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Sleep-Walker~夢と現~  作者: 桜椛
第1章:微睡みの科学者
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5話 私としたことが

 

 鞄からノートと筆箱を取りだした私は、ロッカーへ教科書を取り出しに行く。


 

 次の授業は科学だ。場所は三階の東棟突き当り。


 科学室へ入ると、当然とも言うべきか薬品の独特な臭いが充満していた。この臭いは嫌いと言う訳ではないのだが、落ちつくかと言えばそうではない。だから良く分からない顔をしているのを自分でも分かる。


 

「とは言えそんな面白い顔をするのは火戀(かれん)だけだろうけどね~」



 後ろを付いてきていた貫弥(ぬきや)が愉快そうに口角を上げている。



「面白い顔とはなんだ、失礼な」


「え~? こうぷ~って頬を膨らませて、口を尖らせて、眉をぎゅっ! ってしてるの。ほら、面白い顔じゃん?」



 と言って、貫弥はその通りの顔をこちらへ向けている。

 正直酷い顔だ。お世辞にも可愛いとは言えない。



「そんな阿呆のような顔はしていない」



 そこで話を切り上げるように、私は席へと座る。

 貫弥とは出席番号の関係上、席が離れている。

 貫弥が座ったのを見図らったかのようにチャイムが鳴り響くと、バタバタと教室へ入る生徒や会話を切り上げて着席する生徒で慌ただしくなった。


 全員が着席したのを確認すると白衣を着たボサボサ髪の先生が授業開始の合図を送る。



「起立! 気を付け! 礼!」



 クラス委員である隈紫璃(くまじり)さんの実にはきはきとしたいい号令が響く。彼女は真面目でありながら抜くところは抜く、何事も卒なくこなすタイプの人間だ。私としてはそれは当たり前のことと捉えているのだが、どうも皆はそうではないらしい。らしいと理解したからこそ彼女は一部から憧れの対象とされていると貫弥から聞いた。

 私としても彼女のことは嫌いじゃない。嫌いという感情が姿を見せないほど、彼女からは不快な臭いがしない。

 やる時は真面目にやる。その体勢は共感でしかない。



「はいはーい。よろしくね~。早速だけど今日は、雷について勉強していきたいと思います」



 …………それに比べてこの男である。



 隈紫璃(くまじり)さんがきっちり真面目に仕事をするタイプとしたら、先生はずぼらに仕事を放棄する感じだ。


 彼の名前は大久保博樹(おおくぼひろき)

 年齢不詳、家族構成並びに友好関係も謎と言った存在だ。あまり自分の話をしたがる人ではなく、基本的には自分の()()なことをひたすら喋っていると言った感じだ。

 常に皺でくしゃくしゃの白衣に、ズタボロな靴下とスリッパ。

 髪の毛は手入れがされてないのかボサボサととっちらかっており、あまり清潔感が見受けられないのが第一印象であろう。

 そのため彼と初めて会う者は誰しもが困惑するし、二年になった今だって先生のことが苦手、嫌いと言う人がいる。

 

 清潔感が無いと言うのもそうなのだが、極めつけは私でも分かるくらいださい丸眼鏡ということだろうな。

 ぐるぐるだ。蜻蛉が飛んできたら止まりそうなほどのぐるぐるだ。

 彼はあれが似合ってるとでも思っているのだろうか? 因みに生徒はおろか、同じ職場で働いているはずの先生達も、彼がぐるぐる丸眼鏡を外したところを見たことがないそうだ。


 どうでもいいが、白衣の胸ポケットにいつも黄色いボールペンを刺している。

 よりによってあまり使い道が無い色だ。



 先生は黄色いチョークを取ると、黒板に日付を書いて、『雷の仕組み』と書いた。


 雷だから黄色なのか、はたまた黄色が好きだから黄色なのか。まぁこの際どうでも……よくないな、気になってしまった。



「えー、まず! 雷というのはですね~簡単に言っちゃえば静電気の強化版です」


「先生もっと分かりやすく教えてください」


 

 やる気の感じられない間延びした先生の言葉に、これまたやる気の感じられない男子が口を挟む。それをこれから説明するというのに我慢の無いやつだな。



「まぁまぁ、そう焦らずに。今からちゃんとわかりやすく説明しますから」



 先生は眼鏡のブリッジくいと上げ授業を進める。



「静電気の説明はいいよね? 物質同士を衝突、摩擦させることにより(マイナス)の電荷が片方の物質に移動します。この時、(マイナス)の電荷を奪われた物質には(プラス)の電荷だけが残ります。これを帯電状態と言いますね~」



 様々な実験器具が置いてある教卓へ両手を突きながら説明を始める先生。目こそ分からないが、その口角は分かりやすく上がっている。

 


「この帯電状態にある物質と、電気が通りやすい物質が接触すると……例えば金属。それに残っている(マイナス)の電気と結びつくことにより、発生するのが静電気です」



 そして先生は自分のペースで一気に、袖と一緒に捲し立てる。



「この静電気が雲の中で行われている結果、発生するのが雷です。まぁ色々あって、雲の上の方では(プラス)の電荷が、雲の下の方では(マイナス)の電荷が集まります。この下の方にある(マイナス)の電荷によって地面には(プラス)の電荷が誘導されます。これを静電誘導といいます」



 言いながら黒板に雲の絵を描く。雲上部には『⊕』が、下部には『⊖』がちりばめられてある。

 ピッと線を引きその下にも『⊕』を描く。すると先ほどとは別の男子が「色々ってなんですかー?」と質問した。


 先生は困ったように首を傾げながら微かに微笑む。



「うーん……そこを説明すると長くなっちゃうから割愛したんだが」


「生徒の疑問に答えられないで何が教師ですか!」



 男子は茶化すように笑う。先生は、僕だって大学に入ってから勉強したんだからと言って説明を続けた。



「えー……そして? その電荷はどんどん溜まっていき、蓄えられなくなって放電をします。先ほど言った静電気ですね。雲下部の(マイナス)の電荷が、雲上部の(プラス)の電荷目掛けて高速で移動します。これは雲内部で行われている雷で、雲放電と言います。夏には基本的に落雷よりこの雲放電のほうが多く、冬には同じ、または逆になります。」



 少しばかり脱線してしまったかな? と言って頭を掻く。

 それを見て不快そうな顔をして一歩退くクラスの女子たち。



「その雲と、静電誘導によって(プラス)の電荷を蓄えた地面が、雲上部の電荷よりも近い時、雲下部の電荷はその地面目掛けて電気を放ちます。これが落雷ですね。静電気の強化版と言ったのはこのためです」



 先ほど描いた雲と地面を結ぶように、黄色いチョークでギザギザと雷のマークを付け足す。



「因みに、何故雷がまっすぐではなく、ギザギザと落ちるのかといいますとね。雲下部に蓄えられた余分な電子というものが存在します。その電子は雲を飛び出し、地面へと向かいます。しかしその途中で中性の原子にぶつかってしまうんですけど、飛び出した電子はその有り余った元気故か、原子から電子を弾き出してしまいます。電子を失った原子は(プラス)の電荷をもつイオンとなります。この瞬間は、(プラス)のイオンと(マイナス)の電子との両方が存在していますね、この大気の状態をプラズマといいます」



 ここまではいいかな? と全体を見回しながら聞いているが、返事は無い。



「ふっ……それじゃぁ続けるよ。弾き出されてしまった電子も、地面に向かっていきます。この弾き出された電子もまた中性の原子とぶつかり、電子を弾き出します。これらを延々と繰り返していくことで、電子が通りやすい道というものができています。電子が地面へと到達したときに、地面に蓄えられた(プラス)の電荷がその道を通って雲まで上り詰めます。電子より大きい力をもった(プラス)の電荷が通ると、とても強烈な閃光を放つのです。これが稲妻で、ギザギザに進む理由となっております」



 それからというものも、大久保先生の独壇場が始まった。

 この人はただ自分の好きなことを喋っていたいだけ。別に生徒に理解させようなどと言うことは頭の中から消えているだろう。

 そのため、先生のテストは毎回馬鹿げるくらいに難しいと言われている。

 まぁ基本的に教科書を覚えていれば答えられるようなものもあるし、本当の意味で理解していればそこから彼が出す問題に対応できる柔軟な思考と言うのもそこまで難しいことではない。

 

 と、私は思う。



「うーん早いね~これも僕の授業が楽しいからかな?」



 ぶわはははと気色の悪い笑いをして皆を引かせてから、授業終わりの合図を出す。

 なるほど、大久保先生はすごい。自ら相対性理論の話を持ち出しながら、それを体現させて生徒に学ばせようとは。いやはや、恐れ入る。

 

 つまらない冗談を話す方と、話された方、確かに時間の流れが違いましたよ。









 時刻は、昼前11時を指していた。

 三時間目は教室で自習となっており、各自机に向かい勉強をして……いないな。

 この時間を請け負った先生も、教卓で豪快にいびきを上げて寝ている。そのためか、生徒達は勉強なんてそっちのけで、友人たちと会話に花を咲かせている。

 生徒会長である私にとってそれは許せないことだし、立場上注意するのが当然であろう。しかし、注意したところで一体何になる。自ら望まぬ限り得たいものは得れない。人から言われて動くようでは、端からやらなくても同じであろう。


 その後も同じ様な時間が流れていく。早く診断は始まらないのか、退屈してきたその時、スピーカーから眠たそうな女の人の声が流れた。何の前触れもなく突然要件だけ伝えられ、皆驚きと戸惑いが隠せていない。



『2年生は健診の時間だ、準備を済ませてくれ』



 たったのそれだけでブツッと音が消えて終わる。随分と粗雑だな……。


 だがやっとかと、皆は腰を上げ体操着を取り出す。

 健診のしやすい格好へと、赤の体育着ジャージへ袖を通す。

 どことなく闘争心を掻きたてられるそれは、学年ごとに体育着と上履き、生徒手帳の色が違う。

 私たち2年生は赤、1年生は黄色、3年生は緑となっている。

 うむ、こうやって羅列すると信号だなまるで。



「確か5組が先に体育館でMRI検査なんだって~」



 着替えを済ませた貫弥が私の方へやってきた。

 体育着姿の彼女はよりそのスタイルの良さが前面に出ていて同性の私ですら少し見蕩れてしまう。



「ほう、人様に頭の中を見られるというのはあまり気分のいいものではないな」


「いやいや検査何だししょうがないじゃん。それ言ったら体重見られる方が嫌だー! とか言っとけばいいのに」


「む? それもそうか……。た、タイジュウミラレルホウガイヤダー」


「何故に片言」


「やはり私はそういうの向いていないようだ……」



 所謂女性の悩みというのをあまり理解出来ない……私は私、それでいいだろう。



「ふふっそんなことないということを気付いてないのがまた可愛いな~」



 貫弥はいたずらっぽく笑うと腕を後ろ手に組んでこちらを覗いてくる。



「貫弥は時々突拍子もないことを言うな」


「脈絡のなさでいえば火戀(かれん)も似たようなものだよ」


「良く分からんが、お互い様ということで、剣道場へ向かおう」





 


 特別棟、体育館とは左右対称に存在しているそれは1階から剣道場、弓道場、柔道場、4、5階の2階分を使って屋内プールがある。

 今日の健康診断は剣道場で身体検査を、2階弓道場で視力検査、3階柔道場で聴力検査を行って、体育館でMRI検査を行う。

 特別棟も体育館と同じように渡り廊下で行けるようになっているのだが、混むのを嫌ったか階段を1個、2個、3個、4個と降り、職員室を左手に横切り渡り廊下から剣道場へと入る。

 やはりここは落ち着くとこだが今日は健康診断仕様にリフォームされている。リフォームといっても当然比喩なのだが。



「神聖な道場をこのようにされるのは、我が家を土足で上がられるのと一緒だな」



 自然と声のトーンも落ちる。



「あぁ~その気分を私も味わうのか……抑えられるかな」



 貫弥も同様にそういった心持にさせられるのだろう。



「滅多なことを言うな。自制が利かなくなるだろう」


「それ言い方が違うだけで一緒よ」



 二人して乾いた笑みを浮かべる。冗談でも言ってないとやってられないな。





 剣道場にはすでに生徒がいて、検査を始めている姿が見えた。

 身長、座高、体重がすぐ測れるように3点セットで、同時に8人できる仕様となっていた。

 一番奥の二つが空いていたためそれぞれ分かれ検査、というよりか測定をする。



 私の身長は170cm、座高は88cm、体重はヒ、ミ、ツ……と言った方がいいのだろう……よくわからんが。



 貫弥も終わらせたのか、こっちに来て髪を揺らしながら聞いてくる。



「火戀~身長何cm伸びた?」


「あぁ、1cm伸びたぞ。70の大台へ到達だ」


「おぉ~ついにきましたかこの時が。私は2cm伸びたけど70台には更に2cm足りないね~」



 ピースの形をとって縦に振っている。 

 私たちは周りの女子から比べたら背が高い方なのだろう。なぜ二人してこうも背が高いのかは知らないが、常に背筋を伸ばして生きてきたからだろう……と自分の中で納得いかせる。



「さぁ、次は視力検査だ」



 さっきまでの笑顔を仕舞い込み、目を伏せる貫弥。



「そうだね、行こうか」



 クラスの人達とすれ違いながら2階へと上がる。

 弓道場へ入ると今度は同時に6人検査できるようになっていた。丁度良く二人分終わったため、そこへ並ぶ。

 貫弥はやはり暗い顔をしていた。暗い顔を無理にしているのかもしれないと思う。

 基本的に私たちは目がいいので、左右を2、3やった程度で終わった。判定はAとでもでるのだろう。



「早く行こう火戀」



 今はもう後ろは振り返らないとばかりに入口へそそくさと行く。私もそれに続き聴力検査をしに3階へと向かう。



「はぁ……息苦しかったっー! あんなにうじゃうじゃ白衣着た人たちが我が家にいると考えると、息も詰まるね~」



 両手を挙げ伸びをする。今度は胸が苦しそうだな。



「あぁ、そうだな。はやく終わらせて家に帰り落ち着きたいものだ。汚されていない我が家へな」


「ふふっそうだね。私も早く心落ち着かせて撃ちたいよ。汚されていない我が家でね」



 二人のこう言った時間というものはひどく癒される。先ほどまでの不快な気分を少し和らげ、いざ聴力検査へ。



 これも検査機が6つあったが、聴力検査は元々同時に何人もやるものだから、椅子の数からみて今この場で同時に36人。



「つまり約一クラス分ここでできるのか」


「はいはい、相変わらず速い頭だことで」



 言った直後笑う貫弥、冗談と言いたいのだろう。



「ふっ……またか。よしてくれ全く」


「よしてくれはこっちのセリフでしょーがっ」


「悪い悪い、さぁ早くやってしまおう」



 見立て通り約一クラス分が同時にできるため、ここでも待つことなく検査を済ます。

 日常的に支障がないか確かめるためのものと聞いたことがあるため、何の問題なく終える。



「ふぅ……後は体育館でMRI検査か~頭の中覗かれちゃうのか~マッドサイエンティストの実験台にされちゃうのか~」


「マッドサイエンティストか……是非とも一度お会いしたいものだ」



 常識に囚われないその頭の中が少し気になる。案外面白い人かもわからないからな。



「あまりそういうことは言わないでよ~身構えちゃうじゃん」


「ん? 気を緩めるときは場所と時を選ぶことだ」



 話しながら一度校舎へ戻り、体育館へ目指す。

 さっきは気付かなかったが渡り廊下には椅子が並べられており、そこに人が座っている。

 一番近くにいた女子へ近寄り話を伺うことにした。



「随分と時間がかかっているようだがどうしたんだ一体?」



 びくっと肩を跳ね上げさせ、壊れたロボットのようにぎこちなくこちらへ顔を向けた少女。目をちらと見てはすぐ外す、うつむき加減で顔に影を落としている。そして2つに結えられた髪をいじいじとしてボソリと呟いた。



「あ、えっとですね……どうも中には検査をする人しか入れないらしくて、このようなことになっておりますです……」



 なんだこの子は、随分と自信なさげじゃないか。それに待て、今検査をしている人しか入れないと言ったか?



「一体全体どうしてそのようなことになっているんだ?」


「ごっ……ごめんさい……自分にはちょっと理解できかねますですね」



 申し訳なさそうに謝ると膝をぎゅっと握って完全に俯いてしまった。これではまるで万引き犯を問い詰める警察官だな。



「ん~これは大人しく待つしかなさそうだね火戀~」


「ふぅ、仕方ないな……植野さん。有難う、次からは相手の目ではなく首元辺りを見て話すといいぞ」



 初対面で名前を呼ばれたのがかなり驚いたのだろう、今にも跳びあがらん勢いで顔を上げる。

 私は植野さんに見えるように、トントンと自身の胸の辺りを叩く。

 その行動と、私の格好を見て納得いったのだろう。あ、と吐息を洩らして目を大きく開く。



「はっはい!……ありがとうございます……わたし、鮫洲(さめず)って言います」


「んっ、そうか。私は火戀って言うよろしくな。植野鮫洲さん」



 私は彼女に御礼を言い、一番前にいる人の顔を記憶してから列に並ぶ。

 体育館からは1人、2人と、どこか眠たそうというよりか寝起きの顔で出てくる。



「何だ皆? 生活習慣がなってないんじゃないか? まだ11時30分だぞ」


「ん~偶然にしては二人連続ってのはおかしいよね~」


「まさか寝ているからこんなに遅いんじゃいか?」


「かもね~ふざけんじゃないわよって感じですね先生」


「なぜいきなり先生呼ばわりだ」


「なんとなくです」


「そうか」


「うん」


「ん」



 中身の無い会話とも呼べぬものをするくらいに退屈だと言うことだ。





 並ぶ前に覚えた人が体育館から出てくる。例にならって寝起きの顔だ。

 桐崎と言うのか。

 これまでに8人出てきた、ということは中には8人しか入れないということか。ここまで40分が過ぎている。40分で8人サイクル……長い、長いぞ。一日これだけで潰れてしまう。



 2時10分。正確には14時11分。実に2時間と40分を椅子の上で過ごした。40分サイクルのため、32人が終わった計算だ。遊園地の大人気アトラクションより長い。

 そうしてやっとの思いで体育館へ足を踏み入れる。普段と違う景色、空間というだけでやけに緊張してしまう。

 まず視界に飛び込んできたのはプレハブ小屋が8棟。一瞬自身の目を疑った。体育館の中にプレハブ小屋……実に大掛かりな事だな。しかもその一つは壇上という、実に異様な光景だ。

 訝しがりながら周囲を見回すと、白衣を着た男がこちらへ手招きをしていた。手招きをされている以上それに付いていくほかないのだろうが、正直気が進まん。

 とは言えここでじっとしていても仕方ないと言うのも事実。

 不信感があるため、足が動かないのもまた事実であり……。



「こちらです。どうぞゆっくりと落ち着いて下さって構いません」



 渋っていたらあちらのほうから話しかけてきた。逆にここまでの積極性があって何故に人の回りが遅い?

 男は低くゆっくりと落ち着いた声でこちらへ近づいてくる。その顔は胡散臭さがあるものの、実に心地の良い声音である。

 話しかけられた以上断るのも変であるため、私は大人しく付いていくことにした。

 プレハブのドアを開けられ中に通されるとそこには、固く凝った気持ちが和らぐような、そんないい匂いが充満していた。

 なんと(さざなみ)の音まで聞こえてくる。

 すぐ目につくのはMRIだったが、その異様な状況にも不信感が募っては段々と消えていっている。

 この空間のせいだろう……。



「それじゃぁこちらに寝てください」



 丁寧に、一つの所作が洗練されたかのような動きだ。それに加えてこの心地いい声。実に落ち着く。



「頭を絶対に動こさないでくださいね。検査が出来なくなってしまいますから」



 それはどこか機械的に繰り返すロボットのようにも感ぜられたが、安らぎを与えてくれるその声は確かに人間だという安心感をも与えてくれる。

 頭を固定されて動くことを封じられた私にできることは、このいい匂いを嗅ぎ、この気持ちいい漣の音を聞き、ただただ検査が終わるのを待つことだけだ。





 いかん……眠くなってきたぞ……。

 先ほどまで生活習慣がなってないとか言っときながら、その本人が眠いとは全く生徒会長としても示しがつかないぞ……。

 あぁ……眠い……とにかく眠い……私自身は生活習慣に乱れは無い……にも関わらずこの体たらくはなんだ……いや……そもそもこの空間は……



「動かないでください、力を抜いて落ち着いて待っててくださいね」



 男の声で思考が中断される。今さっき何を思ったのか忘れてしまった。



 ふむ……力を抜いて……落ち着いて……か……。

 瞼が重くなってきたな……目を閉じてもいいだろうか……落ち着いてくれと言われたんだ……このくらいはいいだろう……。

 目を閉じるというのは非常に落ち着く……剣道でも黙想をするときに目を閉じるためその時の感覚を思い出すのかもしれんな……呼吸を整え落ち着かせる……鼻から息を吸うといい匂いがする……耳を澄ますと漣が心を洗う……



 最初は異様だと感じたこの空間が、今では私の心を癒す最良の糧となっており、気付くと私は……





 ────気付くと私は眠っていた……。

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