173.お兄ちゃん、メイド騎士の姿に安堵する
「アニエス……」
騎士爵が不機嫌そうに眉を潜める。
「まさか、こちらの動きに気づくとはな」
「アニ……エス……」
その姿を見た途端に、思わず泣きそうになる。
どうやら、彼女は僕が残していった合図に気づいてくれた。
意識を失う直前、意図的に髪を解いた僕は、騎士爵の死角に自身のバレッタを放り投げていた。
それに気づいたアニエスは、クレッセントと共に、僕を助けにきてくれたのだ。
「お、追いつかれますよ!!」
「慌てるな。俺が足止めをする」
荷車の中にあった大剣を担ぎながら、騎士爵は言う。
「お前達は手筈通り、隠れ家へ聖女を運べ。いいな」
「わ、わかりましたっ!!」
それだけを言い残し、騎士爵は屈強な身体を弾丸のように弾ませ、馬車から飛び降りて行った。
後に残されたのは、御者をしている男とカードをした若い男。
「へへっ、邪魔者はいなくなったし」
男は、僕のすぐ傍にしゃがみ込むと、頬杖をついて寝転がった。
「存分に可愛い顔を愛でさせてもらうね」
「クレッセント!!」
「ヒィーン!!」
私の呼び声に応え、クレッセントが急ブレーキをかける。
すると、そのすぐ眼前に弾丸のように何かが飛来した。
いや、紅の魔力で強化した私の動体視力には、それが何なのかはっきりと見えていた。
「父様……」
街道の中心に開いた穴。
黙々と上がる砂ぼこりとともに、そこから這い出てきたのは、まごうことなき父の姿だった。
「まさか、あなたが……」
「ふっ、よく避けたな。アニエス」
身の丈と同じくらいある巨大な大剣を肩にかけるように持ち上げる父。
その身体からは、黒い瘴気のようなものが漏れ出ている。
間違いない。この人は……。
「邪教徒に、魂を売ったのですか」
声に力が入らなかった。
信じたくはなかった。
いくら自分の思い通りにならない事があったとしても、父がそこまで身を堕とすことがあるなんて。
「そうだ」
だが、無慈悲にも、父は当然かのようにそう答えた。
「黒の国からの使者は、俺に失った力を与えてくれた。今の俺の主は、黒の王だ」
「そう……ですか……」
怒りよりも、悲しさが胸を支配する。
だが、肉親がこんな風になってしまったからといって、今は私情を挟んでいる余裕はない。
私は、クレッセントから降りると、彼女の栗色の耳に耳打ちをする。
「レオンハルト様の元へ」
その言葉を聞くや否や、クレッセントは元来た道を全力で走り去って行く。
本当に賢い馬だ。
それを見送りながら、私はゆっくりと父の方へと振り返った。
「セレーネ様は無事なのですか?」
「さてな。お前の目で確かめて見ればいいだろう。もっとも通すつもりはないが」
睨み合う視線。
そのどこかうつろな瞳を見るにつけ、自分の中に複雑な感情が湧き上がってくる。
「……もう、私はあなたを父親とは思いません」
「ああ、それでいい。俺はもうお前の父親でも、紅の国の騎士でもない」
黒い瘴気を立ち昇らせながら、彼は言った。
「俺は"黒の騎士"だ。さあ、俺達のだけの剣戦を始めようじゃないか!!」
言うや否や、父……いや、黒の騎士は飛び上がった。
超重量の剣を物ともせず、高く飛び上がった黒の騎士は、そのまま剣を振り下ろした。
まともに受ければ、致命傷を受ける。
そう判断した私は、その攻撃を横っ飛びで避けた。
剣を叩きつけられた地面がまるで地割れのように裂けた。
あんなもの受けたら、たとえ魔力で強化した腕力でも、耐えられるわけがない。
「驚いているようだな」
悠々とこちらへと歩を進めながら、黒の騎士は言う。
「古傷のせいで、ろくに戦えなかった俺に、黒の王は力を与えてくれた。今の俺は、あの頃の俺よりも強い」
この人は、あのバーザム様の先代の騎士団長だった。
当時の実力は、今のバーザム様と互角程度であったと聞いている。
その頃よりも強いとなれば、まず、間違いなく、私の手に負える相手ではないだろう。
しかし……。
「臆さずか。さすがに騎士を自称するだけはある」
剣の切っ先を黒の騎士へと向けた私は、紅の魔力を発現させる。
力では劣っていても、私にはどうしても勝たなければならない理由がある。
「セレーネ様を返してもらいます!! はぁああっ!!」
蛇腹剣をしならせ、鞭の如く騎士を撃つ。
だが、大剣を盾に、黒の騎士はその攻撃を意にも返さない。
「ははははっ!! 非力!! あまりに非力!! せっかく鍛え上げてやったというのに、その程度とはな!!」
「まだまだぁ!!」
今度はその身体に分割した刀身を巻きつけようとするが、黒の瘴気がまるで防御壁のようにそれを拒んだ。
「くっ!?」
「浅いぞ。アニエス!! 攻撃というのは、こうやるのだ!!」
大剣を横薙ぎに振りつつも、地面へと叩きつけた黒の騎士。
やがて、その身体が、舵輪のように回転しながら、私へと迫る。
私は、真上へと跳躍してそれを躱す。だが……。
「バカ者が!!」
強引に回転を止めた騎士が、今度は跳躍しつつ、大剣を振り上げる。
ダメだ。空中では、避ける術がない。
「らぁっ!!」
なんとか蛇腹剣で攻撃をしかけるも、またしても黒い瘴気により阻まれた。
そして……。
「終わりだ」
その言葉が聞こえたと思った直後、私の身体は、さながら矢のように地面に叩きつけられていた。
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