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確かに自分では下手だと思ってはいなかった。
誰よりも高音が出せるし、 誰よりも長く声が続く。
考えてみれば、バセット夫人はあまり評判を作りたくないからこそ毎日自分の寝室に呼び、子守唄を歌わせていた。たまに出た舞台では遠目からしかルファの姿を見ることが出来ない配置で、おまけに髪は白く色を抜いていた。
その舞台ではいつも好評で、たくさんの拍手をもらっていた。
「最初はエリーチェに探ってもらうつもりだったのだけど、ロジェがあなたにするって言い出して。……ロジェがあなたを偽婚約者に選んだの」
なぜ、が頭の中でぐるぐると回っている。 誰も相手をしない存在のルファだから目をつけたのか。
偽婚約者などにルファの名前を上げたのは、それだけどうでも良い存在だったからか。
「……どうして、そんなことを私に言うのですか。今日のお話はそれだったんですか。なぜそんな意地悪を言うのですか……!」
なぜ、そんなことを言うのか。なぜ今なのか。
疑問ばかりが巡り、カロラティエを問い詰める言い方になる。
カロラティエは俯いて、膝の上に置いた小さな手をぎゅと握り、口を開く。
「……だって、ずるいです」
「ずるい?」
「あなたはわたくしがいなくなった後も、ティセルカや、ロジェや……みんなと暮らすことを夢見ているのでしょう? そんなの叶わないのに。でも優しいロジェのことだからあなた一人くらい養うのも難しくはないから、もしかしたら叶ってしまうかもしれない。あなただけ、叶うかもしれない」
カロラティエの言っている意味が、 なに一つわからない。なぜ、そんな泣きそうな、苦しそうな顔で言うのだろう。
「わたくしはそれが許せないのです」
「カーラ様、なにを言っているのか、私にはわかりません。なんの話ですか?」
エリーチェも理解出来ていないようで真剣な顔で口を開いた。
「あたしもわかりません。一体なんの話ですか?」
カロラティエは更に俯き、こちらからではまったく表情が見えなくなってしまう。
「──わたくし、結婚するの」
「……結婚、ですか」
「そう。ここからは遠い国で、知らない人と、みんなと離れて。……だからあなたが羨ましいのです。妬ましいのです」
声が、震えていた。
まだ年端もいかない少女が、他国へ嫁ぐ。友人と離れ、たった一人で。
それがどんなに孤独で辛いのかは、ルファには想像がつかない。
カロラティエ曰く、ルファは手にしようとすれば手に入ると言う。たとえ偽物として使われても、解決後、ロジェの屋敷で世話になることが可能だからだろう。
そうすればたとえ使用人だとしても、カロラティエの言う 《みんな》と一緒にいられる。これから孤独になるカロラティエは、それが羨ましくて、ルファだけ輪の中に残るのが許せなかったのだろう。
「……帰りますね」
ルファは立ち上がり、エリーチェに視線を向ける。
「エリーチェはどうしますか?」
「あ、あたしも行くわ。元々あんたに付いて来たんだから」
エリーチェが慌てて立ち上がるのを見て、座ったまま俯いているカロラティエに視線を動かす。
兵舎まで行ったティセルカはまだ戻らない。ティセルカに、 聞かせたくはなかったのだろう。
「今日は帰りますね、カーラ様。少し頭を冷やされた方が良いと思います」
カロラティエは少し顔を上げ、 小さな唇を開く。
「……そう、ですね」
小さな少女が、今日はやけに儚く見えた。
城から戻る馬車の中、ルファとエリーチェは終始無言だった。
エリーチェは何度か話しかけようとしている素振りはあったが、結局は挫折していた。
ルファも今は察して自らきっかけを作ってまで話す気分でもなく、結局ごとごとと揺れる馬車の音だけが虚しく響く。
ルファ達が城を立った後からすぐに雨が降り出してしまった。
最初は小粒だったものの、今は分厚い雲から大粒の雨が降り出している。
「ねえ 、ルファ」
「……なんでしょう」
エリーチェがようやく言葉を発する。
いつもは強気で言いたい放題の彼女にしては珍しい。
「カーラ様はまだ幼いし、あれがすべてじゃないと思うわよ?」
カロラティエが幼いのはルファだって知っている。
容姿からしても、はっきりと年齢を聞いたわけではないが、おそらく十二歳程度だろうし、そのくらいの子供にしてはしっかりしている。
だけどやっぱり子供は子供で、自分だけが苦しんでルファはみんなと仲良くこれからも、と羨ましがり、感情のコントロールがつかず軽率なことをしたのだろう。
もちろんあの年齢の子供に、ルファだって出来ない感情のコントロールが出来るはずもない。
だから攻める言葉も何も言わず後にしたのだ。
聡明な彼女なら、自分の過ちにとっくに気づいているはずだから。
だが、たとえ彼女の行動を許せても、その発言までは無理だ。
過剰に話している部分もあるだろうが、ルファが偽婚約者と言うのは本当だろう。
カロラティエからは嘘の様子は見られなかった。
「カーラ様には別に怒っていませんよ」
「そうなの?」
「あんな幼い方に怒ったりしません。ただ、カーラ様がおっしゃった言葉が嫌なだけです」
そう、とエリーチェは呟いて、また沈黙が流れる。そのまま会話は続かず、屋敷に着いた。
傘を持ってはいないし、玄関はすぐそこだ。走ればあまり濡れないだろう。そう思って馬車を降り、エリーチェと二人で玄関の扉を開いて中に駆け込み──玄関ホールで仁王立ちするロジェと遭遇した。
彼はルファを目で捕らえるとにっこり微笑んだ。




