連載第十一回
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日本では、周期的に「お笑いブーム」が発生するようだ。僕が高校生だったこのころにも。お笑いブーム的なものが発生していて、放送日の翌日にはクラス中で話題になるコント番組がいくつかあった。繰り返すけど、このころ日本は空前の好景気だったので、頭角を現してきた芸人にはテレビ局は大金をつぎ込んだコントをやらせて視聴率を取りまくっていた。だけど、このころ人気を得ていた芸人は、案外そのあとに続くものを残せなかったように思う。
あとの時代に続いたという意味では、僕が小学生の頃に発生したお笑いブームでスターになった人たちの方が影響力があったと思う。そのころに人気を得た番組では、基本的に人気者はひとりで笑いを取った。最近では一般人も使うようになった言葉だが「ピン芸人」だとか、いてもせいぜい2~3人という小所帯のお笑いブームの元になったと言えると思う。だから、一番最近のブームの中では「志したきっかけ」として名前を挙げる人たちが結構いる。
回りくどくなったが、そういう経緯で人気者になった人が言っていたことだ。自分が実際に高校生でファンとしてそういう番組を見ていて面白いと思った自分は、面白いというのはそういう人たちがやっていることをやることだと思い込んでいて、文化祭でそっくりそのまま真似をして盛大に滑ったりしたんだそうだ。
この人が言うこと、僕にはすごくわかる。というのも、ジャンルこそ違えど僕は同じことを同じぐらいの歳のときにして見事に失敗しているから。僕はこのころ、何の頼りもなく原稿用紙を買い、自分では小説を書いているつもりのことをやってそれを文学賞に送ったりしていた。
文学賞を募集している情報はせいぜい新聞や雑誌からしか得ることができず、だから手当たり次第に送るしかなかった。時期が重なっていてどっちかしか応募できないというような賞がふたつあったとしたら、僕は迷わず賞金が高い方を選んでた。小説の書き方なんて全く知らなかったし、とりあえず思うことを書いてどうにかこうにか規定の枚数に乗せたら送ってた。このことを思い返すと恥ずかしさのあまり奇声を上げそうになる。
僕にとって「面白い小説」というのはすなわち「筒香さん作品のような小説」のことだった。中でも、初期のスラップスティックに傾倒していたのだったらまだ救われたと思う。けど、このとき僕の中で一番熱かったのはスラップスティック時代後の実験的小説だったから、僕はスタンダードな小説ではない怪体な文章ばかり書いていた。小説のなんたるかをわかってる人がそれを崩すから面白いのであって、のっけから基本を踏まえずに書いたら単なる怪文書だ。だけどそのときには全くそんなことを考えもしなかった。
とは言え、クラスの中では「文章のエキスパート」という座はやっぱり僕にあったと言っていい。やたらに図書館通いを始めたのはティムに出会ってイギリス関係の本を手当たり次第に読み始めたときだったと思うが、筒香さんに出会ってから読む本の範囲が急拡大した。読書というのには「慣れ」の要素もかなり大きいんだなと思うが、筒香さんの長編スラップスティックを大笑いして楽しく読んだという経験は、長編小説を読む覚悟を決める、ということのハードルを下げてくれた。外国の小説も読むようになった。
ほとんどの授業を寝てるか本読んでるかで過ごしている僕が現代国語に抜群に強いという事実はクラスメイトの関心を引いた。僕が思うに、国語力っていうのは7割ぐらいは生まれ持ったセンスと5歳ぐらいまでの読書習慣で決まってしまう気がする。それ以降の読書歴と、あとは「解くテクニック」でなんとかなるのがだいたい3割。よくある「何文字以内で記述しなさい」という問題で、自分が書きたい解答において最後の「。」が入りきらないのは、解答として危険だと思う。と言うのも「これじゃ文章が終わってないよね」という難癖をつけようと思えばつけられるから。だから、その分の1マスをひねり出すテクニックは、僕は訊かれれば教えることができる。だけど、それはたとえて言うなら土俵際に追い込まれてから体をかわして勝ち星を拾うテクニックみたいなものであって、それだけ覚えてどうにかなるものではない。
そして僕はと言えば相も変わらずミスター努力知らずであり、わかろうという気すらないのは何人かの教師にとっては腹の立つことであったらしい。いくらかは僕も反省しているが、だからと言ってわからないからできないでいるのに、罵声を浴びせたり暴力を振るったりするのはどうなのだろうか。一番ひどかったのは数学の教師なのだが、このときの教師のおかげで僕にはすっかり「数学アレルギー」が発生してしまった。
家庭においても僕はテスト前日でも勉強なんてほとんどしなかったし、そういうところを見咎めて母から説教を食らったりもした。だけど僕は思う。親が自身できないことを子供にやれというのは過大な期待じゃないか? 僕は後にアルバイトで東大工学部修士課程まで修了した正社員の下で働くことになるのだが、その人の話を聞いていると朝食時の家族の話題が枕草子についての話だったりして、やっぱり環境からして違うのだ。自分はできないからこそ子供にはいい教育を与えたい、というのが親の願いだというのなら、親がするべきなのはやれやれと勉強を押しつけることではなくて「私の代わりにいい大学に行っていい就職をするという夢を叶えてくれ」と子供に対して「お願い」することではないかと思う。それでもやるか否かは子供が決めることだ。強権振るってやれやれと押しつけるのは子供を勉強嫌いにする効果しかない。偏差値による合格可能性というものが、何段階かで目安を表示するものでしかないということすら知らない親は僕が勉強しないことについて何も言う資格はないはずだ。
そんな感じで、下らない日々を送りながらも、僕らはみんな近々受けなければいけない「大学入試」という通過儀礼についてそれぞれに考えを具体的にしていた。既にもう数年前から大学入試は完全に買い手市場で、大学側は「我が校を受験させてやる」とでも言いたげな態度で、高校生に対して凄まじく横柄だった。理由はどうあれ、それは僕たちが選んだ道だった。言ってみれば、この僕らの世代こそが「勉強という苦行により耐えた者が受験を制す、受験を制した者人生を制す」という価値観が残っていた最後の世代だ。団塊ジュニアでとにかく18歳人口が多く、大学入試競争がとんでもなく熾烈になるという事実によってこの価値観が最後のひと燃えをした世代だろう。僕たちは徐々に息苦しさを感じ始めていた。
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僕の住む市が、様変わりを始めていた。
JRと、そこから近い方の私鉄が、それぞれの駅前にバスロータリーを作ることを市とともに正式発表した。JRはそれに先立ち、平日昼間の時間帯に限り快速列車を走らせ始めた。先行の各駅停車を追い越すということがなく、ダイヤ上かなり無理して設定した快速だったのでちょっと予定が狂うと客の扱いはしないが行き違い駅で停車することもしばしばあったけど。多分これは、この路線に高速便を走らせてみるとどうなるかという実験の意味合いもあったんだと思う。
駅の増設も行われた。始発駅であるターミナルを出てから僕の住む街の最寄り駅まで、最初は6駅分だった。うち行き違いができない、単線の線路にホームを設けただけの駅(こういうのを「棒線駅」と言うらしい)の駅がふたつ。路線自体が単線だから、増発には行き違いできる駅を増やすことが必要だ。棒線駅の改良や新駅設定で行き違いができる駅はどんどん増やされていった。
私鉄の方はといえば、これは支線と言えども全線複線だったので駅の増設などはなかった。ただ、本線へ乗り入れて県庁所在地に行く直行便の急行が廃止された。なんだか矛盾する話に思えるが、本線の運用にとって直行便が負担になってたんだそうだ。だからいわば交換条件で、支線は支線内を往復する便だけにされる代わりに接続駅は特急停車駅に格上げされた。
県庁所在地の南隣で、古くから県内第2の都市だったこの市は、自動的に県庁所在地のベッドタウンみたいなものでいわばその地位は不動だった。だが、さらに南にある塾とかがある市がベッドタウンとして伸してきたし、その他にも東西南北いずれの方向にもベッドタウンとなり得るところは開かれ始めていた。役所の人たちもそろそろ事務用椅子を暖めることとお茶を飲むこと以外の仕事をしないと本当に街が廃れてしまうと危機感を持ったのだろう。
実際このころ、ターミナル駅から北へ行く、つまり僕が学校へ行くために使っている路線が電化・部分複線化された。県庁所在地から南隣の県の県庁所在地に行くにはJRと塾の連中が乗っていた私鉄があるが、北に行く路線はJRしかない。しかも長い本線の一部という事情で特急も走ってて、そっち方面から来ている友達は帰り道での16分に及ぶ特急追い越し待ちの話をしてくれたことがある。だから改良するための優先度が高かったと言うか国や県に「なんとかしないと」と思わせることが容易だったと言うか、そんな感じで先になったんだろう。山の間をクネクネ曲がって走っていたこの路線だが、その山をぶち抜いて複線のトンネルにした。
そんなわけで北の方がえらく便利になったもんだから、元々は不便な田舎だったその方面が「いま狙い目のベッドタウン」としてバンバン売れていたようだ。兼業農家で土地持ちだった山本くんの家なんか、所有していた土地が面白いように高値で売れたんではないかと思う。想像でしかないけれど。だから僕の市の偉い人たちも危機感を持ったんじゃないかと思うんだな。
僕の住む最寄り駅でもその後まもなく快速列車の本格運用が始まったりして様変わりはいろいろあったんだが、よりハッキリと変わっていたのは道路だったと思う。快速が本格的に運用されるようになるのと相前後してJR駅前のバスロータリーが整備完了。私鉄駅の方は、県庁所在地からやってきてJRの線路の下をくぐったらすぐ駅だったからどうやって場所を用意するんだろうと思っていたが、ホームをJRの線路をくぐる直前に移設して、駅舎を半地下にすることよって元々駅があった部分をそっくり空けて、その部分にロータリーを作っていた。このふたつのロータリーができあがったことにより、市の西の方に行くバスはほとんどこのふたつのロータリーのいずれかを発着ということになった。
道路の拡幅も行われた。と言うかこれこそやらなきゃいけないことだったろう。バスが橋のたもとでクランク型に曲がらなければいけないことは話したと思うけど、なんでそうなっているかと言えば橋ができたころはバス通り自体がなく、橋はその横にある商店街を優先して作られているからだ。車で行くのならば新しく作られたバス通りの方が広いのだが、商店街は橋の方へ向かう一方通行だが車が通れてしかもたもとでクランク型になっている道を2回信号待ちをして行くよりも快適ということで橋の方へ行くには商店街の方が先に渋滞ができるという始末だった。橋自体もそうだが商店街も幅が狭いので人と車の接触事故があとを絶たなかった。
だから橋が大幅に拡幅されるとともにまっすぐに行き来できるのは幅が広くてバスが通っている道になるように若干方向が変えられた。橋のこっち側はいいが向こう側は幅の狭い道路が続いていてそのままでは便利が良くなったとは言いがたいので、沿道の土地所有者から土地を買って道路の幅を広くする工事は、実はこのころからずっと続いてる。土地を提供する見返りのお金を、私鉄駅は改良工事に使ったのかも知れない。
道路と言えば、忘れてはいけないのが僕がネリーを連れてあの外国大学のキャンパスを見に行っていたあの道路から見える景色だ。
大学が撤退してそのあと結婚式場を運営する会社が買い取ったところまで話をしたと思うけど、景気後退が始まるはるか前からこの結婚式場は「切り売り」を始めていた。かなり大規模に売りに出され、大きなショッピングモールとホームセンターが建てられた。
そして郵便局すぐ脇あたりからなんだが、東西と南北の幹線道路が交差するあたりまで新しく広い道路がズバッと造られた。そのほとんどは田んぼだったと思うのだが、郵便局近くは結婚式場の土地だった。真ん中で、ではないが式場は分断された。でもなんとか広い式場を維持して客を呼ぼうと頑張る方向より、市に土地を売ることを考えたらしい。正解だと思うよ。
こうして式場の土地はふたつに分かれたわけなんだが、白いチャペルでの結婚式を挙げてから披露宴へと至るその流れの中でいったん敷地外に出て公道の横断歩道を渡るというような式に需要がないことぐらいは予測がついたらしい。だから分断で生じた広い方は結婚式場として残し、狭い方には葬儀場を新たに造っていた。
できたばかりでまだそんなに車の往来が激しくないとき、僕は自転車でその道を行けるところまで行こうと思って試したことがある。もちろんネリーを連れて行った。最初はバッグに入れていたが、思いの外交通量が少ないのでバッグから出して前カゴに入れた。まだ入り口、つまり僕の家に近い方には既にいくつかの店が出店していた。23時まで営業していることで有名なスーパーマーケット、庶民的な服を安く売っていることで有名なアパレル店など。さらに行くと大型トラックをたくさん使うような会社が拠点を構えていたり、気の早いラーメン屋が早速出店して既に閉店したりしていた。
そんなこんなを見ながら自転車をこぎ続けることしばらく。周囲は田んぼだらけになってしまった。
「な~んか、えらく風通しのいいところに出ちゃったね、ネリー」
ネリーは前カゴに入ったまま顔だけ僕の方に向いて頷いた。
「まわり田んぼばかりでしかも道路より低くてガードレールがない。これは将来転落事故が多発するだろうなぁ」
ネリーに語りかけると言うよりは、独り言のようにつぶやいた。
「でもネリーには森ほどではないけど気分はいいんじゃないか?」
そう言うとネリーはまたこっちを向いて今度は2回頷いた。
「なんか、いい光景ではあるよね。開けてて一面田んぼ。でもこうやって道路ができたから、この田んぼはあっという間になくなってこの道路も窮屈な場所になってしまうんだろうね」
ネリーはこのときこっちを向くことはなかったが、少し肩を落としたように見えた。
その道路は、終わりの方は突然終わっていた。周囲に廃タイヤ置き場なんかが見えたなと思ったら、いきなり大きな道路同士の十字路、しかもそのうち一方の上空には有料道路の高架があるという、見るからに自転車に対して優しくなさそうな交差点が現れた。
「ここから家の方に帰るにはいくつか道はあるけど、どれを取ってもネリーには厳しそうだ。おとなしく、来た道を戻るか」
ネリーは「早くそうしてくれ」とでも言いたげにせわしなく2回頷いた。来たときと同じように、僕たちは田んぼについて話しながら(話しているのは僕だけだけど)帰ってきた。
出発するときには気にも留めなかったが、こっちから見るとあの途切れた道路が異様に威圧的だ。スキーのジャンプ台を下から見上げたらこんな感じ、と言うか、何か戦闘機的なものが離陸するためのカタパルトのようだと言うか、いずれにせよ何かあまり好ましくないタイプの非日常につながっているように思えた。
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なんだかんだで、高校生としての時は過ぎていく。僕は相変わらず、少なくとも英語に関してだけはクラスの中でもトップを独走していた。定期的にやってくる予備校による模擬テストでも、英語の比重が高い大学を中心に高い合格可能性を叩き出し続けていた。
クラスの連中なんかも僕に英語の検定を受けてみろと勧めてきた。このころはまだ大メジャーな英検を除けば、検定試験っぽいものはTOEFLと国連英検ぐらいしかなかったと思う。僕はこれらの試験のことをよく知らない。でもガチで海外に出たい人のための試験というイメージはあった。だから当時の僕は無難に英検2級を受けたわけだ。
2級は難しいものだと、僕は聞いていた。誰から聞いていたかと言うと、例の制服をお世話になった伯父さんの妻である伯母さんだ。自分の娘が順調に3級までは取ったが、2級は落ちたんだそうだ。そのせいもあり「2級から急に難しなるえ」と言っていたから僕も注意して受験したが、別に何てことなく合格した。
こんなわけだから、僕はやっぱり入試には真ん中にデーンと英語を据えている大学ばかり狙うことにしていた。前にも話したけど、日本のトップ私大が新しい学部を創って、英語か数学の1科目選択と小論文という試験をやっていたからその学部、2つあるが片方が第1志望でもうひとつが第2志望。ただ、英語と小論文だけだと受験できる範囲は極めて限られてしまう。いわゆる「お勉強の試験」ではない不思議なテストを課している大学がある。まるで知能テストのような問題だ。そんなもので受験生の間に大きな差がつくとも思えないので、実質は英語の成績だけになるだろう。模擬テストではその大学は「英語しか課していない」扱いだった。他は、英語と小論文に限れば極端に大学のレベルが下がってしまう。だから僕は直前になったら政治経済を詰め込むことにして、英語・小論文・政治経済で受けられるところも志望校に加えた。2校だけだけど。この2校には入りたくなかった。1校は皇族の学校のイメージがあり、ミーハー的な関心だけで受験する人がいるから。もう1校は、地元の大学だから。
入りたいとか入りたくないとかそういうこと以前に、僕はもう第1第2志望のどちらかには入れるに違いないという確信でものを考えていた。英語と小論文だけで受けられる大学の志望者として受けた模擬試験では常に合格可能性は80%をキープしていたし、大学別の過去問集で過去問にあたる限り東大の入試問題だって、英語に限っては難しいと思わなかった。第1第2志望の学部は過去問の蓄積はあまりないんだが、その問題もさして難しいと思わなかったし、論文のテストで「以下の資料を読み、考えるところを記述しなさい」の「以下の資料」のうちに英語で書かれた百科事典からの引用が長々あるのも通例だったが、それも手のつけようがないくらい難しいとは思わなかった。英語だけに関して言えば訓練になる問題がもうない状態、紙の上の英語に限れば敵なしの状態だったんだ。
難関校では「時事英語」を入試で出す学校も珍しくない。僕はこれには2段階の準備をすることにした。ひとつは、アメリカでメジャーな雑誌の割と最近の記事から特徴的な単語や熟語、表現などをピックアップして解説しているビジネス向きの解説書。そしてもうひとつの対策とは、ズバリ現在進行形で報道されているニュースの載った雑誌を購入して読むこと。週刊誌だけど英語しか載ってないので毎号買っていたら読み終わる前に次が来てしまう。だから月に1回ぐらいに購入回数は抑えたけど。懐具合的にもね。
こんな具合だから、僕は毎日欠かさないようにできるだけ「現在流通している英語」に触れることを心がけながらも、ガリガリと勉強するようなことはしなかった。実は僕のせいで英語はクラス2位というのが定位置になっている岡島くんというやつがいて、英語で僕を上回る誰かが出るとすればそれはそいつだろうというのがクラスの中で言われていた。この彼は僕とは全く逆の方法論だ。とにかく単語や熟語や文法や発音記号をよく知っていた。たとえば、こんな問題があると考えて欲しい。
・以下の日本文の意味になるように、下の英文の( )の部分に単語を書きなさい。
その飛行機はその空港に到着した。
The airplane ( )the airport.
彼の名誉のために言っておきたいが、実際にはこんな単純な文章ではなかった。ただ、僕が間違えたこの問題にものの見事に彼は正解した、その核心部分だけ抜き出したのがこの文章ということだ。それでこの問題なんだけど「到着する=arrive at」と記憶している高校生は多いんじゃないだろうか。だけどこの問題を見て欲しい。かっこはひとつだけしかない。クラスのほとんどは、このかっこに「arrived」と書いて不正解だった。彼は正解していて、その正答とは「reached」だ。彼はここで「arrived」ではダメな理由を説明してくれた。「arrive」は自動詞なのだ。だから「どこどこに」という場所を示すときには前置詞が不可欠になる。一方「reach」は他動詞なので前置詞なしで目的地を伴わなければいけないタイプの動詞だ。彼がこれを教えてくれたことにより、僕は英語における5文型というのを改めて確認したのだった。
思い出せば、中学の時行かされていた塾で、独特の怪体な言葉で、あの陰湿な塾長がこのことを説明していた気がする。だけどあの時僕はその塾長をはじめとする周囲の人間の嘲笑の言葉と視線に耐えることで精一杯で、塾長が教えていたらしいこのことを理解する余裕なんかとてもなかった。やっぱり、勉強を教えるのには最悪の教え方をする講師だったな、あれは。
努力家の岡島くんが惜しげもなく教えてくれた自動詞と他動詞の違いから、僕はあっという間に5文型の意味と文章を読むにあたってのその重要性までたどり着いた。それまでの僕と言えば単語のなんとなくの意味に頼って英語のテストの中でも特に配点の大きい長文読解問題でほぼパーフェクトを出すという点の取り方だった。逆に言うと配点の小さい語彙問題や文法問題は捨ててた。だけど、岡島くんが教えてくれた「自動詞と他動詞」というところから僕は文法というものにもある程度「開眼」してさらに隙がなくなった。このことで、学校の授業でも特に英作文の点数がやたらに伸びた。
実は、このころ僕は市販教本でロシア語とブルガリア語に挑んでいた。特段変なことをしているという意識もなく、むしろ若干の優越感を持って、大学入試には関係ないそういう勉強をしていた。僕が第1、第2志望にしている学部に魅力を感じた理由のひとつは、国際交流に積極的で履修する外国語の選択肢が多いところだ。学びたい言語を思い切りやれるだろう。
僕はその学部があるあたりの地図を広げて照らし合わせながら、そのあたりの賃貸住宅の情報が載っている雑誌を売っている店を探し当てて買ってきて、現実問題としてどのクラスのところまでになら住めるだろう、そんなことも調べはじめていた。
そんなとき、父から風呂に誘われた。塾に行けと言われたときのことを思い出し、嫌な予感がしたが断る理由がなかったので一緒に入った。話し始めたのは僕に合ってる大学の話だ。僕が第1、第2志望にしている大学は昔からお坊ちゃま大学で僕にはあまり合わないんじゃないかというのが父の考えだというのだ。父は地元の大学を勧めてきた。実を言うと「政治経済で受験できる」という理由で志望校に加えた、できれば行きたくない大学だ。そっちは昔からバンカラな校風で僕に合うのじゃないかとこのとき父は言った。また例によって裏で母に空気を入れられているのだろう。絶対、お坊ちゃま校だバンカラだなんてのは後付けの理由でしかない。間違いなく理由はカネだ。
だが、高校としても「この県に住んでいて、第1志望かそうでないかは別にしてこの大学を受けないというのはあり得ない」という方針だったし、できれば行きたくないということは別にして「受験しない」という方向に持って行くことはやっぱり無理そうだった。
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大学受験に向けて、クラスメイトの言うこともだんだん具体的になってくる。若さから来る無知、そこから来る蛮勇というやつなんだろうが、みんなずいぶん高望みに志望校を挙げていた。中学のときに行かされたあの塾の陰湿な塾長が(僕は何度でも言うよ)語っていたことで僕の頭の中に残っている数少ない発言だが、この近所には「二流大学」がない。間違いなく一流である「西の横綱」の次は、全国的に見れば三流になってしまうのだそうだ。だから「西の横綱」には入れないけど三流まで落ちたくないなら遠隔地で下宿しながら大学を出るしかないと。この塾長の頭には一体大学が何流まであるのか疑問はあるが、私学に限って言えばこの近所の大学は東京にあるトップ私大より魅力に欠けることは、私情を排除しても確かだ。
だけど僕は思う。団塊ジュニア世代で大学受験人口が異常に多かったこの時期だからこそ、日本中の大学、高校、そして予備校などの教育産業がスラップスティック状態だった。いい大学→いい企業→いい人生だと誰もが思っていてその座を巡っての椅子取りゲームだった。でもこれは教育産業が咲かせた最後の仇花だ。
どこの大学を出たか──つまり、どこの学閥に属するか──なんてことが一生を左右するぐらい意味を持ったのはこの時代までだろう。官僚の世界などごく一部を除けば。看板だけしかない「お勉強良い子」を終生大事に育てるほど企業も甘くなくなった。
だから僕の後輩たちには中卒時、高卒時、そして大卒時などなど、人生の折り目節目には「次にどこに足を置くか」だけではなく「最終的にどこに行きたいのか」をハッキリ見据えて欲しい。中学のあと高校に、高校のあと大学に進学するのが実際に最善かどうかわからない。いずれ社会人としてどうやって生きていくかを考えながら生きることが重要だ。僕らみたいに「**大学でさえあれば何学部でもいい」なんて考え方は持っちゃいけない。
そもそも、文系学部のほとんどは卒業したから何者になれるのかよくわからないのがいけないのだろう。社会学部というのは具体的にどういう勉強をするのか知っているか? 経済学部と経営学部の違いを言えるか? 文系学部というのは「結局何をするところなのか」が明らかでないという欠点があると思う。だから志望者の頭の中には学部の名前より学校の名前の方がはるかに大きいウェイトを占めている。増して学際学部なんて、卒業証書発行枚数の水増しだと言われても仕方がないだろう。僕自身そのころはスラップスティック的熱狂の中で「学際学部最高!」を叫んでいたのだから大きな口は叩けないが、冷静になってみればそういうことだ。
僕のクラスメイトの文系人間集団もひたすら「大学の名前」で野望を語り合っていたわけだが、理系の人間はやっぱり「やりたいこと」がハッキリしていると思う。後にバイトの上司になる例の正社員も言っていたが、高校卒業したあとは「ロボットが作りたかった」のだそうだ。だからそういう研究をしているところならどこでもよかった。
僕にとって、このころからずっと一番身近な理系人間と言えば山本くんだ。彼は志望大学のことについて僕らと語り合うことはなかったけど、心の中にはハッキリ「なりたい職業」という具体的なものがあった。薬剤師だ。薬剤師試験の受験資格が得られるなら有名大学だろうが無名大学だろうが彼にとって問題ではなかった。彼は僕があの時を振り返るのと同じ気分で、大学の名前でハッタリかまし合う僕ら文系人間を冷ややかに見ていたのではないだろうか。
僕らにとって名門大学の名前で盛り上がるのと同じくらい楽しかったのは、レベルの低い大学の名前を「ネタ」として出すことにより「自分は少なくともそこよりは上」を確認することだった。並木くんは各予備校が発表する「圏内大学偏差値ランキング一覧」でも下から10位以内常連の大学の近くに住んでいた。彼は「近所大学、略して近大」と冗談を言っていた。
ここは「西の横綱」大学があるからということもあるのだろうが、他にめぼしい産業と言えば観光ぐらいしかないこともあるかもしれない。とにかく、教育産業が盛んだ。アルバイト情報誌を見たら、飲食系と観光地の門前商店街系と、あとは教育産業で9割ぐらいは占めそうだ(ナイトワークを除けばね)。大学もやたらにたくさんあり、バス停の3割ぐらいは大学の近所になると思う。市内ではあるがとんでもなく辺鄙なところにあるため、バスの終着地がその大学であるという、つまりそのバス路線の存在意義が大学へのアクセスという路線も数多い。うちの親も学校も受験推奨の大学もそのひとつだ。
大学の入試を考えて、高い競争率に思いを致すのは重圧ではあるが、一方で大学から資料を取り寄せて将来の楽しいキャンパスライフを思い描くのは楽しいことでもある。僕は自宅で大学パンフを机に並べて、ネリーを相手に大学生活の夢を語っていた。このころ僕は学問にジャンルを設けていることの意味がわからなかった。まさに、学際学部という言葉に踊らされるために生まれたような人間だったと言っていい。
「……というようなわけで、新しい学部ができたんだ。これを考えた人は、本当に学問のことを考えていると思う。ジャンルという枠にこだわって、新しい地平が開けるわけはないと僕は思うんだ。まるで僕のために作られたように感じるよ」
ネリーはどこまでわかっているのか、机の上に四つん這いになってパンフをのぞき込みながら、じっと僕の話に耳を傾けているように見えた。僕は次に、時刻表の路線図を広げて見せた。
「ここにほら。輪になってる路線があるだろ。このまわりあたりが、日本では一番の都会だ。ネリーには絶対に住めないところだな。もう鉄筋コンクリートばっかりで夏なんか死ぬほど暑いしね。ネリーなら溶けても不思議はないなあ」
そう言うとネリーは顔をこちらに向けていかにも嫌そうにゆっくりと首を横に振った。
「と、いうわけで僕の行く大学なんだが、その輪の中のこの駅からこっちへ伸びているこの路線に乗って……ここまで離れたところだ。噂ではこの駅からもかなりあって、なんかすごく長い時間バスに乗って街中から離れるらしい。多分、そのへんに結構森とか、森まで行かなくても木立みたいなものとかある環境じゃないかなと思う。なんとかネリーと一緒に住んでいけるんじゃないか。多分、あまり発展してない分アパートの家賃も安いだろうしね」
ネリーは今度は頷いてくれた。
いまだにネリーとはどういう生き物なのかということがわからない以上考えても意味のないことではあるんだが、ネリーの教育はどうなっているんだろう? 僕の話すことを理解していると思う。となると、何らかの教育制度を持った生き物なんじゃないか? いや、そもそも生き物なのかどうか問題がまだ片付いてないんだけどさ。
でもやっぱり、僕はそういう疑問は無意識の下に押し込んでしまっていた。漠然とだけどなんか不安があったんだ。