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273.お兄ちゃん、子育てを始める

 そんなこんなで、僕の黒の領域での子育て生活がスタートした。

 前世で一般的な男子高校生であった自分には、赤子の世話をした経験がない。

 兄妹は双子の妹である優愛だけで、親戚にも特に年の離れた幼子というのはいなかったのだ。

 それゆえに全てが手探り状態。

 布おむつの交換だって一苦労だ。

 夜泣きもするし、睡眠時間だって、ここ数日まともに確保できていない。

 世のお母さん方の苦労が身に染みる。

 それでも、リグ達の助けもあって、なんとかそれなりには母親代わりを代行できているように思う。

 幸いな事に、この赤ん坊──アシュレイは、僕にとても懐いてくれている。

 自分の事を本当の母親だと思っているのか、じっと僕の指を握って離さずに眠る姿を見ていると、なんとも言えない愛おしさが胸に広がってくる。

 可愛いなぁ……。

 なんだか、自分まで本当の息子のように感じてきてしまう。

 アシュレイ、可愛いよ、アシュレイ。

 そんな僕の愛が通じたというわけではないだろうが、アシュレイは物凄い速さで成長していた。


「よっこらせ、っと」


 ベッドからアシュレイを持ち上げる僕。

 あれだけ頼りなかった身体が幾分がっしりし、首も座っている。

 体重は、おそらく倍程度にはなっているだろう。

 言葉も「あー」だとか「うー」だとか発するようになり、ハイハイだってもう得意だ。

 つかまり立ちだって、すでにできかけている。

 生後わずか1週間でこの状態。

 コリックの言う通り、やはりアシュレイは普通の赤ん坊とは大きく成長速度が異なるようだった。


「はーい、アシュレイ。ガラガラガラガラ~♪」

「きゃっきゃ!!」

「へー、なかなか立派にやってるじゃないの」


 アシュレイを床のマットに降ろし、ガラガラで遊んでいるその時だった。

 ノックもせずに現れたのはメラン。

 彼が、この子育て部屋まで足を運んでくるのは、今日が初めての事だった。


「メラン……」

「うんうん、ちゃーんと育ってるねぇ」


 雑な仕草で赤ん坊を持ち上げるメラン。

 頬を摺り寄せるようにすると、アシュレイはあからさまに不機嫌そうになった。


「うぇ、うぇ……」


 あ、やばい、泣く。

 そう思った僕は、すぐにメランの腕からアシュレイを奪い取ると、自分の胸に抱いた。


「大丈夫ですわ。アシュレイ。ほら、怖くない」


 にっこりと安心させるように微笑んでやると、あと一歩で泣き出すという手前で、なんとかアシュレイの機嫌を持ち直すことができた。

 ふぅ……。


「メラン。邪魔」

「ひどっ。せっかく部屋まで足を運んだっていうのに!!」


 端的な僕の反応に、メランは唇を尖らせる。


「1週間も赤ん坊の様子を見に来なかったのに、今更何ですの?」


 コリックの方は、1日に必ず1回、ないしは2回はこの部屋の様子を見に来てくれている。

 何か手伝ってくれるわけではないが、なんだかんだ赤子の状態をきちんと確認するあたりは、彼らしいといったところ。

 半面、このボンクラは、まったくそんなそぶりもなく、もはや生まれたことすら忘れているのかと思うくらいだった。


「黒の王がちゃんと育っているか。僕も見ておきたくてね~」


 そう言って、また、アシュレイに触れようとするメランから逃すように僕は身を捻る。


「なんだよー。ちょっとくらい……」

「あなたが触れると、アシュレイが嫌がります」

「アシュレイ? ああ、黒の王の名前かー」


 一瞬勝手に名づけをしたことを咎められるかと思ったが、メランは気にした風でもない。

 それに僕は逆に少し憤りを感じた。

 アシュレイは、自分たちにとって、次の王となる大切な存在のはずだ。

 それなのに、その名前にすら興味を持たず、ましてや子育てに少しも手を貸そうとしない。

 そりゃあ、前世と違って、ここはファンタジーの世界だ。

 乳母のような存在も一般的であって、公爵令嬢である僕も、幼い頃は実母ではない使用人たちの手で育てられた。

 男が子育てに必要以上に関心を持たないのは、この世界では当たり前の事ともいえる。

 でもさ。でも……。


「メランは、何でそんなに無関心でいられますの……」

「無関心ってわけじゃないけど、子育ては門外漢だからねぇ~。聖女候補様に任せた方が無難でしょ。そのために連れて来たんだし」

「ですが……」

「あっ、そうだよね。君ってば公爵令嬢だもんねぇ。やっぱりこういう細々した事なんて──」

「そういうわけではありません!!」


 思わず出てしまった声の大きさに、自分でハッとする。

 思っていた以上に、僕は内心でメランの態度に憤っていたらしい。


「どんな目的であれ、こうやって赤子を授かったのです。あなただって、親みたいなものでしょうし、少しは……」

「なになに~、聖女候補様。もしかして、僕に"パパ"をやって欲しいの?」

「ち、違っ……!!」


 いや、違わないのだが、なんかこうニヤニヤ顔で言われると、めちゃくちゃ腹立つ。

 誰が、こんなやつと好き好んで、夫婦役しないといけないんだよ!!


「もういいですわ!! メランはこの部屋に来なくて結構。アシュレイは、私が立派に育て上げてみせます!!」

「うんうん、期待してるよ。聖女候補様」


 相も変わらぬにやけ顔を浮かべつつ、彼は後ろ手に手を振りながら部屋を後にした。

 扉も閉めず……本当に、何から何まで腹が立つ。


「この子が、立派な好青年に育ってから、後悔すると良いですわ……!!」


 もはや背中も見えなくなった虚空に向かってそう吐露すると、僕は改めて、アシュレイをしっかりとした人格者に育てるべく、決意を新たにするのだった。

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