076.お兄ちゃん、切り替える
「私、負けましたわ」
人生で一回くらい、この回文を使ってみたかったんだよね、はははっ。
「って、笑ってる場合じゃないんだよなぁ……」
あの激しい第1試験のその夜、初めて紅の魔力を発動させた影響で全身を猛烈な筋肉痛が襲う中、悶えるようにしてベッドに仰向けになった僕は、天井を見上げつつも、はぁ、と息を吐いた。
少し前までは確実に獲れると確信していた"力"の試験。
しかし、蓋を開けてみれば、ルーナの思いがけない成長のせいで僕は敗北を喫することになってしまった。
まあ、ほぼ互角の相手であるルーナと戦えたのは正直結構楽しかったし、なんだかんだ僕も元男の子なわけで、少年漫画的なバトル展開というのには正直燃えた。
結果として負けてしまったが、爽やかな汗はかけたし、その場では、僕は結構満足していたのだ。
とはいえ、こうやってある程度時間が経ってしまえば、頭によぎるのは、破滅エンドに一歩近づいてしまったというなんともいえない恐怖心だ。
破滅エンドを回避するためには、僕には試験で2勝しなければならないという条件がある。
この第1試験を勝つことで、余裕を持って残りの勝負にも挑むつもりでいた計画が、これでパーになってしまった。
何より恐ろしいのは、ルーナの成長速度だ。
紅の魔力を無意識的に発動したタイミングから考えても、世界さえもルーナに味方しているのではないか、と思えるほどだ。
まさにヒロイン補正とでもいうべきものを持ったルーナとの戦いにおいて、最初からそれなりの能力を持ちつつも、人並の成長率しか持たないライバルキャラである僕は、明らかに不利な立場にあるように感じられた。
その上、ルーナには協力者もいる。
暁の騎士。
彼はルーナに剣を教え、試合の最中も気落ちした彼女に発破をかけ、導いてみせた。
そんな人物の存在は、妹からも聞かされていなかった。
動物の魔物化に加え、またもイレギュラーな事象。
はたして彼は誰なのだろうか。
制服姿だし、学園の生徒であることは間違いないだろうけど……。
本来であれば、ヒロインの聖女試験に手を貸すのは、攻略対象であるイケメン達だったはずだ。
僕がまだ自分の事をヒロインだと勘違いしていた時に、攻略対象と関わりすぎないのもダメだ、と妹が助言していたのは、この協力体制を作るためだった。
その協力者の存在が、暁の騎士と入れ替わっている。
もう、何が何だか、といったところだが、一つだけわかっていることは、おそらく彼は今後もルーナに協力するだろうということ。
彼の指導とルーナの成長率。
その相乗効果は、今回の試験でまざまざと見せつけられた。
はっきり言って、もう手を抜いて勝ち星を調整するなんて段階じゃない。
僕も死に物狂いでやらなければ、最悪ストレート負けを喫することにもなりかねない。
そうなれば、僕は破滅エンドまっしぐらだ。
「とにかく、次の試験に向けて頑張らないと……」
一度目を閉じ、切り替えるように再び開く。
だが、次の試験を考えると同時に、暗澹たる気持ちが僕の心を苛んできた。
次の試験は、"心"の試験。
それは、僕が、この試験だけは黒星もやむなしと考えていたものだった。
ルーナの技量の問題ではなく、僕の問題。
僕には、次の試験の内容について、どうしても越えなければならない壁がある。
それを超えない限り、勝ち筋はないだろう。
前向きに頑張りたい気持ちとどうしてもやりたくない気持ちの板挟み状態の僕は、うーん、と悶えるようにして寝返りを打った。
その時だった。
何か紙のようなものが手に触れた。
「あっ……」
それは、妹……前世の実妹ではなく、あの社交界の日に父が引き取った今世の妹。
フィンの実妹であり、今では僕の妹でもあるミア・ファンネルからの手紙だった。
ちょうど試験を終えたタイミングで寮に届いたそこには、最後にこう書かれていた。
「もうすぐセレーネお姉様とお会いできるのを楽しみにしていますわ!! 是非、実家で羽を休めて下さいませ!!」
この手紙を見て、試験の事ばかり考えていた僕は、ようやく思い出した。
学園に入学して間もなく4カ月。
もう1週間もすれば、ついにあれがやってくる。
ゲームだから、時期なんかもきっと現実と一緒になっているのだろう。
学生にとって、1年で最も楽しみな時期。
そう、夏休みだ。
「実家にいられるのは2週間ほどか。どうせなら、その間に試験に向けた準備ができるといいんだけど……」
とは言いつつ、なんとなく落ち着いて試験対策ができないような気がしていた僕。
それは、妹であるミア・ファンネルが原因だった。
あまり彼女に構いすぎていると、時間は瞬く間に過ぎ去ってしまうだろう。
オンオフをはっきりとして、やるべきことはしっかりこなしていかないと。
とはいえ……。
「ふふっ、お父様達、元気にしてるかな」
もはやすっかり家族という気持ちの強くなったヒルト公爵や侍女達の事を頭に思い浮かべつつ、少しだけ心の軽くなった僕は、ようやく瞳を閉じたのだった。
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