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灰色人魚の婚約者  作者: 天嶺 優香
五 私と、彼女と
34/45

5

「おかえり、二人とも」

「……ただいま帰りました」

 普段あまり表情が読み取れない彼が、珍しくわかりやすく怒っている。微笑んではいるが、 目が完全に笑っていない。

「どこに行っていたのかな」

「カーラ様に呼ばれたのよ」

 エリーチェがルファの代わりに答えると、彼はため息をついてこめかみを指で押さえた。

「カロラティエ様のところに行くのは構わない。だけど、君達の面倒を見ている以上、行き先はきちんと告げてもらわないと困る。なにかあったらどうするつもりだった?」

 いつもより低い、明らかに不機嫌な声で尋ねられ、エリーチェは返す言葉につまったのか、黙り込んでしまう。

 しかしルファは、普段なら頷いて謝って終わらせるはずなのに、虫の居所が悪かったのか、やけに彼の言葉が癇に障って苛ついた。

「面倒を見てるってなに? 私は行きたいところに行っただけよ。なにかあったらってなにがあるの? なにか起きる予定でもあるの? なにか起こすの?」

 問いをいくつも重ねて、思ったことを口早に連ねていく。

「カーラ様からは、馬車を手配してくれていて、それに乗って話をしに行っただけよ。帰りもそう。確かに一言言わなかったのは悪かったと思うけど、なぜなにをするにも許可がいるの?」

 思えば、いつも淑女訓練が義務付けられていて、どこかに出かけるのもエリーチェやティセルカ達と戯れるのにもわざわざ伺いを立てていた。

「……君の安全のためだよ」

 ルファのこんな様子を初めて見たロジェは、少し困惑した様子で言う。

 安全、と言う言葉にも、言い方も気に食わなくて、ルファは更に言葉を重ねた。

「安全? 私の身に、何か安全じゃないことでも起きるの?」

「……ルファ?」

 一体どうしたのかとロジェは首を傾げた時、ルファは徹底的な言葉を口にした。

「──私は、バセット夫人を引っ掛けるための、ただの人形なのでしょ?」

 その瞬間、明らかにロジェの体が#竦__すく__#んだ。目を見開いて、顔を強張らせている。

 やはり、カロラティエは真実を言っていたのだ。

「……なぜ、どこで聞いた? まさかカロラティエ様が?」

  ロジェは詰め寄るようにルファへと近づき、肩を両手で掴んできた。 彼は何かを言いかけ──急に膝から崩れて大理石の床に倒れた。

 どさり、と重たい体の音が響く。

「ロジェ!?」

 驚いてすかさずロジェの名前を呼び、その場に跪く。

 ロジェの呼吸は荒く、ぐったりとしている。熱でもあるのかもしれない。

「コリアラン! コリアラン!!」

 優秀な老執事を叫んで呼ぶと、彼はすぐに飛んできて、ロジェの額に手を当てる。

「お熱があります。 寝室に運びますので、ルファ様は厨房に行ってグルテにこのことを伝えていただけますか?」

 はい、とルファは返事をして、エリーチェを連れて厨房へと急いだ。 先程触れたロジェの手は燃えるように熱く、高熱かもしれない。

 先ほどの沸騰しそうなほどの激しい苛立ちはすっかり身を収め、 今はロジェが心配でたまらなかった。

 早くグルテのもとへ。早く早く。


    ***


 夕食の時に受けたコリアランの報告によると、どうやら仕事の無理が祟った過労と、季節の変わり目の風邪をこじらせたのだろう、と言うことだった。

 ただでさえ仕事が忙しいのに、ルファのせいでさらに負担をかけてしまった。

 夕食や入浴の一通りを済ませた後、グルテにロジェの部屋へと案内してもらった。

 明かりがなにも灯されていない暗い部屋。奥に置かれたベットで眠る彼に近寄ると、苦しそうに息をしていた。

 グルテが近くのテーブルに水桶とタオルを置いて、静かに部屋を出て行く。早速水桶の中にタオルを入れ、絞って折り畳んでからロジェの額に乗せた。

「……ロジェ」

 寝苦しいのか目を閉じて顔を歪ませているロジェを見ていられなくて、彼の手をそっと握る。

 ベット横の椅子に座り、ルファは彼の耳元で子守唄を歌った。

 グルテが去り際に部屋に置いていった蝋燭の火しかない。

 薄暗い部屋の中。やけに#明瞭__めいりょう__#に声が部屋を満たしていく。夜中であるためにあまり大きな声では歌えないが、耳元であれば小さな声でも十分だろう。

 早く元気になってほしい。早く、元気な顔をルファに見せて欲しい。

 ルファは何度も歌う。段々と落ち着くロジェの寝息を聞いているのは、とても心地良かった。

 仮初めでも、自分はこの人が良かった。自分を求めてくれる人が──夫になる人が、この人なら良かったのに。

 ロジェの寝顔を見つめる。

 彼が聞きたかったと言ってくれた歌。たとえそれが嘘だとしても、彼の中でこだますように、自分の歌しか響かないように、何度も何度も歌を繰り返す。

 優しい子守唄が、部屋の中で響いた。

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