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昔は、 自分が眠るためだけに歌っていた。
両親を失い、食べ物もまともに口に出来ず、飢えで寝付けなかった時に、少しでも自分を落ちつけようと歌っていた。
歌に目をつけた奴隷商に捕まり、人魚館に売られ、歌うのを禁じられた。
唯一歌を許されるのは人魚館を治めるバセット夫人の部屋で、もしくはたまに連れられるホールでのみだっ た。
他の人魚達には聞かせてはならない、とバセット夫人からの厳命も受けていた。
歌を、せがまれたのは始めてだった。
バセット夫人はせがむ、と言うよりは命令で、早く歌いなさい、という具合だったのだ。
ルファはすがるように顔を伏せて聞きいるロジェの髪に手を差し込む。
月光でキラキラ輝く白髪は、少し冷たかったが、さらさらと触り心地が良い。
最後の音を紡ぎ、静かな部屋に、ルファの声の余韻が響く。暫くお互いの間に静寂が流れ、ロジェは閉じた瞼を上げた。
手を握りしめ、見つめあい、そうしてどれくらい経っただろうか。──もしかしたらほんの僅かな時間だったかもしれないが、ロジェはゆっくりと体を動かしてルファの隣に腰掛けた。
「ずっと、 聞きたかったんだ」
「私の歌をですか……?」
「そうだよ」
ルファの、くせの強い髪の毛を一房手に持ち、指に絡める。意識しないように深呼吸をし、ルファは隣のロジェに向き直った。
姿勢を正し、怖気づく前に思っていることを舌に乗せた。
「私には、あなたの考えていることがわかりません」
いきなりなにを言い出すのかと目を丸くするロジェに、ルファは詰め寄るように体を彼の方へ 寄せる。
「あなたは表情を作るのがとてもお上手です」
そう告げると、彼の顔が一瞬強張り、口元が引きつった。
「……君は、表情を読むのが上手だね。こんなに早く作ってるって見抜かれたのは初めてだよ」
顔を手で隠し、ロジェは俯いて大きなため息をついた。指の間からちらりとこちらを見つめる目に宿っているのは戸惑いと、僅かな羞恥心。
「バレない自信、あったのになあ」
「表情を取り繕っていることしか私にはわかりませんよ?」
「それでも、それすら見抜かれたくはなかったんだよ。さぞ怪しい男に思えただろうね」
怪しいと思っていないと言えば嘘になる。
確かに、笑顔を貼り付けている男は怪しいし、実際にあまり良く思っていなかった。──と言うよりは信用出来なかった。
「そうですね。考えていることがなにもわからない人を怪しく思うなっていうのは無理です」
「……ですよね」
この屋敷の中で、唯一ロジェだけがわからなかった。どれだけ笑顔を見せられても疑ってしまう。
どうせ信用すれば傷つく。 心を壊される。だから怪しい男には極力近づかない。信用出来ない男とは距離を取る。 ──そう思っていたのだが。
「……でも、あなたは優しいです。それは嘘じゃないとわかります」
笑顔も嘘ではないし、気遣いも嘘ではないとわかる。
真っ直ぐロジェを見据えてそう言うと、彼は目を見開き、そして俯く。
今度はどうしたのかと、ロジェの様子を黙って見ていると、彼は急に立ち上がった。
そして、なんとも珍しいことに、わずかに顔を赤らめて、眉を寄せていた。
その表情は、恥ずかしさと、若干の諦めが混じったもので、一体何事かと凝視するルファにロジェはぶっきらぼうに言った。
「手を出して」
「手?」
「早く」
そう言われておずおずと右手を差し出すと、顔をしかめたロジェに 「反対の手」と文句を言われた。
首を傾げながらも左手を出すと、彼はジャケットからなにかを取り出し──小さな細身のそれは、ルファの薬指にぴったりとはまった。
「──これは」
「腕輪じゃないのが残念だけどね」
今日見たチェネレントラは王子に腕輪を渡した。贈り物の言葉としては決して悪くないし、チェネレントラを再現するつもりはないのだろうが、少しだけおかしくて笑ってしまう。
「腕輪はチェネレントラが王子に渡したんですよ。ということは私が王子ですか?」
「細かいこと言わないの」
ロジェは子供のように顔をしかめた。
それがなんだか可愛く思えて、はい、と微笑みながら素直にルファは返事をしておく。
銀色の指輪は丁寧にカットされたダイヤモンドが嵌っていて、とても綺麗だった。
細かい部分にまで職人の装飾が施されていて、一体いくらなのかと無粋なことを聞きたくな る。
こんな高価なものを、しかも指輪をもらったのは初めてだ。嬉しい贈り物に感激していると、ロジェがこちらに手を差し伸べた。
「一曲お相手願えるかな」
いきなりダンスを申し込まれて、どうするべきか迷ってしまう。
まだルファは完璧に踊れないし、そもそも下手くそだと先程ロジェ自身も言っていた。足だって何度か踏んでしまう危険もある。
手を取らないルファを見かねて、ロジェは強引に手首を掴んで立たせてしまう。引き寄せられてお互いの身体が密着し、少し目線を上げればすぐロジェの顔がある。
ぼっと一気に顔へ熱が駆け上がり、早く離してほしくてロジェの腕を叩く。
「ああのっ、私ダンスなんて踊れません!」
自分が思っていたより遥かに情けない上擦った声が出た。
「大丈夫だよ」
「足だって踏みますよ? とっても痛いですよ!?」
「平気平気」
腰に腕を回され、いよいよルファは頭が混乱してきた。
なにを言っても笑うロジェには、これ以上抗議しても無駄だろう。
だけどこのままでいるのは心臓に悪いし、なによりこの後寝付けなくなったらどうしてくれるのか。きっと長い時間かければ確実に眠れなくなる。頭をぐるぐるとめぐって、目が冴えてしまう。
それだけは避けなくてはと思い立ち、ならばぐずぐずせず素早く一曲踊って終わらせれば良いだけだと決心する。
「わかりました。怪我をしてもロジェのせいですからね!」
理不尽なルファの発言を、ロジェは面白そうに頬を緩めて笑った。
「いいよ。もちろん、怪我をしたら俺の自業自得だね」
ロジェの背中に回したルファの薬指に嵌った指輪が、窓から差し込む月明かりに照らされて、きらきらと輝く。
音も流れていないのに、二人はゆっくりと踊りだした。
ステップを口にするロジェの声がルファの耳へ響く。
鼓動が早いのは単に慣れない男相手だから。なんだか安心するのは腰に腕が回されているから。いつもより体温が高いのは体が密着しているから。
言い訳じみたことを心の中で呟いた。
穏やかで、静かな夜が続いた。




