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230.お兄ちゃん、魔が差す

「セ、セ、セレーネ様っ!? 何で、こんなところに!?」


 細長いパンを口からすっぽ抜きつつ、あわあわと慌てた様子のルーナ。

 シュキと同様、こちらの寮まで僕が来るとは露とも思っていなかったらしい。


「私もいますわよ。平民」

「あっ、ルイーザちゃんも」

「何で、私には驚きませんの!?」


 すっかりいつもの調子のルーナのルイーザの様子に、思わずクスリと笑ってしまう。

 学園の授業を3日も休んでいたルーナだが、大きく変わった様子はない。

 いや、普段と比べると、少し疲れた顔をしているだろうか。

 そして、その理由は、やり取りをしつつも伸ばし続けている彼女の腕の先にあった。


「シーダの苗……まだ、芽が出ませんのね」


 そう。彼女が手をかざし続けていたのは、あの鉢植えだ。

 唸るようにして、その鉢植えに向けて力を送り続けていたらしいルーナは、わずかばかりくたびれた様子で笑った。


「はい、あれからずっとこの苗と過ごしているんですが、まだ芽が出なくて……」


 学園にも顔を出さず、食料すらシュキに調達してもらってきているあたり、本当に取るものも取らず、ずっとこの鉢植えに構いっぱなしになっているのだろう。

 よくよく見れば、目元には、はっきりと隈もできていた。


「ルーナちゃん……」


 今はまだ大丈夫かもしれない。

 でも、このまま芽が出なければ、ルーナは倒れるまで、この苗と居続けることだろう。


「ルーナちゃん、対立候補である私が、こんなことを言うのは何ですが、少し休んだ方が宜しいかと」

「そうですわ。あなた、ちょっと臭いますわよ。お風呂にも入っていないのではなくて?」

「で、でも、苗と一緒にいなくちゃ……」

「ルーナ」


 ぴしゃりと名を呼んだのはシュキだ。


「二人もこう言ってるんだし、とりあえずお風呂に入るのと、ご飯はちゃんと食べよう。倒れたら、元も子もない」

「う、うぅ……わかった」


 さすがのルーナも、3人から一斉に言われてしまっては抵抗のしようもない。

 しぶしぶといった様子で腕を降ろすと、ゆっくりと立ち上がった。


「ほら、私の寮まで行くよ。ここお風呂もないんだから」

「あ、待って、シュキちゃん」


 シュキに連れられるようにして、そそくさと部屋から出ていくルーナ。

 その背中を眺めつつ、ルイーザがホッとしたように息を吐いた。


「まったく、本当に心配させるんですから」

「あら、ルイーザさん。やっぱり」

「ち、違いますわ。た、ただ、平民はこう一つの事に集中すると、周りが見えなくなるきらいがあるというか……。それが少しだけ、怖く感じて」


 それを"心配"というんだよ、と心の中で呟きつつ、僕も同じことを思う。

 聖女試験に挑む際の、ルーナの集中力には物凄いものがある。

 だから、自分の疲労にも気づかず、頑張りすぎてしまうことをルイーザやシュキも心配していたのだろう。

 ふと、視線をルーナの鉢植えへと移す。

 これだけルーナが手をかけているにも関わらず、シーダの芽は一向に出て来る様子もない。

 やはりルーナの白の魔力が弱いからなのだろうか。

 そう考えた時、僕の手は自然と鉢植えに向かっていた。

 今なら、ルーナの目はない。

 僕の白の魔力なら、きっとこの苗だって──


「セレーネ様?」


 ルイーザの声に、ハッとして僕は手を止めた。

 今、僕はなんてことをしようとしていたんだ。

 自分の白の魔力で、ルーナの苗の芽を出そうとした……。

 半ば無意識的な己の行動に、冷や汗がじんわりと滲んでくる。

 そんなことをしてもルーナが喜ぶはずなんてない。

 いや、きっと彼女は怒るだろう。

 彼女は言った。

 自分は、僕のライバルだと。

 第4試験で一緒に勉強したのとは違う。

 僕の力で芽を出そうとするのは、ただの不正であり、僕のエゴに過ぎない。


「どうかなさいましたか?」

「いえ、何でもありませんの」


 ルイーザに向かって返事を返すと、僕はスーッと息を吸った。

 ルカード様の件もあってか、僕は少し短絡的になっているらしい。

 ルーナに直接手を貸すことはしない。

 でも、ライバルではなく、友達として、彼女を労ってあげることはできるだろう。


「ルイーザさん。ルーナちゃんが戻ってくるまでに、食事を用意して差し上げましょう。材料はシュキさんが用意してくれているようですし」

「ふぅ、平民のためにあれやこれやと手を焼くのは癪ですが、セレーネ様がそうおっしゃるのであれば」

「ふふっ、とびきり美味しいスープを作ってあげましょう。ルーナちゃんの頬っぺたが落ちるくらいのものを」


 自分の気持ちを整理するように、僕はルイーザと共に、ルーナのための食事を用意するのだった。

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