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012.お兄ちゃん、弟をかばう

 鼓膜を震わせるほどの怒声に、扉の方を振り返った僕とフィン。

 侍女を引き連れ、そこに立っていたのは、父だった。

 どうやら、仕事が思ったよりも早く終わって、今しがた帰ってきたようだ。


「お、お父様、これは……」

「セレーネは黙っていなさい」


 鋭い視線をフィンに向ける父。

 明らかに怒っている。

 前世の知識から、こういった趣味について寛容な僕ならいざ知らず、自分の後継ぎが義姉の服を着て喜んでいる姿なんて見たら、そりゃ怒るのも当然だ。

 これから行われるであろうきつい叱責に、フィンの顔はすでに青ざめている。

 こんな状況を作ってしまったのは、僕にも責任がある。ここは、僕がなんとかしないと。


「お、お父様、言いたいことはわかります!! ですが、少しだけお話を!!」


 いつもは僕の言葉にデレデレと相好を崩す父だが、今日ばかりは、僕の声すら聞こえていない。

 スタスタとフィンの元まで歩み寄ると、無言で右手を振りかぶった。

 頬を打つ気だ。


「ダメ、お父様!!」


 僕は、反射的に、父とフィンの間に身を滑り込ませた。


 パンッ!!


 耳もとで鋭い音が響いた。

 同時に、激しい痛みが、左頬を襲う。

 大人の男の容赦のない平手打ち。

 小さな身体が吹き飛ぶかとすら思えるほどの強烈な一撃。

 前世の親父にもぶたれたことないのに……。

 自然と目に涙が浮かぶ。

 だが、僕は、地面を強く踏みしめると、キッと父であるヒルト公爵を睨みつけた。


「セ、セレーネ……!?」


 愛娘である僕の頬を打ってしまったことで、愕然して、動きのとまる父。

 そんな父に、僕はそのまま大きく頭を下げた。そして、跪く。


「どうか、フィンをお許し下さい! 私がフィンに、自分のドレスを着せたのです!!」

「セレーネ……」


 父は赤く腫れた僕の頬に触れると、なんとも言えない表情を浮かべている。


「ち、違います。ち、義父上!!」


 だが、今度はフィンが声をあげた。


「ぼ、僕が、セレーネ様にねだったのです……。ドレスを着させて欲しい、と」

「フィ、フィン!?」


 あー、もう。なんて正直な子なんだろうか。

 そんなところも可愛くはあるが、今は、状況が悪い。

 フィンの言葉を聞いて、再び父の表情が怒りのそれに変わる。

 だから、僕は必死に叫んだ。


「お父様!! 確かにフィンは、それを望みました……。でも、許可をしたのは、私です!!」

「セレーネ、そういう問題ではないのだ。公爵家の跡取りともあろうものが、女物のドレスを着て喜んでいる。仮にお前が許可したこととはいえ、そんなことを望む時点で、決して擁護できるものではない」

「でも、それはフィンの偽らざる個性!!」


 僕は必死に叫ぶ。


「何かを"好き"な気持ちというのは、自分では制御できないものです!」


 そう。僕だって、前世では趣味を理解されないことも多かった。

 親には、ゲームなんてくだらない、と言われ続けていたし、オタク的なコンテンツに対しての風当たりだって、体験したことがある。

 でも、誰かに否定されたり、抑え込まれたりしたからって、それを嫌いになることは決してない。

 好きなものは好きだからしょうがないのだ。


「だから、フィンを許せ、と?」

「お父様だって、お母様を好きになった気持ちは、どうしようもなかったはずです!!」


 その言葉に、父が面食らったような表情を浮かべた。

 僕の母親は、実は元々平民だ。

 小さな商家の娘で、本来なら、公爵家の後継ぎと結ばれることなんて、あり得ない身分の者だった。

 だけど、母を好きになってしまった父は、その手腕を存分に揮って、母の家を大商家へと仕立て上げ、最終的に結婚まで漕ぎ着けた。


「人を好きになることと、趣味嗜好は違う……」

「本質は同じです。もし、このままフィンの趣味を止めさせてしまったら、きっとあとあともっと歯止めが効かないことになると思います」


 実際、好きなものを抑圧され続けた人間の末路というのは悲しいものだ。

 前世では、ゲームを取り上げられたあげく、肉親を刺した。そんな事件だって見たことがある。

 抑圧され続けた感情は、やがて弾けてしまうものだ。


「それに!!」


 僕は、ベッドの枕元に寝かせておいた人形を手に取った。


「こ、これは……なんとかわいらしい!?」

「これもフィンが作ったものです」


 私の姿を模した人形を目にした瞬間、父の目が一瞬輝いた。


「フィンは、女の子のような趣味を持っているかもしれませんが、だからこそ、このような素晴らしい人形だって作ることができます。だから、父様」


 今回ばかりは、愛嬌ではなく、度胸で勝負すべく、真剣な表情でそう告げると、父は一瞬だけ目を細めた後、普段の温厚な目つきに戻った。


「フィン。これをもう一つ作ることができるのか?」

「えっ!? あ、はい、端切れと糸さえあれば……」

「そうか」


 父は、ゆっくりと立ち上がると、フィンに背を向けながら言った。


「今後は、週に1度、休息日を設けよう。その日に限っては、お前が屋敷の中でどんなことをしようと目をつむる」

「こ、公爵様……!?」

「ただし、その分、残りの6日間は、出来る限りの努力をしてみせろ。私は、お前を跡取りに選んだのだ。その期待には応えてもらわねばならない」

「は、はい!! ぼ、僕……公爵様の期待に添えるように、が、がんばります!!」


 ドレス姿で跪くフィン。

 父も、別に厳しいだけで悪い人じゃない。

 どこか少しだけ打ち解けた雰囲気の2人。

 そんな姿を見ていると、この衝突も、必要なものだったと思えてくる。

 左頬を差し出した甲斐があったというものだ。

 これからはきっと、フィンは僕の弟として、そして、ファンネル家の跡取りとして、もっと深い関係になっていけることだろう。

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