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部屋を出て歩きながら、少し後ろをしっかりついて来るコリアランの言葉に耳を傾ける。
「公爵閣下はどうしている? まさか、泣きべそをかいているわけではないのだろう?」
「レグラン様はすでに馬車に乗ってお待ちです」
「そうか」
螺旋階段を降り、玄関ホールを出て、すぐそばに止められた馬車の扉を開けると、眠りこけている自分の父親がいた。
思わずため息をつきたくなったが、恐らくレグランは気だけ急いてかなり前に馬車に乗り込み、そのまま眠ってしまったのだろう。
阿呆面を晒す父親の隣に座ると、御者が扉を閉めてくれた。
行き先はコリアランが伝えてくれたのだろう。すぐに出発した馬車の振動で、レグランは目を覚ました。
「あれ、どこに行くの?」
「婚約者を迎えに」
にっこり微笑んでみせると、レグランは涙を浮かべて笑顔になった。時間は迫っている。
ルファを迎えに行って、それから彼女にすべてを話そうと、ロジェは固く決意した。
***
汚い地下牢から出されて目隠しをされ、どこかのメイクルームに連れて来られた。わらわらと女性がルファを囲み、綺麗なドレスを着せられ、化粧を施され、そして顔を隠すレースの飾り布が下がったハットを被せられた。
このドレスも装飾品も、すべてはルファを売る為の道具なのだ。
スカートを掴んで大人しく椅子に座っていると、見知った人物がこちらへやって来た。
「……バセット夫人」
「久しぶりだね、ルファ。まったく手間取らせてくれたもんだよ」
バセット夫人はどっかり椅子に腰掛け、人払いをする。すぐに女性達は部屋を出て行き、明るい部屋の中、二人きりとなった。
今のうちに聞きたいことがあるとルファは質問を口にした。
「私を、いつから売るつもりだったのですか? ロジェの婚約者として決まった時、お金をもらったんですよね? ならロジェ達があなたを怪しんでいると気づいていたんですか?」
「…………」
バセット夫人は暫く黙り込んでいたが、やがて疲れたように息を吐いて、薄く笑った。
「馬鹿だね。お前を売るのは奴隷市で買った時から決まっていたんだよ。もっと高く売れるって自信があったさ。ロジェってあの侯爵様だね? あいつはいきなり人魚館に来て脅していったのさ。あんたを渡さなきゃエリーチェのことをバラすってね」
「エリーチェのこと?」
「監禁して、体系維持のための食事制限をしたとか。もうあたしの手にはエリーチェはいなかったし、公表されれば人魚館が痛手をこうむる」
ロジェは、お金を払ってルファを連れ出したわけではないようだ。エリーチェのことを不問にすると言ったのは、もし公表してもバセット夫人やその回りの貴族達を捕らえることが出来ないからだろう。
そうしてバセット夫人の不興を買い、高値で売ろうとしていたルファを引き取った。
夫人がルファを取り返すことなど見越していたのだろう。
だから、彼は無断で外出したルファに対してあんなに怒ったのだ。
ルファが俯くと、バセット夫人がせせら笑う。
「助けなんて期待しても無駄だからね」
期待などしていない。きっと助けなど来ない。そんな危険を冒すとは思えない。
だけど、もしも、と夢見てしまう自分がいるのも事実だ。必死に否定しても、本当は来てくれるのを待っている。
彼に、期待している。
そんなことを考えていると、盛大な拍手の音が部屋の壁から漏れて聞こえた。バセット夫人は立ち上がり、顎をしゃくってルファについて来いと命じる。
逆らうのは得策じゃない。ゆっくり深呼吸して、ルファはメイクルームを出て行く夫人に続いた。
「お前はいつも通り歌えばいい。いいかい、失敗したら……わかるね?」
みなまで言わずとも、それくらいルファでも理解できた。
こくこくと何度も頷く。
辿り着いたどこかのホールの舞台裏で、バセット夫人は仁王立ちになって腕を組んだ。
どうやら劇場の中でも小さなホールだろう。舞台袖から反対の袖までがそんなに広くない。
客席もそんなに多くはないはずだ。二百程度だと予想づける。
舞台裏には何人もの少年少女がいて、まだ年端もいかないカロラティエよりも小さな子どもまでいる。
「ほら、次はお前の番だよ。せいぜい高値を付けられてきな」
バセット夫人がそう言うと、仮面を被った燕尾服を着た男が、ルファを強引に舞台へと連れて行く。
舞台中央に置かれた椅子に座らされ、そのまま男は舞台袖へと入って行く。真っ直ぐ前を見るとやはりルファが予想した通り、あまり大きくないホールだった。
席に座る人々はみんな顔を隠すための仮面を被っている。
「さあ、今回の目玉商品です! どうぞ彼女の歌をお聞きください」
脇に立つ、これまた仮面を被った司会者に紹介され、ルファは息を吸う。
いつものように歌うだけでいい。
そう思って口を開き──声が出せなかった。




