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「お父さん、悪ふざけはそこまでにしてくださいよ。ルファが困っています」
ティセルカが呆れ顔で父親をたしなめるが、まったく改善が見られない。鼻水なのか涙なのかもはやわからなくなった四十路の液体が、本当にすぐそこまで迫っている。
「ティカ! 早く、早く助けてください!」
あまりのことに泣き顔になったルファを助けるため、ティセルカは強硬手段に出た。レグランの首根っこを掴み、強引に引き剥がして距離を取らせた。
しかし、いまだに微動だにしないロジェを見て、ティセルカは首を傾げた。
「それも引き剥がすか?」
「娘ぇえ!」
「お父さんは黙っていてください」
ティセルカは冷ややかな声で父親を黙らせる。ルファは自分に半ばすがりつくようにしているロジェを見て、苦笑した。
本当は、 逆ではないのだろうか。
怖い目にあったルファが、助けに来たロジェに抱きつくならわかるが、これでは逆だろう。
「いえ、彼はこのままで」
「そうか。もう撤退するが、動けるか?」
「はい。大丈夫です。先に行ってください」
ティセルカは頷き、部下やサルーク、レグランを連れて去って行く。
二人でいるには広いホール。客席は荷物や商品の名簿などで散乱し、無残な姿になっている。ルファはそれらを眺めながら、彼の頭を優しく撫でた。
手触りの良い髪は、とてもさらさらしていて、ごわつくルファの髪とは大違いだ。
暫くそうして感触を楽しんでいると、それまで黙っていたロジェがぽつりぽつりと言葉を発していく。
「……君が、売られると知って、怖かった」
「でも、もともとそのつもだったのでしょう?」
「違う。それは、違う」
ぎゅ、と背中に回った彼の腕が、破れたドレスの装飾を掴んだ。恐らくレースでも破れたのだろう。
屋敷に帰ったら背中に傷が出来ていないかグルテに見てもらわなくては。
少しだけ痛むが、それを顔に出さず、ロジェの頭を撫で続ける。
「……君はたまに外で歌うことがあったろう」
「ええ。今思えば力試しがさせたかったのか、それとも噂作りがしたかったのかはわからないけど」
「俺は、昔大公妃が好きだった」
大公妃、と言う言葉に、ぴくりと反応してしまう。
「だけど不毛だとわかっていたし、そもそも俺に振り向くような人じゃない。それで失恋して、落ち込んだ時に、友人に連れて行かれたホールで、君を見た」
え、と声がこぼれた。彼とは人魚館で初めて会った。──そう思っていたが、ロジェはどうやら外で歌うルファを見たことがあるらしい。
「髪は染めているってわかっていたから、君だとすぐにわかったよ。だから、色々と理由をつけ てバセットから君をもらうように手配した。偽の婚約者、と言うのは君を得るための名目だったんだ」
「……どうして?」
何度も疑問に思った。なぜ、ルファなのか。
なぜ、他の優れた人魚ではなく、ルファだったのか。
ロジェは顔を上げ、笑う。
「なぜだろうね?」
答えはみなまで言わなくてもわかるだろ、と言った顔をしている。そして彼はルファの腕を取り、銀細工の細い腕輪を嵌めてくれる。
「腕輪?」
もしかして、わざわざチェネレントラのことをやろうと?
ロジェは自分の腕にも同じ腕輪をつけ、微笑む。
「言っただろう? どこにいても見つけると」
「……あなたは、嘘つきです。看病すると言ったのに、看病したのは私の方でした」
ルファが照れ隠しにそう告げると、ロジェは破顔した。
「じゃあ今度はルファを看病するように頑張るよ」
「はい、約束です」
なにをどう頑張るのか、とかは突っ込まなかった。お互い笑っているのだからそれで良い。
「あ、それと、大公妃様のことはもう吹っ切れたのですか?」
この間の二人で抱き合っていたのはなんなのかと、じとりと目を細めて言うと、ロジェは苦笑した。
「もちろん。結構前にね。あの日は大公妃様が相談を持ちかけてきて」
「相談?」
「娘が異国に嫁いでしまう。どうしよう。一人になってしまう、って感じだった。悩み自体はこの間オペラで会った時にも聞いていたしね」
オペラで、と言えば彼は確かに途中で席を外した。
つまり、特別席から大公妃を見つけ──もしくは呼ばれたとわかるなんらかのサインがあり、向かったというわけか。
なんだか納得できなくてじっと睨み、やがて息を吐いてロジェに抱きつく。
「いいですよ。許します。でも、浮気なんてしたら一週間お父様と同室で寝てもらいますからね!」
きっと抱きつかれて暑苦しい思いをして寝るはめになるだろう。ロジェの顔が引きつるが、もちろん断りなどしなかった。
「大丈夫大丈夫。絶対しないから」
ルファは満足して、ぎゅっとしがみつく。そうすると、彼も腕を回してくれて、心が満たされた。
「……助けに来てくれてありがとうございます」
偽の婚約者は、晴れて本物へと昇格したのだ。
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