105.お兄ちゃん、ペース配分する
「よしっ!!」
思わず声が漏れた。
それほどに理想的なスタート。
完璧なタイミングでクレッセントが飛び出し、その速度がどんどん上がっていく。
対して、ルーナの乗るシルバーは完全にスタートに失敗し、ノロノロとゲートから出てきた。
それを横目で確認する間にも、クレッセントとシルバーの距離は益々広がっている。
このアルビオンには純粋な競走馬というものは存在しない。
クレッセントもシルバーも有事の際に僧兵などに使われる軍用馬、もしくは、馬車などを引く荷役馬であり、こういったレースの経験というのものは全くないと言っていい。
だから、クレッセントもゲートからのスタートというものには当初慣れていなかったのだが、エリアスの発案でスタートの練習を徹底的に行った結果、賢い彼女は理想的なスタートタイミングを完全に掴んでみせた。
本番でも、練習の成果を存分に発揮したクレッセントは矢のように加速し、シルバーを大きく引き離していた。
「このまま……!!」
どこまでも続くかのようなダートコースを軽快に走り抜けながら、僕はエリアスから授けられた作戦を反芻する。
今回レースで走るコースは、学園の外周の土の道を1周するというものだ。
実際の競馬で言えば、長距離に該当するであろうおおよそ3,4キロほどのコース。
坂等はなく、一部舗装された箇所もあるものの、概ねフラットな土の地面がひたすらに続く。
そこで重要となるのは、とにかくペース配分に他ならない。
クレッセントは、前世でのサラブレッドのように、圧倒的なスピードを持った馬というわけじゃない。
せいぜい、出せても40キロ台が関の山だろう。
半面、彼女には、他の馬よりも優れた持久力がある。
おそらく、四六時中仔馬達の世話で走り回っていたからこそ身に付いたのであろう、驚異的なスタミナ。
それを活かし、一定のスピードに到達したら、とにかくそのペースを最後まで維持する。
これこそが、エリアスが僕とクレッセントに授けてくれた作戦だった。
「スタートで上手く加速できた。あとは、ペースさえ維持すれば良い!!」
その言葉の通り、クレッセントはある速度まで到達した後、とにかく一定のスピードを維持できている。
本当に賢い馬だ。
このまま、前に立った状態で逃げ続ければ……。
「ヒィイイイイイイン!!!」
と、その時だった。
スタートを失敗し、大きく差を広げられていたはずのシルバーが、いつの間にか、すぐ後ろまでやってきていた。
「う、嘘でしょ……!?」
あれだけ見事にスタートに失敗したというのに、もうこちらに追いついてきたというのか!?
話には聞いていたけど、本当に規格外の馬だ。
「ハイヨー、シルバー!!」
ルーナの軽快な掛け声と共に、シルバーはものすごいスピードでクレッセントを抜き去って行く。
どこか勝ち誇ったような表情を浮かべたシルバーは、こちらを小バカにしたように横目で鼻を鳴らし、瞬く間に僕達の前へと身を躍らせた。
そして、後ろ足を強く蹴り、わざと砂ぼこりをまき散らすようにした。
「くっ!?」
思わず、手綱から片手を外し、顔をガードする僕。
クレッセントも同様に、煙幕のようになった砂ぼこりを避けるために、速度を落とした。
「こらっ!! シルバー!!」
「ヒヒィイイン♪」
どうやらルーナの指示ではなく、勝手にそんな行動を取ったらしいシルバー。
知能の高さは認めるが、性格は相当悪そうだ。
そのまま、シルバーは再びを鼻を鳴らすとさらに加速。
どんどんそのお尻が小さくなっていく。
「大丈夫、クレッセント?」
問い掛けると、クレッセントは大丈夫だ、というように小さくいなないた。
そして、さっきの速度までペースを戻す。
まだまだ彼女は諦めていない。
もちろん僕だって。
「相手がどんなスピードだって関係ない。僕らは、僕らのペースで、ね」
レースはまだ序盤だ。
逆転のチャンスは、いくらでもある。
その後も、僕とクレッセントは一定のペースを保ったまま、快調に進んだ。
女子寮の東、ルイーザの水田へと水を引く小川に架かる橋を超える。
そのまま高い外壁沿いに、しばらく走り続けると、左手に、いつもルカード様が僕らに試験の内容を伝える聖塔が見えてきた。
これが見えたということは、道中はおよそあと半分だ。
まだ、シルバーのお尻は見えないが、ペースは悪くない。
僕らは、このままのスピードで走り続ければ……。
「あっ……」
その時だった。
見通しの良い、ロングストレートに入ったその時、ついぞ見えることのなかったシルバーとルーナの背中が見えた。
さっきのスピードはどこへやら、そのフォームは完全に精彩を欠いている。
「クレッセント!」
「ヒィィン!!」
嬉々とした僕らは、それでもペースを崩すことなくそのお尻を追う。
すると、すぐにその背中に追いついた。
ほとんど横並びになった僕とルーナ、クレッセントとシルバー。
横目に見たシルバーの顎はすでに上がり、息も大きく乱れている。
「シルバー!! 追い抜かれちゃうよ!!」
「ヒ、ヒィィ……」
ルーナの言葉でようやくこちらに気づいたシルバー。
再び加速しようとする彼だったが、もはや脚が残っていないのか、食い下がることができない。
あれだけ無計画なペースで驀進していたのだから、体力が切れるのも道理だ。
そんなシルバーを僕とクレッセントは悠々と追い抜いていく。
「ああっ!!」
ルーナの悲痛な声。
ごめん。でも、負けるわけにはいかないんだ。
もうすぐ直線が終わる。
後半のカーブを抜ければ、ゴールはもう間もなくだ。
「悪いけど、勝たせてもらうよ!!」
クレッセントと共に、僕はあくまで一定のペースを貫きつつ、ひたすらに走り続けるのだった。
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