013.フィン・ファンネル
まさかの詔勅だった。
12歳の誕生日を迎え、魔力解放の儀を済ませてから、1週間も経っていない段階で、ファンネル公爵様から、養子にならないかと我がマイヤー子爵家に誘いが来た。
正直、驚いた。
貴族の子息が、ましてや、家の後継ぎになる可能性の低い、僕のような四男坊が、他の家に養子に出されることは少なくない。
僕も漠然と、いつかは他の家へと養子に出されるか、あるいは、成人した後に、家名を捨てて、平民として生きていくことになるのではないかと思っていた。
だから、養子になること自体への抵抗感はなかったのだが、相手が少々意外だった。
ファンネル公爵家といえば、この碧の国ウィスタリアにおいても、かなり権力を持った家系の一つで、特に現当主のヒルト・ファンネル公爵様は、我が国の政治面でも辣腕を振るわれている才人だと聞く。
そんな国内でも有数の貴族の家から、養子の誘いが来るなんて、思っても見なかったのだ。
どうやら、以前から父がかなり働きかけていたらしい。
貧乏子爵家である僕の家に当然拒否権などなく……いや、むしろ、支度金という名目の多額の援助金を受け取った両親はホクホク顔だった。
僕としても、公爵家に拾われるなら、別段悪い気はしなかった。
唯一、実家に残していく、1つ下の病弱な妹のことだけが気がかりだったが、僕にはそれはどうすることもできなかった。
そうして、やってきた公爵家。
実家とは明らかに違う庭や屋敷の広さに、豪奢な調度品の数々には驚かされたが、一番驚いたのは、まるで天使のように可愛らしい公爵家のご令嬢の姿だった。
セレーネ・ファンネル様。僕と同じ12歳で、一応は姉ということになる。
牡丹色のとても美しく長い髪をした女の子で、それまで出会ったどんな女の子よりも、美しかった。
いや、見た目だけじゃない。
彼女は、中身も、まるで女神のようだった。
公爵家のご令嬢ともなれば、さぞかし我が儘な方なのだろうと思い込んでいたのだが、彼女は突然やって来た僕を本当の弟のように受け入れてくれた。
目を合わせれば、いつも優しく微笑んでくれる彼女の姿は、慣れない生活で擦り切れそうな僕の唯一の癒しだった。
その笑顔があればこそ、僕は、心身をすり減らしながらも、なんとか公爵様から与えられる課題についていくことができた。
だけど、その頑張りが仇となった。
その日、僕は、ほとんど寝ていなかった。
前日の課題をその日のうちに終わらせることができず、徹夜をすることになったからだ。
それまでの蓄積した疲労もあって、僕は食事中にも関わらず、うつらうつらとし、気が付けば、目の前の皿に頭から突っ伏していた。
しまった、と思った。
公爵様の前で、あり得ない失態をしてしまったと。
でも、事態はさらにあり得ない方向に向かった。
なんと、僕は、翌日に休みをもらえることになったのだ。
そう仕向けたのは、他でもない、セレーネ様だ。
彼女は、自分のドレスが汚れるのも構わず、スープで濡れそぼった僕の髪を拭いてくれただけでなく、公爵様に、僕に休みを与えるようにお願いして下さったのだ。
その姿は、僕にとって、まごうことなき女神だった。
その後、なぜか彼女の部屋で一緒のベッドで寝ることになったときは、あまりにドキドキして、まともに彼女の顔を見ることすらできなかった。
ただ、優しい声と、母を思わせる落ち着く匂い、温かい手の平の感触が、僕を夢の世界へと誘ってくれた。
こんなに安らかな気持ちで眠れたのは、公爵家に来てから、いや、僕の人生でも、はじめてのことだった。
翌日、ゆっくりと朝食を摂ったセレーネ様と僕には、自由な時間だけがあった。
初めての休日ということで、僕には何をしてよいのかまったくわからなかった。
これまでは、それを考える余裕すらなく、まさに必死だったのだ。
そんな僕に、セレーネ様は、様々な事を提案してくれた。
きゃっちぼーる? 等、知らない遊びも多かったが、なんでも好きな事を気兼ねなく選んで欲しいと、セレーネ様はおっしゃった。
だから、僕は針を選んだ。
針は、僕の唯一の特技といっても良かった。
母の手習いで始め、いつしか、妹のために人形を作ることが僕の趣味になっていた。
そして、針であれば、僕は、この女神のような義姉のために、何かできるのではないかと思ったのだ。
僕は、セレーネ様を模した人形を作った。
彼女の容姿は特徴的だ。元々人形のように美しいのはもちろん、牡丹色の髪もとても目を引く。
そうして完成したセレーネ様人形。
作っている内は良かったのだが、完成した瞬間、ドッと不安が襲ってきた。
妹はいつも僕の作る人形を喜んでくれた。
でも、セレーネ様はどうだろうか。
貧乏子爵家とは違い、彼女の部屋には物が溢れている。
高級そうな調度品に囲まれたこの部屋にあって、端切れや綿で作った僕の人形は、あまりにみすぼらしかった。
一瞬躊躇した僕の手から、セレーネ様は、自分で、それを取った。
そして、あの花ような笑顔で「ありがとう」と言ってくれた。
その彼女の微笑みを見ていると、なんとも言えない多幸感が僕の胸を満たすのだ。
ああ、彼女は、なんでも受け入れてくれる。
そんな幸せな気持ちの最中にあって、僕はつい"もう一つの趣味"とも言えることをお願いしてしまった。
セレーネ様のドレスが着たい。
冷静になってみるまでもなく、かなり変態じみた発言だったと自覚している。
けれど、やってみたいことと言われて、素直に口から出た言葉がそれだったのだ。
僕は、子爵家にいた頃から、たびたび女物のドレスを着ていた。
いや、最初は"着させられていた"という方が正しい。
病弱な僕の妹は、自分でドレスを着用する機会がなかなかなかった。
だから、妹の頼みで、僕は、彼女のドレスを代わりに着てみせていたのだ。
最初は、物凄く恥ずかしかった。
女の子の格好をすることにも大きな抵抗があった。
でも、続けていくうちに、いつしか能動的に女装をするようになっている自分がいた。
針と同様、妹のために始めたはずだったことが、いつしか自分の趣味になってしまっていたのだ。
さすがに、失言だったと思った次の瞬間には、もうセレーネ様は僕の女装に前のめりだった。
クローゼットを手ずから開いて、僕に似合いそうなドレスを見繕ってくれた。
最高に幸せな時間だった。公爵様に、その様子を見られてしまうその時までは。
首が飛ぶかと思った。
叱責だけで済まされれば、まだ良い。
明らかに公爵家の跡取りとしてふさわしくない行為。
実家に帰されるか、あるいは、そのまま、家から追い出される可能性すら考えた。
頭が真っ白になる中、また、そんな僕を救ってくれたのは、セレーネ様だった。
彼女は、僕の代わりに頬を打たれただけでなく、僕の趣味まで認めるように、激昂する公爵様に訴えた。
実の娘の頼みとはいえ、公爵様は公私をしっかりと分ける方だ。
簡単に、とはいかなかったが、それでも、最後には、公爵様は僕の趣味を目こぼして下さることになった。
そうなった瞬間、また彼女は笑った。
僕に向けて、あの優しい笑顔を見せてくれた。
その温かな笑顔を見ながら、僕は思った。
ずっと……できうる限り長く、この人と一緒にいたい。
そう遠くない未来、彼女は聖女として、あるいは王族になるために、この家を出る。
でも、せめて、その時までは……。
「セレーネ様……僕は……」
彼女といられるうちに、彼女を守れるくらい立派な男になりたい。
人生で初めてと言っても良いくらい、強く純粋な気持ちが、僕の胸にはいつしか芽生えていた。
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