連載第一回
時期的には「若隠居長太郎」シリーズより前に書いて別のところで発表していたものです。この「小説家になろう」の使い勝手がとても気に入りましたので、引っ越しさせることにしました。
よろしくお願いいたします。
1
気がつけばデスクの上に点々と落ちていたそれを、僕は最初は練り消しのたぐいだと思った。
僕には楽しみがない。意欲もない。親しい友達なんかいるわけない。それは僕が悪いんじゃない。楽しかった前の中学から、いまの荒れた中学に転校させた親が悪い。さらに言えば、親をふたりとも騙して転居に追い込んだ詐欺師が悪い。親は僕が何を考えているかなんて、そんなことには興味がなさそうだ。だいたい、顔を合わせる時間も、ふたりが必死になったときにはほとんどなくなっていた。僕は学校に行く直前に起き、ふたりがまだ帰ってくる前に、冷蔵庫の中身で簡単な食事を作り食べて寝る。別に不満はない。どうせ親ふたりがいたって、話題となればカネのことで喧嘩するだけだ。できれば土日も家にいて欲しくないくらいだ。
まあそんなわけで他に関心の対象を持たない僕は、一見練り消しに見えたそれの普通と違う動きには興味を引かれた。
ごま粒のようなものがデスクの上に落ちていた。指で突いたら粘土のようにも思えたので、使った覚えはないがデスクの上に落ちている以上練り消しだなと判断して、指先に集めて丸めておいた。捨てなかったのは、もしかしたら何か起こる予感があったのかも知れない。その練り消し状のものが僕に命じたのかも知れない。
毎日見ていたら、それは少しづつだが大きくなっているのに気がついた。僕はそのときは、もしかしたらこれはキノコのようなものか、あるいは噂に聞く粘菌のようなものかと考えをめぐらせた。それが生物であるのなら、食料を必要とするはずだ。何がいいだろう? やっぱり、カロリー高めのものの方がいいのかな。野菜炒めを作ったときに使ったソーセージを、1センチほどだけ残しておき、僕はそれをその練り消し状のものに与えた。与えたと言っても、この不思議なものが何をどうやって食べるかわからないので、その切れっ端の上に練り消しを載せておいただけだ。
結論から言えば間違ってはいなかったらしい。明らかに、少しづつだがソーセージは減っていたし、練り消し状のものはハッキリと成長の速度を速めた。あるときはハム、あるときは魚。僕はエサを替えながら、それの観察を続けた。
どれくらい経ったころだったろう。それは人間の形になり始めていた。医学の本を見たら何週間の胎児といって写真が載っていることがあるが、あれよりもハッキリと大人の頭身だ。もしかしたらそのうち動き出すのではないだろうか?
案の定だ。それは最初は腕や脚を振り回すだけだったが、やがて座ることを覚え、つかまり立ちをして、そのうちひとりで歩き出した。こうなると気になるのが「逃げてしまわないか?」だった。
何年使っていなかったかわからない虫かごがある。小学生ぐらいだと、なんとなくみんなと馴染めないどうしが仲良くなったりすることがあるが、そういうタイプの友達がいた。エロ本の拾い読みという行為を、僕は彼から教わった。その友達が遊びに来たとき、母は金輪際関わるなと言って追い返した。そんな友達が僕にはいたんだが、その友達と虫取りをしに行って以来、ほったらかしてあったものだ。嫌な思い出の詰まったものだったが、使えそうなものはそれしかなかった。
画用紙で作った射的の的のようにおおざっぱに頭と胴体と両腕両脚しかない、元は練り消しだったその生き物は、そのとき2センチほどになっていたが、人間と同じようにものを見たりする能力はあるらしく、虫かごに入れてやったらちょこんと底に座り込んだ。周囲を眺めていたが、やがてせわしなく動き始めた。やっぱり閉じ込めるのはかわいそうなのか、そう思ったが、数分間観察していてそうではなかったことに気がついた。この練り消しははしゃいでいるのだ。テコテコと走り回って動き続けた。そうか、こいつから見ればここは安全で広い空間なんだ。手を壁に押しつけて、虫かごの網のとおりに型がついた手を眺めて心底楽しそうに転げ回った。
やがて動きが鈍くなった。お腹が減ったんだな、そう直感した。こいつが何を食べたいのか、僕にはよくわからない。しかしわかったところで、シェフは僕しかいないのだ。珍しいことに、そのとき冷蔵庫にマグロの中トロが入っていた。
「新居の祝いだ。食えよ」
そう言って僕は虫かごに一切れを入れた。こいつはこれをどうやって食べるのだろう? そろそろどうやって食べているのか見えてもいい気がするがな、そう思って観察したが、伏せてあるキン消しにしか見えなかった。
食事を済ませ、風呂に入り、僕はいつものように家に帰ってから誰とも会話せずに寝床に入った。違うのは、自覚できる限りでその日初めて意思の疎通をした人型の練り消しを部屋に持って入ったことだ。僕も珍しく興奮していたのだろうか、眠りに落ちるのがいつもより遅かったが、そうなると両親が相次いで帰ってくる。父は晩酌の肴がないことについて母を怒鳴りつけており、母は僕が食べたのだから仕方ないだろうと怒鳴り返していた。ふたりの会話というのは常にこんな感じだ。僕はもう眠ってしまっていたことにした。
2
朝、目を覚ました。
僕はだいたい宵っ張りの朝寝坊タイプではあるのだが、引っ越してからそれにますます拍車がかかった。早く起きたところで、朝から両親の罵り合いを見せられて嫌な気分になるだけだ。
そもそも僕の両親は、あまり仲がいい方ではない。この年代では珍しくないのだろうが、ちゃんとおつきあいをして互いの性格を知り抜いてできあがった夫婦ではないのだ。
東京出身の父は、僕がいま住むこの土地に養子に出されていた。それに反抗して何度か東京とここを行ったり来たりしたらしい。その父の養母が、母の父、つまり僕の祖父ということになるが、早く死んだので会ったことはない。いずれにせよそういう人に世話になったんだそうだ。だから父の養母は、恩返しとして「娘の片付き先を見つけてやる」ことにした。自分の継子と世話になった人の娘の見合いをセッティングしたわけだ。
母は直前に見合いの話をひとつ蹴っていた。
「一度出戻ってきたつもりでうちに居れよ」
父親代わりの長兄に圧力をかけられていた。それでも、父との見合いは気が進まず、断りたかったんだそうだ。そりゃそうだろう。女としてはごく当たり前の身長である母より父は背が低い。普通だったら、よっぽど人間として魅力がない限り一目でほとんどの女性が彼氏候補から外すだろう。母は見合いの時に気になっていたことがあるそうだ。父の収入のことだ。
「それだけは聞いたらあかん。嫁取ろかという人が所帯でけんような収入のはずがあらへん。失礼やさかい、それだけはあかんで」
訊こうとしたら母は釘を刺されたらしい。見合いのあと、母は自分の母親からそれとなく感想を聞かれて、それとなく気が進まないと答えたら、深い溜め息をつかれてしまったのだそうだ。
「新幹線もできたし、東京に行っても3時間で帰ってこられる」
そう思い直し、生まれて初めての東京暮らしを決意した。父が「大卒である」というだけで女の子にモテた時代の大卒、しかもそれなりに名門校出身なので、そこそこの給料は稼いでいるだろう、それも母にとっては自分を納得させるための材料であったらしい。
嫁ぎ先を見て愕然としたそうだ。日のあまり当たらない、6畳一間のアパート。嫁を取ろうという人が、家の一軒も持ってないのは非常識だと思ったそうだ。それはそれでまた感覚が狂っていると思うが、6畳一間で新婚生活を始めようというのもどうかしていると思う。さらに母を愕然とさせたのが収入だ。社会人であることを考えれば、男性の単身生活としても安い金額だったそうだ。父は青臭い感覚で上司に楯突き、それで閑職に追いやられていたらしい。
つまり始めから無理のあった夫婦ということだ。今日この日まで離婚せずにいることが奇跡だ。
そんなふたりは、当たり前のように朝からバトルだ。そんなものに付き合いたくないので僕はいつも登校ギリギリまで眠っている。そして逃げるように学校に行くのだ。本当は学校にだって行きたくはないけど。
学校では必要最低限の会話しか他の生徒と交わすことはなく、あの練り消しみたいな生き物のことばかり考えるようになった。虫カゴの中で無邪気にはしゃぐあいつは、見ているだけでこっちの気分まで楽しくなる。あいつはどう考えているのか知らないが、僕はあいつと心の交流があると思う。登校してから苦行のような数時間を終えて、僕は一目散に家に戻った。
練り消しはすっかり色の変わってしまった中トロの上に横たわっていた。食べているんだろうが、どうやって食べているのかはまだ見えない。
「おいおい、それもう腐るよ。新しい食事用意するから、一緒に食おう」
そう声をかけた。練り消しが理解しているのかどうか僕にはわからない。だけど、僕にとっては貴重な会話の相手だ。親も含めて、進んで会話をしたい相手は僕にはいま、他にはいない。
冷蔵庫を見た。トンカツ用の豚肉がある。今日はこれで食事を作ろう。でもトンカツにするには手間がかかる。やり方は知ってるが、面倒くさい。だからちょっと簡単にポークソテーで済ませた。
練り消しは、脂身の部分と赤身の部分、どちらを好むのだろう? 僕は両方が半々ぐらいになるように2センチ角ぐらいにポークソテーを切り取り、それを虫かごに入れようとして、思い直して練り消しの方をかごから出した。練り消しは、テーブルの上でぽつんとしていた。まるで広い空間での過ごし方をすっかり忘れてしまって困っているように見えた。僕は小皿を取ってきて、その上にポークソテーを置き、さらに練り消しを入れてやった。
練り消しはお皿の中で正座した。そのあと、豚肉のまず赤身の部分にしがみついた。ごくわずかだけそこに欠けを作って、天を仰ぐように両腕を広げた。そのあと少しづつ横にずれていきながら、脂身の部分にたどり着いた。違う感触に気がついたのか、しばらく脂身の部分にパンチを打っていたが、やがてしがみついた。そしてまたより大仰に両手を広げると、豚肉の周りを回りながら何度もしがみついた。これは旨いと思っているんだろうな、僕はそう想像した。
食事を済ませると僕にはもう風呂に入って寝るぐらいしか用事はないのだが、ふと思った。練り消しは風呂に入るのだろうか? そう思って見ると、いま使った小皿、これが練り消し用の風呂にちょうどいい感じだ。僕はそれを洗うと風呂場に持っていき、湯をそこに入れて、練り消しを入れようとした。脚の先が湯についた途端、練り消しは慌てて脚を引っ込めた。熱かったようだ。少し水でうめてやると、皿の縁に立って恐る恐る手を伸ばし、やがて皿の中に入ると脚を投げ出して座った。これでちょうどよかったらしい。少し心配だったのはこいつが溶けてしまわないかということだったが溶けもせず、時々湯を飲んでいるように見えた。そういえば水を与えるということを考えてなかったな。これからは時々水も飲ませるべきだろうか。
上がったらティッシュで拭いてやり、豚肉とともに虫かごに戻した。今日の用事はこれで終わりだ。親が帰ってきてまたバトルを始める前に、今日こそ本当に眠ってしまおう。練り消しと本当に友達になりつつあるようで、楽しい気分で僕は眠りに入っていった。
3
僕が剣道を始めたのは、まだ小学校に上がる前だ。公立小学校の体育館を借りての剣道教室だったが、なかなか厳しかった。2部制になっていて、初級は防具を着けず、基本的な素振りや、先生の持つ竹刀へ向けての打ち込みなどを行う。進級試験を合格して、防具を着けられる立場になったときは嬉しかった。同時に進級した友達とは違い、新しい防具は買ってもらえず従兄のお下がりだったが、それでも嬉しかった。
元々運動神経は良くないし、ずば抜けて強かったわけではない。けど中学校に上がって剣道部に入ったとき、僕はその剣道部史上最多の1年生の中で3番目に強かった。僕は2級だったが、1級がふたりいた。このふたりは道場も小学校も同じだったが、両方嫌なやつでしかも練習には不真面目と来ていたので、1年生の中ではみんなから信頼されていたのは僕だった。
その中学には1年間しか在籍することができず、こっちへ引っ越してきたわけだが、剣道部はなく警察の道場でやることになった。手続きを取って初めての稽古に行くと、取り仕切ってるオバチャンが、まだ竹刀を振っているところすら見てないのに僕の2級を鼻で嗤った。
「そっちで2級がどんなのか知らんけど、こっちでは関係ないからね」
そのオバチャンのせいで僕は常によそ者として扱われたので、2~3回は何とか稽古に行ったが、既にそこが嫌でたまらなかった。
「剣道やめたい」
僕は両親に話した。1年生の時楽しく剣道をやっていた僕がこう言い出すことには理由があるんだろう、そう思ってくれることを期待していた。けど期待は木っ端微塵に打ち砕かれた。
「甘ったれ」
「我が儘」
「弱い」
「勝手」
「だいたい学校でなじめないのもお前の弱さ」
ありとあらゆる罵倒を、僕は受けることになった。何時間話し合っても、続けます、以外の結論を受け付けるつもりは親にはないことがすぐにわかった。
以前住んでいたところよりは、ここは自然豊かだ。それだけは、僕は気に入っていた。僕は防具の入れ物の中に練り消しを隠して出かけ、近所を流れる川の中州にある公園で時間を潰していた。ベンチに腰を下ろし、そこに練り消しを出してやった。
3センチほどまでに成長した練り消しは、しばらくベンチの上に立って、いつもと違う空気を感じているように見えた。やがて歩き出すと、ベンチの縁まで来て下をのぞき込んだ。地面に下りたいのだろうか。僕はそう思い、下ろしてやると練り消しは歩き出した。この中州は自然にできたものをほぼそのまま公園にしていて、人工物とは形が全く違う。それが表れているのが水際だ。なだらかに砂浜になっており、これ以上行ったら危険というところにも高さ20センチほどの簡単なフェンスがあるだけ。練り消しにとっても僕にとっても、水に手を触れてみたいと思うのなら仕切りはないに等しい。
練り消しは水に手を浸けると、水の感覚を味わうように水中で手をぐるぐる回した。それが終わると四つん這いになって、顔を水面の下に突っ込んだ。練り消しがあまりに気持ちよさそうにしているので、僕も真似をして川の水に手を浸け、その水で顔を洗ってみた。春の水は冷たすぎずぬるすぎず、本当に気持ちがいい。春の風も、心地よく吹き抜けて手ぬぐいを使って顔を拭くまでもなく僕の……僕らふたりの顔を乾かしてくれた。
練り消しは、周囲を見渡しているように見えた。考えてみればこれまでこいつを外に連れ出したことがない。僕の家や道場がある警察署がある川のこっち側と比べて、向こう側はまだ全然開発が進んでおらず、見る限りは鬱蒼とした森の中、川縁を行ける細い道があるだけだった。
練り消しは、森側にずいぶん興味を引かれているようだった。いつからか、僕らはその道をどこまで行けるか冒険を始めた。行ってみると、その道は中州より少し上流で川から離れて山の中へ向かっていた。そこもどんどん行ってみると、巨大な岩がせり出した崖の下を通る道があったり、まるで昔話の絵本から出てきたような案山子が立った田んぼがあったりした。さらに進むと、開発が進む市街からは完全に隔絶された集落があった。住む人たちは普段の生活をどう送っているのか、不思議に思えるほどの田舎だ。
練り消しはそういう場所の方が居心地がいいようだった。明らかに普段より行動がのびのびしていて、僕の手から離れて草むらに分け入ったり、あの川のずっと上流から引かれているであろう田んぼの用水路に入ったりした。
稽古日になるたびに、僕たちはもっと奥へ奥へと足を進め、ただ通りすぎるには惜しい景色が開けたらそこで遊んでいた。引っ越してきて以来初めて、僕は楽しいという感覚を思い出していた。いつもカネのことで喧嘩している両親も、珍獣でも見るかのように僕から距離を取って、たまにつついて観察している連中もいない、僕らふたりだけの場所。進むごとに、そういう場所が次々に開けていくようだ。このまま鬱陶しい人間関係を全部捨ててこのあたりの森の奥で暮らして行けたら、穏やかな心で毎日を過ごせるんだろうな。
しかし剣道の稽古時間にも終わりがある。終わりの時間に合わせて家に帰らなければいけない。引っ越して間もなかった僕の家は新興住宅地に建つことにはなっていたが、引っ越しに間に合っておらず古くさい借家に仮住まいだった。その家に帰る時間が少し遅れた。そこから、稽古時間に何をしていたか、足がついてしまった。
僕には全く悪いことをした実感はないのだが、両親から数時間にわたってありとあらゆる罵倒を受け、レポート用紙10枚分の反省文を書かされた。反論したいことはいくらでもある。しかし僕が悪いということにしておかないと、これから食事にすらありつけそうになかった。僕は頭を下げ、反省文を提出し、習い事を投げ出したダメな人間という評価を受け入れることと引き換えに、剣道をやめることができた。もう、あの山の中に分け入る時間もなくなるんだろうな。そう思うと、まだそれほど馴染んでないはずのあの森の中の光景が、無性に懐かしく思えた。
寝る前に、もう剣道の稽古には行かないよ、そう練り消しに伝えると、心なしか練り消しがシュンとしているように見えた。両親には、まだこの練り消しのことはたぶん知られていないと思う。こいつを守るためならば、僕は家でも学校でも袋叩きにされても、なんとか耐えられそうな気がした。大丈夫、お前のせいじゃないよ、そう付け加えて、両親の罵倒がまだ耳鳴りのように耳の中で唸っているのを何とか意識から振り払いながら、僕は眠りに落ちた。
4
そもそも、引っ越すことになった理由の大元が、僕の父親がダメ男だからだ。結婚のころ既に閑職に追いやられていたが、僕が生まれるころには子会社に飛ばされていた。子会社と言っても、銀座の端にある寂れた店舗街に小さい売り場を持つだけの、カメラや時計などを売る会社だ。
僕が小学校の中学年に進むころには、両親の喧嘩が多くなっていた。その理由がカネであることは、子供心にもわかった。母は働き出した。大手生命保険の外交員だった。いま僕が住むここ、つまり母が生まれ育った地方の方言は、東京で生き残り競争を毎日やっていて心がギスギスしている企業の社長たちにとって心に染み入る慈雨のようなものであったらしい。母はあっという間に企業を中心に顧客をたくさん抱え、優秀者として年始総会で社長から直々に表彰状をもらうレベルになった。このころ母の収入は父の数倍あったらしい。
そうなると、父が家に給料を入れずに遊びだした。夜遅くに電話をかけてきて、回らない呂律で「俺の彼女紹介するからお母さんに代われ」などと言って、飲み屋の女性と母を無理矢理会話させたりしていた。子供心に僕は「お父さん、最近飲みに行くことが多いなあ」と思っていたが、あとになって母から知らされた実態はそういうことだった。まるで自分だけが苦労したみたいな母の言い分もどうかと思うが、結局母は仕事を辞めた。こうしてうちはまた貧乏になった。
僕がこの先、高校、大学と進学していくことに、父の収入では耐えられないことは明々白々だった。父はなんとなくいい仕事があったら転職を考えるようになっていた。また、母も場合によってはもっとちゃんとした仕事をしたいとは考えていたらしい。
というわけで、ふたりともなんとなく生活を変えることを考えはじめ、ふたりにそれぞれ仕事の話が浮かんだのが、僕が1年しか在籍しなかったあの中学にいたころということになる。
父は、機械部品メーカーが西日本進出の足がかりとして営業所を設けたいのでそこを取り仕切ってくれないかという話を受けていた。母は、父の養母がやっている飲食店を手伝って給料をもらうという話が出始めていた。同時に、新しい住宅地を造成して売り出している不動産会社のさらに親会社のエライさんとのコネクションができて、その住宅地をいい条件で買う話がまとまった。漠然と「機が熟した」感が出てしまった。登場人物全員が揃いも揃って「なんとかなるだろう」と思ってしまった。僕以外は。虐められてた小学校生活から解放されて楽しい生活が始まった中学校を去りたかった理由が僕にあるわけがない。だが父いわく「お前の将来のために」僕は引っ越すことになった。
母は引っ越し先の夢のような環境を語った。自然豊かな土地に建つ広くて新しくてきれいな家。そこに住む都会と違って大らかな心根の人たちとの心温まる交流。父も新しい仕事ではお給料がたくさん入るからいままでとは違う贅沢ができると、自身目を輝かせながら語っていた。
自然豊かな土地は間違っていなかった。が、大らかな心根の人たちとの心温まる交流というのは全くの嘘っぱちだった。引っ越す前なら「ごく一部の不良」だったような連中が、こっちの中学では過半数だった。女子たちからは目の前で堂々と「気持ち悪い」と言い捨てられた。そして、お給料がたくさん入るというのも幻だった。父はめぼしい取引先を数社獲得した時点で営業所の所長からフルコミッション制の営業に立場を変えられた。実質解雇だ。母は「手伝わせるとは言ったけど給料を払うなんて言ってない」と言われて、毎日祖母のやっている飲食店を手伝いに行き、往復の電車賃だけもらっていた。こうしてうちは無収入になり、なんとかなるだろ、と思って買った家のローンだけが残った。
そういうことは、当時の僕は知らされていなかった。でもなんとなくわかった。カネが原因の喧嘩はどんどん激しさを増していたし、一家そろって家の建っていく進行状況を見に行ったときにも、母は向こうを向いて泣いていた。なんで売らないんだろう? 後の母の言葉を借りれば「命懸けで」その家だけは守りたかったんだそうだ。なんだか家に執着があるんだな、僕の母は。
だが、単純に大工仕事を見ていて楽しかったので、僕は建築中の家を時々見に行った。学校から帰ったあとだから大工さんはもういなかったことも多かったが、電気の線やガス・水道のパイプなんかがどういう風に家の中を走り回っているのか、それを見るだけでも十分楽しかった。
ひとりで見に行くときには、練り消しを連れて行くのももう当たり前のことになっていた。初めて床板が貼られたとき、その上に練り消しを立たせてみたときのことはハッキリと覚えている。成長して5センチに届こうかとしていた練り消しだったが、それでもその床板はかなり広く思えたらしい。人間と同じだが、そういうときは外周を回るんだな。このとき練り消しは走ると、トテ、トテ、トテ、と小さいがハッキリと足音を立てるぐらいには大きくなっていた。
この宅地を造成した不動産会社は、グループにバス会社も持っている。だからこの宅地の中には駅から直行のバスが1周していた。1カ所、バスが向かうのとは反対方向に同じ幅の道路が延びているので、そっちに行ったら何があるのか確かめに行くことにした。
行ってみたら何のことはない、その道は途中でブツッと切られている状態だった。一応、住宅街の中を通る生活道路を通ってまた幹線道路に出る抜け道はあるようで、時々渋滞を避けた車が通ることはあったが、道の先は不法投棄された家電や自動車のバッテリーが散らばっている空間をしばらく抜けたら、もう完全に森だった。
久しぶりの森を、練り消しはずいぶん喜んだ。道にすらなっていない木や草の間の隙間を、縦横無尽に練り消しは走り回った。練り消しのあとをついて行ったら、キノコが群生していたこともあった。それを腕で指し示しながら、練り消しは何かを訴えているようだった。多分「これは食べられるよ」ということなのではないかと思う。僕は「自生しているキノコを食べるのはさすがに怖いな」と言ったが、なんだか練り消しががっかりしているように見えた。
その直後だ。練り消しは初めて空中を飛んだ。1メートルあまり飛び上がり、木の枝に乗って実を指し示した。これなら僕も知っている。グミだ。前の中学で剣道部だったとき、学校の周囲をランニングするコースの道沿いにある家が庭にこの木を植えていて、フェンスから大きくはみ出して鈴生りに生らせていたので、ランニングの途中に失敬して摘まんだものだ。
摘まみ取って食べてみた。ランニングで失ったエネルギーと水分をほんのちょっとだけ補給してくれたあの実と同じ味がした。練り消しの分も、摘まみ取って渡した。
練り消しが「食べる」シーンをハッキリ見たのもこのときが最初だ。頭の部分の大半が口のレベルで大口を開き、実を一瞬で完食した。この体のどこにあれだけの容量が入るんだ?
このときから、練り消しはずいぶん大食らいになった。家に帰ってきて、冷蔵庫を見て塩鯖をその夜のおかずにしたが、3分の1は練り消しに食べられてしまった。それでも僕は全然嫌じゃなかった。物足りなかった分は、卵かけご飯にしてお腹を満たした。他に食べられそうなものがなかったわけじゃないが、このころの母は自分がこういう料理の材料にしようというつもりで冷蔵庫にしまっているものを食べられてしまうと火を吹くように怒った。あらかじめ言ってくれ、と思うが、僕に逆らう権利はない。
その夜、僕はこの辺一帯の地図を開いてみた。なるほど、川を境にこっち側が開発されていて向こう側が手つかずというわけではなく、学校や家があるこの辺り一帯がかろうじて人間の生活に耐えるレベルに開けただけで、周囲はまだほとんど森なんだ。
風呂に入るときに、ジーパンの裾をだいぶ汚してしまっていることに気がついた。何か言われるかな。いいや、どうでも。洗濯機にそれを放り込んで例によって練り消しと入浴したあと、僕たちは眠りに入った。歯磨きをしたあとでも、グミの実のあの甘酸っぱ渋い味は、前の中学への郷愁とともにハッキリと舌の上によみがえった。