111.お兄ちゃん、神官を見つける
寮から再び学舎の方までやってきた僕。
周囲を見回すと、女子生徒の姿はもうまばらだ。
授業の時間が終わっても、こうして学舎やその近くに残っている生徒は、自主的に勉強をしている真面目な学生(主に下級貴族だ)か場所を借りて部活動のようなことをしている者しかおらず、皆それぞれ目的があってここにいるわけであり、あまり僕の方に関心を払う人もいない。
今なら、聖女候補である僕がルカード様に話しかけても、それほど目立つことはないだろう。
校舎に入り、右手側の廊下を少し進めば、いわゆる職員室がある。
とりあえずはまずはそこに行ってみようと、校舎に入り、正面階段の手前で右に曲がった瞬間だった。
「あっ……」
ルカード様がいた。
職員室から出てすぐの通路。
こちらに背中を向け、年配のひげ面の教員と立ち話をしているのは、紛れもなくルカード様だ。
「ルカード君にしか頼めないんだ。承諾してくれるかね?」
「……わかりました。緊急的な事態ですし、その仕事、引き受けさせていただきます」
「君ならそう言ってくれると思ったよ!! いやぁ、やはり困った時は君に相談するに限るな。じゃあ、あとは適当に頼んだから!!」
ひげ面の男性教員──確かこの学校の教頭をしている男だ。名前は忘れた。
彼は話を切り上げると、意気揚々とこちらへと歩いてくる。
一瞬こちらを見た男だったが、たいして興味を示したでもなく、軽く会釈をするとそのまま正面出口から外へと出て行った。
後に残されたルカード様は、なんだか少しだけ呆然としたかのようにその場に佇んでいる。
「えーと、ルカード様?」
「えっ……!?」
突然声をかけた事で驚かせてしまったのか、ルカード様がびくりと振り向く。
「セレーネ・ファンネル様……」
「すみません。突然お声がけしてしまって。驚かせてしまいましたか……?」
「いえ……」
ルカード様は、まるで切り替えるかのようにいつもの自然な笑顔を僕へと向ける。
「そんなことはありません。でも、こんな時間に、何か御用ですか?」
「その、実はルカード様に、少し聞きたいことがありまして」
「なるほど。しかし……」
彼の視線がちらちらと周囲へ向く。
職員室の中には多くの教員たちがいる。
そして、窓の外には、ちらほらと部活動で居残っている生徒たちの姿も見える。
「お話を聞くのは、もう少し目立たない場所でも構いませんか?」
「もちろんです」
「では、こちらへ」
そのままルカード様の背について歩いていくと、彼はとある教室の中へと入っていった。
それは、今日の授業で僕も使っていた1階の大講義室だ。
放課後の今は、その中には誰もおらず、100人は入るその大きな部屋は閑散としている。
「ここなら目立ちません。ところで、私に聞きたいことというのは……?」
「その……色々聞きたいことはあったんですけど、それより……」
僕はルカード様の優し気な笑顔をマジマジと見上げる。
一見、いつもと変わらないように見える眼鏡越しの彼の笑顔。
でも、僕にはなんとなくわかる。
「ルカード様、実はとんでもなくお疲れじゃないですか?」
「…………えっ……?」
うん、やっぱり間違いない。
昔、僕に魔法を教えるために、屋敷にやって来てくれた時と同じだ。
笑顔でコーティングしているが、彼にはまた、たくさんの疲労が溜まっている。
「そ、そんなことはありません。私は元気です」
「嘘。先ほども、何か無理難題を押し付けられて、一瞬放心していたのではありませんか?」
「…………本当に、セレーネ様には敵いませんね」
彼は観念したように、うっすらため息を吐いた。
「実は、急病でお休みすることになったレリック先生の代替で授業をすることになりまして」
「レリック先生の?」
古典の担当であるレリック先生は、今朝体調を崩し、その影響で今日は午後の授業がなくなったわけだが、どうやらしばらくお休みということになってしまったようだ。
いや、それにしたって……。
「なぜルカード様がそのかわりをしなくてはいけないんですの……?」
「古典を担当できそうな教員が他にいないらしいのです。聖職者である私は、聖典を読むために、古代アルビオン語もある程度は学んでいますので、それで……」
「むぅ……」
ルカード様が優秀だから、と言えば聞こえはいいが。実際は体の良い押し付けにしか感じられない。
というか、普通こういう時って、他所から代替の教員とか連れて来るものじゃないのだろうか。
学園にやって来てまだ日も浅く、ただでさえ講師と試験官を兼任しているルカード様に押し付けるようなことじゃないように思えるのだが。
「あの、ちなみになんですが、ルカード様って普段どれくらいお仕事をされているのですか?」
「仕事ですか? そうですね……」
それからルカード様が語ってくれた仕事は、あまりに膨大な量だった。
講師として、アルビオン正教についての講義やその授業づくり、試験官としての各種機関との連携や準備、さらには、学園が休みの日は、教会本部で様々な雑務にも追われているらしい。
その上、くそ真面目なこの人は、これだけ忙しいにも関わらず、自己研鑽やボランティアにも余念がなく、有り体に言って、完全なオーバーワークだった。
こんな事続けていたら、絶対に身体を壊してしまう。
どうやら、再び、彼には癒しの時間が必要なようだ。
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