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168.お兄ちゃん、治療に赴く

「…………は?」


 こいつは何を言ってるんだ。

 降参? 降参だと?

 死力を尽くしてもいないというのに、栄誉ある剣戦の場でそんな事を言い出すとは。


「貴様……恥を知れ!」

「ごめんねー。実は、さっきの攻撃でさ、ちょっと腕を痛めちゃってね。こうやって動かそうとすると……あいててて!? ほら」


 嘘だ。

 今の俺の一撃で、そこまで大きく腕を負傷したとはとても思えない。


「知るか。降参など認められん!!」

「そんなこと言われてもなぁ」


 どうせ、こちらから攻撃を仕掛ければ、嫌でも戦わざるを得ない。

 だが、剣を腰だめに構え、飛び掛かろうとする俺を見た途端、メランは何気なく、フワッと後ろへ跳んだ。

 そして、着地したのは……武舞台の外。


「なっ……?」

「これで、僕の負けだよね」


 どこまでも、不誠実そうなにやけ顔で、この男はそう言った。

 その姿は、敗北したというのに、まるで勝ち誇ったようだ。

 あまりにもあんまりな態度に、観客達からも罵声が飛び交う。

 俺自身どうにも我慢ならず、武舞台の端まで駆けると、そこからメランを怒鳴りつけた。


「何なんだ、お前は!! そんな態度で、なぜ剣戦に参加した!!」

「いや、正直面倒だったんだけどさ。色々と僕も確認したいことがあってね~」

「確認、だと……?」

「まあ、こっちの話だよ。なんにせよ……」


 ヘラヘラ顔でこちらを見上げるメラン。


「君は、これ以上強くならない方がいいよ。幸せに暮らしたいならさ」

「何だ。何を言って……」

「それじゃあ、場を荒らしてごめんねぇ。敗北者は素直に去るとするよぉ」


 そのまま外套を翻したメランは、武舞台に立ち尽くす俺に背を向け、通路の彼方へと消えて行ったのだった。




「……はぁ。いったいどういった状況ですの」


 目の前で泣き顔を浮かべるメランを見て、僕は思わず独り言ちる。

 あの一連の棄権行為からほんのすぐ後の事だ。

 救護室から急にお呼びのかかった僕は、貴賓席からわざわざここまでやってきていた。

 重傷者が出た時はここに来る、という話だったので、それ自体は良いのだが……。

 腕を押さえて、泣き叫ぶメラン。

 そこには、どこかミステリアスに場を去っていた雰囲気など微塵も感じられない。


「うぇーん!! 痛いよぉ!! 早く!! 早く、腕の治療をぉ!!」


 足をジタバタ動かしながら、そんなことを宣うメランの姿は、まるで甘えん坊の子どものようにしか見えない。

 もう、アニエスの試合が始まっているというのに、こんな奴の治療に時間を取られないといけないなんて……。

 というか、本当に怪我してるのか。外套を着ているせいもあるけど、外傷らしい外傷は見当たらないんだけども。


「もうずっとあの調子なのです。救護員が怪我の様子を見ようとしてもあの有様で……」


 救護のお姉さんの申し訳なさそうな顔に、思わず同情してしまうな。

 救護室の警備を担当する騎士も、あまりにも情けないメランの様子に唖然としていた。

 顔を合わせるのは嫌だったが、早く治療してしまわなければ、アニエスの試合が終わってしまう。

 ため息を吐きながらも、仕方なく、僕はメランの前へと歩を進めた。


「うぇーん!! うぇーん!! って、あれ……?」


 僕のしかめっ面を見つけたメランが、ポカーンとした表情で、動きを止めた。


「あれ、君って……」

「はいはい。治療担当のセレーネですわ。さっさと傷を見せて下さいまし」

「あー、そっかそっか。やっぱり君ってそうだったんだ」


 何かを悟ったようなメランは、相変わらずのヘラヘラした口調でそう言った。

 こいつ、僕が聖女候補であることに気づいた?

 レオンハルトを闘士と看破した件もそうだったが、この妙な鋭さ……やっぱりこの男、色々裏がありそうだな。

 憤りの余り、レオンハルトはあの後早々に控室に引っ込んでしまったみたいだし、僕の方で少し腹を探ってみるか?


「あなた、何で降参なんて真似したんですの?」

「えー、だから言ってるじゃんか。怪我だよ、怪我ぁ! もう腕が痛くって痛くって」


 右腕を押さえながら、顔をしかめるメラン。

 その動作は、あからさまにわざとらしい。

 レオンハルトが腹を立てるのもわかるなぁ。

 と、その時だった。

 ふと、妙な悪寒が再び僕の背中に走った。

 この感覚は、試合中には一度だけ感じた、あの……。


「どうかしたの?」

「あ、いえ……」


 一瞬だけ頭に走った鈍痛に、額の辺りを押さえて立ち尽くす僕を見て、メランがそう問い掛けた。

 気づくと、すでに痛みも気持ちの悪さも過ぎ去っている。

 一体何なんだろうか。

 切り替えるように頭をわずかに振ると、僕はメランへと向き直った。


「とりあえず、治療をしますので、腕を見せて下さいまし」

「ん? えーと……あっ、治った!!」


 はい?


「うぉー、美人を見たからかな! なんだか、腕の痛みが引いちゃったよ!」


 そう言いつつ、ブンブンと右肩を回すメラン。

 いや、お前。それ、最初から怪我してなかったってことだろ。


「もう、本当に何なんですの……」

「ありがとう、ありがとう!! お礼にこれあげるね!!」

「えっ?」


 何かが僕の右腕へとガシッと着けられた。

 それは、レオンハルトのあのパワーアンクルにも似た小ぶりな腕輪だった。

 鈍く光る金色をしていて、装飾として、ブラックダイヤモンドのように黒く光る宝石が埋め込まれている。

 見た目はなかなかに高価そうな逸品ではあるが……。


「ちょ、いりませんわ。こんなもの!!」

「いいからいいから。取っておいてよぉ。それじゃあ、俺はこれで!!」


 先ほどまで泣き叫んでいたのが嘘のように笑顔を浮かべると、メランはそそくさと救護室から走り去って行ったのだった。

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