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ネリーのいない空  作者: 武良 保紀
9/14

連載第九回

   30

 くどいようだが、このころは空前の好景気だった。あぶく銭をつかんだやつが山ほどいて、大して働きもせずに豪遊していられた時代だった。カネを持った男が何をするかというと、結局女を買いに走る。そして、女は積極的に売りたがる。この時代、その取り引きの場所になるのがディスコだった。

 VIP席と呼ばれるちょっと高いところで、豪華なソファに悠々と座り、高い酒を飲みながら眼下のダンスホールにいる女たちを物色する。そして気に入ったのを「黒服」と呼ばれる従業員に告げたら、その黒服がその女を連れてくる。要はカネのやりとりで性のやりとりが行われる。女は玄人じゃない。でもとにかくVIP席の成金にアピールすれば大金ゲットなのだから「お立ち台」と呼ばれる場所で自主的にストリップをやる女がごろごろいた。

 僕は高校生だったから、そんなところに行ったことがあるわけじゃない。だがディスコでそういうことが行われているということは連日各種マスコミを賑わせていた。そして、言い切ってもいいがこういうディスコブームの中で、最大のスターはナイトメアズ・イン・ワックスだった。確かにティムはダンス指向のミュージシャンだったし、彼らのやっている音楽ジャンルは「ハイエナジー」と呼ばれるぐらいだしとにかくパワーがある。そして、ティムほどの迫力のあるボーカリストは、ハイエナジーバンドの中でも他にいないだろう。

 ティムは性的に極めて奔放な人だけど、その一方で自分の性的アイデンティティにすごく悩んでいるというのは「踊れればいい」ではなくティモシー・ジョゼッピ・オニールという人間に惚れ込んでいる人間ならば誰でも気がついたはずだ。それこそが彼の危うい魅力の源泉のひとつだと思う。だから、あぶく銭で公然と行われている、ハッキリ言えば売買春に不可欠な舞台装置としてしかナイトメアズ・イン・ワックスの音楽を必要としてないような半端ファンに僕は腹が立った。だけどこういう僕の物言いも、ファンを拗らせて「マニア」になってしまう一部の奇矯な人間の物言いとしてしか受け取ってもらえないことも、僕にはわかってた。

 子供のころを、活動性の低いおとなしい子として過ごした反動だろうか、僕はこのころから以降、いろんなものに夢中になる。そしてたいていの場合、あっという間に一般人はついて行こうと思うことすらない細かいことまで頭に詰め込み、あるいは手に覚えさせて満足するタイプの人間になる。あいつは何やっても行くところまで行くからなあ、そういう評価を得たことが何回あっただろう。そのたびに、僕は満足感とちょっとした優越感を覚えるのだ。そのスタート地点には、ティムという美しくていかがわしい男がいる。僕はずっと感謝している。

 まぁそんな感想はいいとして、批判的なやつに言わせたら「CD買うほどの音楽か?」「だいたいケバすぎるしな」ってなことになるナイトメアズ・イン・ワックスでありティムであったが、そういう世間には批判的な声も多い人物の「ファン」ではなく「マニア」であることに、僕は不安感や孤独感ではなく満足感と優越感を覚えるタイプの人間なのだ。

 世間的にはナイトメアズ・イン・ワックスの音楽はイベント系のBGMとしてはますます人気が高まっていた。バンドの方向性が決まったアルバムを1作目と考えると多くの人にとって「3枚目」であろうアルバムを出したときにはその人気は頂点に達して、高校の学園祭で出し物として「ディスコ」をやったクラスではひたすらこのアルバムをリピートしたぐらいだ。

 リミックスアルバムを出したときは東京と大阪でライブをやったが、そのときの日本のファンをずいぶん気に入ったのだろうか、ティムはちょくちょく日本に来るようになっていた。小さい会場でも気楽にライブをやっていたようだ。そういうライブ情報が流れる度に、僕は行きたくてしょうがなかったが、小遣いではとうてい足りなかった。

 だから僕が動いているティムを見ることができるのは、やっぱりテレビだけだった。もちろんさすがにライブ生中継とかはなかったが、深夜番組で洋楽のビデオクリップをただ流すという番組があった。その内容は事前に電話の自動案内で知ることが出来た。だから僕は毎週チェックして、流れるときはビデオに録画した。

 そういう音楽番組があったから、ビデオクリップの中で「演じている」ティムを時々は見ることができるようになった。何本かのビデオクリップでは、和傘にしか見えないものを使用したり、舞台装置に日本風の格子戸があったりした。やっぱり日本のことをかなり気に入っているんだな。

 僕が日本人であることも、もしかしたらヨーロッパ人と仲良くなる上で武器になるかも知れない。大いに勘違いされている節もあるが、日本の仏教、特にゼン・ブッディズムに関しては欧米人の関心は本当に高いと聞く。公立じゃなくて、宗教の時間というのがある仏教系の高校に入ったのは結構な拾いものをしたんではないか、僕はこのころからそんな気がしていた。

 宗教の時間に使う「宗教のしおり」という冊子がある。これは、希望者には無料で配布していた。僕はそれを1冊もらって帰り、自室で読んだりしていた。もちろんネリーと一緒に。そして語り合った。キリスト教でも敬虔な信徒は食事の前に長々とお祈りをするらしいが、日本にも同じような文化がこうやってあるんだな。そしてその精神を凝縮したものとしての「いただきます」という言葉の的確さ。

 ほとんどの日本人が明確に「自分はこれの信徒です」という意味では宗教を持たないのに対して、キリスト教のバックボーンを持ってこそ当たり前という発想の欧米人には「なぜ宗教を持たない日本人なのにあれほど規律正しく生活出来るのか?」というのは一種の謎らしい。僕が欧米人と仲良くなる日が来たら、多分この質問は受けるだろう。僕はこの高校でぼんやりだが答えを見つけた。

「……と、思うんだけど、どうだろう?」

 そう訊いたら、ネリーはいつもの仕草で2回頷いてくれた。

「結局さ、僕はどこへ行っても日本人だから、相手は僕を日本人として扱うよね。日本人ってこうなのか、ああなのかって、いろいろ質問してくれる人が、つまり僕と仲良くしてくれようとしている人だと思うんだ。そうなるとやっぱり、説明出来なきゃね」

 やっぱり頷いてくれるネリーではあるんだが、こうやって一緒に過ごしていてもネリーの何たるかはほとんど知らない自分自身に対して違和感があることも事実だった。


   31

 例の裁判の件だ。

 いままでうちは貧乏だと言い続けてきたが、実はその貧乏の具体的内容はずっとあとになって知ったことだ。このころは、ご飯が異常に貧相だったり、服を買ってもらえなかったり、そういうことから肌で感じてはいたが、具体的に理由とその後の方針について説明を受けたことは一度もない。

 父が自分の経済的苦境を語ろうとしないことは以前にも話したが、こういうわけでいま経済が苦しい、という話を一切しなかったのは母も同じだ。まさか、そういう心配をさせないことが親としての愛情とか思ってるんじゃないだろうな? 経済的に苦しいという実態を子供に話したくないなら、とことん「うちは貧乏じゃない」を演じろよ。闇金に土下座してでも僕が他のクラスメイトと同じくらいのものを身につけるぐらいのカネは用意しろよ。僕はそう思う。

 なぜ経済が苦しいのか、どのくらい苦しいのか、それを話さないというのは、要するに自分たちの非を認めたくないんだろ? 自分たちがこういう失敗をしました。だからこれで我慢して下さい。自分がお金を用意して渡さなきゃいけない相手に対してお金を用意できなかったら、事情を説明して謝るのがまず社会人としてするべきことじゃないのか? だけど僕の両親は財布の中身を僕に説明したことがない。それでいて貧乏暮らしに対して僕が不平を言うとキレるのだ。常にカネのことで頭がいっぱいでイライラしていて、唯一自分たちに逆らえない存在である僕をサンドバッグよろしく叩きまくって憂さ晴らしをしていた、僕はそう評価している。

 で、裁判のことだ。やっぱり語りたがらないが、どうやら終わったらしい。金ラメ刺繍スーツの男たちは、専任の顧問弁護士を持っていた。どう考えたって、こういうことを商売にしている連中としか言えないよな。

 父は怒りまくっていて、全額取り返すと息巻いていたのはもう話した。それで、多分それは不可能だと僕は思っているのも話した。それでも、父はもうちょっと交渉しようというのを言い続けたらしい。しかし、母が止めたのだ。うちの親戚には女の子が少ないのだが、僕の従姉妹は4人いる。万が一この子たちに何かあったら困る、と母が主張したことで、父も折れる気になった。本当に、僕の父は母の言いなりだ。そうなったら俺が人生をかけて償うから戦わせてくれ、ぐらいのことは言えないのだろうか。言えないのだろうな。そもそも、自分に何のポリシーもなかったことが裁判なんかやらなきゃいけない事態に陥った遠因なんだから。

 だから、後々に僕が調べた結果の話だけど、取り返せた額はせいぜい数百万。どう見積もってもそれ以上にはならない。全体の何割を取り返したのかはわからないが。

 いまの家を買うのにかかったお金から前の家を売って得たお金を引いた額がだいたいローンの額ということになるだろう。前の家だってローンは残ってただろうから、あれを売って得たお金というのは大した額ではないはずだ。それで、何とかこの裁判で「()()()()()()()()()()()()()」お金はローンの一括返済に回したらしい。住宅ローン事情には詳しくはないが、いずれにせよ毎月の負担が減ったことにはなったっぽい。

 僕がだいぶあとに詐欺漫画に熱中することはもう話した。詐欺漫画というのは、同時に金融漫画でもある。土地は値崩れしないという根拠のない思い込みで異常に膨らんでいたこのころの経済の話も、実はこの漫画には頻繁に出てくる。家を買うということは、普通は土地を買うこととセットだろう。そして土地を買う人間には、どうしても滞ったらその土地を取り上げれば得をすることはあっても損をすることはないから少々収入が怪しいやつにも貸してしまえ、という雰囲気が、このころの銀行にはあったんだそうだ。

 そして、僕の父みたいな人間が住宅ローンなんて組めたのもそういう雰囲気が社会全体にあったからだろう。引っ越した時点で、父はもう50歳を超えていた。それまでしていた仕事が特に技能も知識も必要としない仕事。それでいて転職したばっかりで、銀行に言えることがあるとすれば「今後はこれだけの給料が入る()()です」ということだけだ。こんな低レベルな債権を作ったら普通は人事評価ダダ下がりだろう。

 またその漫画の話になるが、家を買うための借金に限らず、子供や孫のためというつもりで出資したお金が、後に経済が下降し始めたときに負債となって返ってきた。そういう人の中には、(まご)()に借金を残すまいと自分の『命』で()()()()人もかなりいるらしい。痛ましい話ではある。だが、責任感がある人たちだとも思う。少なくとも、無理して借金して貧乏暮らしをして、ストレスがたまったら息子を罵倒して解消しているどこぞの夫婦よりよっぽどマシだ。

 そういうわけで、僕の両親「だけ」の悩みの種がひとつ片付いてからしばらく。ある日突然、うちと苗字は同じだが全く知らない人から連絡があった。父の実父も養父も名士だったという話は既にしたはずだ。その兄弟姉妹がたくさんいるということも。ということからわかる人もいるかも知れないが、うちは昔々はかなりの名家だったのだ。このとき連絡をしてきて、結局うちに来たその人は、そういうわけでうちの遠い遠い親戚に当たる。用件はと言うと、はるか昔の先祖が持っていた土地が移転登記されず膨大な数の人の共有地ということになっている。現状では土地を使えないので、相続放棄の署名と印鑑を集めて回っている……という内容だった。

 このとき、その人はうちの家系図を見せてくれた。何が本家だ。僕の祖父の名前は、ごくごく端っこの方にかろうじて名前が載っている傍系も傍系だったよ。本家と思い込んで継がなきゃと躍起になって、策略を巡らせて他人を騙してまで養子にして引っ越しまでさせて、挙句の果てには自分の方から家を離れた僕の「元」祖母もかなりの馬鹿、調べもせずに言いなりになっていた僕の親ふたりはもっと馬鹿。結局は、楽しかったはずの10代を根こそぎ持って行かれた僕だけが割を食ったわけだ。

 冷静になって整理することにする。うちが引っ越した理由は以下のとおりだ。

1・本家である祖父母に実子がいないから跡継ぎが必要

2・父の以前の収入では家計が立ちゆかなかったから西日本営業所長として父が転職

3・将来僕の両親が相続することになる家兼店を守る意味も込めて母が店を手伝い手当をもらう

 そして実態は。

1・本家なんてとても言えない傍系の傍系だったし、老いていく親の面倒を子が見るという親子らしい関係の実態もほとんどなかった

2・営業所長として働けたのはわずか数ヶ月で、その後実質解雇

3・母が手当をもらう話は端っからなかったことにされ、祖母の惚けと両親の無策につけ込まれて結局相続はなかったことに

 なんだ。引っ越す必要なんて、最初からなかったんじゃないか。

 だが、僕の両親はこのころしきりに「よかったなあ」「よかったねえ」と頷き合っていた。裁判である程度まとまったお金が入って住宅ローンがだいぶ楽になったことだそうだ。

 母は、他人との関係で嫌なことがあったとしても「嫌なやつはどこにでもいよる」から我慢しろ主義者なのは前にも話したと思う。どんなことにもいい面と悪い面があるんだから、悪い面を見て嫌な気分で過ごすより、いい面を見て過ごした方がいい主義者なんだろう。で、父にはポリシーがないから「よかったなあ」には「よかったねえ」と返すことしか知らない。

 だがそういう主義は、できれば別の側面で使ってほしいものだ。たとえば子供の教育とかに。嫌なことがあったとして、どうしてそういうことが起こったのか、今後同様のことが起こらないために自分は何をすべきか、そういうことを考えない人間に成長はない。

 自分が10得るはずだったはずのものが他人の策略によって奪われた。奪われてから慌てて駆けずり回って、嫌な思いも散々してようやく1だけ取り返した。ここで「1得られてよかったねえ」と喜んでいるのが僕の両親だということだ。

「この家は、いずれあんたのもんやで」

 恩着せがましく母は時々そう言う。僕がいつ家をくれと言った? 家は要らないから、前にも言ったけど楽しかったはずの僕の中学校生活と、それに引き続いて充実していたはずの僕の高校生活をいまここで耳を揃えて返してくれ。こんなもん、楽しかったはずの僕の10代を埋めてその上に建てた墓じゃないか。

 日曜日になるとしばしば「よかったなあ」「よかったねえ」と、負け犬同士の慰め合いを見せられるのに辟易して僕はしばしばネリーを連れて例の森に行き、眼下に広がる景色を見ながらいろんなことを考えた。僕にとって、引っ越してよかったことをどうしても挙げろと言われたら、本当にこのネリーと出会えたことぐらいだろう。このネリーがどういう生き物なのかは相変わらずわからないけど、こっちでできた最高の友達であることだけは間違いない。

 だけど、それでも僕はいずれこの街を去って昔住んでいたあの辺りに帰りたいと思っていることは確かだった。その絶好の機会になるのが、多分大学への進学の時だろう。でもそうなると、あんまり大都会の真ん中にあるような大学へは行けないな。だって、ネリーの息の抜き場がなくなるから。でも最近は、郊外に広い土地を買ってキャンパスを移転するのが有名大学の間でブームになっているから、逆に都会のど真ん中なんかに住むことはあんまりないのかな。

 森の中を蛍がふわふわ舞っていた。蛍って、昼でも光るんだな。まぶしいという光ではないけれど、どこか神秘的な光なのでその分目立つ。ネリーも一緒になってふわふわ舞いながら、やっぱり家に閉じこもっているときより楽しそうに見えた。このネリーを、鉄筋コンクリートばかりある中に連れて行くのはやっぱりかわいそうだよな。引っ越す前のあの辺りで、適度に都会で適度に田舎って言ったらどの辺になるんだろう。遊んでいる蛍とネリーに何か癒やされた気分になりながら、僕は進学をぼんやり考えはじめた。


   32

 このころの、新しい(と、当時は見做された)生き方のキーワードを挙げるなら「自分を表現する」ではないかと思う。

 挫折しては方向転換という生き方についてネリーと語り合った時にも言葉だけは出したが、このころから異常に「自分らしい生き方」というのが叫ばれ出したような気がする。僕が後に夢中になって読む心理学者のエッセイでこの「自分らしい生き方」というのは散々に批判されている。僕も、いまとは違うこういう自分こそが自分らしい生き方だ、と認識している時点で自分らしくない証拠だと思う。

 だけど、このころの人たちは揃いも揃って「他人と違う自分」を想定して、それを誇示することに躍起になった。女性が自分でヌード写真を撮って、好きな人に贈るなんていう趣味の悪いことがちょっとしたブームになったのもこのころだ。同じころ「派遣」という働き方が法律で認められた。それまでなかったわけではないけど、法律ができたことで正式なものと認められた。このころは「会社に縛られない新しい生き方」とかで「自分らしい生き方」のための一側面というのは確実にあった。

 こんな社会なのに、なぜか「学歴に縛られない新しい生き方」という波はティーンエイジャーのところまでは及んでこずに、相変わらずいい高校からいい大学に入っていい就職をするのがいい生き方だったのは、あとから考えると少し不思議な気もする。

 だから、高校生たちは所有物に自己表現の手段を見いだした。前にも話したけど、時計とか靴。ブランド物であるかどうかは男子高校生にとって重要ではなかった。山本くんが持っているような、男子好みなギミックがいろいろ詰め込まれた時計の方がみんなの憧れを集めた。

 それからこのころ重要だったのが、音楽を聴くための道具。自宅にどこの会社の何というミニコンポを持っているかというのは「個性」の重要な側面だったし、それ以上に大事だったのが直接他人の目に触れる持ち運び型のステレオカセットプレーヤー。ウォークマンという商標があまりにも有名なあれだ。これに至っては、大学生や社会人に至るまで若者を自任する人にとっては重要なアイテムだったのではないかと思う。だから本体デザインがおしゃれなのは最低条件、オートリバース機能やダブルカセット仕様、グラフィックイコライザつきなど家電各社は競うようにカセットテープのケース大の機械にやり過ぎとも言える機能を詰め込んだ。

 靴については、このころ2センチ四方の正方形を対角線で切ったような大きさと形の三角のプラスチック板で模様をカスタマイズできるスニーカーが大流行した。この板はすごく外れやすかったが、当時は外れたらまた買えばいい、それも個性のひとつ、みたいな風潮だった。

 もちろん、僕はそんなものすべて持ってなかった。自宅の音楽鑑賞環境はラジカセだったが、これに関しては家に友達を招かない限りバレることはない。ウォークマンに関しては「本を読んでいる方が楽しいから」とか「動いているときに周囲の音が聞けないと不安だから」というような理由で「持たない主義だ」ということにしてた。親が買ってくれるはずはなかったし、自分で買えるとしたら持たない方がマシみたいないかにも安物だったから。

 それらすべて、最高級品を持っていたのがやっぱり山本くんだった。あんまり自宅の環境について話したがらないから彼がどこの会社の何というコンポを持っていたのかは知らないが、少なくともウォークマンについては当時「普通の家の子」では手が出なかったコードレス式というのを持っていた。

 僕には特に仲がいい友達がこの山本くんを含めて3人いた。この3人はみんな学校より北の方から通学していた。だから乗る列車は反対方向になるんだが、駅までの帰り道は一緒に帰るのが何となく習慣になっていた。

 他の「ごく普通のクラスメイト」と何ら変わることも感じない、男子校の生徒らしく健全に女子とのふれあいに飢えていて、従って適度にスケベで、身につけているものは特に高そうでもなく安そうでもないという並木くんという友達がいた。特徴といえば柔道経験者で少々ガタイがいいというぐらいだろうか。車が大好きで早く免許を取って車を持ちたいという話をよくしていた。そんな話の中でのことだ。

「俺、車庫入れぐらいやったらもうやってるからね」

 多分、車の免許を取るときに誰もが一番苦労するのが車庫入れじゃないかと思う。話を聞いたら、お母さんが車で家に帰ってきたとき、あとの用事をすることが気になって並木くんにキーを預けて車庫入れを任せ、お母さん自身は次の用事にかかっているのだそうだ。

「何でお母さんそんな忙しいの?」

 何気なく、僕は訊いてみた。並木くんはあっけらかんと答えた。

「働いてるからね。うち、片親やから」

「え? そうなん? お父さんは?」

「いや、俺は知らんけど、多分俺が小さいころにこれちゃうかな」

 そう言って並木くんは両手の人差し指を立ててくっつけた状態から両側に離していった。

「やからな、うちのオカンもカネ稼ぐには必死になっとるんよ。で、最初は物件借りてエステサロンとかやったんやけど、これが空振りでな。どうもそのせいで借金も作ったみたいで、そのあとはフォークリフト免許取って、男ばっかりの現場で肉体労働してるわ」

 後に語ってくれたが、日本中が好景気に沸いていたこのころ人並みの生活を演じるために少々無理をしていたのはこの並木くんも一緒だった。その時は、お母さんが頑張ってるから片親でもこうやってそこそこの生活しているんだな、としか思わなかったけど。

 それでも、並木くんがこうやって少々無理をすれば「他のクラスメイトから見てもそう見劣りしない」レベルを演じられたのは、偏にお母さんの頑張りだと思う。エステサロンというのは典型的な「贅沢商品」だ。日本中が余ったお金の使い道に困っている時代だったから、エステというのは有閑マダムに大人気でこのころに限り結構な成長産業だったことは事実だ。だけど素人がいきなり参入して利益が出るほど甘い世界ではないだろう。

 でも並木くんのお母さんが本当に偉いと思うのは、自分がそうやって甘い夢を見て失敗したという現実を受けとめて、フォークリフト免許という付加価値を自分につけた上で、このころ一番嫌われていた肉体労働の現場に女の身ひとつで飛び込んでいることだ。だから並木くんは片親でも、こうやって「一見してわかるほど貧乏ではない」生活をすることができている。

 それに比べて僕の両親はどうだ。祖母からの遺産とか、西日本営業所の所長としての座とか、祖母の飲食店の手伝いでもらえる給料とか、あやふやなものに頼り切って全部空振りして、継ぎ接ぎの当たった靴下を僕に履かせて恬として恥じてない。それどころか、靴下に継ぎを当てる作業を見てる僕に母が何と言ったと思う?

「こんなんクラスの友達に見られたら何て言うかな? 『お前のお母さん、嫁にくれや』かな? 喜んで行っちゃうけどな」

だ。誇らしいことをしているつもりでいるわけだ。

 以前、僕の高校の先輩にあたるお兄さんのところに古着をもらいに行かされた話はしたけど、僕が着ている制服だって、親が用意してくれたものじゃない。そのお兄さんのお父さん、つまり僕から見て伯父さんは、大手百貨店の部長だ。どこにでもある学生服だったから、ボタン以外は百貨店でも扱っている。お祝いだとかそんな恩着せがましいことはひとことも言わなかったけど、中学の時に着ていた学生服ではもういろいろと限界だという話題にたまたまなったときに「うん、なんとかしよう」と言って用意してくれて、それが少し、ズボンのウェスト周りが大きかった。伯父さんはただ「わかった」と言って持って行ってくれて、また持って来てくれたときにはぴったりのサイズになっていた。支払いはどうしたらいいでしょう、と訊いた僕に伯父さんは「それは、なんとかする」とだけ言った。結局、用意するところからサイズの調整に至るまで全部伯父さんにお世話になったわけだ。

 ゴタゴタが続いていた間はわからなくもない。だけど祖母だった人は僕らとは無関係の人間になった上で、僕らの知らないところで知らない日にこの世を去った。その後の裁判も、いろいろあったんだろうが法律的に一枚も二枚も上手だった相手にいくらか恵んでいただくという形で終わったはずだ。つまりいまは、ふたりとも単なる「会社の従業員」でしかないはずだ。

 それなのに、何だ? 父は朝原付で出かけたら高卒ばかりの職場で学歴なんにも関係ない仕事をしてだいたい毎日定時で終えて、帰ってきたらプロ野球見ながら安酒飲んで寝る。母はそれよりはちょっと役割が多いと言えるが朝出かけて帰り道に買い物をして食事を作る。その後寝る。その間、ふたりで「よかったなあ」「よかったねえ」と頷き合っているわけだ。僕は全然よくはない。原付が運転できるなら出勤前に朝刊を配るアルバイトぐらいはできるはずだぞ? 母だって、自転車しかないなら担当地域は少し狭くなるだろうが同じことだ。この辺りで一番大きい新聞販売店にふたりで行けば、月々数万円の余裕はできるはずなんだが?

 学生服をお世話になった伯父さんは、百貨店のフロア責任者でもあった。お父さんを早くに亡くしたとかで、僕の父より若いけど高校までしか出てない。バイヤーもやってたから出張が多くて、親戚の中では離れて住んでいたうちの近所に仕事で来るときにはよく泊まりに来てくれた。そういうときは抱えきれないぐらいのお土産を持って来てくれた。ビールが大好きな伯父さんで、来てくれるとわかった日には大量にビールを買い込んで迎えたものだ。

 僕が剣道をしていたとき、防具をくれた従兄がいる話はしたと思う。そのお母さんが、僕の母が父に殴られたときに逃げ込んだあの伯母さん。その夫である伯父さんは、この人もまた百貨店の従業員だ。大正最後の年に生まれたというこの伯父さんは、時代背景もあり学校教育なんてほとんど受けてない。だから出世はできなくてお客さんの前に立つことはなく倉庫で在庫管理一筋だったが、明るい性格と早い機転を活かして勤務先で重宝がられていたと聞いている。この伯父さんもずいぶんお酒好きで、うちの父は飲んでて一番楽しい相手と言っている。

 このふたりの伯父と僕の父。生まれ年はそう離れていない3人の酒好きの中で、飛び抜けて恵まれた環境に育ちいい教育を受けているのがうちの父だ。にもかかわらず一番しょうもない仕事をしている。しょうもないなんて言葉は間違っているかも知れないが、生まれついた環境を活用することをちゃんと考えて生きてきていたら、今ごろもっと社会的地位も高い仕事はできていたはずだ。仕事じゃなくて、せっかくの宝を持ち腐れてしまう父の人間として男として父としての力がしょうもないんだな。恥ずかしくないのだろうか?

 要は、僕の親ふたりにとっては自分だけが生きられればそれでいいのだろう。子供である僕なんか、余力で育てているだけだ。動物を飼っているのと大差ない。自分だけが生きられればいいところ、子育てまでやっている。それをとんでもなく大層なことと考えているから、子供である僕に対する物言いがどうしても恩着せがましくなる。やっぱり僕は親の下をできるだけ早く離れるべきだ。というか、離れるチャンスはひとつ既に逃していたんだ。中学を卒業するとき。視野が狭かったなと思う。定期的に開催されて生中継されるスポーツでは僕は相撲が好きだ。身長はないし運動神経も鈍いから力士になろうと考えたことはなかったが、行司や呼び出しなど裏方にならなれたはずだ。なぜそうしなかったんだろう?

 昔のことを悔やんでもしかたがないが、とにかく大学に進学の時にはこの状態から脱出しなくちゃ。そしてやっぱり、脱出した先にはあの楽しい中学校時代の思い出があって欲しかった。だから、見も知らない土地に行くことも脱出するという目的には適うということに、僕は気がつかなかった。

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