177.お兄ちゃん、救出される
街道沿いに走り続けた俺は、森へと入る。
この辺りは昨晩、霜が降りたのだろう。
日の当たらない森の中の道は、乾ききっておらず、わずかにぬかるんだままだ。
そのおかげで、つい先ほど駆け抜けたであろう馬車の大きな轍がはっきりとわかった。
そして、途中でその轍が、森の脇道の方へと逸れているのも。
「こっちか!」
クレッセントとともに、より森の深くへと向かう道へと入る。
すると、ほどなくして、わずかに森が拓けた。
そこには一軒の小屋、そして、その横にはここまでセレーネを運んで来たのであろう馬車があった。
間違いない。あの小屋の中に、セレーネがいる。
「セレーネ!!」
跳ぶようにしてクレッセントから降りた俺は、小屋へと一目散に駆け出した。
しかし、その時だった。
突然、目の前の景色が、黒く歪む。
「これは……」
「一人でやってくるとはな」
瘴気に黒ずむ世界の中で、一人の男がゆっくりとこちらへと歩いてくる。
男の身体からは、周囲の黒よりも、より濃い瘴気が立ち昇っていた。
「邪教徒か」
「その呼ばれ方は好きじゃあない」
腰に提げていた剣を抜き放った男は、その刀身に俺の身を映すように腹を向ける。
「俺達は"黒の王に選ばれし者"。黒の騎士め。こんなガキの追跡を許すとは。元騎士団長といっても、こんなものか」
「黒の騎士とやらは、アニエスがすでに倒した。残るはお前達だけだ」
「それで、たった一人で来たというわけか。油断したな」
ニヤリと笑った男は、懐から紫に輝く宝玉を取り出した。
そして、それを地面へと叩きつける。
すると、割れたそこから、さらに濃い瘴気がその場を包み込んだ。
「この瘴気の中では、黒の魔力以外を使うことはできない。騎士にとっては死活問題だろう。おとなしく死ぬがいい!」
男は、剣を振りかぶり、こちらへと襲い掛かる。
一応は、それなり腕を持った剣士なのだろう。
黒の瘴気とやらのせいか、身体能力もかなり高い。
だが……。
「か……はっ……」
振り下ろしてきた剣を自身で剣で跳ね上げると、俺はそのまま襲い来る男のみぞおちに拳を食い込ませていた。
「なぜ……こんな……」
「悪いが、俺はそもそも魔力になど頼っていない」
「そうか……お前が、あの……」
今になって、俺が紅の王子であることに気づいたらしい男は、そのまま気を失った。
「クレッセント、下がっていろ」
黒の瘴気に触れて、動物が魔物化した件は俺も知っている。
クレッセントにできるだけ遠くにいるように声をかけた俺は、小屋の中へと突入した。
薄暗い部屋の中、そこには、探していた彼女の姿があった。
だが、普段と違い、髪も服も乱れ、うつろな瞳をたたえる顔には、明らかな憔悴が見て取れた。
そして、その傍らには、彼女の首筋にナイフを這わせる見覚えのある男。
「貴様……!!」
「く、来るなっ!!」
おびえたように、グッとナイフを押し当てる男。
こいつはそうだ。あの宿場町の酒場にいた男。
まさか、こいつも邪教徒の一味だったとは。
「セレーネを放せ」
「い、嫌だ……!!」
男は喚き散らしながら、首を横に振る。
「いつも! いつもそうだ!! 持ってる奴ってのは、凡人の事なんて一切見ちゃいない!! 自分よりレベルの低い人間なんて、眼中にねぇんだ!!」
自分のコンプレックスをさらけ出すようにそう叫んだ男は、どこか狂気じみた瞳でセレーネを見ていた。
「持ってる奴ばかりが、もっともっといっぱいの物を得るんだ!! だから、せめて、お前からも奪ってやる!!」
男はナイフを俺に向かって放り投げた。
そして、セレーネの頬へを手を這わせる。
こいつ、まさか……!!
「止めろ!!」
真っすぐ飛んでくるナイフを半身で避わし、俺はセレーネの元へと駆ける。
あの男は、セレーネの命を奪うつもりじゃない。
その唇を奪うつもりだ。
身体が動かないのだろう。
身動ぎをするも、セレーネは大きく抵抗できない。
間に合わないと悟った俺は、剣の鞘を大きく振った。
すると、男がナイフを投げたのと同様に、剣が柄を前にして男へと飛ぶ。
それは、セレーネに己の唇を押し付けようとしていた男のこめかみの辺りに、見事にヒットした。
「ち……くしょう……」
ギリギリのところで、動きを止めた男は、そのまま地面に倒れ込んだ。
そんな男の身体を押し退けるようにして、俺は、セレーネを抱きしめる。
「セレーネ!!」
外傷はない。
だが、薬を盛られたのか、身体が動かないようだ。
「レオン……ハルト……」
俺の名の呼ぶ彼女は、ようやく安堵したように瞳から涙を流した。
その涙を拭いながら、俺はできるだけ優しく背中を撫でる。
よほど恐ろしかったのだろう。
普段とは大きく違う弱々しい姿に、俺の心がズキリと痛んだ。
「セレーネ。身体は大丈夫なのか?」
「この……腕輪が……」
まだ、言葉も上手く話せないらしい彼女が、右腕をわずかに掲げた。
そこに着けられていた腕輪。その真っ黒な宝玉が不気味に光っている。
どうやら、これが、彼女を憔悴させている原因のようだ。
取り外そうとするも、この腕輪には継ぎ目が見当たらない。
少し危険だが、剣で斬る他ないか。
そう思って、柄に手を掛けた時だった。
ぼんやりと発光したかと思った次の瞬間、セレーネの右手首に嵌っていたはずの腕輪は、影も形もなくなっていた。
「これは……いったい……あっ!?」
疑問に思うよりも先に、セレーネが俺に抱き着いていた。
「レオ……レオンハルト……あり、ありが……!!」
「落ち着け。もう大丈夫だ」
どういう事情かはわからないが、あの腕輪が外れたことで、もう身体の方は大丈夫なようだ。
俺は、彼女が落ち着くまで、しばらくその身体を抱きしめ続けた。
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