175.お兄ちゃん、助けを待つ
大剣を掲げた黒の騎士が、私へと駆け出す。
一歩ごとに地面が振動するほどの猛烈なチャージ。
巨弾と化した黒の騎士の身体には、力が満ち満ちている。
半面、私の身体には、もうほとんど力が残されていない。
身体はボロボロ、魔力ももうあと少ししかない。
こうやって普通に立っていることすらも、ギリギリの状態だ。
それでも……。
私は、メイド服の胸元へと手を添える。
心の中で浮かび上がるのは、セレーネ様の笑顔。
それを思い浮かべるだけで胸が温かくなると同時に、彼女の笑顔を曇らせてしまった事実に、胸がギュッと痛くなる。
ほんのわずかでも傍にいられなかっただけで、私はセレーネ様を命の危機に晒してしまった。
あまつさえ、それを行ったのは実の父だ。
その責任は、必ず取る。
キッと目を見開く。
向かって来る黒の騎士。
圧倒的なパワーで迫るあの人に対抗するためには、私は残された全ての力を一瞬で爆発させなければならない。
そのために必要なのは……。
私は、左腕を照準のように前に伸ばすと、右手に持った剣を顔の横へと構え、切っ先を黒の騎士へと向けた。
選択したのは突き。かつてセレーネ様にも真っ先に教えたこの技は、非力な者でも最大限の攻撃力を生み出せるものだ。
残った紅の魔力を振り絞り、私は、照準を絞るようにグッと柄を握り込んだ。
タイミングは一度きり。
これで倒せなければ、私にはもう剣を握る体力すら残らない。
見極める最中、様々な思い出が脳裏によぎる。
女だてらに、父に厳しく鍛えられた幼少期の記憶。
罵声を浴びせられ、体力の限りまで扱かれて、死ぬほどつらかった時期もある。
それでも、騎士という生き方そのものへの憧れと、何よりも父が本気で私を強くしてくれようとしていることがわかっていたから、私は何とかその日々に耐えられた。
いつしか、父の想いは、ただの欲望へと形を変えてしまったかもしれない。
だけど、あの頃があったからこそ、今の私がいる。
恨みはない。あるのは、ただ寂寥とした悲しみだけ。
だから。
「あなたに鍛えてもらったこの力で、あなたを討ちます」
「やってみせろよ、アニエス!!」
その刹那は来た。
彼我の距離、相対速度、魔力の練り具合。
全ての条件が重なったほんの零コンマ1秒にも満たない刹那、私は放った。
全身全霊を籠めた、必殺の突きを。
「バカ……なっ……!?」
伸ばした蛇腹剣の剣先が、防御しようとした大剣ごと父の胸を突く。
そのまま、押し込むようにして、最後の力を振り絞る。
「らぁああああああああっ!!!!」
残る紅の魔力を全て腕力に変換し、私はその胸を貫いていた。
「はぁはぁ……」
倒れ込みそうになる身体。
それでも、なんとか歩を進めた私の目の前には、横たわる黒の騎士の姿があった。
「げふっ……!」
血の塊を吐き出す騎士。
胸には蛇腹剣で貫かれた大穴が空いていた。
心臓こそ外しているが、もう動くことはかなわないだろう。
「ふふっ、素晴らしい……一撃……だった……」
肺に穴が開いているのか、ふぅふぅ、と息を漏らしながら、父はどこか憑き物の落ちたようにそう言った。
気づけば、あの黒い瘴気もいつしか霧散している。
「やはり……俺は……間違っていたのか……」
きっと父自身、もっとずっと前から気づいていたのだろう。
自分自身が、決して正しい道を歩んでいないということに。
「私は、自分の信じた道を進みます」
「そう……か……」
私のその言葉を聞いた父は、自嘲するように微笑むと、それきり瞳を閉じた。
そして、静寂が満ちた。
父の姿から視線を外すようにして、私は気持ちを切り替える。
早く、セレーネ様の元へと……。
「アニエス!!」
その時だった。
クレッセントと共にこの場へとやってきたのは、レオンハルト様だった。
殿下の姿を見た途端、フラッと私の足から力が抜ける。
そのまま地面へと倒れかけた私の身体をレオンハルト様が抱き留めて下さった。
「大丈夫か? 一体何が……」
「セレーネ様が、邪教徒に攫われました」
「なんだと!?」
搔い摘んで事情を説明すると、レオンハルトはゆっくりと私を街道の端へと横たわらせた。
「お前はここで待っていろ」
「レオンハルト様……」
懇願するように、私は殿下へと頭を下げた。
「セレーネ様を……頼みます」
「ああ、任せておけ!!」
再びクレッセントに跨り、駆けていくその背中を見送りながら、私の意識は暗い縁へと落ちて行ったのだった。
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