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Sleep-Walker~夢と現~  作者: 桜椛
第1章:微睡みの科学者
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6話 それぞれの目覚め

「――きて――さい――」



 声が聞こえる……何だ?……何を言っているんだ……



「起きてく―――い――」



 起きろ?……起きろと言っているのか?……嫌だ……俺はまだこの感覚に浸かっていたいんだ……



「起きてください!」



 男性の苛立ち交じりの声が耳を劈くと同時、肩を思いきし掴まれ揺さぶられる。まるで脳までを揺らされているかのような気持ちの悪さを感じて、俺は目覚め悪く起きた。



「!?……はっ……ん……」



 とはいえ相変わらずいい匂いと波の音は聞こえる。その気持ちの悪さも次第に薄まっていく。

 にしてもいつの間に寝てしまったんだ俺は。



「とても気持ちよさそうに眠っていましたよ」



 さきほどまでの怒号は何処へやら、顔に笑顔を張り付けて優しい声音でそう言ってくる。

 プロ根性とでも言いたいのかこの野郎。

 だがしかし寝起きでもいい声だと分かるほどに心地いい。



「は、はぁ……」


「検査は終わりました、お疲れさまでした」



 言われて体を起こしながら部屋を出る。

 何処となく体がだるい……頭もぼーっとするし。検査? 俺が寝てる間に終わったのか。

 若干ふらつきながら部屋を出ると、同じタイミングで隣の部屋から桜が出てきた。



「あぁ~ライ君おはよう~」



 桜もまた眠っていたようで目を擦っている。



「おはようって……お前も寝てたのか……」


「えへへ~気持ちよく寝ちゃった~ライ君も?」


「あ、あぁ……まさか皆も……?」


「ん~そうみたい……? おっとと……」



 まだ頭がぼーっとするのだろう、足が縺れてよろける桜。咄嗟に手を差し伸べ倒れないように支える。



「大丈夫か、終わったらバスで待機らしいからゆっくりしようぜ」


「えへっ……ありがとうライ君」



 ふにゃら~と擬音が聞こえそうなほど寝起きの蕩けた顔でお礼を言う桜。思わず目を背けてしまう。


 その後、俺たちは3階の更衣室へ向かい着替えを済まそうとした。先程見た通り寝起きの顔をして気だるそうにしながら着替えている姿がいくつも見える。やっぱり変だよなぁ。





「すぅぅぅぅ…………はぁぁぁぁぁぁああ…………」



 着替えを済ませた俺は外へ出て大きく深呼吸。

 綺麗に澄み渡った青空の下、新鮮な空気が肺に満たされる。気持ちいいな……



「ん~~…………はぁ~…………」



 すると後ろから、同じように深呼吸をする音が聞こえた。

 振り返るとそこには、ブレザーに袖を通した桜がいた。

 腕を掴んで後ろへ大きく伸びをしながら空気の循環をしていた。



「おぉ、舞園(まいぞの)さん」


「桜でいいって~~……もぅ」



 ぷくーっと頬を膨らませている桜を鼻で笑いつつ、俺は腰に付けていた携帯端末機TransDisplayトランスディスプレイの電源を入れ時間を確認する。

 「4月10日月曜日」「11:20」と表示されていた。


 留められていたバスへと乗り、来た時同様指定されていた席に座る。男女別出席番号のため後ろの席で、通路を挟んで桜と隣となる。既に大半の人がバスにはおり、あと数人、今やっている人と更衣室にいた何人かで全員揃う。

 早く帰りたい……お腹が鳴り、自分が空腹だったことを思い出す。



「あ~くそ、お腹すいたな」


「ライ君ライ君」



 俺のその声に反応してか、桜がこちらをちらちらと見ながらポケットをまさぐっている。

 なんだ、奇怪な奴だな。関わるのは避けた方がいいかな。 



「……どした?」


 

 だが聞いてしまった。なんとなく放っておけなかったのと、少しだけ興味が湧いたからだ。



「桜餅ならあるけど食べる?」


「何でポケットに桜餅入ってんだ!?」



 四○元ポケットか!? サクえもん、いやクラえもんか……ってんなことはどうでもいい!! 本当になんで入ってんだよ!? 

 桜はきょとんとした顔で、サランラップで包まれているだけの桜餅を差し出してくる。



「桜餅は必ず一個は常に持ち歩いてるよ?」



 まるで常にハンカチを持ち歩く紳士かのような感覚で言ってくる。

 なんだこいつ、抜けているとは思っていたがここまでだったか。



「あ、あぁ……そうか、……分かった分かった……。ありがとうな」



 とはいえせっかくの好意、受け取ろうと伸ばした手が、空を切った。



「お、おいなんだよ、くれるんじゃないのかよ」



 何やら思案気な顔で、大事そうに桜餅を胸に抱えている。

 ん? そういえばさっき、『一個は常に持ち歩いている』と言ったな。つまりこいつはその一個だけしか持ってないということか……。



「あぁ~悪いやっぱいいよ」



 女子からなけなしの食糧奪ってまで腹を満たしたいと思うほど、俺は屑じゃないからな。と思って断ったというのに、桜は逆に驚いたような顔をしてきやがった。



「え~いいの? お腹空いてるんでしょ? お家に帰ればいっぱいあるからいいよ?」


「……じゃあなんでそんな大事そうに抱えてんだよ」



 すると桜は、悪戯っぽい含みのある笑顔を浮かべ……ようとしてよくわからない奇妙な笑顔を作っている。



「えへへ~えっとね~ライ君がわたしの事、(さくら)って呼んでくれたらこれあげてもいいよ~」


「じゃイラネ」


「ひどい!」



 今にも泣き出しそうな顔である。うっ……急に罪悪感が……。はぁ……仕方ない……大人しく貰っとくか……。って人から物を貰うってのに随分と上から目線だな俺。



「あ~分かった……慣らしていくから頼む、腹が減って仕方がないんだ」


「ん~ずるいよそんなの~」



 ぷくぅ~と頬を膨らませている。ぷんすかぷんという擬音が聞こえてきそうだ。



「サクラサンオネガイシマス」


「えへへ~仕方ないな~はいっ! 大事に食べてね!」



 御満悦といった感じである。え、今のでいいんですか桜さん。ちょろいです桜さん。



「ありがとう舞園(まいぞの)さん」



 俺は桜から餅を受け取った後から敢えて苗字を強調して言う。



「ライ君呼ぶ気ないでしょ!?」


「んなこたぁねえよ? 言ったろ慣らしていくってサクラサン」



 すごい複雑そうな顔をしている。彼女なりの葛藤があるんだろう。どうでもいいが。



 ラップで包んでいたためか、少しばかりねちょっとした桜餅を食べる。

 微かに笹の匂いがする……。まぁお陰でなんとか夕飯まで乗り切れそうだな。



 とか思いながら、俺が食べ終えている頃にはクラス全員が揃っていた。

 ふぅ……11時30分か……やっと帰れる……。

 点呼を終えた後、バスが発進する。

 皆やはり寝ていたようで元気がない。ただ一人この男を除いてな……



「よ、雷架(らいか)。どうだったどうだった? 背は何cm伸びたよ~」



 悦受が、待合室の時と同じように椅子の背もたれに体を預けて聞いてくる。



「ふっ……聞いて驚くなよ?」



 面倒くさいとおもいつつも勿体つけてみる。



「おう言ってみろや」



 なんかちょっとイラッとしたぞ今。



「はっ! 3cmだよ3cm!!」



 精一杯のドヤ顔で言う。

 事実、この年で3cmも伸びたというのはすごいことだ。その証拠に悦受(えつじゅ)は気持ちの悪い顔を驚きの色に染めている。

 因みに隣に座っている橋田(はしだ)は眠っている。まだ寝るか……。



「いやお前それは盛っただろ、俺なんか1cmだぞ」


「盛れるかバカ野郎」



 あ、バカ野郎って言っちゃった。



「バカ野郎って何だ! もっと言って!」



 ほらこうなる……。俺も学習しないとな……。



「分かった分かったお前は天災、お前は天災」


「何か字違う気がするのは気のせいかな!?」


「強ち間違いではない気もするがな」


「せめて人災がいい」


「どっちも傍迷惑だ」


「それがいいんだろ」



 真面目な顔して何言ってんだこのバカは……口に出してないからな?



 そんな下らない話をしたり、流れる風景をただ眺めている間に、夢咲高等学校へと戻ってきた。

 行きの時と比べると幾分か速く着いたような気がする。やっと帰れるのか……。



 バスを降り、校門へ入り教室へ戻ろうとする。が、1階西棟の渡り廊下に人だかりがあるのを見て、思わず足を止める。



「すごい人の数だな、まだ終わってないんだ」


「お、三浦じゃねーか」



 三浦は「よっ朝ぶり」と言って微笑む。



「この人数じゃいつ終わるのかわかんねーな可哀想に」


「可哀想と言えるほど知り合いもいないからなんとも思わん」


「うわっ冷めてるねーそんなんじゃ女子にモテないぞ?」



 伺うような仕草でからかう三浦。

 そりゃお前はモテるだろうさ! だってイケメンだもの!



「いらんお世話だ」


「まぁ、そうみたいだね」



 三浦は俺の後方を見ながら、納得するように笑う。



「ライ君。早く行こうよ~……あ! フウ君朝に会ったぶりだね~」



 桜が忠犬のように笑顔で尻尾を振りながら走り寄ってくる。

 


「やぁ、朝ぶりだね、桜さん」



 軽く手を挙げそれに応える三浦。

 何故だか非常に、()たまれない気分になる。

 俺はそそくさと階段を登り、自分の教室へ向かう。



「あぁちょっとライ君~」


「桜さん、行ってあげな」


「うん! フウ君じゃあね~」



 背後から「待ってよライ君~」という声が聞こえるが、無視して階段を昇っていく。



 教室に戻ると、我がクラスの担任はるるんこと近江遥(おうみはるか)と、すでに自分の席に座っている生徒達の姿があった。



「はいは~い☆ 扶來君と舞園さん取敢えず席に座って~☆」



 待ってましたと言わんばかりに明るい声音で言われる。

 席に座ると、先生は唐突にパンと手を叩いて飛び切りの笑顔を弾けさせる。



「は~いみんな~今日はお疲れさまでした~☆ 2年生はまだ健診を受けているので~邪魔にならないように帰ってくださいね~☆」



 ……何故だろうか、今はこの人のテンションが鬱陶しい……。



 軽く項垂れたその瞬間、突然目の前に白いものが飛び込んできた。



「うぉっ!?」



 俺は咄嗟に体を起こして避ける。眼前に迫ったそれは窓の手摺(てすり)へと当たり、俺の斜め右後ろへと向かう。

 しかし、その席の女の子は反射的に鞄で顔を隠し防御の体勢へ、鞄に弾かれた白いものは前の席の奴の後頭部へ……



「うげぇ!?」



 隣の席からカエルを潰したような声が聞こえた。あぁ……もうお前いいよ……。

 隣の男は「ホワッツ? 何事? あぁ、でも気持ちいい…もっと…はふぅ…」と言っている。無視しよう。

 悦受の後頭部に当たったそれは床へと落ちて砕け散る。

 その姿を見て、やっと飛んできたそれがチョークだと理解する。



「あ、あのー先生……?……なんでチョークを投げてきたんですか……?」



 なんとも前時代的な、と心の中で思う。前時代でもチョークを投げていたのか甚だ疑問ではあるがな。



「扶來君が変なことを考えたからですよ~?」



 変なこと、変なこととは何だろうか。思い当たる節がないなぁ~ってごめんなさいその顔だけスマイルはやめておくり!!

 ……このひとエスパーか何かか? その笑顔がまた怖いんだが。

 

 先生は数秒俺の顔を見つめた後、まぁいいでしょうと言って話を戻した。

 まぁいいでしょう、次はないけどな。

 俺にはそう言っているようにしか思えなかった。





 帰りのHRを終え、俺は鞄を肩に下げて家路に就こうとする。

 すると桜がわちゃわちゃと帰り支度を済ませて、俺の元へと駆け寄ってきた。



「ライ君、一緒に帰ろう~」


「いや、朝も一緒に来たじゃねえか」


「? だから帰ろう?」



 それがまるで自然であるがの如く言ってくる。こいつのでかい目で上目遣いをされると、それに逆らうことを、抗うという気を殺がれる。



「あぁ~……分かったよ……桜餅くれたお礼な」



 ボリボリと頭を掻きながら、俺は仕方なく渋々こいつと帰る道を選んだ。

 無理やり選ばされたって感じだがな。

 だがまぁここまで分かりやすく満面の笑みを浮かべられると、正直調子が狂う。




 未だ人が並んでいる渡り廊下を右目に流し、靴を履き校庭を通り、校門を出る。

 この急で長い坂を下ろうとすると、桜が不意に指をさす。俺はつい釣られてそちらに目を見やる。



「ねぇねぇ~あのでっかい塔何?」


「あぁ~あれか? あれは夢咲(ゆめさき)ビッグベンだな」



 そうか、こいつは知らないのか。俺らからしたらもう見飽きたものだがな。



「び、びっぐべん?……びっぐは大きい……べんは……便?……大きいべ―─」


「それ以上はダメ!! 何言おうとしてんの!? やめなさい!!」



 全くこの子は……天然も大概にしてほしい。





 お互いの家の前で別れを済ませた後、リビングに入ると母がいた。その後ろ姿はどこか哀愁を感じる。



「母さん、ただいま」



 その声で気付いたのか驚いたように顔を挙げこちらを振り向く。



「あ、雷架。おかえりなさい」



 その顔に笑みは浮かんでいるものの、何処か疲れが滲み出ている。だが母さんはそれを悟られないように気配ってか、そのまま台所へ行き昼食の準備を始める。



「今日は袋麺でいい? ちょっとめんどくさくて」



 俺の答えを聞く前に袋麺を取り出してお湯を沸かしている。



「あぁ、かまわないよ」



 そういう他なかった。





 時刻は22時30分、俺はいつもよりはやく風呂へ行き湯船でゆっくりする。



「はぁ~~~~~」



 今日は本当に疲れた、早く眠ろう……って、眠ってばっかだな今日。

 浴槽から出て体を軽く拭き、風呂場を出ようとする。が、シュルシュルシュルシュルパサッっと衣擦れの音が扉の向こうから聞こえて来た。

 ん? 衣擦れ? っておいおいまさか……!



「はぁ~おっ風呂~♪ おっ風呂~……って……えっ!?」



 3つ折りの風呂場のドアが開かれる。

 数瞬の空白。

 本当に数瞬だが、一生にも感じるほどの時間だった。

 え~今この場には全裸で体を拭いてる俺と、それと向かい合うように全裸の妹、小鳥がいる。

 この状況、非常にまずいです。俺はとっさに拭いていたタオルで大事な部分を隠す。

 妹の胸は髪の毛で隠れているため視線を落とさなければ問題ない……よね?



「な、何で小鳥がいる!!??」


「いやいやいや!! この時間はいつも私がお風呂入ってるし!」



 あぁー……そういえばそうだったな……すっかり忘れてた……。



「いやいつもはそうだろうけどさ! 必ずそうと決まってるわけでもないだろ? 別にいいじゃねーか風呂くらい好きな時に入ったて」



 落ちつけ……落ちつけ俺……相手は小学五年生、11歳になる妹だぞ?……意識することなんかない……そうだ平常心平常心……明鏡止水の心だ……。



「お兄ちゃん知ってる? そういうの、『自分の行いを正当化する』っていうんだよ」



 小鳥は腕を組み胸を反らす。全く……色々とご立派になりましたね……っておいおい俺は何を考えてるんだ。明鏡止水の心はどこ行った……。



「それお前にも当て嵌まるぞ」


「んっもう! いいから出てってよ!!」


「へぶっ!?……あふんっ!?」



 小鳥は右手で風呂の中に掛けてあったタオルを取って、俺の顔面に押し付け、左手で手桶を取って、俺の頭頂部へ振り下ろした。

 なんとも俊敏な動き、まるで洗練された兵士のようであった…………。





「いってて、こぶができたらぁ」



 二撃目を喰らうのを予想し、タオルが視界を覆っているのを構わず風呂場を走り去った俺は、着替えを済ませ部屋に戻り、ベッドの上で後頭部をさすりながらぽつりと呟く。

 すると不意にTransDisplayトランスディスプレイが光り出す。

 透過型のディスプレイには、立体映像で着信中の画面が浮かび上がっている。

 誰だ? こんな時間に。

 思いながら覗き込むと、画面には『ドM変態野郎』という文字と、『応答』『拒否』の字があった。

 俺は迷わず拒否を押して、TD(トランスディスプレイ)を置き、部屋の電気を消して眠る態勢に入る。

 すると1分となしにまた着信がかかってくる。

 拒否──着信──拒否──着信──拒…っあ、間違って応答押しちゃった。



「なんで出てくれないいだよ雷架っ~!!」



 夜も11時ちょっと前、大音量で端末から男の声が聞こえる。

 実に迷惑な奴である。しかも汚い顔を見せながらのこの大声である。何故テレビ電話なんだよ。

 部屋の電気が消えているため──今仕方消したため──相手からは真っ暗にしか見えないだろうがまぁわざわざ顔を見せてやる必要もないだろう。



「なんだいきなり」


「なんだじゃねーよ! 親友からの電話を3回も拒否るってどういうこったよ!?」



 えーお前と親友っていう扱いになるの? 嫌だわー不本意だわー。



「で? 一体何の用なんだよ。まさか何の用もなしにこんな時間にテレビ電話なんかしてこないよな?? しないだろう。悦受(えつじゅ)くんはいいこでちゅもんね~」



 俺は学んだのだ。

 バカとは言わない。

 キモイとも言わない。

 こいつを否定しない。


 ……そうだ、変態褒めよう。



「お前、キモイぞ」


「お前にだけは言われたくねえええええええええええ!!??」



 渾身の怒りを込めて通話終了を押して、ベッドへ思い切り叩きつける。

 もういい、あいつの相手をした俺が馬鹿だった。寝よう。寝てすべてを忘れよう。

 妹の裸を見たことも、意外とすらっとしてて綺麗な体だなとか、肌すべすべしてて気持ちよさそうだったなとか、そういうことは全て忘れよう……。


 俺はベッドに横になり、掛け布団を掛けて意識を泥の中に沈める。





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「――きて――さい――」



 何だ?……私は呼ばれているのか?……何故……?……というか何と言っているんだ……。



「起きてく―――い――」



 起きろと言っているのか……何故?……眠っているのか……あぁ……私としたことが……眠ってしまったのか……。



 うっすらと目を開ける。睫毛(まつげ)が視界に入っている。

 眩しい……。視界の端に男の顔が覗く。



「おはようございます。気持ちよさそうに眠っていましたよ」



 寝起きにはいい声だ……実に心安らぐ。このまままた眠ってしまいたくなるほどに……。

 珍しいな、私がこんなことを思うなんて……。

 重い体を起こし、いい匂いが充満し(さざなみ)の音がするプレハブの小屋を出る。



 見慣れない景色からの見慣れた景色というのは実に見慣れない。そこは確かに見慣れた世界なのだろうかと疑うほどに。

 一体誰が、プレハブの小屋を出たら体育館だったなどという荒唐無稽な話を信じるだろうか……何を寝ぼけているんだ、それは夢に違いないと軽くあしらわれるのが容易に想像できる。

 事実私も同じことを言われたらそう思うに、そう言うに決まっている。仮にきっと信じる者が現われたのならば、それは同じ体験をした者だけだろう。


 頭に(もや)がかかった気分である……取敢えずここから出よう……。

 急に貫弥(ぬきや)の顔が見たくなってきた。彼女はもう検査を終えたのだろうか。私の事を待っているのだろうか。待たせてしまっているのだろうか。ならば尚更ここを出よう。そして見慣れないこの景色を見慣れたものにしよう。


 私は体育館を出て貫弥を探す。



「あ、火戀(かれん)~……ここここ~」



 椅子に座り待っている人たちを前に、貫弥は手を振りこちらに存在を示す。貫弥もまた、眠っていたのだろう。その声は気怠げに、その顔は眠たげに、布団を出されれば今すぐにそこに飛び込みたくなるほどに。

 二人は見事に眠っていたということだ。



「あぁ……そういえば皆眠たそうにしていたな……どういうことなんだ……?」


「まさか火戀も寝ちゃったの~……? 珍しいね……さっきまで生活習慣がどうのこうのいってたのに」


「むっ……痛いとこを突くでない」


「とりあえずこれで終わりだね~早く着替えて帰ろう~」


「あぁそうだな、竹刀を振りたくなった。早く帰ろう」


「あぁ~私も早く撃ちたいよ~」



 教室へ戻り制服へと装いを戻し、終わった人は各自解散という手筈になっていたため、鞄を肩にかけ教室を後にする。

 すると、1階まで降りたところでとある人と出会う。



「あー……君達、久代雪花(くしろせつか)を見なかったか?」



 眠たげな声に気怠そうな表情、眼鏡の下には隈をくっきりとつけた女性が慌ただしそうに……はあまり見えないが……話しかけてきた。

 

 この女性は、大熊眠癒(おおくまねむゆ)。本校の養護教諭である。

 常に白衣を着ており、その肩には、眠ってる姿が愛らしいネズミのキャラクターのスリーミーが乗っている。あぁ……スリーミー可愛い。

 


「久代先輩ですか? 見てないですけど~どうかしたんですか?」


 貫弥が小首を傾げて聞く。



「あぁ……いや、見ていないのならいい……何処へ行ったのやら」



 右手を顎に当てながら呟く彼女。

 どうやら何か困っているようだな。



「私たちがお手伝いしましょうか? 私は生徒会長です。お困りならいつでもどうぞ」



 貫弥が隣で「え? 帰らないの」というような表情で驚いている。



「ん?……そうか……それは助かる……それじゃぁ……少し使われてくれ」



 つかつかと、靴の音を廊下に響かせながら、私たちは保健室へと連れられる。

 そこにはベッドが4つあるが、大隈先生曰く、今は見事に全部が埋まっているのだそうだ。そしてベッドだけでなく、保健室には4人女子が、2人男子が見える。



「何かあったんですか? これだけの人数……おかしくないですか?」



 うむ、貫弥の言う通りだ。今日はどことなくおかしくはないか?



「あぁ……それが何故か体調を訴える人が多くてな……なんとも、甘酸っぱい匂いのせいで気分が悪くなったとか……」



 甘酸っぱい……匂い……?……匂いで思い出すのが先ほどのプレハブ小屋、つまりMRI検査だ。

 言われてみれば甘い匂いだった気もしなくはない……あの時はただただ落ち着いていたからな……



「確証がないため口には出さない方がいいか……?」


「火戀言って。癖で声に出ちゃってるから」


「おっと、そうか……確信はないがひとつそれに思い当たる節があります」


「なんだねそれは……?」


 スリーミーはいったいどうやって肩に乗っているのだろうか、ピクリとも動かない。



「体育館で行われているMRI検査です。そこにつくられたプレハブ小屋には甘酸っぱいと言えば甘酸っぱいような、そんな匂いが充満しています。私はそれは心地よく感じましたが、もしかしたら彼女らはそれが原因で? と考えています」


「ふむ……君達、そうなのか?」



 視界が定まらないのか頭を抑えながら女生徒は答えた。



「多分……確かにその時までは本当になんもなかったから……その後に、急に、来たから……本当に……そ、それが原因?……かは分からないですけど……」


「ふむ、確かめる価値はあるな……」


 言って先生は保健室を飛び出していく。私も後に続こうとするが、君達はあの子たちを見てやっててくれと言われ制止される。

 確かめたい気持ちはあった、でも私は自ら手伝うと言ってここに来たのだ。決して、自分の疑問を解消させるために来たのではない。それを理解できてしまうからこそ、もどかしい気持ちのままここに残る。



「火戀いいの?」


「あぁ、いいのだ。それより彼女たちがなるべく早く体調を戻せるように、私たちができる最善を尽くそうではないか」


「……うん、そうだね」



 空気の入れ替えの為窓を開ける。貫弥は校内にある自販機へと向かい、水を買ってくる。匂いからくる体調不良ならば、これで問題ないはずだ。

 そう、今は私たちにできることを……。





 大隈眠癒(おおくまねむゆ)は基本的にずぼらでめんどくさがりだ。

 そのため保健委員長である久代雪花(くしろせつか)に、先ほどの生徒たちの面倒をみさせようとしていた。

 それは叶わなかったが、思わぬ援軍によってその任を解かれた……という言い方は本来おかしいのだが、彼女にとってはそういった気分であるといえるだろう……だが、彼女は決して生徒を想っていないわけではない。

 生徒の身を案じない養護教諭などいないからだ。

 事実、彼女は今生徒のために、さほど距離があるわけではない体育館まで走っている。

 普段めんどくさがりな彼女が、普段眠たそうにしている彼女が、生徒のためを思って、今走っている。因みにその間もスリーミーは動かない。落ちる気配もない。

 椅子に並んでいる生徒たちを意に介さず、体育館へと入る。確かに体育館にプレハブ小屋とは異質感満載だ。一番手前のプレハブに目を付け、開けようとドアノブに手を掛け回す。しかし、その扉は開くことなくガチャッという音だけがする。



「鍵をかけるとは……随分と警戒しているではないか……たかが検査如きで」



 ふむどうしたものか、と頭をひねる。取敢えず。



ドンドンドンドンドンドンドン

 扉をノックすることにした

ドンドンドンドンドンドンドン



 扉の向こうから男の声が聞こえる。低くていい声だ。ドアノブをひねる、開かない。



「誰ですか? 今は検査中です。待ってください」


「誰というのなら扉を開けて顔を見れば済む話だろう。それに、我が校の場所を貸しているのだから検査中だろうと見せるのが道理というものではないか?」



 これでダメなら校長にでも掛け合ってみるか。

 考えているのだろうかしばらく待たされ、カチャリと鍵の開く音がした。



「すまない……有難う」



 私は扉を開け中に入る。

 そこには確かに言われた通り、甘酸っぱいような匂いが充満していた。

 この匂いは……カモミールの匂い……効能は、確か緊張などを和らげる……心を落ち着かせ安眠を誘う……だったか?

 ……確かにこれは心地いい、波の音もリラクゼーション効果がある……そしてこの男の声、個人差はあるがいい声で落ち着く。

 そして先ほど黒髪の方の女子が言っていたな(名前を聞き忘れた……生徒会長と言っていたが……)、「心地よく感じた」と。つまりこの空間は──



「先生も検査を受けますか?」



 すぐ背後から声が聞こえる。そして腰に何かが当てられ……バチッっという音がする。



「!?……っ……改造まで……施しているとは……用意……っ……周到だ……な……」





 大隈眠癒(おおくまねむゆ)は意識を失った。







 生徒たちの様子は幾分かよくなったようだ。私たちでもできることを、何故先生はしなかったのだろうかという疑問も浮かんでくるが気にしない方がいいのだろうか。時間は30分経っていた。



「遅いねー先生、どうしたんだろう。帰っちゃう?」


「馬鹿言うな、まだこの子たちは完全に良くなったわけではない以上ここを離れるわけにはいかん」



 とそこで、やっと部屋の扉が開けられる。



「あぁ……っと君たちどうしたんだ……」



 頭をさすりながら大隈先生が入ってくる。



「先生こそどうしたんですか、随分と遅かったですね」


 空になったペットボトルをゴミ箱に捨てながら貫弥が聞く。



「ん……私か?……私は体育館で検査を受けてきただけだが?」


「ん? 生徒たちが体調を崩した原因を確かめに行ったのでは?」


 それがなぜ、検査を受けて帰ってきたというのだ。



「あぁ……そうだったか?……そうだった気もしなくもないな……」



 大丈夫かこの人……。



「まぁ……そんなことはいい……君達、一見元気そうだが何故ここにいる?……用がないなら帰ってほしいのだが」


 何だ……? 先程までとはまるで別人じゃないか。

 まさか30分前のやりとりを忘れてしまったとでもいうのか?



「火戀、かえろ」



 何故か言われた通りに大人しくする貫弥。

 しかし私としてもこの状況をどうしたらいいのかもわからない。それに、先生が帰ってきたのならば私たちがここにいる理由もないだろう。



「あ、あぁ。それじゃあ先生、さようなら」



 保健室を出て溜息。



「ねぇ火戀。絶対おかしいよね今の」


「あぁ、様子を見に行ったはずの先生が検査を受けて帰ってきた。どうも私たちの事も、生徒たちの事も忘れてたようだが……」


「どうする? 調べてみる?」


「うむ、この気持ちのまま刀は振れん」



 この疑問を解消するために、体育館へ行く。


 並んでいる生徒たちから変な視線を受けるが、それを無視して中へと入る。

 一番奥に見えるプレハブ小屋へ向かう。ドアノブを捻るも開かない。



「あの時はあまり感じなかったが、やはりおかしいなこの空間は」



 おかしいばかり言っている気がするが、おかしいものはおかしいのである。



「検査中鍵かけられてたなんて……こわいね」


「それもそうだが、この私たちが鍵を掛けられたことに気が付かなかった、そっちのほうがこわい」


「確かに、気づいたら寝てるし。その間になにかされているんじゃない?」


「む、だとしたら決して許されることではないぞ」


「校長先生に言った方がいいかな?」


「悩むとこだが……確証がない以上下手な手は打てない」


「それいったら私たちのやろうとしてることは下手な手ではないの? 先生の事もあるし」


「うむ、正直いって不安だ。だが踏み込む時を見誤ってはいけない」


「今現在見誤ってない?」


「大丈夫だ、一人じゃない」


「うーん火戀がそこまで言うなら……」


 一通り決意を固めたところで扉をノックする。



「なんですか? 今は検査中ですので終わるまでお待ち下さい」



 扉越しに男の声が聞こえる。

 私が入ったところとは敢えて違うところを選んだが、聞こえてくるその声は低くいい声だ。



「検査中だろうと鍵をかけるのはどうかと思うが? 何かしらやましいことがあるのではないか?」



 男は黙っている。これはやはりなにかある。



「プライバシーを守るためです。お引き取り願います」



 おいおいおかしいだろ、何を言っているんだこの男は。



「尚のことプライバシーを守ることだ、生徒の確認をさせてくれ」



 数瞬黙り、鍵を開ける音が聞こえる。

 そのまま私たちは部屋へ入る。先ほどもそうだったが、MRIの奥の壁は鏡張りとなっている。

 そして甘酢っぱい匂いも……漣の音も……先ほどとは違う印象を受ける。

 MRIには生徒が寝そべって──



「待て、これは本当に生徒か?」



 近づき確認をしようとする。



「火戀っ!!」



 背後で貫弥が叫んでいる。

 それに反応し振り返ろうとしたその時、男が何かを私の腰に当てる。



「っ……!?……」



 意識が遠のく……迂闊だった……高を括っていた……私たちなら問題ないだろうと……そう思っていた……どうやら甘かったようだ……貫……弥……逃げ…………





遠月火戀(とおつきかれん)は気絶した。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 「はぁ……疲れたな」



 仕事を終えた男は、眼鏡を一度取ってから目頭を軽くこすりながら背もたれに体を軽く預ける。



「お疲れ様です。少なからず、誰かが疑うような素振りはありませんでした」



 挟んで隣に座る眼鏡をかけた男が言葉を掛ける。



「そうか、今どきの高校生は危機管理能力がなってないんじゃないか?」


「ですがそのおかげで事が順調に進んだとも言えます」


「ふっ……それもそうだな」


「時代も技術も進歩を遂げました。セキュリティは厳重になりプライバシーの保護は絶対のものとなったといってもいいでしょう。そのため、まさか自分の頭の中にあんなものを入れられるとは思わないでしょう」



 やけに説明口調でにやつきながら言う。

 そんなに嬉しいのかと男は隣の男を心の中で軽蔑をする。

 


「あぁ、上手く行けばあの人も満足いくでしょう」



 完全に疲れをほぐす様に目を閉じ力を抜いている男とは対称に、未だ仕事モードでパソコンをいじっている男が声を上げる。



「学校サイドからの報告が」


「……どうだって?」


「何人かに怪しまれ、検査中に割りこまれた。と」



 その言葉に男は体を起こし顔を神妙なものへと変える。



「それでどうしたんだ」


「一人は女教師、スタンガンで気絶させ記憶を少々……。二人は女生徒、これも同じくスタンガンで」


「あまり事を大きくしてほしくはないがな、致し方ないか」


「えぇ、今学校を出たとのこと」


「そうか……」


 言って男はスーツの袖を捲り、TransDisplayトランスディスプレイのロックを解除し電話をかける。 

 トゥルルルトゥルルルと呼び出し音が何度か聞こえ相手に繋がる。



『どうした』



 端末から、男の声が聞こえる。



「今日の分を終わらせました。片方がどうも怪しまれたと。しかし例の男たちに任せて一応は問題ないとか」


『そうか、ばれないように頼むぞ。流石の私も責任とれかねん』


「はい、重々承知の上です」


『他の地方からも報告が上がった。どこもちらほらと学校側だけ怪しまれたと言っていた』


「やはり、少しばかり無謀だったのでしょうか」


『私にはわからんよ。それを考えたのは貴様だろう』


「……そう、ですね」


『まぁ事が済んでしまえば問題ない、のだろう?』


「はい、埋め込んでしまえば、明日には……もう」


『御苦労であった。ここが到達点ではないということを努々(ゆめゆめ)忘れるでないぞ』


「はい。それではこれで」


『あぁ』


ブツッ……ツー……ツー……ツー……報告を終え、男は嘆息する。





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