237.お兄ちゃん、認める
『セレーネ様。私、きっとこの苗を育ててみせます』
決意に満ちたルーナの顔。
それがふと浮かんだ瞬間、茹で上がっていた頭が一瞬で冷えた。
僕がレオンハルトと結ばれるということは、ルーナを犠牲にすることだ。
ついさっきルーナのライバルでありたいと誓ったばかりなのに、僕は何を考えているんだ。
二律背反する気持ちが、ズキズキと頭の奥底で鋭利な針となる。
そうして、一瞬目を伏せた僕。
その態度を彼は見逃しはしなかった。
「セレーネ、お前は……」
「すみません。突然の事で、何も考えられなくて……」
顔を隠すように、頬を押さえる僕。
そんな僕の髪を空くようにして手を離した彼は、ゆっくりと僕へと背を向けた。
「唐突過ぎた事は謝る。だが、今伝えたことは、俺の紛れもない本心」
そして、彼は再び銀の仮面でその整った顔を覆った。
「知っておいて欲しかった。今は、それだけでいい」
それだけ言うと、彼は闇夜に飛び上がった。
人間離れした跳躍力で空を舞う暁の騎士。
紅の月と重なるようになったその姿を、僕はただただ見つめていた。
「セレーネ様」
風呂場で髪を洗ってくれながら、アニエスが僕の名を呟く。
それでも、僕はそんな彼女の声にろくに反応することすらできなかった。
頭の中で、ルーナとレオンハルト、それぞれとの一件が、交互にグルグル回ってる。
僕はルーナのライバルで、レオンハルトの婚約者で……。
これまで考えることを先延ばしにしてきた様々な事が、今になって怒涛のように押し寄せてきたように思う。
熱暴走しそうな思考を必死にまとめてみようとするものの、とてもそんなことできやしない。
ただ一つ言えることは……。
目の前に映るセレーネ・ファンネルの姿。
少し前よりも一層美しくなったようにすら感じる自分の姿を眺めながら、僕は思わずつぶやいていた。
「僕の心は、もう女の子なんだな」
それだけは、否応なしに認めなければいけないことだった。
僕はレオンハルトからの告白を嬉しく感じていた。
それは、女性として彼と生きる未来を肯定的に受け取ったということに他ならない。
セレーネになって3年。
女子として生きたこの月日は、僕の心すらも変えてしまったということなのだろうか。
もはや強制力なんてものがないことは、ルーナが最後の試験で苦戦をしていることからもわかっている。
もう言い訳はできない。
僕は、もう以前の僕じゃない。
セレーネ・ファンネルという、一人の女の子なんだ。
「セレーネ様、"僕"とは……?」
「いえ、何でもないのです」
思わず呟いてしまった言葉を誤魔化すように、かぶりを振る。
「ところで、アニエス。あなたは、レオンハルトが暁の騎士であることを知っていたのですか?」
「そ、それは……なんと申しましょうか……」
「知っていたのですね……」
はぁ、とため息を吐きつつも、むしろ気づかなかった僕の方が鈍感なのかもしれないと思い直す。
アニエスだったら、動きを見てるだけでもレオンハルト本人であるとすぐ看破できただろうし。
若干後ろめたそうに視線を外すアニエスの肩をポンポンと叩くと、僕は気にしてない、というように軽く微笑んだ。
そして、アニエスが流してくれる背中の感覚に身を委ねる。
とりあえず、一度落ち着こう。
そう思って目を閉じた僕。
だが、翌日、務めて冷静であろうとする僕の心を揺るがす事件がさらに起こることになる。
「ルーナを失格にする……」
「そうだ」
放課後に突然コリック先生に呼び出された僕は、彼の言葉に絶句した。
「お前とルーナの苗の生育の差は、すでに歴然としている。これ以上試験を続けたところで、無意味だというのが私の考えだ」
「そん……な……」
何を言ってるんだ、この人。
ルーナには妙に優しいと思っていたのに、それは僕の勘違いだったのか。
いや、なんにせよ。頑張っているルーナの事を無視して、一方的に試験を打ち切るのか。
そんな事、認められるはずがない。
「あまりに一方的にすぎます!! 試験は3か月に渡って行われると、最初に告知があったはずです!!」
「確かにな。だが、彼女の白の魔力が、お前に劣っていることはすでに明白だ」
有無を言わさぬ雰囲気のコリック先生。
頑ななその姿勢に、僕は怒りがムクムクと湧き上がって来ていた。
「それを判断したのは教会ですか?」
「違う。試験官である私個人の考えだ」
試験官としての判断。
確かに彼にはその裁量があるのかもしれない。
でも……。
「わかりました。でしたら、私にも考えがありますので」
ガタンと机に手をついて立ち上がると、僕はすぐさま、部屋から出る。
いかり肩でそそくさと廊下を歩く僕。
行く先はもう決まっていた。
「白の教会。ルカード様に会えば、きっと……!!」
前任者であるルカード様。
彼に直談判すべく、僕は白の教会へと足早に向かったのだった。
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