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113.お兄ちゃん、隠れる

「わっすれものー♪ わっすれものー♪ とうちゃーく!」


 講義室の中に響くルーナの声。

 それを背中越しに聞きながら、僕の心臓はドキドキと高鳴っていた。

 なぜかって?

 いやさ、だって……。


「ル、ルカード様……」

「申し訳ありません。しかし、その……狭くて」


 講義室の一番前。

 教卓の内側に身を潜めた僕とルカード様は、その狭い空間の中で、かなりの密着状態にあった。

 そもそも人が入ることが想定されていないスペースに2人も入っているのだ。

 ルカード様も大柄な方ではないが、それでも無理やり感は否めない。

 半ば、抱きしめられるような形になった僕は、内心かなり動揺していた。


「どの席だったかな?」

「自分が座った席くらい覚えておきなさいよ」

「ごめんごめん。あ、たぶんあの辺り」


 声がどんどん近づいてくる。

 息を呑む僕とルカード様。

 物音を立てないようにと、できるだけ身を縮こまらせるが、それがかえってお互いの心音を意識させる。

 大きく響く自分の心臓の音……いや、これはルカード様の心音?

 もはやそれすらわからないくらい密着した状況の中で、僕はとにかくルーナが早く忘れ物を見つけてくれることを祈った。


「あ、このペンケースじゃない?」

「あっ、それだよ。シュキちゃん!! ありがとう!!」


 どうやら目的の物を見つけたルーナ。

 よし、そのまま早く……。


「このペンケース、なんだか……」

「身の丈に合ってない、って?」

「あ、その……うん。随分高級そうだし」

「あははー。そう思うよね」


 あれ、そのペンケースって、もしかして。


「実はこれ、セレーネ様に借りてるものなんだ」

「あのセレーネ・ファンネル様に?」

「うん」


 僕の気持ちとは裏腹に、ルーナはまるで蕩けるような口調で語り出す。


「私ね。ここに来るまで、学校って教会の日曜学校くらいしか行ったことがなかったから、勉強するのに道具がいるって知らなくて。それで、登校初日、手ぶらで学校に来ちゃったんだぁ」

「それはまた……」

「でね。困ってる私に、セレーネ様が学用品を貸してくれたの。しばらく返さなくてもいいって。教科書なんかも一緒に見せてもらって。私、平民だし、セレーネ様にとっては同じ聖女候補で敵みたいなものだし。きっとあんまり良くは思われていないだろうな、って思っていたんだけど」

「なんというか……。セレーネ様は本当に噂通りの方のようですわね」


 感心半分、呆れ半分といった様子でそう言うもう一人の女の子。


「それからも、平民の私をお家に呼んでくれたり、本当に良くして下さってるの。恩を数えたら、数えきれないくらい」

「そんな方からいただいたものを置き忘れるなんて……」

「あ、あはは……。本当に反省してます」


 一瞬、シュンとしたルーナだったが、すぐに切り替えるように声が明るくなった。


「とにかく! セレーネ様は、私が出会った中でも、一番素敵な人なの!!」

「ふーん。でも、そんな方と試験で戦わなければならないなんて、辛いわね」

「そうでもないよ。試験は試験で楽しいし。それに、これは"恩返し"だから」

「恩返し?」

「……ううん、何でもない!! それよりも、そろそろ行かなくちゃ、だよね!!」


 弾むようなルーナの声。

 どうやら、2人にはこの後も予定があるらしい。


「ええ、今日は久しぶりにステージが使える日ですから。どうせならルーナにも活動を見てもらいたいし」

「楽しみだな~」


 と、ようやく、部屋から出ていくルーナとシュキという女の子。

 会話から察すると、シュキが何かしらの部活動的な事をしており、それをルーナが見学に行くという流れのようだ。

 しかし、ステージ?

 彼女がやっている部活って、もしかして……。

 そこまで考えたところで、僕の腰辺りに手を回していたルカード様がもぞりと動いた。


「セレーネ様、も、もう大丈夫そうですね……」

「あ、はい」


 二人して、もぞもぞと教卓の中から出て来る。

 狭い空間にずっといたせいで、身体が強張っていた……いや、どちらかというとルカード様が近くにいすぎたせいな気もするけど。

 うーん、と伸びをし終えた僕がルカード様を見ると、彼はなんだかまぶしいものでも見るような瞳で、ルーナ達が行った講義室の外を見つめていた。


「どうかされました?」

「あ、いえ、やはりセレーネ様は誰にでも優しいのだな、と思いまして」

「ああ」


 どうやら、ルーナがした話を聞いて、そんな感想を抱いたようだ。


「別にたいしたことじゃありませんわ。それにルカード様だって、そんな状況なら同じことをすると思いますし」

「……たしかにそうかもしれませんね」


 ふむ、と顎に手を当てて、真面目に場面を想像しているらしいルカード様の姿が面白くて、僕はクスリと笑った。

 それにつられるように、ルカード様もうっすらと微笑む。


「同級生に学用品を貸すというのも、なんだか素敵な場面に思えました」

「そういえば、ルカード様は学校には?」

「私は孤児の上、適性があることがわかってからは、ずっと聖職者の道を目指していたもので」


 つまるところ、僕らみたいな学園生活は送ったことがないということだ。

 2年前の時点で、すでに巡回神父として、それなりに経験があったような様子だったし、もしかしたらルカード様は、僕らの歳の頃にはもう働き出していたのかもしれない。

 前世なら、彼もまだ大学生くらいの若さなのになぁ。

 どことなく、学生への憧れのようなものはあるようだし、どうせなら、ルカード様とも同級生として、学園生活を送ってみたかった。

 まったく、ゲームを作った人も、なんでルカード様だけ5歳も年上なんて設定にしたのか。

 真似だけでもいいので、ルカード様にも学生気分が味わえたら……。


「……あ」


 その時、僕は思い出した。

 僕の義弟が忘れていった、とあるものが入ったバッグの存在を。

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