250.お兄ちゃん、心配される
青々としたコントラストの強い初夏の空。
流れる雲の隙間から降り注ぐ陽光に照らされた大事は、相も変わらず自然の雄大さを僕らに教えてくれる。
爽やかな風に持って行かれた髪の一房を指でもてあそびながらも、僕の視線の先にあるのは、この光景の中にある不穏な一点だ。
黒の大樹。
遥か大陸の南方に位置するこの大木を中心として、人々がおよそ入ることのできない瘴気の漂う一帯があり、黒の領域と呼ばれている。
かつて存在した黒の国アーテルの跡地であり、魑魅魍魎の跋扈する恐ろしい土地。
大自然の緑の中に、まるで墨汁を落としたかのように広がるその光景は、コラージュのような異様さを放っていた。
「やはり気になりますか」
僕が黒の大樹ばかりを気にしていることに気づいたのだろう。
隣で馬の背に跨りながら、エリアスはそんな風に問い掛けた。
「……はい」
半年ほど前に来た時よりも、黒に属する存在への僕の意識は明らかに高まっていた。
紅の国で実際に邪教徒の脅威にさらされたことはもちろん、聖女試験も後半に差し掛かり、聖女になるということが現実味を帯びてきたこともそれに影響している。
聖女がいなければ、黒の大樹は息を吹き返し、大陸は黒の瘴気に包まれる。
黒の存在こそが、白である聖女が必要である理由そのものだった。
「無理もありません。もう2か月もすれば、セレーネ様かルーナさん、どちらが次代の聖女になるか決まるわけですから」
耳を傾ける僕に、馬に乗ったまま、エリアスがわずかに近づいた。
「エリアス様?」
まっすぐに僕を見つめるエリアス。
その雰囲気が、ここ数日に僕に想いを伝えてきた攻略対象達と重なった。
ああ、この空気感。
エリアスもきっと……。
「セレーネ様に、お聞きしたいことがあります」
「……はい」
彼の感情をつぶさに受け入れようと、僕もしっかりと瞳を向ける。
レオンハルトは、覇道を進む自分の傍にいて欲しいとそう言った。
ルカード様は、聖女になった僕の傍にずっと一緒にいてくれると言った。
アミールは、自分と一緒になれば、夢のような想いをさせてやると言った。
フィンはもっと謙虚に、これからを過ごす相手として、立候補させて欲しいと言った。
彼は、エリアスは、いったいどんな言葉を僕に伝えてくれるのだろうか。
ジッと見つめ続けていると、彼はやがてゆっくりと口を開いた。
「セレーネ様は、聖女になりたいとお思いですか?」
「えっ……?」
それは、少しばかり意外な言葉だった。
てっきり、いきなり告白されるかと思っていたからだ。
「私は……」
すぐに言葉を返すことができない。
予想していた言葉と違ったからという事もあるが、その質問そのものが、僕にとっての命題だったからだ。
聖女になりたいか、それとも、なりたくないのか。
ルーナの事、そして、僕に想いを伝えてくれた男の子達の事。
それら全てが頭の中でクルクルと回って、とても明確な答えを出せそうにない。
自分でも優柔不断だと思う。
けれど、誰の想いも無下にできないと、僕は考えていた。
「私にも……よくわかりません」
どこか駄々っ子のように、首を振った僕。
口から出た言葉もまた、どこか幼子のような調子だった。
想いがまとまらず……いや、このまとまらない感情こそが、本当の僕の気持ちなのだろう。
およそ、心の声とも言ってよい僕の言葉を聞いて、エリアスはなぜか少しだけ嬉しそうに微笑んだ。
「安心しました」
「えっ?」
「セレーネ様でも、やはり迷い、悩む、ことがあるのですね」
碧い髪を風になびかせながら、ふんわりと微笑むエリアス。
その表情があまりにも大人っぽくて、僕の心臓が少しだけドキリと高鳴った。
「あ、当たり前ですわ……!」
エリアスの目には、いったい僕はどう映っているのだろうか。
僕なんて、この世界に転生した時から、ずっとあれこれ悩んでばかりなのに。
「僕にとって、セレーネ様は、まさにヒーローでした」
目を細めたエリアスは少しだけ風景の方に視線を向けながら、ポンポンとシャムシールの頭を撫でた。
「あの頃、自分で自分の心を檻に閉じ込めていた僕。それを救い出してくれたのは、セレーネ様です。僕にとって、セレーネ様は、誰よりも強くて優しい、ヒーローなのです」
「そんな……」
買い被りが過ぎるというものだ。
だが、僕が言葉を続ける前に、エリアスにくっついていたシャムシールも、まるで感謝するように喉を鳴らした。
彼は、未だに僕に命を救われたことを覚えていてくれている。
そんなエリアスとシャムシールの前で、それを否定する必要はないのかもしれない、と僕は思いなおした。
「セレーネ様は、いつだって誰かのために全力で、自分を犠牲にしてでも、手助けをしようとしてくれる。でも、だからこそ、僕は心配なのです。貴女が、他の誰かのために自分の気持ちを押し殺してしまわないか、と」
「あっ……」
再びエリアスと目が合った。
その目を見て、彼が僕に告白しようとしているわけではないことをはっきりと感じ取った。
彼の中にある感情は憂いだ。
僕の事を真剣に考え、僕の将来を心配してくれている。
「だから……」
言葉を区切るように呟くと、彼はそれまでの雰囲気が嘘のように、力強い視線を黒の大樹へと向けた。
「僕が、"聖女"という存在を終わらせます」
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