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299.お兄ちゃん、開戦を知る

「エリアス様。おおよそ人員の配置が終了しました」

「ああ、報告ご苦労」


 黒の領域と碧の国ウィスタリアの境目。

 わずかに離れた小高い丘から見下ろしたその平原には、一面を覆い尽くすほどに数えきれない数の兵たちが集まっていた。

 今回の黒の領域への侵攻に際し、僕主導で編成した紅・碧・白の連合軍だ。

 数にして10万を超えるその兵たちのおよそ8割は民兵。すなわち、本職の兵隊ではない、一般の国民だ。

 これだけの数を集めるのにはかなり苦労したが、どうにか目標としていた数に届かせることができた。

 黒の領域をこの大陸から消し去りたいという思いは、平民であっても強い。

 また、聖女様が自らの名前を出して、義勇兵を募ってくれたことも大きいだろう。

 三国全ての国民から愛されている彼女の後押しがなければ、ここまで万全の準備を整えることはできなかった。

 もっとも、彼女を参戦させることこそが一番の難関ではあったのだけれど……。

 代々の聖女様は200年以上に渡り、黒の瘴気からこの大陸を護り続けてくれた。

 聖女様がいなくなれば、大陸は一息に黒へと飲み込まれる。

 だからこそ、これまで聖女様は常に白の教会によって護られ、管理されてきた。

 一般の人の前には、姿を現すことがほとんどなく、その姿が見られるのは聖燭祭の時のみ。

 それほどまで徹底して護られてきた聖女という存在が、初めて白の国を出て、あまつさえこのような戦場へと身を投じる。

 今までの常識から考えれば、それはあり得ないこと。

 だが……。

 彼女はどうやら、僕と同じ考えを抱いていたらしい。

 ルカード様達、一部の教会関係者達の後押しがあっても、頑として首を縦に振らなかった枢機卿を含めた教会幹部たち。

 そんな老人達を説き伏せたのは、まさに聖女様ご自身だったのだ。


『黒の領域を無くすことこそ、長きに渡る民草の悲願でありましょう。そのためならば、私は命を(なげう)つ覚悟があります』


 初めて僕らの前に姿を表した聖女様は、歳相当の小柄で線の細い女性だった。

 だが、多くの幹部たちを前に、自分の想いを語るその凛とした声には、どこか心の芯に訴えかけてくるような力を感じた。

 もう一つの大きな決断も含めて、教会本部で行われることになった首脳会議は荒れに荒れたが、これまで行ってきた小さな根回しもあって、なんとか僕が望む形で、侵攻作戦を開始できる手筈となった。

 指揮官は僕だ。

 紅か碧の将軍に指揮権を託す事も考えたが、今回は人対人の戦争とは違う。

 どのみち練度は変わらぬ以上、作戦の内容を最も深く理解している僕が指揮を執る方が確実と言えた。

 それに、僕自身の力で、セレーネ様を取り返したい。

 そんな気持ちをどうしても拭う事ができなかったというのもある。


「直接的に貴女をお救い差し上げる役目は、"彼"に譲りましたけどね」


 頭の中に、聖剣を振り上げ、赤髪を揺らす彼の姿が思い浮かぶ。

 囚われのお姫様を救出するのは、古来から勇者の役目だ。

 こればかりは、適材適所。割り切る他ない。


「今回ばかりは譲りますよ。でも必ず、セレーネ様を取り戻して下さい」


 遥か遠くで準備を整えているであろう彼に、心の中でエールを送ると、僕は空を見上げた。

 赤みがかった空が少しずつ青く澄み渡っていく。

 間もなく完全に陽が昇る。

 開戦の時は近い。




 それは、まだ陽が昇ったばかりの早朝の事だった。


「あ、ああ……!?」


 突然、唸り声をあげたアシュレイが、僕の傍らで目を覚ました。

 昨晩は、あのまま子ども部屋でアシュレイと共に寝落ちしていた僕だったが、彼が飛び起きた衝撃で同じく起床した。


「どうしたのですか、アシュレイ?」

「マ、ママ……。感じる。魔物達が……!!」

「どうやらいよいよ口火が切られたらしいねぇ」


 いつの間にやってきていたのか、壁に寄り掛かったメランが眼を閉じながら、口を開く。


「へぇ、こりゃ凄い。かなりの戦力だ」

「見えるんですの?」

「ああ、うん。魔物達の目を通してねぇ」


 瘴気を使って使役した者の視覚を自分のものとして利用できる能力のあるメランには、遠くの戦場の様子がつぶさにわかるらしい。


「兵力はおよそ10万ってとこか。なかなかの大戦力ではあるけど、地の利はこちらにあるからねぇ」


 黒の領域では、魔力を扱うことができない。

 とすれば、如何に大兵力といえど、魔物達とやり合うことはかなり厳しいと言わざるを得ない。

 だけど、もし本当に聖女様が参戦されたとすれば……。


「さて、どんな戦いを見せてくれるか。見物だねぇ」


 ニヤリと笑うメラン。

 その表情には、相手を格下と見て、舐めている様子がはっきりと見て取れた。

 こうして、戦争の始まりを知った僕。

 だが、何をすることもできない僕は、ただただみんなが無事でいることを祈る事しかできなかった。

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