連載第三回
9
ある日僕は、担任であり国語担当のオバチャン先生から、放課後残るように言われた。放課後になり、僕は担任と美術準備室に入り、机を挟んで向かい合わせに座った。
「少し元気がないように見えるんやけど、虐められたりはしてへんな?」
まぁ、確かにそのときはまだ明確な「虐め」ではなかったと思うよ。僕も。
「ええ、大丈夫ですよ。そんなことありません」
「さっきん、5時間目の国語の時間、ちょっと顔色が悪いように思たんやけど、体の調子がおかしかったんか?」
「ああ、ええと……」
僕は言い訳を頭の中で探した。
「今日はちょっと、弁当が頼りなくて。ただお腹が減るんじゃなくて、血糖値が下がってるとき特有の冷や汗の出るような空腹感ってありますよね。そういう状態だったんです」
「ほんまか? それならええんやけど……いま、学校は楽しいか?」
この担任は、善意の塊のような人だ。みんなで明るく楽しく。それがモットーであるらしく、授業はやたらテンション高いし、しばしば冗談を言って生徒を笑わせている。だけど僕みたいな存在を生徒の輪の中に突っ込もうとする言動だけは本当にやめて欲しい。僕も、他の生徒たちも、それを望んでいないと思う。僕にはありがた迷惑以外の何物でもなかった。
だがここでそのことを主張したところで、何十年とそのポリシーで教師生活を送ってきたこういう人には届くことはないだろうし、そういう考え方自体間違っていると説教を食らう可能性だって少なくないように思えた。だから僕は、精一杯の笑顔を作って答えた。
「心配いりませんって。僕は十分楽しくやってます」
「ほな、いま一番仲ええのは誰や?」
こう来るとは思わなかった。だが僕にだって咄嗟に反応するぐらいの頭はある。
「一番って言われたら難しいですけど、徳山くんとか、野川くんとか、黒崎くんだと思います」
この3人がとっさに思い浮かんだのは、この3人が一番頻繁に「珍獣をつついてその反応を見て嗤う」行動をする3人だったからだ。僕に話しかけて笑っている彼らの行動は、端から見れば会話を楽しんでいる仲良しのように見えなくもないだろう。
「そうか。ほなら、私からももっと仲良くしてくれるようにその3人に言うておくわな」
お好きにどうぞ。何があっても、僕の立場は悪くなりこそすれ良くなることはあり得ない。だから僕を早く解放してくれ。僕にとっての本当の友達、ネリーのところへ早く帰してくれ。正直イライラしてたが、僕はそのあとしばらく偽りの「楽しい中学校生活」について話をした。
帰り道、僕は乏しいお小遣いを銀行から引き出して、炭酸飲料の大瓶を1本とスナック菓子をたくさん買った。憂さ晴らしに、母が僕にあまり食べさせたがらないそういうものを、ネリーと一緒に楽しく食べたかったから。
このときネリーは、もう僕の身長と拳ひとつ分ぐらいしか違わなくなっていた。スナック菓子を食べる早さも尋常ではなかった。ああいうジャンクな食べ物の味というのはたまに食べるとすごく美味しい。ネリーも美味しいと思ってくれたようで、ずいぶんはしゃいでた。
炭酸飲料の方は、グラスに入っていて泡が出ていてピチピチと音をさせているのをしばらくじーっと、たぶん見ていたし聞いていたんだと思う。僕の促しで一気に口の中に流し込んだネリーは、びっくりしてのけぞった。首の辺りを押さえてしばらくもだえていた。そのあと、首を激しく横に振った。ダメだったんだな。僕が飲もうとしたときも、僕の手を押さえて何回も首を横に振った。
「僕は慣れてるから、大丈夫なんだよ」
僕はネリーにそう言って、結局大瓶1本をほとんど自分で消費した。スナック菓子も炭酸飲料もなくなったら、僕は近所の公園に行ってそこのゴミ箱に捨てた。この公園にある直径1メートルあまりの土管は近所の子供たちの秘密基地になっていて、ゴミ箱にはしばしばそういうお菓子やジュースのゴミが捨てられていたから、誰も僕が捨てたとは思わないだろう。
その日以降、徳山、野川、黒崎を中心にクラスの連中の僕に対する態度が変わった。もちろん、悪い方に。
わかりやすいのは徳山だ。ハッキリ言ってこいつは野生の猿だ。僕の目の前まで寸止めのパンチを放っておいて、それに対する反応を見て「運動神経悪いな」などと僕を嘲った。文化祭の合唱コンクールに向けての練習を音楽の時間にやっているときも、ひとりだけひな壇に立たずに音楽室をうろつき回っていた。まずこの状況を許している教師が信じられない。そして徳山は、僕が持っている音楽の教科書を手から弾き飛ばして露骨に挑発してきた。
これには僕もさすがにキレてしまい、音楽の時間は普通に過ごしたがチャイムが鳴ると同時に徳山に殴りかかった。
「なんやコラ。いきってたらいてまうど」
徳山はそう言った。
「上等だよ、やってみろ」
僕はそう応じた。
僕らふたりはクラスの連中によって無理矢理引き剥がされ、次の授業の時間にまで食い込んで担任、音楽担当教師のふたりに事情聴取を受けることになった。
「そこで、上等だ、やってみろと言うたんやな。こんなことは、絶対言うたらあかん。もう、こんなことにはならんことにしぃや」
ふたりの教師からそう言われた。偽善者め。お前たちの考えていることは「どうやったら喧嘩にならないか」ではなく「どうやったら自分たちが喧嘩を止められなかったという失点をしないか」だろうが。違うというのならば質問があります。だったら僕はどうしたらよかったんですか? この猿のやりたいがままに、大人しくいじられているのが僕の役目なんですか? もちろん、口には出して言わなかった。とにかく、ネリーのために僕は「平穏無事な学校生活を送っている中学生」を演じなければいけないのだ。
その夜、徳山の母親から電話があった。徳山は母子家庭で、私がちゃんと躾けられなかったばかりに本当にごめんなさいと何度も謝った。僕はもう、そのときには演じる自分に戻っていた。こういうときにいい子を気取るための決め台詞がある。
「もういいんです。僕にも悪かったところがあると思いますし」
本当は糞味噌に罵ってやりたかったが、残念ながら罵倒用語に関してはこっちの方言の方がずっとボキャブラリーが豊富なんだな。
野川と黒崎はもっと陰湿だった。そのころ僕は教室で目の前がストーブの席に座っていたが、4つほど後ろが黒崎、その隣が野川だった。ふたりで授業中に話し合い、わざと後ろから机をちょっとづつ詰めてくるのが丸わかりだった。結局、僕は机をストーブに接して授業を受けることになったのだが、そのあと「あいつ真っ赤になっとんねん。アホちゃうか」などと、他のクラスの仲間とともに笑っていたのを僕が知らないとでも思っているのだろうか。
虐めたいなら、もっと正々堂々と虐めてみろ。殴って蹴って、そして金を巻き上げてみろ。虐めるくせにそこまでやる覚悟もないのか。内心そう思っていたが、全国的に見ても世間的なイメージが「上品」だとか「はんなり」だとかいう一方で「陰湿」というイメージもついて回るのがこの辺りだった。よそ者は、何十年住もうがよそ者なのがこの土地なんだ。僕がこの街を拒絶しているんじゃない、この街が僕を拒絶しているんだ。
年末になった。祖母の飲食店は観光名所の門前商店街の中にあるので、年末年始は終夜営業をしていた。当然、母はかり出されており、僕と父は年末年始を作り置きのおかずで過ごすことになった。世間的にも連日昼間から酒を呷ることが許される数日間だ。父はここぞとばかりに強くてまずい安酒を用意して、連日酩酊状態だった。僕にとってはその方が都合が良かった。何と言っても、父が潰れている間にネリーと遊ぶ時間ができる。また、この数日間というのは朝起きて夜寝るという「正常な」生活リズムを保つことをやめても許される数日間でもある。さらに、割と簡単にエネルギーを摂れる食べ物、すなわち餅が大量にある期間でもある。
うちの家の居間に入るためのドアは、ちょっと大きく高さ2メートルに作ってある。けど、このときネリーはもうそこに頭をぶつけるんじゃないかと思うくらい大きくなっていた。そして餅を食べさせている数日間で、明らかに背が高くなったのがわかった。
世間が寝静まった深夜というか早朝と言った方がいい時間に、僕はネリーと一緒に庭に出てみた。誰に見つかっても不思議ではないこんな状況の中にネリーと一緒に立っていることが僕にはとても不思議に思えて、そして、とてもエキサイティングだった。僕らは空を見上げた。
「冬は空気が澄むねえ、ネリー」
そう言葉をかけると、ネリーも上を向いたまま首を縦に振った。
「なんか星に手が届きそうだよ。実際手が届いたらいいだろうな」
何の気なしに僕はそう言って空に向かって手を伸ばした。そうしたらネリーはこっちを向いて、自分の胸をトントンと2回叩いた。何が言いたいのかな「任せろ」?
ネリーは僕を抱きかかえると、体を伸ばして僕をすっぽり包み込んだ。そういえば、こいつは変形自在の存在だったんだ。いつもは人間型だから時々そのことを忘れそうになる。そのあと、ネリーはそのまま空に飛び立った。そうだ、これも忘れていた。どういう原理かよくわからないが、ネリーは空が飛べたんだった。いままで1メートル前後の高さを行き来していただけだから僕は知らなかったが、このころネリーはもう空を自在に飛べるようになっていた。
頬に当たる空気の冷たさに対して自分の顔が発熱していて、たぶん赤くなっているだろうことを自覚しながら、僕は久しぶりに大興奮していた。もっと飛ぼうよ、もっと上に行こうよ、そう言うとネリーはリクエストに応えてくれた。僕が住む街がどんどん小さくなっていった。あんな小さなところで、虫けらみたいに這いつくばって、踏みにじられて。でも僕はいま、それをとても小さいものとして見ることのできる場所にいる。身の回りの大人が誰ひとり口にすることすらなかった「クリスマスプレゼント」。数日間遅れて、僕はネリーからそれをもらった。やっぱり、いま心を通わせることができる相手は、ネリーだけだ。
久しぶりに、僕は何もかも忘れて楽しむことができた。
10
この中学には、いわゆる修学旅行というものがない。2年生の終わり近くに行われる信州へのスキー旅行が修学旅行の代わりだ。僕みたいな立場に置かれたことがある人にはわかると思うが、こういう旅行とグループ行動を伴うものが一番憂鬱だ。どのグループに入るのだって「お情けで」入れてもらうだけの話になるし、そんなグループで行動したところで楽しいわけがない。僕は結局、数あわせで2グループのうちのひとつに入ることになった。徳山や野川や黒崎がいない方のグループだったことだけがなんとか救いだ。
ただホテルでのグループ分けとスキーでは違う。野川や黒崎は家がそこそこ金持ちだし、運動神経がいい連中だということもあり、中級者以上のグループにいた。僕はスキー場に行くことはそり遊びしかできなかった子供のころ以来だしスキーもやったことはない。だから僕たちは初心者グループになった。このグループで僕は「仲良し」の3人の中では徳山とだけは一緒だった。母子家庭でこいつも貧乏なんだろうな。だからって親近感を持つ気なんかさらさらないけど。
スキー教室初日、僕は初めてスキーを履いた。インストラクターたちはジョークを交えた挨拶をして、みんなの笑いを取った。この辺りでスキー関係の仕事に従事する人は、多くが関東からの季節労働らしい。まぁスキーができないんであればこの辺なんてたぶん見るものないだろうしな。でも久しぶりに聞く関東言葉に、僕はそれだけでワクワクするものを感じていた。
インストラクターの中で、誰が見ても一番ベテランで、スキーウェアが一番似合ってて、それゆえにかっこいいお兄さんが、僕ら初心者グループの担当だった。
まずは正しい転び方に始まり、平地の歩き方。斜面の上り方。歩いて上れる範囲の距離を何回かボーゲンで滑り降りたら、次はリフトに乗る。リフトの乗り方にも色々とコツがあるようで、インストラクターは丁寧に教えてくれた。スキー場で一番緩い斜面をトロトロと滑り降りてくるだけだったが、それでも僕は生まれて初めてスキーで滑って、それなりに興奮したことは認めざるを得ない。
けど、何かするたびに勝手な行動をして、僕らのスキー教室の邪魔をしたのが徳山だった。インストラクターは、そのたびにこらこら、危ないよと言っていたが、午後の時間も半分を過ぎたころになって、インストラクターはついにキレた。
「いい加減にしろよお前ら!」
インストラクターは怒声を上げた。
「さっきから言うこと聞かねぇと危ねぇっつってるのがわかんねぇのかよ! お前ら動物か!?」
お兄さんはそれ以上のことを言いたいのをぐっとこらえていたのがよくわかった。しばらく、僕らとは違う方向の地面を見つめていた。
「いいか、これから言うこと聞かなかったら扱い変えるからな。覚悟しとけよ。特にお前だ!」
そう言ってストックでまっすぐ徳山を指した。まるでヨーロッパの貴族が決闘を申し込んだ相手にレイピアを向けているようで、僕にはすごくかっこよく見えた。と同時に、やっぱりどんな人間であっても、徳山みたいなやつはウザいんだなと納得した。
そんなこんなで1日目のスキー教室は終わりを迎えた。風呂に入って寝る時間。たまたま、僕は担任と顔が合ってしまい、クラス副委員の男子を呼んでくるように頼まれた。野川や黒崎のいるグループにいるやつだ。仕方ないので僕は連中のいる部屋へ行き、いるかどうかたずねた。ちょっと前に部屋から出て行って、誰もどこに行ったか知らないということだった。僕はどうしようかな、とちょっと考えた。それだけの仕草なのに、野川からヤジが飛んだ。
「怒ることないやん!」
黒崎が乗っかった。
「こいつ、すぐ怒りよるやろ! うっとしいわ」
悪いけど、お前らの挑発に乗るほど馬鹿ではないしヒマでもないんだよ。いませんでしたと報告したら僕の役目は終わりだろう。そう担任に言いに行ったら、副委員は既にそこにいた。
修学旅行のたぐいでは、就寝時間になっても眠らずに遊ぶことこそが、生徒側から見たらむしろメインイベントだろう。だけど、野川や黒崎ほど嫌な連中ではないにせよ、僕はこいつらともつるむ気は一切ないので、早々に寝てしまったふりをした。狸寝入りの中「こんな簡単に眠れるやつうらやましいね!」という声を聞きつつ、頭の中は、ネリーはどうしているだろう、そればかりが駆け巡っていた。
そんな周りの連中も眠ってしまって、僕も本格的に眠りに入ったころ、僕は鼻の辺りを触られる感覚で目が覚めた。なんだ? 誰かがまた僕に嫌がらせをしてるのか? そう思って目を開けると、そこにいたのは身長5センチほどのネリーだった。僕には全く訳がわからなかった。声を潜めて、ネリーに訊いた。
「お前、どうやって……ってか、なんでそんな小さく……いったい、なんなんだ?」
僕は何をどう訊いていいのかわからなかったが、ネリーはとにかく、おいでおいでをしていた。ついて行くと、ホテルの1階にある従業員用のトイレが盲点になっていて、その窓から僕は外へ脱出することができた。このスキー場はナイターはやってなかった。もう照明も落とされて、月明かりと、それを跳ね返している雪明かりだけに照らされて、本来の大きさの、このころもうハッキリと2メートルを超えていたが、そのネリーが体育座りをしていた。小さいネリーは、飛び上がって大きいネリーの胸あたりにへばりつくと、そのまま溶けて中に入り込むようにいなくなった。そうすると、大きいネリーの方が動き出した。僕は事態が飲み込めた。
「つまり、小さい自分の分身だけを作って、僕の荷物のどこかに隠れていて、場所がわかったら本体に戻って、家を抜け出してここまで飛んできたんだね?」
ネリーは大きく2回頷いた。僕はすっかり嬉しくなった。
「あっはは! こんなことになるなんて! 嬉しいよ、これからが僕のメインイベントだ! 一緒に遊ぼう、ネリー!」
月明かりと雪明かりの、誰もいないゲレンデで、僕らは遊びはじめた。パウダースノーというのか、握っても固まらないので、雪合戦とか雪だるま作りなんかはできなかったが、単純にゲレンデを走り回っているだけで、十分楽しかった。転んだらネリーが起こしてくれるし、一番下まで来てしまったら、ネリーが頂上まで連れて行ってくれた。そしてまた、このあいだと同じようにネリーは僕を抱きかかえて空を飛んで、雪山の絶景を僕に見せてくれた。
遊んでいる途中、僕はくしゃみをした。よく考えたらここは夜の雪山なんだ。寒くないはずがない。だが僕は思いついてしまった。ネリーは僕の体を包むからこっちにおいでと言っているように見えたが、僕は答えた。
「いや、これでいいんだよ、ネリー。むしろ、こうしよう」
寝間着代わりに着ているジャージの上を脱ぎ体操着1枚になって、上を腰に結びつけた。
「さあ、遊びの続きだ!」
こうして僕らは一晩中遊び、夜が明ける前にネリーは帰っていった。翌日。スキー旅行2日目。僕は目論見どおり、発熱した。他の生徒から隔絶されて、帰りまで別室で寝かされるぐらいのことを想定していたが、熱は予想以上に高く、僕は持って行ったありったけの服を着て、急遽特急のチケットを取って学年主任に付き添われて家まで送られることになった。家では知らせを受けて母がその日は店の手伝いに行かずに待っていた。
「せっかくの思い出作りやのに……ついてないな、あんたも」
うん、僕も自分で、とんでもなく運の悪い人間だと思う。特に、あなたたちの子供として生まれてしまったことが。そう思ったが、それは言わなかった。
「本格的に雪山って子供のころ以来だったからね……ちょっときつかったみたい」
(あんたらに僕をスキーに連れて行くほどの甲斐性もなかったせいだよ)
そういう皮肉を僕なりに込めたつもりだったが、気付かれることはなかった。
わざと起こしたにわかの発熱だったから、熱はすぐに下がった。だが母は3日間にわたって僕をお粥漬けにした。毎日、作り置きのお粥を食べた。そんな状態でも、昼間をありったけネリーと楽しめたし、スキー旅行でのダメージは最小限に抑えたし、僕はとても満足していた。
11
こっちに引っ越してきて以来、ほとんど楽しいことがなかった長い長い日々も、ようやく1年に届こうとしていた。父は相変わらず職を転々としていたが、生活が苦しく母がそれを祖母に訴えたところ、昼間仕事して夜手伝いに来いと言われた。独身の時、経理の経験が長かった母は割と簡単に事務の仕事を見つけてきた。
このころ、家の経済はますますピンチなのは何も言われなくてもわかった。まず母が、牛乳だって安くないのだから冷やしたお茶を飲みなさい、と言うようになった。牛乳を常に用意しておくことが意地だった母が、その牛乳をケチるようになってきたわけだ。
そして、僕だって服を毎日着ていればその服は当然傷んでくる。だが、買ってもらえることは一切なかった。電車で行けば1時間そこそこで行ける範囲に、母の兄弟姉妹がいて、だから僕の従兄弟たちが近所には数多い。従兄弟の中では僕は下の方の年齢で、つまり年上の従兄がかなりたくさんいることになる。僕は親戚を回ってお古を貰ってきなさいと言われた。
一応、そういうことだから古いのがあったら分けてやって、と事前に連絡をしておいてはくれたが、こんにちは服下さい、ありがとうございますさようなら、で済むような親戚ではない。手土産を持って行く必要なんかはないにせよ、しばらくはその家にお邪魔して「いい甥っ子」を演じて見せなければ、教育がなってないと陰で言われて母が恥をかくという、母の兄弟姉妹はそういう関係なのだ。母は兄弟姉妹に自分のへまを指摘される、母の表現を使えば「ドンを突かれる」ことを何より嫌う。それを避けるためだったら自分が嫌な思いをすることは我慢するのが正しいと思っているのが僕の両親だ。要するに僕は愛想笑いを浮かべて「どうぞよかったら恵んでやって下せぇませんか」と乞食をやってこいと言われたわけだ。
そんな中でも、一番気位が高くて、ある意味一番この街らしい伯母さんの家には、僕より4歳上のお兄さんがいる。そこはお父さん(つまり僕から見て伯父さん)が長身だからだろう、ずんぐりむっくりな伯母さん以外は全員背が高くてすらっとしている。成長期の僕にちょうどいいだろうと言われ、お兄さんのお下がりを貰いに行った。それなりに、うまく相手をして適当なところで帰ってきたように思う。だが、遅く帰ってきてその時間にお礼の電話を改めて入れた母は「帰ったらすぐに帰りましたって電話ささなあかんえ」と見事に「ドンを突かれた」らしい。その夜、僕はまた母から叱責という名の罵倒を浴びることになった。
そういうわけで着るものがないというわびしい事態はとりあえず回避することができたわけだが、数年前の最先端だ。ハッキリ言って、ダサい。僕はますます家を出るのが嫌になった。
そんな日々を過ごす中で、僕はある日テレビで衝撃に出会った。別に誰を目的ともしないで、なんとなく音楽番組を見ていたときのことだ。世界中でヒットしている曲を歌っているバンドが、イギリスから「外国からのゲスト」として招かれていて、いくらかの会話を通訳を介して司会者と行ったあと、パフォーマンスを披露した。ヴォーカルはすらりとした男だった。端整な顔立ちに長髪、体つきからは想像もできない野太い声で歌いながら、ダンサーとともに彼はとんでもなく「いかがわしい」パフォーマンスをして見せた。
僕にはない、僕が憧れているものが全てそこにあった。美貌、カリスマ、既成の秩序を蹴っ飛ばすだけのエネルギー。僕はあっという間に夢中になった。バンド名はナイトメアズ・イン・ワックス。直訳すると「蝋の中の悪夢」と訳すしかないが、動作主体にとっての「意のままに操れるもの」を象徴するのがこのワックスという物質だ。また、動詞としては「月が満ちる」という意味もある。月というのは、英語圏では「狂気」を強く示唆する言葉でもある。また、イギリス英語の俗語では、名詞として「突発的な怒り」ということも意味する。わずか3単語のバンド名に、これだけのいろいろな含みを持たせる言語センス。彼は天才ではないか。
僕は翌日には一番近所のレンタルビデオ・CD屋の会員カードを作り、ナイトメアズ・イン・ワックスのCDを借りていた。一番最近のものということで借りたのが、彼らの来日公演を記念して日本ライブツアーに日本限定先行発売でぶつけてきたCDだった。それを借りてきて聴きながら、僕はそのCDについている解説冊子を読んだ。彼の名前は、ティム・オニール。ときめいた相手がいたらすぐに行動に移すタイプで、その相手が美しいと思ったら彼の前では相手が男性であるか女性であるかはどうでもいいことだそうだ。ますます自由奔放で、そしていかがわしい。何より、そこに載っていた写真は、女性の中に混ぜてもトップクラスに余裕で入るだろうというぐらいに美しかった。僕は返すときにレンタル店のお兄さんにCDを買うならどこがいいかと質問した。外国の音楽が好きなら、ということでお兄さんは輸入CDを扱う店を教えてくれた。電車で街中まで出なければいけなかったが、僕はそんなことものともしないレベルにまで熱くなっていた。
よく考えたら、このCDは日本限定発売で、輸入CDの専門店に行っても売っているはずはなかった。だから最終的には帰るときに電車に乗るターミナル駅の駅ビルで買ったんだが、そこまで行ったことは無駄ではなかった。そのCD販売チェーンの本国アメリカで発行されているものをそのまま持って来ているだけでもちろん英語だったが、PR誌がフリーペーパーとして置かれていて、それがナイトメアズ・イン・ワックス特集だったのだ。
辞書と首っ引きにしながら、僕はティムについていろんなことを知った。フルネームはティモシー・ジョゼッピ・オニール。オニールというのはアイルランド系の名前で、つまりそれはイングランドの中では少数派であることを意味する。ジョゼッピというあまり耳慣れないミドルネームは、彼のお母さんがユダヤ系ドイツ人であることによるものだそうだ。つまり彼は、2つの意味で「よそ者」の血を受け継いでいるわけだ。
彼は第2次大戦中に、ユダヤ人という理由でドイツ国内では迫害されていたためオーストリアに逃げていた母親を、そこに出征したイギリス軍の軍人であった父親が見初めて、自分の街リヴァプールに連れて帰って結婚したことによって誕生した。でも英語の話せない全くのよそ者でしかもユダヤ人ということで、お母さんは孤立したらしい。アルコールに溺れてしまい、勤勉な労働者であったお父さんはそれが許せずに家庭放棄状態だった。上の子供、お兄さんだそうだが、11歳も離れてティムが誕生。気がつけばティムは幼いころからお母さんに食料や生活物資を届ける役目を引き受けていた。だから子供のころはドイツ語の方が流暢だったそうだ。
お兄さんの影響でビートルズなど自国のミュージシャンについて基礎は押さえていたティムだったが、あこがれの相手はアメリカの美人歌手や美人女優で、僕と同じぐらいの歳にはもう化粧をして、いろんな男女と浮き名を流して学校で孤立したそうだ。結局、14歳(!)で学校を中退してロンドンに出る。そして飛び込みで仕事を探し、美容院に職を得て働き始める。そこでの先輩の女性のパンクなファッションに衝撃を受けて、自身そういうファッションに身を包むようになるとともに音楽活動を始める。だから、ティムのバンドは昔はパンクバンドという位置づけだったそうだ。同時期にその先輩の女性と結婚。さらにバンドのドラムス担当のトムとも同性愛関係にあり、3人でひとつのフラットで生活を送っているそうだ。
英語を読むことにここまで本気を出せたのは生まれて初めてだったが、それよりも何よりもティムのこの自由奔放さ。飛び出すことばかり夢見ながら、結局は生きるために「カゴの中の鳥」を演じている僕とは正反対で、そして力強く思えた。ここまで力強く自分を貫いた結果、彼はイギリスのヒット曲請負人であるプロデューサートリオのサンズ/アディソン/ウィーヴァーに見いだされ、ダンスバンドとして大成功してこうして世界中を飛び回っている。まさに夢を叶えて世界でスーパースターになったシンデレラボーイということになる。
ティムの過去は、そのお母さんの過去も含めて僕の現在に重なって見えて、そしてティムの現在は僕がもう諦めかけていた自由を体現してくれているように思えた。
CDを買ってはいたが、実は僕はこのときプレーヤーを持っていなかった。従弟の中では一番気の許せる、しかも家も近い子にテープにダビングしてもらっていた。
僕はお小遣いからCDラジカセを買いたいと、親に訴えた。CDというのは何なのか、母には全く見当がつかないらしかった。わからないものはとりあえず「怪しい」と考えるのが僕の母の特徴だ。「正常」の範囲が時代ズレしてる上に極めて狭いから。そして父は何のポリシーも持たないので、母がOK出さないのだったら父は首を縦に振るはずがない。いろんな方面から説明を試みたが、ごく簡単に言えば「最新型のレコードプレーヤーだよ!」と言ってようやく理解を得た。母が高校時代に修学旅行に手巻き式のレコードプレーヤーを持って来た友達がいて、その子が持って来たレコードに合わせて夜中に盆踊りを踊って「早く寝ろ」と先生に叱られた経験が母にはあるらしい。それに引き合わせてやっと理解ができたらしかった。
ここまで疑り深いくせに、詐欺にはコロッと引っかかるのだからいったい何のために疑っているのやら。いや、逆にそういう性格だからこそ騙しやすいのかもな。雑談に見せかけながら修学旅行に話を持っていき、この夜中の盆踊りの話が出たところで「いいですねえ。私もやりましたよ」などと言って踊って見せれば、母は「この人は自分と近い人」と考えあっという間に全幅の信頼を置いてしまうだろう。詐欺師の皆様、ネギ背負った鴨がここにいますよ。
ともあれ、僕は持ち運びを全く考慮しない、ラジカセとしては大きすぎるぐらいの品をお小遣いをはたいて購入し、自室で音楽を楽しむことができるようになった。このとき、ナイトメアズ・イン・ワックスはもう買ってあった日本限定アルバムも含めて4枚のアルバムを出していた。これらのアルバムをすべて買い、そこからもいろんな知識を得た。
そんなあれこれを話せる相手がひとりだけいる。もちろんネリーのことだ。このころもう僕の狭い部屋にいると型に押し込まれた紙粘土みたいな状態だったが、ネリーは僕の話をよく聞いてくれ、音楽にも一緒にノッてくれた。僕はどんどんナイトメアズ・イン・ワックスに魅せられ、そしてそんな彼らを生み出した異郷の土地イギリスへも憧れを募らせるようになっていた。
中央図書館と呼ばれている図書館がある。昔はなかったそうだが、この辺りが大規模に造成されてあちこちに新興住宅地ができはじめたころ、その中に設けられた市の文化センターの中だ。僕の家がある住宅地からは直線距離で言うと一番近いところにある住宅地なんだが、Yの字型に分かれている山越えの道沿いを開発して作られた宅地同士だから、僕の家からはいったん宅地の入り口に当たるところまで下りて、また上り坂を延々行ったところにその建物はあった。遠回りになるので僕は山越えで図書館に行くようになっていた。僕の家と文化センターを隔てる森に、人目を潜ってネリーと一緒に入り込む。年末の夜以来僕らは少し大胆になっていた。
森にさえ入ってしまえば、そこはネリーのひとり舞台だ。家の中にいるときよりもはるかに自由にはるかに素早く行動する。森の中だから、気象状況によっては土がぬかるんでいる場合も当然ある。どうやってそういう情報を得ているのか全くわからなかったが、ネリーは森の中をもっとも安全に行ける道そのものになってくれた。そしてネリーを森の中に隠したまま僕は図書館に行き、イギリスに関する本を借りてきた。その間に、ネリーはちゃんと森の中にその日の秘密基地を見つけておいてくれた。その森の中で、その日一番安全でくつろげる場所。時には、おやつまでついていた。食べられる木の実がある場合、ネリーはそこを用意しておいてくれたのだ。そこで僕たちは肩を寄せ合うようにイギリスに関する本を読んで、僕がいろんなことを言うとネリーは一生懸命聞いてくれた。
そんなことをしながらやっぱり早川さんのことを思い出さなかったわけではないけど、以前みたいに寂しくてどうしようもないという気分にはならなかった。なりたい職業という意味ではないけど、僕はふたつめの夢を見つけた。イギリスに行ってみたい。それも旅行じゃなくて、ある程度の期間そこに根ざして生活してみたい。これを早川さんに伝えたら何と言うかな。きっと何か、思いも寄らない方向から茶化してくると思う。そのときのいたずらっぽい笑いも、本当に目の前にいるみたいにありありと想像できた。そんな考えも僕は全部ネリーに話した。
もうすぐ、1年になるんだな。
ちょうどそのころ、CDをダビングしてくれる従弟のお母さん、僕から見て伯母さんからうちの母にひとつの連絡が入っていた。
「あんた、来年の今ごろは受験やな」
ある日、母はそう切り出してきた。
「こんな塾があって、ええらしいんやけど、一度話だけなと聞きに行って見ぃひんか?」
手作り感ありありのそのチラシには「名聖舎」という塾の名前と、その塾長のプロフィールが書いてあった。それには塾長の出身大学は「名古屋大学(旧・名古屋帝国大学)」とあった。帝国大学の時代に通っていたわけでもないだろうに、わざわざ旧帝国大学を入れている。その時点で僕はもういけ好かない感じを持っていた。




