214.お兄ちゃん、弟の考えを知る
入学して間もなくの頃の事だ。
フィンは、僕にこう言った。
『僕はね、本当は誰にも姉様を渡したくない』
言葉と共に、あの妙に熱っぽい視線は、未だに僕の脳裏に焼き付いている。
彼はレオンハルトに僕を渡したくはないと言っていた。
そして、それはずっと家族でいたいという意味だと僕は認識している。
聖女になれば、気軽に顔を合わせることができるのは、親族のみだ。
無論男性と結ばれることもなく、ずっと独身ともなれば、確かにフィンが考えていたように、生涯最も身近な存在は"家族"、とりわけ"姉弟"ということになるのだろう。
だから、フィンは、僕が聖女になるための障害であるルーナのことを敵視していた。
それは時が経つにつれ、ルーナという少女の事を知るにつけ、少しずつなりを潜めていったように感じていたが、彼には彼なりの気持ちの変化があったということ。
そして、その気持ちの変化が、僕を"聖女にしたくない"という理由になるに違いない。
言葉を返すこともできず、ただただフィンの事を見つめていると、彼は瞳に僕の姿を映したまま、静かに口を開いた。
「2か月前、紅の国についていけなかったこと。今でも僕は悔やんでいる」
拳を握りしめるように視線を落とした彼は、そう呟いた。
邪教徒との一件で、僕は生まれて初めて、本当の命の危険に晒された。
僕自身、それにはかなり精神的な苦痛を感じてはいたが、伝え聞いただけにも関わらず、フィンは僕以上にその事にショックを受けている様子だった。
「あんな危険に遭うくらいなら、僕は姉様に聖女になんてなって欲しくないよ」
今まで、僕があまりにあっけらかんとしていたから、彼も聖女になることの重みが感じられていなかったのかもしれない。
だが、紅の国での一件、あるいは聖燭祭での大役は、彼にその重責を改めて感じさせるには十分な出来事だった。
「フィン……」
僕を心配するような、それでいて、どこか有無を言わさぬ意志の籠もった視線を向けてくるフィン。
その表情を見るにつけ、胸の奥がギュッと掴まれるような感覚を僕は覚えた。
思えば、この世界に来たばかりの頃も、こんな風な気持ちを時折感じることがあった。
それは、前世の両親の事を考えた時だ。
僕と優愛。
2人の息子、娘を亡くした父と母は、一体どんな想いをしているのだろうか。
それがふと頭によぎる時、胸の奥で、愛おしさと申し訳なさがないまぜになったような、じんわりとした痛みを感じることがままあった。
今、僕が感じている痛みも、まさにそれに近いものだ。
家族を不幸にしてしまった負い目。
そして、これから不幸にしてしまうかもしれない引け目。
僕にとってもう、フィンは前世の家族にも引けを取らない、唯一無二の弟なのだ。
「姉様……」
いつしか、僕は自然とフィンの細い身体を抱きしめていた。
男の子になんて思えないほどに、華奢な身体。
だけど、誰よりも頼りになる、僕の弟。
「ありがとう。フィン」
口から出た言葉は、感謝だった。
「あなたが、そんなにも私の将来の事を考えてくれることを、嬉しく思います」
「当然だろ。僕は、姉様の……弟だから」
されるがままに抱きしめられたフィンは、少し恥ずかしいのか、わずかに言い淀みながらもそう答えた。
一時期一緒に寝ていた頃を思い出す。
あの頃も、こんな風に恥ずかし気な様子を見せることがあったな。
「でもね。フィン」
ひとしきり彼のぬくもりを堪能した僕は、その拘束を解くと、ゆっくりとフィンに語り掛ける。
「あなたのその考えだと、ルーナは危険に遭っても良いということになってしまう」
「それは……」
「あなたが、何よりも家族の事を大切に思ってくれていることはわかります。でも、それはルーナだって同じであることも決して忘れないようにしてください。私にとってのフィンなような存在が、彼女にだって、いっぱいいるのですから」
ルーナに父はいない。でも、母親はいるし、友達だってたくさんいるだろう。
僕の事を想うあまり、彼はその事を忘れている。
いや、あえて考えないようにしているに違いない。
だって、フィンは本当に賢い子だから。
だから、こうやって言葉で伝えてあげれば、きっと──
「姉様は……わかってないよ」
「えっ……きゃっ!」
突然の事だった。
フィンの顔がすぐ僕の目の前にあった。
彼の翡翠色の瞳が、じっと僕を見つめている。
足元には、絡まるようになった彼の細いふとももの感触。
一瞬のうちに、僕は彼に押し倒されていた。
「フィ、フィン……?」
「僕は……僕は、本当は……」
「セレーネ様ぁー!! もういらっしゃいますかー!!?」
「あっ……」
扉の開く音と同時に、本棚の裏からルーナの声が聞こえてきた。
その声が聞こえた瞬間、フィンが目を閉じる。
葛藤したように頭を振った彼は、ゆっくりと身を起こした。
そして、僕へと手を差し出す。
「ごめん。姉様。僕は……」
「い、いえ、少し驚いだだけです」
彼に引き上げられるようにして立ち上がった僕は、お尻を払いつつも、ゆっくりと椅子に腰かけなおす。
そこにルーナが本棚の裏からひょっこりと顔を出した。
「あっ、セレーネ様とフィーちゃん。もういらっしゃってたんですね! 返事をしてくれればいいのに!!」
「ルーナちゃん、自習室ではお静かに」
「むぐっ、そうでした!」
慌てて口元を押さえたルーナ。
そんなルーナの肩に手を掛けると、フィンは彼女を椅子にストンと座らせた。
「へっ? フィーちゃん?」
「すぐに始めましょう。今日は132ページからです」
「う、うん……!」
どこか雰囲気の違うフィーの様子に若干戸惑いつつも、ルーナはすぐに勉強を開始した。
感情を押し殺したようなフィンの横顔。
人形のように整ったその顔を見るにつけ、弟の本当の気持ちを読み取ることができない自分に、わずかばかりの不甲斐なさを僕は感じていたのだった。
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