292.女神からの天啓 その2
「ふふっ、寝顔はまだまだ子どもですわね」
ベッドでぐっすりと眠りにつくアシュレイの姿を見て、自然と笑みが浮かぶ。
僕に抱きしめられて、なんだか恥ずかしそうにしていたアシュレイだったが、夜も更けてくるとウトウトし始め、いつしか眠りについていた。
肉体の急激な成長のためか、彼は普通の子どもよりも睡眠時間が長く、昼寝も含めると半日以上は寝ていることが多い。
穏やかな寝顔を確認するようにしばらく眺めた僕は、すごすごと子ども部屋から出た。
もうママが近くにいないと寝られない歳でもない。
どこか息子の成長への寂寥感を感じつつも、僕は夜風に当たるようにして、吹き抜けになった王城の廊下を歩いていた。
黒の国の空には雲がかかっていることが多い。
だけど、今日はたまたま厚い雲の隙間から紅と碧の月がはっきりと見えていた。
そして、二つの月が、僕の目に映ったその瞬間だった。
「えっ……」
気づくと、僕はどことも知れぬ白い通路を歩いていた。
いや、違う。これは……。
「女神の空間?」
『ようやく繋がることができました』
何もない虚空から女性の声が響く。
間違いない。
この声は、僕がコリック達に連れ去られたその日に聞いた、あの女神の声だった。
『あまり時間がありません。前置きなしでお話しさせていただきます』
挨拶もせぬままに、一方的に話し始める女神。
その口調は、どこか焦っているようにも感じられた。
『間もなく時が来ます。この世界の命運を決める、大いなる戦いの時が』
「それは、エリアスが起こそうとしている戦争のことですか?」
『その通りです。しかし、重要なのは戦争そのものではありません。鍵はあなたが育て上げた、あの黒の王にあります』
「アシュレイに……」
アシュレイがこの世界の行く末を決める鍵になる。
ある程度は予想していたことだが、改めて女神の口から聞かされたことで、僕は唇をキュッと引き結んだ。
「あの子は、世界を滅ぼすような魔王にはなりません」
『それでいいのです。あなたは、そう信じ、ただ己の心のままに突き進めばいい』
少しだけ穏やかな声色で、女神は言った。
『あなたは、あなたらしく。それだけは忘れずに、黒の王を導いてあげて下さい』
その言葉を最後に、女神の声が徐々に遠のき始める。
『最後に一つだけ。5日後、転機が訪れます。それまでは決して行動を行さぬよう』
一方的にそう告げた女神。
そうして、次の瞬間には、僕の前にはいつもの無機質な王城の廊下が広がっていた。
空を見上げると、すでに二つの月は厚い雲に覆われて、見えなくなっている。
時間制限がある中で、女神は出来る限り、僕に情報を伝えようとしてくれていたらしい。
以前と同様、抽象的な内容がほとんどだったが、最後の一言だけには、妙に具体性があった。
5日後……。
戦争が始まるのか、はたまた他の何かが起こるのか。
とにかく、待つ他ない。
ここを発つ準備だけはしておこう。
密かにそう思いつつ、何事もなかったかのように廊下を進む僕の耳に、何かが唸るような音が聞こえた。
「何の音……?」
それは、吹き抜けになった階段の上から響いてきているようだった。
この上にあるのは、確かアシュレイが生まれた謁見の間だったはず。
暗い城内に唸り声のように響く音。
恐ろしさは感じるが、興味の方がわずかに勝った。
ごくりと唾を飲み込むと、僕はおそるおそる階段を上り始めた。
間もなく辿り着いた謁見の間。
わずかに人ひとり分くらいが通れる間を開けて、その扉が開放されている。
ひんやりとした冷気が漂うその隙間から、僕は部屋の中を覗き込んだ。
ぼんやりとした紫色の光に照らされた部屋の中。
その中央に立っていたのは、レッドカーペットに跪く黒マント……メランだ。
誰もいない謁見の間で、彼はいったい何をしているのだろうか。
疑問符を頭の上に浮かべながら、その様子を眺めていると、メランはおもむろに口を開いた。
「もう間もなくです。黒の王」
跪きながらも、話し始めたメラン。
だが、彼の目の前には誰もいない。
ただ空の玉座とその後ろに堂々と聳え立つ黒の大樹の幹があるだけだ。
それを確認した次の瞬間だった。
ゴォーという空気を震わす唸りと共に、黒の大樹が脈動するようにわずかに震えた。
これは……。
もしかして、黒の大樹がメランの声に反応しているのか……?
「間もなく"器"が完成します。それまでもうしばらくのご辛抱を。必ずや黒の本懐を遂げてみせましょう」
普段の不誠実そうなニヤニヤ顔でなく、真剣な表情で大樹へと語り掛けるメラン。
彼は大樹の事を"黒の王"と呼んだ。
だが、新たな黒の王はアシュレイのはず。
そして、"器"という言葉……。
「誰かいるのか……!!」
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