忘れていた。
「それにしても、何やってるの……?」
「何って? クレッセントに感謝を伝えているのですわ」
ねー、とお互いに同意するようにクレッセントと顔を向き合わせると、フィンは目をぱちくりとしていた。
「なんだか、よくわからないけど……。とりあえず、姉様が姉様していて安心したよ」
「ええ、私は私らしく、頑張るとします」
むん、と気合を入れると、僕は愛おしむようにクレッセントの頭を撫でたのだった。
「面白かった」や「続きが気になる」等、少しでも感じて下さった方は、広告下の【☆☆☆☆☆】やブックマークで応援していただけますと、とても励みになります。




