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ネリーのいない空  作者: 武良 保紀
5/14

連載第五回

   15

 このころの僕の1日だ。朝起きる。顔を洗って、弁当を受け取って学校に行く。このころ僕の家の経済はさらに悪化していたのは明らかだった。うちの親は、食糧難の時代に育ったせいか、ご飯信仰がとても強い。食事の時は、おかずがどんなに少なくてもいいがご飯は必ず十二分になければならないらしい。だから、米を余計めに炊く。当然、たいていの場合、余る。ご飯は上の方が水気を失ってカラカラになる。これまでは冷凍保存しておいてお粥とか雑炊を作るときに使い回していたけど、このころ母は平気で弁当に入れるようになっていた。知っている人もいるかも知れないが、ご飯を保温状態でジャーの中にプラスチック製のしゃもじを入れておくと、ご飯全体がプラスチック臭くなる。そんなプラスチックご飯が弁当だったこともしばしばあった。

 誰とも親しい会話を交わすこともなく、僕は午前中の授業を終える。炊きたてホカホカご飯のなれの果てである弁当を美味しくいただいたあと、午後の授業を終える。僕は運動神経が鈍いので、団体競技をやる体育の授業があったら同じチームの連中に罵倒嘲笑してもらえるという特典もつく。帰ったら、母が冷蔵庫の中に入れている安い食材で自分と両親合わせて3人分の食事を作る。

 休日なんかになると、親がいるから、雑用を命じられる。たとえばトイレ掃除とかだ。僕は凶悪犯罪者だからトイレ掃除をしなければいけないらしい。僕は凶悪犯罪者だということを、折に触れ母から刷り込まれることになった。たとえばこんな感じだ。

「ホショウってどんな字だったかな?」

 そう僕が尋ねたとする。

「どういうときに使うホショウ?」

「損害をホショウするって時のホショウ」

「補うに、にんべんに一等賞の賞って書く字やん」

「ああ、これで補償か、おぎなう、つぐなうね」

「そう、お前は、償うために便所掃除が仕事なんだぞ!」

 母は、こういうときに相手に対して自分の優位を誇示するのが大好きだ。こういうときの母は、普段滅多に見せない嬉しそうな顔をする。そして、相手が言い返せないのを見て楽しむのが、たぶん母の人生最大の楽しみだ。

「誓約書にそんなことを書いた覚えがないけど」

 そう言い返してみたこともある。だけどその瞬間もう母は鬼の形相に変わっていた。

「親のために役に立とうっていう殊勝さもないのかあんたには!?」

 いつ喉笛を食いちぎられても不思議ではなさそうだったので、僕はそれ以上言うのをやめた。とにかく、苦労してカネを稼いで塾に通わせていた自分たちは絶対正義で、それを勝手に投げ出した僕こそが絶対悪で、僕には親の命令にはそれが何であれ従う義務が存在するのだ。

 独房だ。独房も独房、戦前の、犯罪者には人権なんてなかった時代の懲罰房の中に囚われた、看守のおもちゃになるためだけに存在する懲役囚。それがこのときの僕だった。

 親がいない時間帯に、こっそりと僕はティムのCDをプレーヤーにかけた。動いているティムを見たことはあのテレビの音楽番組以外はまだこのころなかったけれど、ティムは僕の目の前でありありと、美しい衣装を着て、端正な顔で、野太い声で、一般人には届かない境地にいる自分のことを歌って踊っていた。ひとことで言えば、このころの僕の崇拝対象だった。親が帰ってきたら、僕のティム教活動は終わりだ。親ふたりに給仕係として仕え、そのあとは机に向かうことを厳命される。そして風呂に入って僕の1日が終わる。それが僕の毎日だった。

 なんでネリーは、どこかへ行ってしまったのかな。ネリー自身は多分僕を喜ばせたいという気持ちしかなかったと思う。だけど、結果的には僕を凶悪犯罪者に仕立て上げてしまったことになるから、自分はいない方が僕にとっていいと思ったんだろうか。あるいは、正面切って親と喧嘩する覚悟なく、コソコソと逃げ回るためにネリーを連れ回して、それがバレてもあくまで自分の意見を通す気概もなく、すごすごと懲罰房に入った僕に愛想を尽かしたんだろうか。いずれにせよ、あんまりいい気分ではなかった。

 夏が終わり、秋になる。僕らの受験日は近づいてくる。このころ中学では模擬テストが盛んに行われて、そのたびに偏差値という数値が出てその数値と照らし合わせてこの高校は厳しいとかいろんな話をされたし、面接事前練習も3年生の全生徒を対象に行われた。それも校長直々に。

 この地に来てから、2回目の年末年始がやって来た。さすがに年末年始だけは、わずかにリラックスをすることが僕にも許された。去年と同じ家族バラバラの年末年始ではあったけど。

 また、僕は明け方と言った方がいいような時間に庭に出てみた。1年前と同じように、冬の空気は澄み切っていて、星がキラキラと瞬いていた。だけど、去年はいたネリーが、今年はもういない。どこにいるのかもわからない。今年は、星に向かって手を伸ばしてみる気にはなれなかった。届かないのは明らかだったし、すぐ近くまで連れて行ってくれたネリーも今年はもう、いない。僕は空が飛べないし、飛べたとしてもネリーのいない空はつまらないだろう。

 結局、ネリーってどういう存在だったんだろう? もしかして、僕の願望が作り出したただの幻だったんじゃないか? 僕がネリーと遊んでいると思ってた時間は、他人から見れば僕が気絶しているだけで、僕は夢を見ていたんじゃないか?

 3学期が始まり、受験があった。この高校を受験するのは同じ中学からは僕以外にいなかった。だけど例の陰湿塾長がお気に入りの学校だったから、知った顔は何人かいて試験の間の休憩時間には大声でしゃべっていて、僕が来ているのを見て指さして笑っていた。

 合格発表日。僕はシルバークラスに合格した。掲示板前では既に先輩による部活動の勧誘が始まってて、僕がシルバークラスだとわかるといろんな部から勧誘が来た。剣道部にだけはちょっと心が揺れた。結局、入らなかったけどね。

 中学校の卒業式。楽しい思い出はなかったが、お決まりのイベントがあって、卒業式は終わった。僕は、教わっていた全ての先生にありがとうを言いに行った。そんなことしたくないが、母が兄弟姉妹同士で子供自慢をし合う際に、私はうまく躾けているでしょ、と言うために、僕はそういうことをしなければいけなかったのだ。詳しくは覚えてないが、これは覚えている。例の音楽の先生には「元気で」と言って握手を求められたので素直に応じておいた。

 野川、黒崎、その他数名の不良連中は案の定固まってしゃべり合ってると言うより叫び合っており、僕はそいつらに「嗤われ納め」をした。卒業式か。僕にとっては刑務所を出るような記念日だったけどね。どうしてひとりも「こんなところに、もう来るんじゃないぞ」と言ってくれた人がいなかったのか、不思議だ。()()()から帰ってきて、制服を脱いで楽な服装に着替えてから、僕は深い深い溜め息をひとつついた。記念日だそうだけど、今日を境に何か変わるのかな。

 ほんのわずかの間だけ、あの会社の「西日本営業所」だった部屋は、うちの家の中で一番広くて窓からの景色がきれいだ。一番遠くまで景色を見渡せて、夕日も見える。だから僕は、いつだったかネリーを座らせた事務用椅子に腰をかけて、沈む夕日を見ながら、これからの日々を考えた。少しでも、いままでよりマシな日々になるといいけどな。そんなことを考えて、座ったままキャスターを転がして椅子をいまは不要になった事務机の前に戻した。

(何かが、いつもと違う)

 なんとなくそんな気がした。あの機械部品メーカーの商品パンフレットは、父のトラウマになってるだろうから父は触れようともしなかったし変わっているはずがない。僕が前にいた中学の技術家庭科の実習として作って、僕に断りもなく父が勝手に改造してデスクラックに仕立てた書架には、相変わらずなにも収められていない。いったい何なんだろう、この違和感。

 僕は結論に至った。父は肩凝り性なので、マッサージに使うためにゴルフボールを机に置いていた。だが、父は肩が3つあるような体型ではない。でもゴルフボールは3つある。

 僕はゴルフボールをよく見ようと手を伸ばした。そのとき、ゴルフボールの1個が動き出した。まるでかくれんぼのなんたるかをまだよくわかっていない小さい子が毛布をかぶって丸まっているような姿勢から、クルクルッと起き出して人間の形になったそれは、僕に向かって「久しぶり」とでも言いたげに片手を上げた。

「お前、ネリーか?」

 それは、よく見た仕草でコクコクと頷いた。

「そうか、お前、帰ってきてくれたのか!」

 僕は嬉しくなって、いつかみたいに手にとって頬ずりをした。

「本体は、どこかに隠してあるのか?」

 今度はネリーは首を横に振った。

「育ち直し?」

 頷いた。僕はなんでも良かった。ネリーとの日々がまた始まるんだ。なんだか、急に高校生活が楽しそうなものに思えてきた。

 春の、寒くも暑くもない、とても季候のいい日のことだった。


   16

 高校に行くようになって、僕の生活はずいぶん変わった。いままでの生活と何が一番違うかと言えば、何と言っても朝が早くなったことだろう。授業は朝の9時からだけど特別クラスは朝の小テストがある。だから授業開始の20分前には着いていなければならなかった。

 あと、お小遣いが復活したっていうのも、言っとかないといけないか。結局奨学金を受けることになったその月額から、毎月2千円だけ自分のために使っていい、ってことになっただけだけど。

 くどいようだけど県庁所在地を東西に走る大幹線は電車もものすごく頻繁にあるし、人の往来も多い。だけど、ターミナル駅から北へ行く路線も南に行く路線もそのころはまだ単線だったし、北へ行く方に至っては電化すらされていなかった。車両のやりくりも極めてまずくて、僕が行った高校も含めて同じ駅を使う高校が3校あったし、その駅からさらに北に進む高校生も結構いた。さらには先には大学や短大もあった。もちろん企業もあった。だから朝は当然大ラッシュになるのに、一番必要な時間にわずか2両編成のディーゼルカーを使っていた。駅の中で北の端と南の端というこの2路線は、乗り継ぎもほとんど考慮されておらず駅の端から端までダッシュしても場合によっては間に合わなくて、そして1本逃したら30分待ちが当たり前だった。

 だから朝は7時には電車に乗らないと間に合わなかったけど、それでも僕は久々にのびのびと学校生活を送ることができた。相変わらず、あの塾の連中とはそれほど馬が合わなかったけど、僕とは逆にもっと北の方から来ているクラスメイトには仲良しがずいぶんできた。

 高校で、僕は英語の成績がずいぶん伸びた。きっかけは、英文法の時間にボケッと外を見ていたら担当の先生にマークされてしまって、なにかと前に出て黒板に解答を書く役割を当てられたからだと思う。文章をパッと見ただけで、大半の場合その文章の構造がわかるようになった。構造のわからない文章でも、機械的な単語暗記だけでは難しいニュアンス的なものにも敏感になって、少々わからない部分があっても文脈から補うなんてこともできるようになった。

 自分で言うのもなんだが言語能力に長けた部分が、僕にはあるんだろうか。このころ僕にとってもうひとつの得点源となったのが現代国語だ。担当している先生が定期テストなんかにも授業でやったことより大学の過去問なんかを好んで出題する先生で、クラス全員が40点とか50点とかで伸び悩んでいる中、僕だけ80点台を出したりしていた。

 逆に、中学生のころから90点は取れたはずと思ってたテストが70点台だったりという感じで若干違和感を覚えていた数学がこのころ崩壊した。さらに小学校の時の担任が歴史というものを「支配者のために民衆が搾取される過去からひとりひとりが手に手を取って社会を作る未来へ」と教えた影響がまだ残ってて、だから僕は歴史なんか(ハナ)から勉強する気すらなかった。

 それでも、英語があまりにも伸びたことにより、僕はシルバーではトップ常連、ゴールドを含めても10位台の前半には入るという、自分でも信じられない成績を出すようになった。早く言えば高校生活において僕は順調すぎるスタートを切ったということになる。

「痛快やなぁ!」

 塾で一緒だった連中より上だったよと言うと母は喜んだが、自分が意味のないことを僕に強いていたという感覚はないらしい。もうこの人には、何を期待しても無駄だろう。何はともあれ、割と平穏な日々がやっとやって来た。

 また、父がちゃんと給料が保証された職にやっと就いた。工場の生産管理者という肩書きだが、工場と言っても普通の町工場、管理職でもなく仕事は平の工員と全く同じだったけど。

 不穏なことになっていたのは母だった。会社勤めを終えたら、その足で祖母の店の手伝いに直行。しかし、祖母がこのころから惚けはじめた。元から気の強い人だったが、だからこそ不手際があったら全部母のせいにして怒鳴りつけて「自分はどこも悪くない」を貫いたらしい。母はそんなわけで帰りが遅いので、父が家事一般何にもできない以上否応なく僕の責任にはなったけど、とりあえず居場所はできた。僕はほっとしていた。

 だから、僕はネリーともこのころ穏やかに接することができるようになっていた。ただ、気になるのはゴルフボールとして帰ってきてから以降、ネリーが何も食べていないことだった。あの、初めて僕の前で「食べる」という行為をハッキリ見せた時より、いまの方が若干大きいだろうか。相変わらず、空中をふわふわ舞うことはできるようで狭い僕の部屋の中を飛び回っていたが、体を伸ばして僕を包んで高く遠く飛んでいたあのころのような飛行能力は、このときあるのかどうかハッキリしなかった。あったとしても、僕を空中散歩に連れて行けるような積載能力はおそらくないだろう。

 父が「ちゃんとした」就職をしたことにより、割とちゃんとした時間に帰ってくるようになったこと。一方で、僕が遠くまで通学するようになったこと。このふたつの事情で、僕が家に帰ってからのネリーとの時間は短くなっていた。

「なあネリー、あんなにでっかくなったのに、そこまで小さくなった理由って、自分でわかるものなのか?」

 僕はそう訊いてみた。だけど、ネリーは相変わらずきょとんとした状態で、自分の身に起こっている変化について何も知らない様子だ。自分が変化しているという自覚すらないんじゃなかろうか。

「やっぱわからないか……じゃ、何も食べない理由は?」

 これにも、何も知らない、わからないという反応が返ってきた。

「そうか……まあそれでもいいんだけど。なんとかネリーを食わせなきゃいけないっていう、あの緊張感が少し懐かしくもあるよ」

 僕は、学校についてのあんなことこんなことをネリーに話して聞かせた。1日の授業が全て終わったあとに、1時限分の時間を取って英語のテストがあったけど、英語担当の先生が監督している前で速攻で終わらせて、それでもクラスで一番いい点だったこととか。

 考えてみれば、学校の生活が楽しいっていう話を、中学の時はネリーに聞かせてやることができなかった。ネリーは僕の愚痴聞き役で、正直うんざりしたということもあったんではないかと思う。よかった。やっと穏やかな心でネリーと接することができた。

 話は変わるけど、朝が早くなったせいだろうか、僕はこのころ家に帰ると眠ってしまうことがしばしばあった。そういうときぐらいは、父も自分で簡単に食事は済ませてくれた。だけどみんなが寝静まったころ、逆に僕の目が覚めて眠れない。だからやっぱり夜中に起き出して適当に食べてお腹を満たしていたが、ある日窓から外を見たら、夜中にネリーが森の方に向かって飛んでいくのを見た。

 いったい、何しに行ってるんだろう?


   17

 僕が行くことになったこの高校は男子校だ。この県の私立学校はほとんど、仏教の何らかの宗派が実質的な母体だ。だからこの高校も元々は僧侶の養成所で、週に1回だけだけど宗教の時間がカリキュラムに組み込まれていた。

 ここまで完膚なきまでに男子校な男子校っていうのも世の中珍しいんじゃないか。芸術系科目は1年生の間に1科目取ればそれだけだった。僕は一番楽な書道を選択した。書道の先生なんかは僧侶の副業とかそういう事情がありそうだから男の先生だったのは珍しくないと思う。だけど美術と音楽を取った友達に訊いたら、両方とも中年の男性教師だと言っていた。美術の先生は人伝に聞いて何例か知っていたが、音楽の教師が男性というケースは初めて知った。

 男子が一番性欲の強い時期が高校生ぐらいだと思うので、このくらいの男子にとってストライクゾーンに成り得る年齢はすごく広いと思う。高1だから自分は15歳か16歳ってことになるけど、下は中学1年生、上は30歳前後までぐらいは欲望の対象として見ることができるんではないだろうか。仮にそうだとしても、飢えた男子高校生にとってかろうじて範囲に入り得るのは図書館司書ひとりだけで、あとは女性と言えば学食のオバチャンぐらいのものだった。

 だから体育系の部活をやってる連中なんかは部活上がりに校内を平気で全裸でうろついていたし、猥談をするのに声を潜める必要もなかった。同級生の中には「あ~あ、こんな青春の時期を男ばっかりで過ごすのって悲しいね!」とか言ってるやつもいたが、僕はそれに半分同意するが半分は「そうでもないんじゃね?」と言いたい気もする。クラスのやつがどこからかどうやってか手に入れたアダルトビデオを学校に持って来て、誰にどういう順番で貸し出すかを決めるじゃんけん大会が盛大に挙行されたところで誰も文句を言わない。何より、中学の時に一緒だった、ローティーンにして既に阿婆擦れの風格たっぷりなああいう女子連中と一緒になる不安がない。まぁそのかわり第2の早川さんに出会える可能性はゼロだけど。

 それに、どうしても出会いを求めるんであれば、よその高校の生徒に出会えばいいだけの話だ。乗り換えをしてるターミナル駅で、僕はいろんな学校の制服を着たいろんな女子高生を見ていて、実際に時々見かけるある女子高生のことを、好きというほどではないにしても「可愛い娘だな」程度の好印象を持っていた。それは、制服でわかるけど市内のどこかの高校に通っていることは間違いないが、ブロンド長髪を靡かせた、白人の女の子だった。

 そう、僕はティムの件からイギリスに興味を持ち、そしてそこからさらに連鎖する形で白人女性大好き男になっていた。僕の趣味は特殊と見られていて、エロ本に外人モデルが載っていたり、外国のポルノビデオの通販広告が載ってたりしたらクラスメイトが切り取って持って来てくれるぐらいだったが、そんなことを気にするような僕じゃない。僕は外人専門エロ雑誌を買い、そしてアダルトビデオを借りてきた。それができたんだから、いい加減な時代だ。

 もちろん、これらの諸々のものを見るのは、芸術性の高さを味わって高尚な気分になるためではない。他の方法では解消できないストレスを解消するためだ。僕はしばしばネリーと一緒にそういうものを鑑賞し、ネリーが見ている前でセルフリラクセーションを行った。親には絶対に見られたくないところだが、ネリーがそれを見ていることはなぜか全く気にならなかった。ネリーは僕の顔近くをふわふわと浮かびながら一緒に見ていて、どんな気分になっているのか僕は不思議に思ったがそれ以上の追求はしなかった。

 ある意味、僕がこっちに引っ越してきてから、一番自由な時間が流れていた。父が勤める町工場には残業というものがないようで、父はほぼ毎日決まった時間に帰ってきては、食料を求めるより貪欲にウィスキーを求めた。さすがに毎日「潰れる」と言うべきレベルまでは飲みはしなかったが、機嫌が良くなると勝手に眠ってしまって、僕はゆうゆうとネリーと一緒に風呂に入った。

 そういう意味では父にとっても心安らぐ日々だったんだろうが、心安らかではないのが母だった。見るからに毎日苛立ちを隠せなくなっており、ストレスのせいだろうか、昔から僕にとって「太っている人」の代表格だった母がやせてきていた。昔の女だから原付免許すら持っておらず、会社に行くにも、そこから祖母のやっている飲食店に行くための電車に乗る駅に行くにも、そして帰ってくるにも自転車だったが、頑丈で積載量が多いことを最優先したようなその自転車は僕から見ても異様に重く、荷物を満載して帰ってくる母は駅から電話で荷物を取りに来るよう連絡をしてくることも増えていた。僕が行くときは歩いて行って、駅からの登り坂を母の自転車を転がし母としゃべりながら帰ってくるようにしていたが、父が行くときには原付を駆って荷物だけを受け取って帰ってきた。

「自転車を持って欲しいと思って連絡してるのに気の利かん人や、誰のために働いてると思ってんのやろ?」

 母はしばしばぼやくようになっていた。

 母が祖母の店で、かなり嫌な思いをしていることはほぼ間違いなかった。


   18

 土地は、決して値崩れしない。従って土地は唯一絶対の信頼置ける投資対象。誰もがそう信じて、土地を扱う会社がボロ儲けし、そして連日記録的な高い株価を更新し続けることで、そういう株に投資している人たちもまたボロ儲けした。そんな異常な時代があったことが、あとから考えれば信じられない。

 しかし、僕はこう思う。たとえ「誰も彼もが儲けられる時代」であっても、世の中のひとり残らずが同じように儲けるなどということはあり得ない。一万人に一人であっても、やっぱり他の人の儲けになるために食い散らかされる人間はいる。ヌルいやつ、ニブいやつはやっぱり食い散らかされる側の人間なんだ。そして、僕の両親がどっち側の人間かというのは、もはや言う必要もないだろう。

 僕は奨学金をもらうことができた。奨学金は私学と公立で額が違う。僕は私学の方の奨学金を得たが、授業料は半額免除だから差し引きしたらいくらか手元に残るということになった。それは、将来の大学へ向けての貯金ということに、否応なしになったけど。

 僕のクラスは、全員で34人。多分、その中で一番「食い散らかされる側」の親を持っていたのが僕だと思う。このころ、うちの貧乏は輪をかけてひどくなっていた。列車で通学するので、当然定期代がいる。その定期代をくれ、と言うというそのことが、まるで僕にとって毎月やってくる断罪のようなことになっていた。だいたい、高校生が自由に使える金額が月額たったの2千円というのはひどいと思わないだろうか。ウィークデーは週5日として、弁当のあとのドリンクを買うのさえ、ひと月程度買うのもままならない。

 クラス中が競うように高い時計をつけ、有名メーカーのシューズを履いて通学している中で、僕は下手したらコンビニにでも売っていそうな一番安物の時計をして、ホームセンターに行けば一番安く買えるようなデッキシューズを履いて通学していた。体育の授業がある日だけは一応スニーカーに出世したけど。そしてその下に履いてる靴下も継ぎ接ぎを当ててあるようなのを履いてた。

 どういうわけか僕のことを気に入ってくれて、高校生になって最初に向こうから声をかけてくれて友達になった山本くんは、クラスで一番北の方から来ていた生徒だったけど、元は農家で土地を持っているというこの時期一番金持ちだった層だ。だから、時計は高級品、靴ももちろん有名メーカーの最新型を常に履いていた。この山本くんに、僕は最初冗談のつもりで食後のドリンクをおごってくれと言った。そうしたら山本くんは何の抵抗もなく僕におごってくれた。僕は結局この山本くんに高校3年間ずっとドリンクを(たか)り続けることになる。貧すりゃ鈍するだな。ありがとう山本くん。

 一方で僕の家だ。とにかく家を手放さないためなら修羅のごとく。正直、父にはそんなに家に対するこだわりはなかったと思う。先にも話したが、結婚するときには6畳一間のアパートに平気で嫁を迎え入れた人だし、子供ができるに当たって住み替えた先も和室が二間の平屋の借家だ。大規模開発で土地の買い上げになって、絶好の機会とばかりに母が頑張って持ち家の主になったわけだけど、生活に困っているのに家を売らない心理ってなんなんだろうな。

 で、あとから考えればうちの両親は祖母から限りなくお恵みに近い「借金」をしてなんとか生活を維持している状況で完全に頭が上がらなかったんだと思う。だからこのころどんどん惚けてきて、勝ち気以外のものをどんどん失っていた祖母に、母は言われ放題罵られ放題だったんではないか。毎日母は店の手伝いに行っていたし、祖母から見たら母に対して「片付き先を見つける」という一生分の恩がかけてあるんだということになっていたんだろう。だから当然祖母からの攻撃を一番受けていたのは母で、毎日毎日ピリピリしていた。夫婦喧嘩も増えていた。

 こう言うと母だけがつらい思いをしているみたいだが、このころ母は僕に対しても父に対しても到底納得できないことをしばしば要求した。

「何でそこでごちゃごちゃ言うねん! 『はい』言うたらそんでええのや!」

 それに反論するとこういう罵声を上げることも少なくなかった。多分、同じような罵声を店で毎日のように受けていたんだろう。

 こんな家庭を僕が好きであったと思う人はまさかいないだろう。僕は家が嫌でしょうがなかった。そんな僕にとってささやかな僕だけの空間が、家で一番日当たりが悪くて一番狭い僕の部屋だった。逆に言うと、そこにいれば僕の安寧は保証されていた。罵り合いが聞こえてる間は、僕の部屋に向かって来てはいないということがわかるから。

 いつものようにネリーを部屋の中に出し、ふわふわ漂わせながら僕はネリーに話しかけた。

「人間って嫌だね、ネリー。なんで夫婦になんかなるんだろね。誰もが好きに異性とくっついて、好きに子供作って、子供を国か何かに預けたらいい、という制度の方が、子供作る人は増えるんじゃないかね。一生涯喧嘩する相手なんか、僕なら絶対欲しくないよ」

 ネリーを前にすると、僕はやっぱり愚痴ってしまう。駅で見かけるブロンドのストレートヘアがきれいなあの女の子と仮に将来結婚できたとして、楽しいのは数年なのかな。

「ネリーって、同じような生き物をいままで見たことがないけど、彼女とか作ったり結婚したり、そういうことってあるのか?」

 いままで何度か抱いたそういう疑問をネリーにまたたずねてみたが、ネリーは相変わらず自身良くわかっていないようだった。

 ネリーについてはわからないことだらけだった。ゴルフボールに扮して僕の元に帰ってきてくれて以来、僕の前で「食べる」という行為をしたことは1回もないけれど、以前のような急速成長ではないにせよネリーは少しづつ大きくなっていたのは間違いない。なぜだろう?

「昔してくれたみたいに、僕を空の散歩に連れて行ったり、そういうことはできるの?」

 これはわかるんじゃないかと思ったから訊いてみたが、予想どおりやや残念そうに首を横に振った。

「そうか、じゃあ、今度は僕がネリーを空中散歩に招待しないとね。高校出て、大学に行ったらそこそこバイトもできるだろうし、お金を貯めてね。人間は飛行機っていうのに乗らないと空を飛べないけど、飛行機から見る景色もそれなりにいいと聞くよ。森だから北海道かな。札幌じゃなくてもっと辺鄙なところにある空港に行くやつ。外国ならカナダかなあ」

 そう言うとネリーは、僕のCDラジカセの上に降り立って、ナイトメアズ・イン・ワックスのCDを腕で指し示した。

「ああ、イギリス? そうだねえいつか行ってみたいね。でも、世界で最初に近代化した国だから、森っていうイメージはあんまりないなあ。いずれにせよ、大学に入ってある程度単位取って、卒業できる目処がついてからの話かな」

 僕にとってイギリスはあまりに遠かった。そして、その遠さゆえに、このころの僕にとって「閉塞した日常から出たらそこにある場所」の象徴がイギリスだった。

(いつか……行ける日が来るのかな)

 考えてみれば、このころからぼんやりと「どうやったらイギリスに行けるか」を模索しはじめたような気がする。やっぱり、ネリーの存在は僕にとって大きかった。

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