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ネリーのいない空  作者: 武良 保紀
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連載第六回

   19

 1回だけ僕も顔を合わせたことがあるそのおばあさんは、僕から見た率直な感想を言うのならば「穏やかで上品そうな人」だった。幼いころに親が行方不明になりそのあとは根性だけで生きてきた海千山千の祖母とはとても気が合いそうに思えなかった。しかし、僕ももう知ってしまった。一見すると穏やかに見える人こそが、(よこしま)な考えを持っていたら本当に恐ろしいのだと。

 年を取ると必然的にいろんな能力の衰えを伴う。老人にとっては、いままでできたことができなくなるというのは受け入れがたい事態であって、自分は馬鹿にされているのではないかと被害妄想に陥るんだと思う。両親とも大家族で老人との接点が多かった僕は、元気だったころには穏やかな人だったのに老いて攻撃的になった年寄りを何人も見ている。

 増して、元から気のきついこの祖母のことだ。母が「大丈夫?」「できる?」「代わりにやろうか?」というような、当たり前のいたわりの言葉をかけたときにすら、馬鹿にされているような気分になっていたんだろう。だから、外面(そとづら)は「聞き上手」なそのおばあさんに、いとも簡単に全面的信頼を預けてしまったのだと思う。

 法律上は僕とこの祖母は家族なのかも知れない。だけど、僕にとっては他人の人生を自分のわがままで振り回してなんとも思わない悪質な詐欺師だ。給料を出すと嘘までついて僕らを引っ越しさせた名目は「本家の跡継ぎ」のためだ。父の実父は大家族の末の息子、そして養父は長男だった。その養父が、先妻との間にも、そして僕がいま祖母と呼んでいる後妻との間にも子供ができなかった。だから一番下の弟に養子をくれと持ちかけて、父が養子になった。この祖母と直接の縁があるのは父の兄弟姉妹の中で父だけだ。

 そこで祖母は、父の兄弟姉妹の間で「いつかはなんとかしないといけない問題」だった家督相続問題が目の前に迫りだしたころ、家督を継ぐのが僕の父として話はついてるという既成事実があるかのように触れて回り、うちの両親の外堀を完全に埋めてしまった。

「そんなこと、俺は承諾した覚えがない! 俺は俺で、この地で生活を営んでいる!」

 と、言い切れるほどの立派な生活実態はうちの親には、特に父にはなかった。まともな給料は取っていなかったし、母のおかげで生活に余裕が出ても将来設計を見直すとかそういうことは全くなく、考えていたのは「女のいる店で酒が飲める」だけだった。

 将棋で言えば、僕の父は歩兵ですらないだろう。だって、歩兵は取っておけば将棋盤という戦場に復帰させてまたなにがしかの役割を与えることができる。でもビジネスにおいて父はあまりにもヘボすぎる。実際、西日本営業所の話をしてきたその社長のところに夫婦ふたりそろって挨拶に行ったときに、電話応対のロールプレイングをやることになったんだそうだ。そして「ハイ電話が鳴りました、出ましょう」で電話を取った(てい)を演じた父は、第一声でいきなり前の会社の名前を名乗ってしまうという大ポカをしでかし、社長に鼻で嗤われたそうだ。

 結果、その社長と祖母とに僕の両親は騙されていいように使われて、その煽りを受けて僕の楽しくないティーンエイジ・デイズがあるわけだが、僕には全面的にその社長と祖母が悪いとも思えないところもある。詐欺にかかる人間は、元々の能力も大したことないしそれを補う努力もしないのに、分不相応な金銭的・身分的待遇を得られるというおかしな話を疑いもしなかった馬鹿な人間だ。

 その会社に父が捨てられてからもうずいぶん経ったような気がするけれど、実は祖母もこのころ父を捨てようとしていた。母に対して「あんただけいればそれでいいから、あの子とはもう養子縁組を解除する」と言っていたらしいのだ。それは母から見れば離婚の強制だったから母が反対したんだが、父が妻を守るという意味も込めて弱りつつあった祖母のところに足繁く通い、関係をきちんと築いていればこのあと数年間煩わされるゴタゴタは発生しなかったろう。

 だけどこのころ父がやっていたのは、朝起きて原付に乗って町工場へ行き、仕事を終えたらまっすぐ帰ってきて安い酒を飲みながらプロ野球を見て寝るだけだった。父の楽しみは世の中に酒と野球だけで、それ以外の話題はないに等しかった。こんな薄っぺらな人間に信頼を置いて仕事を任せる人も、人間を気に入って交流を持ってもらえる友達も、まあできないだろう。

 僕が「穏やかで上品そう」と思ったおばあさんは、祖母の愚痴を聞くようなふりをしながらその祖母の中に「自分の人生はこの家の血筋存続のための道具として使い潰されてきた。かつての夫は自分を虐げ、夫を亡くしてようやく手に入れた自分の城のこの店での幸せな生活も、この家の人間である息子が財産目当てで狙っている」という物語を見事に作り上げた。

 まったく脇が甘いと言わずにはいられない。僕の父はその日飲める酒があればそれ以上のことは考えたくない人だから、祖母の名義になっているその家兼店と土地をどうこうなんて考えてもいなかったと思う。だけど祖母がそういうストーリーに誘導されたのも無理はない。祖父に(かしづ)くことを強いられたのも聞くところによると事実みたいだし、現在息子は老いた自分に対していたわりの言葉ひとつかけるでもなくなしのつぶて。祖母の立場から見れば、人間として親として尊重されてないと思えるのも無理はないと思う。

 というわけで、僕の両親は単に「カネがない」だけではない、またもっとめんどくさい問題を抱えるという事態に、このころから入り始めていたと言っていい。まぁ、こういうことを知ったのはずっとあとになってからであって、僕はますますいろんな意味で余裕をなくしていく親|(特に母)の気配を感じていただけだった。

 だから、僕の「ここを離れたい」という思いはますます募っていて、それは僕の中でイギリスに行きたいという思いと同じ意味だった。こっそりとターミナル駅前にある英会話スクールに電話をかけて、試しに講師と会話を体験してみるという無料体験会に出向いたりもした。1対1の会話だったけど、知り合いにネイティブのスピーカーも帰国子女みたいな人も全くいない、完全英会話初体験にしてはそこそこしゃべれた方なんじゃないかと思う。

 その英会話スクールの顧客獲得のためかも知れないが、そのとき応対してくれた講師は美人の女性だった。駅で見かけるあの娘とは違いカールしている髪だったが、それでもブロンドヘアはやっぱりきれいだなと思った。僕にとっては、嫌なことばかりあるこの日常から連れ出してくれる非日常からの使者の目印のようなものだった。

 だけど当然、英会話スクールの受講料なんてそのときの僕には逆さに振ってもなかった。ヴェニスの商人の話じゃないが、自分の体の肉がカネに換わるなら僕は換えていたと思う。剣道を止めて以来、僕には少しづつ肉が余りはじめていたし。

 そんなあれこれを、包み隠さず話せる相手はやっぱり僕にはネリーしかいなかった。僕が乗り換えをするターミナル駅は、国際的な観光都市でもあるこの街の玄関口だ。だから僕はこの駅でしょっちゅうブロンドヘアの観光客を見ていた。そして見るたびに、今日見た人は同じブロンドでもちょっと色が薄めのプラチナブロンドに近い人で、背丈がこれぐらいですらっとした人で瞳の色は薄いブルーで、こんな感じの美人だったよ、とかそんな感じで、本当はもっと事細かくだけどネリーに語り、そしてその美人度の品評を聞かせた。

 だから、このころネリーは僕が思う「美人」というのがどういう人なのかというイメージを持ちつつあったと思う。確信を持ってそれが言えるのは、僕がコソコソと、そしてイソイソと買ってきて鑑賞してるブロンドモデル専門のエロ雑誌を一緒に見ていたわけだけど、ネリーは百発百中で僕にとっての「今月のベストモデル3人」を当てるようになっていたからだ。ネリーは僕の好みのモデルが出てくるたびにそのページをオーバーアクション気味に指し示した。

「何だよネリー、お前も結構好きなんじゃないの?」

 僕はそう言って茶化した。ネリーは「何のことかな?」とでも言いたげにすっとぼけるような仕草をして見せた。僕は大笑いした。

 純粋に笑える出来事って、このときの僕にはそれくらいしかなかったな。


   20

 野球を志す人は、志すまでの人生のどこかで自分にとってのヒーローが見せたスーパープレイを大事に抱えているらしい。同様にサッカーを志す人は自分のヒーローが見せたスーパーシュートをそれぞれ大切に胸の内に抱えているのだそうだ。ボクシングを志す人なら、憧れのボクサーの壮絶なKO勝利を。だけど、僕に言わせれば、それってそれ以前からもう野球やサッカーやボクシングを自分の仕事にしたいという思いを既に抱えていて、だけど迷いがあるところ、目指すんだという決意を固めるきっかけを待っていたんだと思う。

 だから、本当に青天の霹靂と言うべきショックというのは、何を期待するわけでもなくテレビの音楽番組を見ていた僕が偶然出会った、絶世の「美人」であるティムのいかがわしいパフォーマンスや野太い歌声によって、日本の冴えない高校生が遠いイギリスに思いを馳せてしまうような、そういう出来事を言うんだと、僕は思う。

 そして、それからそんなに時間が経ってもいないのに、僕にとって2回目のショックがやって来た。それは、お下劣なジョークの連打のあとに、強烈な恐ろしさと悲しさを突きつけるという激しい感情の動きを畳み掛ける、そんな文章だった。

 僕には、子供のころから本ばかり読んできたせいだろうが、本の声が聞こえることがある。別にその本を探していたわけでもないのに、前を通りがかっただけで本の方から「僕は面白いよ! 読んでみてよ! 絶対気に入るから!」と訴えかけられることがしばしばあるのだ。

 中学生のころから図書館には通っていたが、目的はイギリスを中心としたヨーロッパの観光ガイド的な本だった。それだけでは読み終わってしまうのも早いので、王朝の歴史からウィスキーの作り方まで、もうとにかくちょっとでもイギリスに引っかかるものがあったら手当たり次第に読んだけど。

 だから、日本人の作家が書いた小説なんていうのは、本の方から僕にアピールしてきたからとしか言いようがない。とにかく、僕は何かを感じてその文庫本を手に取り、理由を探るためにパラパラと流してみたがすぐにわかるものではなく、結局それを借りて帰ったのだ。

 短編集だったが、どれもこれも馬鹿馬鹿しい笑いに溢れていて、僕は久しぶりに腹筋が攣りそうになるまで笑った。そして、その本の最後に収録されていたメインの小説は、環境汚染により人間が長い間立ち入れなかった島の異常な進化をした動植物たちを、ようやく入ることができた研究チームが入って観察していくというSFだった。そして若い相棒とふたりで調査をしていた主人公が、その島の奇怪な植物に相棒を食われてしまい、近しい人を亡くした人間なら哀悼の意を込めて当然取る行動が、その奇怪な植物にとっては生息域を拡大するという目的に大変適っていて、まんまとその植物に「嵌められた」思いだとかその植物にどんな名前をつけてやろうかという悪戯心だとか、いろんな感情が入り交じって涙を流しながらゲラゲラ笑い続けるというシーンで終わっていた。

 僕は感情表現が下手なのは確かだけど、この小説を読んで、自分の感情というものがいかに平板なものであったか、それを思い知らされた気がする。たとえれば僕の感情表現というのは大根役者だ。楽しければ「あぁ、楽しいぜ! ヒューヒュー!」悲しければ「あぁ、悲しいぜ! ヨヨヨ」みたいなものだった。色で言えば単色塗りつぶしだ。だけどだからこそ、絵にたとえるなら岡本太郎の渾身の力作みたいな、強烈な色が混じり合ってもう何が何だかわからなくなっている、力強さとある意味での毒々しさ、だけどそこに生きている人間の息づかいだけはハッキリと感じることができる、そんな感情表現がしてみたい。僕はそういう感想を持った。

 同時に思い知ったのは、日本語の面白さだ。これを書いた筒香雄司という作家は、日本で前衛的な音楽活動をしているジャズミュージシャンとも懇意らしい。そのせいかもしれないが、不規則なように見せながら、なんだか読み続けているうちに体の中に沸き起こってくるビートみたいなものを感じる。わかりやすくて、悪く言えば作為を感じるリズムではなく、読んでいるうちに自然と魂が動き出す、根源的で前衛的で、だけど確かなビート。日本語って、こんないろんなものを伝えられる力を持っていたんだ。

 僕の思考や感情表現は、まだまだ未熟だ。それはこの筒香さんの文章で如実に僕に突きつけられた気がする。だけど、単純で未熟な僕だからこそ、渾身の思いを込めて「この文章は面白い」と叫びたい気がした。そう思ったらそれに夢中になれるのが僕の性格の長所であり若さの特権という気がしたし、それはそのあとも変わっていない。

 だから僕の図書館通いは激しくなった。SFというジャンルは日本ではなかなか認められなかったそうだ。しかし、小説というのはジャンルがどうこうではないだろう。一番大事なのは「面白いか否か」ではないのか? 実はこの筒香さんの「SF」以外の代名詞とも言える言葉がもうひとつある。それは「スラップスティック」わかりやすく言えば「ドタバタ喜劇」だ。ちょっとした辞書ぐらいのボリュームがある長編小説が、丸ごとお下劣ギャグが詰め込まれたスラップスティックなのを読んだときは、よくここまでギャグを思いつけるものだと妙に感心した。

 SFやスラップスティック時代を経たあとは実験的小説に移行したそうで、たとえば小説では「あれから10年が経った」なんて言って時間をすっ飛ばしてしまうのは当たり前の手法だろう。しかし、現実ならばその10年の間にも何事か出来事は起きているはずで、すっ飛ばしてしまうのは言ってみれば作家による「横暴」だ。だからこの筒香さんは、主人公にとっての時間を原稿用紙の枚数に正確に比例させるという手法で、横暴を避けた小説なんかを書いていた。

 傾向の似ている別の作家の作品というのを探すのは意外と簡単な作業だと思ったが、文庫本なんかには普通入っている巻末の作品解説は、その作家に影響を受けたとか個人的に親しいとか、そういう作家が書いていることが結構多い。また、その作家が書いている小説ではなくエッセイを読むと、その作家の個人的知己に関する話はさらによく出てくる。そういう人の名前をピックアップして、図書館で探して読んでみればいい。

 というようなわけで僕はこのころ読書魔と化した。市の図書館、それから学校のある政令指定都市の図書館も、通学している以上利用権があった。さらに、例の近所の従弟のお父さん、つまり僕から見て伯父さんは、実は大変な読書家だ。難しい本もたくさん持っていたが軽い読み物もかなり読む人で、そういうものは1回読んだら息子に与えてしまっていた。だから僕の従弟もかなり本を持っていた。従弟は関心がなさそうだったので僕は全部借りて帰り、授業中に指名されて答えなければいけない可能性が高い授業以外は全部机の下に文庫本を隠して読書する時間に充てた。もちろん通学途中の列車の中、家に帰ってからは言うまでもない。

 以前から学者になりたいと思っていて、それは当然学術書を書くという作業を含む職業ではあるけれど、僕は「創作家もいいな」と思うようになっていた。内向きに生きざるを得ず、外の世界をなるべく見ないようにしていた中学生活から打って変わって、できすぎなほど順調な高校生活を滑り出したことにより、僕の心はなんにでも食らいつく雑食性を発揮していた。

 最近、作家もいいと思うんだよね。そんなことを言ったら、早川さんは間違いなく呆れるだろうと思う。真面目に考えてるの? とかなんとか、そんな言葉が返ってきそうだ。そして、これは間違いないと思う。あの、無邪気な笑顔で、ケラケラと笑うはずだ。

「なぁネリー、やりたいことがたくさんあるって、どう思う?」

 僕が何もかも自由に話せる相手はネリーしかいないので、僕は素直にネリーに訊いてみた。

「よくさ、芸術家でもスポーツ選手でも、幼いころからそれになりたくて一心不乱でしたっていう感じの人が、筋金入りのなんとか、とか言われたりしてるじゃん? だけど、ほとんどの人が最終的にこういうことをする人間になりました、っていう理由は、そんな深い理由じゃないと思うんだ。何かになりたいと思って、挫折して、また目標が見つかって、そっちでもまた挫折して、の繰り返しで、最終的に流れ着いたものを本職にしているんだと思うんだよ」

 ネリーは、僕のデスクの上に胡座をかいて座りながら、僕の言うことをちゃんと聞いてくれているように思った。

「挫折するってことは、誰にとっても愉快なことではないから、子供のころから一直線に目指してきた道で成功してます、っていう人を、普通の人はうらやましがるんだと思う。だけど、一直線に成功することって、案外面白くないんじゃないかな? 何かになりたいと思って努力したってことは、最終的に実にならなかったとしても、そこまでの努力で一般人は知らないで生きている何ものかを学んでいると思うんだ。挫折経験の多い人ほど、そういう感じの、実益は少ないけど雑談ネタにはなる知識は多いよね。人間としての懐の深さって、案外そういうところから生まれるんじゃないかな?」

 ネリーはどこまでわかってるのかわからないが、とりあえず僕の方を向いてじっと話を聞いてくれてはいた。

「そういう繰り返しの中で最終的に残ったものが、世の中の人が必死になって探している『自分らしい自分』なんじゃないのかな? いまの自分と違う自分を想定して『私は自分らしい生き方ができていない』って、実はあんまり意味ないよね」

 ここまで語ったら、ネリーが頷いてくれたような気がした。

「この筒香さんがエッセイに書いてるけど、ファンから『どうやったら筒香さんみたいな作家になれますか』って訊かれたときに、自分の両親の名前と誕生日を挙げて『そういう人間として生まれつけば僕みたいな作家になれます』って答えてるんだ。これって筒香さんらしい皮肉を込めた批判だと思うんだけど、どうだろう?」

 ネリーはまるで「難しすぎて頭の中で処理が追いつきません」を表現するように、カクカクとした動きを混ぜながら首をひねった。

「単純に言えばさ、ネリーだって1回はあんなに大きくなって、僕の元からしばらくいなくなって、でまた小さくなって戻ってきて、結局僕のそばにいるだろ。正直に言って、何か与えられた使命とか目指す目標にまっすぐ向かって生きているようには見えないよ」

 このとき、何を思ったかネリーは右腕だけでガッツポーズを作ってみせた。それが何を意味するのか、正確なところはわからなかったけど、僕にはなんだかそれが無性に可笑しかった。

「まあ、ネリーが蟻とか蜜蜂みたいに、わかりやすすぎる仕事に必死に励むような生き物だったら、僕はこんなに親しみを覚えなかったと思うよ。理由はよくわからないけど、なんだか近くにいるこの感覚、僕は好きだな。僕の友達って考えたらそんな連中ばかりだ」

 いつまで一緒にいることになるのかわからないけど、一緒にいるいまが楽しかった。

 だけど楽しかったのは家族の中では僕だけで、母はとんでもなく面倒で嫌な事態になり始めていたし、酒とプロ野球さえあれば幸せな僕の父も無関係でいることは不可能だった。


   21

 人間年を取れば、当然だがいろんなところが老いていく。容貌が老けていくのは誰にとっても楽しいことではないだろうが、それ以上に切実なのが体の機能が衰えていくことらしい。

 幼い子供のころに親の庇護というものを失って、あとは根性だけで生きてきた祖母が、成人するまでの過程で精神的にも肉体的にも異常なまでの強靱さを持つ、持たざるを得ない人生を送ってきたことは確かだろう。そんな人にも、老いというのは忍び寄るものだ。精神的にもおかしくなり始めていたが、内臓の方も弱ってきた。母が言うには、常にお腹に違和感があり、排泄時にゼリー状のものが大量に排出されているそうだ。

 というわけで、祖母は店に立っている時間よりも通院している時間の方が長い状態に陥り、最終的には入院した。このことで、母は朝から仕事に行き、終わったら店に直行して夕食のお客さんを主にして接客したあと、病院へ行って介護、という生活になった。

 僕には、詳しい事情はわからない。だから想像だけど、気が強い祖母は自分が弱ったときのことなんて考えることもいやだったろうし、保険にも入ってなかったんではないだろうか。だから、元々乏しいうちの家からいくらか持ち出しで入院させていたんではないかと思う。というのも、このころうちの貧乏は輪をかけてひどくなり、僕の晩ご飯のおかずは片身の塩鯖の半分、鯖全体の身の4分の1なんていう事態になっていたからだ。なんならそれに思いっきり醤油でもぶっかけて、あとはその味でひたすら米を詰め込めという、それが僕の食事だった。

 仕事に出て、店に出て、そのあと介護をしている母が疲れていなかったはずはない。だが母は嫌なことは嫌、無理なことは無理と拒否をするということを嫌った。家族だから、それだけの理由でどんな理不尽でも受け入れる、それが正しいと思っている人間だ。

 別に家族に限った話ではないが、何らかの集団に所属して、そこに嫌な人間がいる場合、可能ならばその集団から離脱する、それが不可能ならば監督者に申告してその嫌な人間との関わりについて、なるべく接触しなくていい措置を講じてもらうなど改善してもらう、そういうことをするのが、僕には当たり前に思える。

 だけど、例の塾なんかが典型だが、こんな嫌なやつばかりだ、と僕が言ったら、母の答は決まっていた。「そやけどな、嫌なやつはどこにでもいよるえ」だ。だから何? 我慢しろってこと? 他人に嫌な思いをさせた者勝ち? 上見て暮らすな下見て暮らせ? どうやらそういうことが言いたいらしい。この奇妙な理屈で、嫌な人間に対しては逆らわないように我慢しているのが正しいと思い込まされていた僕の性格が、虐められがちだった僕のこれまでの人生と無関係だとは言えないだろう。

 1日8時間の事務仕事(ついでに言うと、母は「30分前に出勤して掃除するのは事務員の役目」と言い張り、頑としてそれをやめようとはしなかった)、そのあと店に出て晩ご飯を売り、さらにそのあと病院に行って、介護という名の奴隷労働。そして多分、その一番最後の部分に関しては費用は自分からの持ち出し。そんな生活が愉快なはずはないと僕は思う。愉快でないなら愉快でないと表明して不愉快を避ける方向で動かなければ、不愉快をどんどん押しつけられるだけだ。でも母はそうしなかった。

 父は相変わらず、朝仕事に出て、定時に終えて帰ってきたら、プロ野球を見ながら酒飲んで寝る、淡々とした生活を送っていた。いきなりこんな話をするようだが、僕の父には食べ物が美味しいかどうか、という基準は「醤油の味がするかしないか」しかない。父にとってこの世の中で至上の食べ物は「マグロの刺身」で、もちろんトロを一番好むが、それがなければ赤身のサクをいくらか色が変わりかけていようと食べたし、水で煮てツナ缶の代わりにするために母が買っておいたマグロのスジからも掻き落とすようにして赤い部分を分けて食べていた。

 だけどそこまでこだわるマグロにすらこのころの父はありつけず、わさび醤油で食べる何ものかがなければ酒が飲めない父の肴は、見切り品のハマチ、イカ、タコなど順調にグレードダウンし、最終的にはスライスハムとかちくわとか、そういうところまで行っていた。足りなければ残ったわさび醤油を指につけて舐めながら酒を飲んでいたのだから、わさび醤油に生涯忠誠を尽くした男の物語として語り継いでもいいぐらいだろう。

 しかし父のそんなわさび醤油とラブラブな日々にも、祖母の介護問題が忍び寄る。平日昼に祖母は病院から電話をかけてきて、僕が電話を取ったら、母か父を電話に出せ、すぐに病院まで来させろと受話器越しに僕を怒鳴りつけた。相変わらず、父は母に強硬に祖母への顔出しを迫られて不承不承日曜日に足を運ぶという状態だったのは変わらないので、祖母の怒りは頂点に達していたらしい。

 毎晩夜遅くなってからではあるが、母は毎日病院に顔を出していた。惚けも手伝って周りに存在するもの全てに対して怒りを持っているような状態になった祖母は看護師のちょっとした不手際に激怒し、土下座を強要したらしい。その看護師に対して、母は平謝りしてきたそうだ。そういう話も伝わってくると、父はますます顔出しを嫌がるようになった。

 そして、決定的な事件は起こる。

 母にとって、病院まで出てくるならば自分の長兄にも挨拶に行って欲しいというのがセットになっていたのは前にも言ったと思う。ある日曜日、父がひとりで病院に行き、その帰りに母の長兄のところに行ったそうだ。伯父は「今日は大して忙しくもない」と店を早仕舞し、父に酒をおごってくれた。久方ぶりに飲む上酒、そして旨い肴。すっかり満足した父は「旨い肴と旨い酒が欲しければ、あの義兄貴(あにき)に集ればいい」という誤った認識を学習した。

 それから大して日も経っていないある日のことだ。東京から父の実の兄が突然やって来た。子供のころから父と一番気が合っていたというこの人は、父に輪をかけて無能で、輪をかけて貧乏で、輪をかけて酒と女にだらしなかった。

 酒は飲みたいが金を持っていない男が、もっと飲みたがっていてもっと貧乏な男と一緒に酒宴を楽しみたいと考えました。この男はどうしたと思いますか? 誰が考えたって結論は明らかだろう。挨拶という名目で伯父のところに行ったこの馬鹿ふたりは、まだ昼日中だというのに店先に雁首を揃えて帰ろうとしなかったというのだ。

 で、こういうときには「今日は酒出ませんよ」と本人に言わないのが母の兄弟姉妹だ。結局のところ、後日母は「あの人は何を考えてはるのや?」とものの見事に「ドンを突かれる」結果となり、これをネタにひとくさり喧嘩だ。

 こういうわけで、父はますます出不精になった。まるで魔物が結界を避けるかのように、伯父の店や祖母の入院している病院がある一帯を避けるようになった。ますます、朝原付で町工場へ出かけ、夕方に帰ってきてプロ野球見ながら酒飲んで寝るというルーティーン以外のことをしなくなった。

 息子は寄りつきゃしない、嫁も遅くならないとやってこない、看護師もどんくさいやつばかりで毎日世話されてるだけでイライラがつのる、そんな祖母にとって、自分の話を聞いて理解してくれる人がひとりだけいて、その人は毎日のように早くからお見舞いに来てくれて自分の怒りや嘆きに共感してくれる。そう、僕が「穏やかで上品そうなおばあさん」と思ったあの人だ。僕ら家族が自分の生活を丸々犠牲にしなければ絶対に付き添っていられない昼間の長い時間、この人は祖母に寄り添って、そして祖母の心を確実に手中にしていた。

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