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ネリーのいない空  作者: 武良 保紀
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連載第十三回

   43

 一応、言い訳させて欲しい。

 このころ僕は、怠けまくっていたわけじゃないんだ。さすがに日々の学費を、高校に行っていてバイト禁止ってわけでもないのに全部親持ちは申し訳なかったしそれで親が僕に対してマウントポジション取った気になって勝ち誇られるのも嫌だった。それに高校を卒業した以上、浪人という事情は考慮されずに奨学金の返還義務が課されることでもあった。

 だから僕は、このころ人生初のアルバイトを経験していた。時間が短くて、勉強時間が取れて、こんな田舎にも仕事があって、さらに給料がそこそこいい仕事。それが新聞配達だった。フルタイム働いている人は2時に販売店に集まってまずは広告の折り込み作業をやる。そして複数の会社の新聞を配ってる(だから他社の店より給料が良かった)この販売店の特徴だけど、各配達員が回るルート順に新聞を重ねる。各家庭にどの新聞を配るか覚えるまでは新聞名と購読者名が書かれた帳面を持って配達するんだけど、さらに間違いがないように正規従業員さんが順番に重ねておいてくれるわけだ。

 僕ら浪人組にはこのころ初バイトを経験しているやつが結構いて、高い給料に惹かれて建設現場に行って1日で悲鳴を上げているような連中もいた。それを考えると、僕はまぁ穏当に初バイトを経験できたんじゃないか。結局のところ、こういう仕事の少ない田舎では、体力的にキツいとか、労働時間が長いとか、思うほど稼げないとか、何か大きな妥協をしなければバイトは見つからない。僕の場合その妥協点は「朝が早い」というところだったということだ。落としどころとしては自分でもいいところを選んだと思う。早起きになったから生活が規則正しくなったかと言うとそんなことはなくて、バイトから帰って2度寝は当たり前だったけど。

 高卒後すぐにこのバイトのためだけに僕は原付免許を取った。初バイクがスクーターではなく配達用のマニュアルギアだったというのは、今から考えたら良かったと思ってる。車でもそうだが、機械にすべてお任せできる「ユーザーフレンドリー」な道具というのは、その機械がいざトラブルの時にユーザーはお手上げなのだ。何がどう動くから自分の望んでいる動きをするのかというのを把握して道具を使った方が、トラブルに強いユーザーになれるし応用範囲も広い。自分が動かしている機械がどうしてそう動くかぐらいはわかって使いたい、という僕の基本姿勢はここに源流がある気がする。

 配達用のバイクは、店長がまるっきり渡してくれた。だから僕は午前3時に「出勤」するのにも6時前に帰るにも歩くとか自転車とか必要なかったし、昼間の時間にそれを使うことも自由だった。ガソリンは販売店で入れれば良かったし、調子が悪ければ店長が整備してくれた。販売店はJRの駅前だったから、一般向けの有料駐輪場を使う必要はなかった。考えたら、給料以外のところで随分得をしていたな。

 ある日、僕はそんな朝のひとときを嬉しい気分で帰っていた。その前の日、新聞のテレビ欄を見ていたら知っている名前があったのだ。その人の名前は米沢明喬。筒香さんが連載エッセイで「習いごとを始めた人というのは、上手くもないくせに他人に披露したがって披露される方はえらく迷惑を被る」という話への導入にこの人の「軒付け」という持ちネタを出していた。だから僕は「そういう噺家さんがいて、そういう落語があるんだな」ぐらいの認識を持ってた。新聞に載ってたのはその明喬さんの特集落語番組のタイトルと、その日の演し物「軒付け」だった。それを僕は予約録画して、帰ったら見るという楽しみがこの日にはあったわけだ。

 僕は、落語というものを聴こうと思って聴いたのは人生でこれが初めてだと言ってもいい。そしてそれは僕には価値観の大転回をもたらすものだった。

 明喬師匠は、洗練されていて、上品で、知的で、それでいてきちんと身近な言葉で、昔のこのあたりに舞台が設定されたスラップスティックを、ひとりひとりの息づかいまで感じ取れそうなリアルさで語った。だから僕は大笑いしてその落語を聴いたわけだが、面白いと思ったら行くところまで行くのが僕だというのはもう説明不要だろう。僕にとって何度目かの大ショックだ。それまで気にしたこともなかったが、深夜には落語の番組が結構あった。その中でもこの明喬師匠とその一番弟子である紫燕師匠は、それぞれ毎月、隔月で看板番組を持っている落語界でのスーパースターだった。

 お笑いに強い関心を寄せる文化であることは知っていた。だけど、ゴールデンタイムの番組には序の口力士を指して平気で「関取」と呼んでしまうレベルで常識がなく、しゃべりは下品でうるさいだけで内容がない「芸人」で埋め尽くされていた。だから僕はこの地のお笑い文化を心底軽蔑していたけど、深夜とは言えこういうちゃんとした芸人さんには単独レギュラーを持ってもいいぐらいの視聴率を与える程度には、本当のお笑いにも心を配っているんだな。

 両師匠とも、とんでもなく頭が良かった。師匠にあたる明喬師匠は無駄や無理のないさらりとした芸風、弟子である紫燕師匠はオーバーアクションで海外アニメみたいな正反対の芸風だが、徹底して頭を使っているという意味では共通していた。

 凝り性の飽き性で、何かを「美味い」と思ったら異常な頻度でそればかり食べ続けるとか、何も考えず眠っているのが一番好きだというところとか、自分との共通点を多く感じるのは紫燕師匠の方だったが、著作が面白いのは圧倒的に明喬師匠だった。落語の舞台はだいたい江戸後期から明治の中期ぐらいまでだが、師匠の著作の中にはそれぞれの時代の中で、僕らと同じように下らないことを言い合って笑ったり、性欲をもてあまして悶々としたり、知り合いに下らない悪戯を仕掛けて笑い物にしたり、そしてそれに失敗して自分の方が恥を掻いたり、それぞれの時代でそれぞれに存在した理不尽に屈してみたり対抗心を燃やしてみたり、そういう僕らと何ら変わらない人間が数多く生きていた。僕は人生で初めて、歴史を面白いと感じた。

 というようなわけで、僕は浪人生であるという身分すら忘れて、落語会通いにいそしむことになる。明喬師匠のお弟子さんの中に、僕の中学の(もちろん悪い思い出が残っている方の)先輩がいた。現住所は近くではないが、縁が深いということでごく近くで隔月の落語会を持っていた。僕の落語会通いのとっかかりはここからだ。

 観光地の門前商店街の中にあるお土産屋さんの3階。それがこの落語会の場所。広さは、12畳間がふたつ取れるかどうか微妙、という程度だった。そこに高座を設けるから客がいるスペースは正味16畳分あるかないかだと思う。そこに敷けるだけ座布団を敷き詰めて、1枚がひとり分のスペースだ。

 東京には落語の常打ち小屋があるが、このあたりにはなかった。だけど、こういう草の根レベルで伝統芸能を支えてるって、なかなか素敵なことだ。集まっている人たちも、僕よりはるかに深みにはまってしまって先行きが心配な大学生から、人前で見せるに値する芸について何十年と目を肥やしてきましたというようなベテランまで様々だったが、少なくとも僕の言葉をスカしてるとかなんとか因縁つけてくるような柄の悪い人はひとりもいなかった。師匠をはじめとする本当の芸人について語り合うのに方言の違いなんて意味を持つものでは全くなかった。

 だいたいが、明喬師匠ご本人からして、東京嫌いではないのだ。寄席文化研究家が本来の志望で、若かりし日に東京に出て当時あった学校に通って、そのころ第一人者だった研究家に弟子入りしている。元は姫路に本拠のある家の生まれだから自身の言葉は東京言葉ではなく、東京ではなくこっちの噺家、当時ほとんど火が消えかけていた落語という大衆芸能をかろうじて受け継いでいたうちのひとりと交流が深くなり、結局弟子入りした。数年とは言え東京で暮らし、東京の街に当時はたくさんあった寄席という場所に通い詰めた経験はこの師匠をして東京言葉か否かというのは芸の質に全く関係ないという公平な視点をもたらしたんだと思う。師匠には東京の重鎮にも交流が深い人がたくさんいたし、数は少ないが江戸っ子が出てくるような噺では、無理のないきれいで歯切れのいい江戸言葉を披露していた。

 こうして僕は、朝の新聞配達に障らない範囲であればどこにでも出かけていって、落語を聴きまくった。と同時に、明喬師匠の本をできる限り図書館などで探し当てて読みまくった。師匠は「やっぱり」と言うべきだろうが落語界随一の学究肌であって、なぜ芸名ではなく本名名義で出している学術論文がないのか不思議に思えるレベルですらあった。

 それだけに各界の知識人とも交流が深くて、僕はいままでは名前だけで拒絶していたような評論家や研究家の本にも手を伸ばすようになった。それで知ったのは、日本の歴史教育がいかに歪められているか。過去は暗黒、未来は希望。こういう単純な歴史観。これでは何もわざわざ過去を学ぼうという気は、起きなくて当然だと思う。別に言い訳するわけではないけれど。

 だから僕はこのころから落語の舞台になったあたりを中心に歴史本も読み始めたわけだけど、なぜこのときに社会系の科目を日本史か世界史に乗り換えることを検討しなかったのだろうか。そうすれば、受験できる大学の幅も広がったのに。


   44

 というようなわけで、僕は本分である受験勉強にはさほど力を入れてなくて、関係ない方面にばかり知識と関心の幅を伸ばしていたわけだけど、この田舎にちょっとした騒動が持ち上がってきたのはこのころだ。

 早く言うと、市は昔からある道路の拡幅を諦めたってことだ。市の西部にアクセスするための道路を、いつだったか僕とネリーが行軍したほぼあのとおりのルートで、森を伐採して新しく作ってしまおうと、そういう計画が持ち上がった。

 道路ができますよ、だけだったらごく少数の自然保護団体が反対する程度の問題で終わったと思う。問題は、市の公式発表では、その道路の建設費を圧縮するため自衛隊の力を借りることになっていたことだ。実はこの市は、複数の自衛隊駐屯地があったりして自衛隊との関係が深い。で、自衛隊を使って安く上げることの見返りが、有事の際に優先的に自衛隊専用道路になるということで、それが許せない人にとっては許せないらしい。

 僕は正直「それの何がいけないの?」と思った。日本国内で自衛隊が展開しなければいけないような事態になっているんだとしたら、それはもう「これは民間の道路だから自衛隊は使わないで下さい」なんて悠長なことを言っている場合じゃないだろう。言ってみれば自衛隊優先契約は、国の防衛組織である自衛隊をひとつのさほど大きくもない地方自治体の工事に使うことに対して言い訳をしているだけの話だと思う。広大な領土を治めたローマ帝国だって、軍隊は戦闘組織であると同時に土木工事・建設工事のスペシャリスト集団だった。日本でも「黒鍬者」と呼ばれる土木工事部隊が軍の中にはあった。いつの時代どこの場所でも軍隊は土木工事と切っても切れない関係にあると言っていいと思う。

 とは言え、工事推進の市と反対の市民団体が泥沼の抗争をしている間は工事は進むことはないということで、僕は正直ほっとした。だってどう考えたってこの工事はネリーの森を大々的に破壊しないと完成することはない。公表されているルートは僕らが行軍したルートとほぼ同じルートで西の方に出る道と、その道から途中で分かれて南隣の、つまり塾とかがあるあの市中心部へのショートカット路線があった。地図で見ると見事にネリーの森を3つに分けることになる。僕は正直、市と市民団体の抗争が長引いて欲しいと思わずにはいられなかった。

 僕はなるべく時間を見つけて森に出ることにした。時間が限られているかも知れないと思うと、この森がなんだかすごく貴重なものに思えてきたから。真夏の昼間に行ったら適度に日差しが遮られて心地いい。薄ら寒い時期に行っても、風が適度に木々によって遮られていて、どうしようもなく寒いなんていうこともない。夕暮れ時に行ったら、季節によっては蛍が飛んでいたりもする。ほぼいつ行っても心からくつろげる場所だ。

 自然というのは、人間にとってくつろげる場所であると同時に、居心地の悪い場所でもあると思う。森だって、心落ち着く場所であると同時に、有害だったり気持ち悪かったりする生き物が棲息する場所でもあるはずだ。「僕は街の中よりも森にいたい。そうだ。できることなら絶対そうする」日本語で言うとこういう歌い出しの名曲があるが、これは森というものを現実とは違う理想的なものと考えているから成り立つ歌詞だろう。人里離れた森の中にいきなり投げ出されるような事態になったら「助けてくれ」と言い出す人の方がはるかに多いはずだ。

 だけどこのネリーの森は、そういう意味ではなんか現実離れした森だと、僕は感じていた。妙に空気が澄んでいるし、不愉快な騒音や振動とも奥の方に行けば無縁でいられる。中で気持ち悪い生き物と出くわしたこともないし、蛍がいつでもたくさん漂っていて幻想的な景色だ。

 この地域は、昔から蛍の名所であったらしい。そのことを母に話したところ、やっぱり昔から割と最近までそうだったと。母が勤務する会社の事務長、実質的には経営者のひとりでもあるんだが、その人が戦後の貧しかった時期に蛍を売って生活の足しにしたらしい。誰が買うかというとキャバレーみたいなところの経営者だそうだ。ああいうところって、店内を暗くするだろ? ああいう風に暗くして女性との会話とかそれ以上のことを楽しむ店には夏になったら店内に蛍を放ちムードを演出したというのだ。古くは芸者舞子を呼んでのお茶屋遊びの時代からあって、割と最近でも伝わっててやっていたんだそうだ。水に入って川面を漂う蛍をつかまえたら口の中に放り込む。蛍に必要な温度と湿度を保つには虫かごなんかより適しているらしい。

「じゃあ、あの向こうの森の方にいる蛍も、捕まえたら口の中に入れればしばらく生かしておけるってこと?」

 僕は何となくそうたずねてみた。

「何言うてるのあんた、蛍って水辺でしか生きられへんのやで? あんなカラッカラの山の中に蛍いてるはずないやないの」

「え? じゃあ、あそこには蛍いないの?」

「あの中に湧き水みたいなものでもあるか? そんなもんがあって蛍が自然に生きてるぐらいやったら、反対運動もっと激しなると思うえ? ないとは思うけど、あんたがそんな自然の水辺見つけたんやったら、あんた今すぐ反対運動に加わらなあかんわ」

 直感が「これ以上話したらまずい」と告げた。これはネリーの森についての重大な問題になる。僕がこれ以上「あそこには蛍がいる」を押し通したら、何か大切なものが失われそうだ。

「そうか、じゃあ蛍かと思ったあれはなんだったんだろう? 光る虫って他にいるかな?」

「そら、世界中探したら他にもいるんやろうけど、このあたりにはいぃひんと思う」

「ふ~ん、じゃあ、何を見たのかな?」

「何かの光が跳ね返ったのん見たんと違うか?」

「そうかもね。めんどくさい反対運動とか関わりたくないしこの話はもうしないよ」

 僕はそう言って翌朝の新聞配達を理由に寝ることにしたけど、頭の中は混乱していた。蛍の住む環境じゃあり得ない、だとしたら、あの森に漂っている光る生き物は何なんだろう。確信はないけど、それはネリーの本当について何らか関わりがある気がする。僕はこれ以上、このことについて知ろうとしていいんだろうか。

 長い間従ってきた僕の習慣をここでも持ちだした。僕はこの疑問を「わかるときが来たらみんなわかる」と、無意識の下に押し込めてしまった。


   45

 我ながら密度の薄い1年だった。僕の人生において最低とも言っていいぐらい、やったことは少ないんじゃないか。ネリーの森がなくなるかも知れないという危機感はやっぱりあったから、第1志望の大学に合格したいという気分はあったけど、気分だけだ。特に何を努力したというわけでもない。

 先にも言ったけど、僕は受験科目の見直しを行わなかった。だから受験できる大学も自然に限られてしまい、受験した大学も、あの恐怖の英語を出す大学を外した他はすべて同じ。後悔先に立たずだが、なんで見直さなかったのかねぇ。理由はいろいろ考えられるけど、ひとつ確かなことがある。僕は馬鹿だったってことだ。

 2回目の受験シーズンには、僕はとことん移動を避けて、気分的にもリラックスして望むことにした。去年の受験は、朝早いのを避けたい一心で、受験地になるべく近いところを目指して親の知り合いの家を渡り歩いた。完全に初対面の人なんかもいたりして、親切にはしてもらったけど、心が落ち着いていたかと言うとそうは言えない。だから僕はこの受験シーズンは友達の家に迷惑にも長々泊めてもらって、すべての受験会場にそこから行くことにした。かなり遠いこともあったが、田舎と違って交通機関が発達している。なんとかなった。

 どの大学を受けた日だったろうか、とにかく何らかの試験は受けた日だったはずだ。僕は友達の家に帰った。食事を始めてまもなくだ。僕の家から電話が入った。内容は、唯一受けている地元の大学から合格通知が届いたということだった。両親は泣いていた。僕は大して嬉しくもなかったけど。

 僕は結局、1年間にわたって朝の新聞配達をしたら帰って二度寝、午後遅くに起き出してそれから本格的な活動に入るという生活を続けたせいだろうか、午前中はほとんど使い物にならない体質になっていて、第1第2志望の学部を受けるとき、午前中の英語科目を解き終わったら見直しもせずに眠ってしまうという惨状だった。同じタイムスケジュールで1日づつ使って行われるその2学部を受ければ試験は終わりだった。

 帰ったら両親が、やっぱり涙を流しながら僕を迎えた。そりゃ嬉しいだろう。自分たちが勧めた大学に受かったんだからな。だけど、それがどういう大学かはやっぱりまだ知らないだろ? 僕にとって一番行きたくない大学のひとつなんだがな。

 第1第2志望の大学は、今年も補欠止まりだった。だから僕は、唯一受かった大学である地元の大学の入学手続きを取った。最終的に第1第2志望のどちらかに補欠繰上合格した場合、この大学に払った入学金は無駄になることになるが、それでも従うしかなかった。それが当時の当たり前の制度だった。

 そんな日々の中、僕は並木くんに連絡を取って会った。彼は1年間、予備校近くのガソリンスタンドでアルバイトをしながら受験を迎えていた。

 ガソリンのせいで手をガサガサに荒らした並木くんは、2月の寒風に吹かれながら小さなガソリンスタンドで走り回っていた。僕は彼のバイト上がりを待って、一緒に彼の知っている洋風居酒屋に出向いた。ふたりともこのときまだ19歳だったが、そこはまぁいいとしようよ。僕は新聞配達で、朝早い時間に集まって配り終わったらみんなそれぞれの用事で帰ってしまうからバイト関係の人とは本当にバイトの時間以外関わりはなかったけど、並木くんはそういう仕事だから夜のつきあいなんかもあったわけだ。僕らはふたりとも実年齢より年上に見られる風貌だったので、これと言って怪しまれもせず店に入った。やっぱりこのころはまだユルかったな。

 ふたりでビールのジョッキをカチンと言わせたあと、お互いに報告を始めた。

「で、どやったん? そっちは」

「ん~、まぁ、学校でも受けろと言われたあそこだけは受かったな。国際関係学部」

「あこの国関やったら、まぁ悪ないんと違うん?」

「まぁな。あの大学やったら、国関やと思てたしな」

 僕も下手なりにこの辺の方言を使うのが、高校の友達としゃべるときのお約束だ。

「えぇやん。自分頑張ったんちゃうん? 語学教育も盛んやし留学制度も充実してるし、受け入れてもおるやろし、念願のブロンド彼女ゲットちゃうん?」

「頑張ったて、ないわ。国関て、去年めちゃ倍率高かったんよ。やから今年の受験生は敬遠しただけやと思うわ。去年と比べて自分が成長したとかまっっっっったく思わんしね」

「そんなもんなんかねぇ」

「そっちはどうなん?」

「まぁ、ひとことで言うとな……全・滅」

「えっ!?」

 僕を含めて4人、高校のときいつもつるんでいた中で、山本くんは数学、長谷くんは世界史、そして僕は英語、それぞれに得意科目があって、その中では並木くんにはこれという得点源がなかったのは確かだ。だけどいくらなんでも全滅するほどできないやつではないはずだ。日本有数の大学過密地域でもあるこの辺で、トップ4大学には、時の運だ、入れなくてもしょうがないが、その下、間違ってもさらにその下ぐらいには受からないとおかしい実力の持ち主だ。あとの会話をどう続けていいか、僕にはわからなかった。

「そうか……それで、どうすんの?」

「もう1浪とか無理やしね、家のこと考えると……やから、バイト先で見たやろ、店長。話してな、俺来月からは正社員や」

「……」

「自分は学者になりたいっていう夢があるんやろ? やけど俺はどうでも大学出んとなれん職業とか目指してるわけでもないし、就職先はありました、めでたしめでたし、というところと違うかな」

「どっか心の中に、お母さんのこと考えて、大学なんか行ってええんかな、みたいな気持ちがあったとか?」

「そうやったとしたら、美談やねぇ。勉強手ぇ抜いたつもりはないけど、そういうことにしといたらええかもな」

「どこでもええということなら、こんだけ大学がある街やんか、2次募集とかまだあると思うけど?」

 並木くんはさして未練もなさそうに首を横に振った。

「実はな……俺、最終の滑り止めに近所大学も受けといたんよ。けどそこも滑ってたしな。あれ以下出てもしゃーないやんか?」

「そうか……でも、納得いくか?」

「いくもいかんも、これが現実やしね。実はな、あのスタンド、店長はいるけど雇われ店長でな。結構このあたりで店舗持ってる会社の系列なんよ。会社として整備士の教育制度とかも充実してるし、資格取らしてくれるはずやねん。大学行って何したかったかって言うと俺、車関係のバイトして勉強して資格取りたいとしか考えてなかったしな。大学で何としても学びたいことがあったわけやなし、要は車関係の勉強が大学生やりながらアルバイトとして勉強するか、就職して仕事の一環としてやるかの違いだけで、給料もらいながらやれる分、こっちの方がお得やとも言えると思うで」

「まぁ、そこまで割り切れてるんやったら、こっちとしてはなんにも言うことないな」

「俺、車の免許ももう取ったしね」

 並木くんはケースに入った免許を見せてくれ、そして続けた。

「知ってると思うけど、近所に教習所があるんよ。車の免許ってことで取ったらバイトの時給もちょっと上がったしね。えろうお得に取れたで。来月正社員になったら早速ローン組んでマイカー持つつもりや。それ思ったら楽しみやわ」

 そのあとは、しばらくとりとめのない話をして終わったように思う。内容は良く覚えていない。

「ガソリン入れる用があったら、また寄らしてもらうわ。こっちは当面原付以上の予定はないけどな」

「何をおっしゃる。それでもれっきとしたお得意様です。それよりも、出席カードの貸しは忘れんなよ。国関でブロンド彼女できたら、まずは俺に教えてくれ」

「国関に行くなら、な。補欠から繰り上げ合格になって、このあたりから去る予定やから絶対と約束はでけんで」

「へいへい、お祈り申し上げます」

 そんなやりとりをしたあと、僕らはそれぞれに帰路についた。並木くんみたいな、あんないいやつに「高卒」とレッテルをつけてしまうイベント「1浪後の受験」はこうして終わった。

 僕にとっても最終的に終わったのはそのしばらくあとだ。毎日電話で繰上合格情報をチェックしていたが僕が繰り上がることはなく、国関への入学が決まった。

 また、親元を離れるチャンスを逃した。


   46

 ナイトメアズ・イン・ワックスのことだ。来日公演記念特別リミックスアルバムを発売したあと、サンズ/アディソン/ウィーヴァーの下を離れて、ティムとその恋人であるトム名義でプロデュースしたアルバムを1枚、さらにそのリミックスを1枚発売したあとは伝わってくる情報が少なくなっていた。あとになってわかったことだが、本国でのレコード会社との契約が切れ、日本での版権を持っていた会社との直接の契約で1枚だけアルバムを発売した。だからこれは日本国内でしか発売されてなくて、もちろん僕は買ったけど、そのあとはどこのレコード会社との契約もなくなってしまったらしい。

 このころのティムの凄まじい波瀾万丈を、僕はこの時は全く知らなかったけど、なぜこのころ伝わってこなかったかと言うとまずそういう形でナイトメアズ・イン・ワックスが大々的な活動をできなくなっていたことがひとつ。それと無関係ではないと思うんだが、ボーカルであるティムと、その恋人でありドラムスであるトム、このふたりと他のメンバーとの間にバンド活動に対する温度差が出てしまい、実質的解散状態にあったということもあるだろう。

 本人たち以外の要因としては、日本国内での爆発的好景気に若干違和感を覚える人たちが出始めた。そうなると一番に下火になるのが贅沢産業というもので、熱狂的なディスコブームがちょっと後退し始めた。だからディスコブームそのものと言って良かったナイトメアズ・イン・ワックスが日本での人気を失い始めていた。

 ある意味それ以上に大きかったのが、僕にとって他のミュージシャンが熱くなり始めていたということ。明喬師匠の著作に出会って日本文化の面白さを知り、僕の中で「日本文化を現代の文明の中にどう位置づけるか」というのがいわば最大の問題になっていた。

 僕が高校を過ごしたその間ずっとと言えると思うが、輸入レコード店でもらってくるフリーペーパーに掲載されているアメリカの売上トップ100に名前を連ねている日本人がいた。彼のそのアルバムにはボーカルはなくて、シンセサイザーによるインストゥルメンタルだ。そのテーマは「古事記」だった。アメリカではヒット作ほど長い間売れ続ける傾向はあるのだが、それにしてもこのロングヒットは驚異的だった。僕はこの日本人シンセサイザー奏者の音楽から入って、日本の風景を描いたような、だいたいボーカルを伴わない音楽に夢中になっていた。

 外国の音楽では、ルーマニア生まれでドイツで活動している人が率いているプロジェクトの音楽にまず魅せられた。テレビで放送されたデビュー曲のPVに「これは何? ソロ歌手なの? バンドなの?」と思いながらもその不思議な世界観に引き込まれた。あとになってわかったがこれはプロジェクトで、率いている人は変わらないが世界各地の民族音楽を取り入れるためもあり実際のボーカリストや演奏者は頻繁に入れ替えていた。このプロジェクトに触発されたのかも知れないが、さらに民族音楽性を強く打ち出したユニットも後続するように何組かデビューしてヒットを飛ばした。思えば、世界中でダンスミュージックが売れたあとにこういう音楽が流行ることは何か象徴的だ。これらの音楽はまとめて「ヒーリング」とジャンル名がついた。

 僕は日本の文化がいままで途切れることなく伝わっていることに対して、先祖への感謝と誇らしさを感じるようになっていた。別に音楽に限ったことではない。お土産屋さんの3階で行われている落語会には、まれに講談がかかることもあった。大々的に空襲を受けたこともあってほとんど途絶えかけていた大衆芸能を、明喬師匠の世代の人たちがジャンルを超えて協力して発掘し命脈をつないだ時期があり、そのおかげでそれらの大衆芸能は現在それぞれに息を吹き返してファンをつかんでいる。

 明喬師匠の本拠地と違い、すぐ隣なのに僕の家がある街や学校のある街はあまり空襲を受けなかった。だからかも知れないが大衆と言えるような芸能でないものも、その気になって探せばイベントがかなりたくさんあって、僕は狂言というものがテレビで流れているコントなんかよりはるかに笑えるものだということを知った。

 日本の文化にもっともっと詳しくなりたい。と同時に、僕は他国の伝統文化にも敬意と関心を持ち始めていた。お互いに文化を持ち寄ってもっと素晴らしいものができたらどんなにいいだろう。国際関係学部には、政治、経済、文化の3コースがあったが、選ぶなら文化コースだな、僕はそう思いながら大学入学の日を待っていた。

 入るまでの経緯はどうあれ、入ったんなら思いっきり楽しみ、そして学ばなくちゃ、僕はそう思っていた。

 そう、入るまでは。

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