133.お兄ちゃん、セッションする
ポロンとポロンと海風と共に流れゆくマンドリンの音色。
つま弾くラトゥーラは、平民の少女という設定だ。
演奏家を夢見る彼女は、毎日この埠頭で一人楽器を奏でているのだが、なかなか立ち止まってくれる人はいない。
それでも、熱意を持って音を響かせ続ける彼女に、アリアは興味を持って話しかけた。
「あなた、とっても楽器が上手なのね」
そして、ニッコリと微笑む。
すると、少女は少しだけ嬉しそうに、はにかんだ。
「ありがとう。そんなこと言ってもらえたの初めてだわ。ううん、誰かに立ち止まって、話しかけてもらえたことも初めて。ぜひ、もっと聴いていって!」
「ええ。もっと聴かせて! 素敵な音楽を!」
少女が響かせるマンドリンの音に耳を傾けながら、アリアは瞳を閉じた。
うん、ルイーザのやつ、なかなか堂々としてるじゃないか。
マンドリンの弦を鳴らすルイーザの姿に、僕はホッと胸を撫で下ろす。
舞台袖で出番を待っていた時はかなり緊張している様子だったが、2カ月も練習してきただけあって、幕が開けば、なかなか堂に入った演技ができている。
普段のドリルヘアーもすっかりストレートに整えられ、真っ赤なチュニックを着たその姿は、まさしく平民の少女にしか見えない。
わざと頬のあたりに描かれたそばかすもなかなかに良い味を出している。
もっとも、素朴に演出してはいても、一般的な平民の女の子よりは、かなり美人な部類になってしまってはいるだろうが。
練習の時と変わらないルイーザの様子に、僕の方も緊張が少し解れてきたような思いだ。
ちなみに、マンドリンの演奏の方は、本人はそれっぽく弦に指を這わせているだけで、実際の音は裏手でアミールが演奏している。
アミールは本来弦楽器に関してもかなりのレベルなのだが、今はわざと少し下手めに演奏して、まだ発展途上の演奏家の演奏っぽく聴かせていた。
舞台上には立つ事のないアミールだが、楽器隊の指揮を執ったり、自らこうして楽器を演奏したり、裏方としてもかなり忙しなく動いている。
さあ、僕も負けてられないな。
瞳を閉じ、ゆっくりと口を開く。
「ラー♪」
マンドリンの音に合わせて、僕は歌を紡ぐ。
一瞬驚いた表情を浮かべたルイーザもといラトゥーラ。
セッションのような形になった僕らの音楽。
それまで誰一人立ち止まることがなかったそこに、何事かと多くの人が集まって来る。
実際の舞台上には、そんな大量のエキストラなどいない。
だが、僕とルイーザは、そんな存在しない人々を観客に幻視させようと演技に熱を籠めた。
(凄い……!)
たくさんの瞳が僕達だけを見つめている。
もっと身体が強張ったりするかと思ったが、意外な事に緊張感は全くと言ってよいほどない。
むしろ、自分の歌声をこれだけたくさんの人に聴いてもらえているという事実に、胸がドキドキと高鳴っていた。
歌を歌うのは嫌いじゃない。
前世では、特別歌が上手いだとか、好きだといういう気持ちは無かったが、今世で僕は推しの声優さんの喉を得た。
そのおかげで、今は自分の声が大好きだし、その声で演技をしたり、歌を歌う事を好ましく思っている。
だから、少し自己陶酔にふけってしまう傾向はあったのだが、今感じているこの気持ちは、これまで感じていたものよりもっともっと大きなものだ。
多くの人が僕の歌に耳を傾け、恍惚とした表情を浮かべている。
これこそまさに脚光を浴びる、ということなのだろう。
その圧倒的な高揚感に、僕は少しずつ陶酔し始めていた。
(へっ、お嬢様。絶好調じゃねぇか……)
舞台裏でマンドリンの演奏を続けながら、俺はセレーネの歌声に聴き入っていた。
相変わらずあいつの歌には力がある。
それはもしかしたら、聖女としての力の一つなのかもしれないが、不思議と心を震わせるような何かがあいつの歌声にはあるのだ。
元々、自然体な歌い方でも十分だったその歌声だが、あいつはこの2カ月の間、演技と並行して歌唱練習にも真剣に取り組んだ。
あいつの歌の良さは技巧的なところじゃない。
相手の心にまで響くような澄みきった声だ。
だから、あえて下手に技術を刷り込みすぎず、その長所を伸ばすような特訓を課した。
それが結実したのは、ほんの数日前の事だ。
声の綺麗さに対して、声量や安定感にはやや不安のあったあいつの歌声に、芯が通った。
ピタリとハマる感覚。
練習の最中、そう感じた瞬間、俺にはセレーネの姿が理想の歌姫であるアリアに映った。
今も、直接あいつを観ているわけじゃないが、その響き渡る声だけで、アリアの姿が思い浮かぶほどに完璧な歌声だった。
だが……。
(調子が良すぎる……)
今日のあいつの歌声、そして、演技は練習時よりもずっと熱が入っている。
初めての舞台で、おそらくあいつは舞い上がっているのだ。
それは良い方向に働く時もあれば、最悪な方向に向かってしまうことだってある。
(歌も走り気味だ。こちらで合わせてはやれるが……)
行き過ぎれば、大きく崩れるのは間違いない。
どれだけ才能があろうと、たったの2カ月で、素人をいっぱしの舞台役者にするのは無理がある。
あいつは驚くほど成長したが、こうやって客を入れた舞台に立つのは初めてなのだ。
(完全に止めちまったら、それはそれで勢いを無くししまう。ここは俺の方でなんとか合わせていくしかねぇな)
物凄い才能を持ちながらも、まだまだ粗削りな歌姫様。
だが、任せとけ。
隣には立てねぇが、俺がきっちり、お前のことをエスコートしてやる。
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