309.碧の王子、命拾いする
「ふーん、あんたが"今の"聖女様かぁ。案外ふつーのおばーさんだねぇ」
じろじろと無遠慮な視線を聖女様へと浴びせかけるメラン。
だが、不躾な態度の不快さよりも、緊迫感が僕の胸を満たしていた。
敵の首魁が、聖女様の眼前に立っている。
いや、立てていると言った方が正しい。
聖女様の持つ強力な白の魔力の前では、いかに黒の使者といえども、近づくことすら憚られるはずだった。
しかし、この男はただただ平気な顔でその場に立っている。
あの試験官と同様、彼もまた、白への耐性を身に付けていると見て間違いない。
「その細い首なんて、簡単に折ってしまえそうだなぁ。あまりにも簡単すぎて、ちょっと興ざめしちゃうかも」
「貴様……」
あまりにも不敬な言葉に、周りの僧兵達がいきりたち、再び槍を構えようとする。
けれど、そんな彼らを抑えるかのように、聖女様が腕を掲げた。
「黒の者よ」
「なんだい、聖女様。命乞いでもしてみるつもり?」
「あなたに伝えたいことがあります」
ベール越しにも伝わる毅然とした態度。
ほんのわずかに呼吸を整えるかのような間の後、聖女様は口を開いた。
「申し訳ありませんでした」
「…………は?」
あまりに意外な言葉に、周りの僧兵達までもが愕然とした表情をしている。
当然、いきなり謝られた側のメランも同様だ。
しかし、彼はすぐにニヤリと笑みを浮かべた。
「なるほどねぇ。謝罪の言葉で俺を油断させようってわけ? そんなこと言っても、俺は……」
「今のは、私の言葉ではありません。私の中にあった白の根源が、ずっと叫び続けていた"伝えるべき言葉"です」
「伝えるべき……?」
「はい」
持っていた錫杖をトンと地面へと降ろした瞬間、彼女の周囲にふわりと風が揺れた。
攻撃的な嵐ではない、ほんのささやかなそよ風。
それが、メランの前髪と黒衣を揺らした瞬間、彼はハッとしたように目を見開いた。
「これは、この雰囲気は、ノワール様と同じ……」
「白の根源の中には、ずっとセフィーラ様の遺志がありました。黒の王に対する、強い謝罪の気持ちと後悔が」
わずかに俯くように顔を伏せた聖女様。
そう思った次の瞬間には、彼女は膝を折り、地面に首を垂れていた。
「セフィーラ様に代わり、私が謝罪します。本当に申し訳ありませんでした」
これまで大陸の安寧を護り続けてきた聖女様。
誰よりも貴いとされるその存在が、敵に対して頭を下げる姿に、僧兵達は身動ぎすらできないほど呆然としていた。
それほどに、考えられない行為。
だが、まるでそれが当たり前かのように、聖女様は首を垂れ続けている。
やがて、僧兵達と同様に、呆然とした様子だったメランが強く拳を握りしめた。
「やめろぉおおおおおおっ!!!!!」
怒りをぶつけるように振り下ろされた足が、地面を陥没させる。
細身からは想像できないパワーで、僧兵達を震え上がらせたメランは、怒りの形相のままに吠えた。
「同じだと!? 聖女も、この200年間、ずっと苦しみ続けていた、とでも言うつもりか!!!」
地団太を踏むように、何度も地面を踏みしめるメラン。
その度に大地が揺れ、身体からは黒の魔力が瘴気となって漏れ出してゆく。
「バカにしやがって!! そんな謝罪の言葉一つで、俺達が受けた苦しみが報われるものか!!!」
噴き出す瘴気に、たまらず僕はその場から後ずさる。
すると、ふと凪に入ったかのように瘴気が収まった。
ホッとしたのも束の間、どこかうつろな目をしたメランはゆっくりと手を天へと掲げる。
「もういい……」
ボソリと呟いた彼の視線には、もはや何も映っていない。
目の前で首を垂れる聖女様を無機質な瞳で見下ろす彼は、開いていた手をじわりと握り始めた。
「聖女……卑しい売女め。直接触れるのも汚らわしい。このままドラゴンのブレスで黒の大地の土となるがいい」
グッと拳を握りしめた瞬間、上空のドラゴンが吠えた。
同時に、ブレスのエネルギーが口内に集中していくのがわかる。
「まずい……!!」
あんなものが放たれれば、この場にいる者達は一人残らず命がない。
もちろん聖女様も、だ。
再び、バリアの展開を指示しようとしたその刹那の事だ。
突然、メランが遥か黒の大樹の方へと視線を向けた。
「コリック。お前……!?」
明らかに動揺した態度のメランは、キッと虚空を睨みつけた。
「どいつもこいつも……。やはり信じられるのは、自分だけか」
怒りを顔ににじませながら、彼は瘴気を纏い、遥か上空のドラゴンの背まで飛び上がった。
そして、そのまま物凄いスピードで戦場から飛び去って行く。
「助かった……のか?」
どうやら、コリック……いや、"あの方"が何らかの行動を起こされたらしい。
あるいは、レオンハルト様達が、セレーネ様の救出に成功した可能性もある。
「皆様、どうぞご無事で」
一瞬で小さくなっていくドラゴンの背を見つめ、僕は祈るようにつぶやいたのだった。
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