6
ティセルカのように、軽やかに踊りたい。
そう思うのにルファの体は重い。
自分が思うように動かない。食事後だからかすぐに息が上がる。
「ルファ、少し休んだらどうかな」
「いえ、大丈夫です」
なんとか呼吸を整えようと大きく息を吸うが、あまり効果はない。
慣れないヒールを履き続けたせいか足を痛めているようで、さっきからピリピリとした痛みがある。
腕は重いし体もだるい。
半ば意地になって休憩を断ると、ティセルカがルファの腰を掴んで足を止めた。
「ルファ、熱心になのはいいけど無理をするのは良くない」
「でも、まだ出来ます。もう少しやりたいんです」
「ティカ様を困らせないでください、ルファ様。一度休憩にしましょう」
「……はい」
なにもできない自分が、酷く惨めに思える。ここに来て以来、うまく出来たことなど一つもない。
ダンスは淑女の必須項目で、社交界では絶対に必要だ。気持ちだけが前に進んでいて、体がついてこない。成果がついてこない。
人魚館にいた時のような、無力感はもう味わいたくない。
「ルファ」
ふと、優しい声音で名前を呼ばれて顔を上げる。
いつからいたのだろう。目の前には、今まで見たこともないくらいの温かい表情をしたロジェ がいた。
彼は震えるルファの両手を自分の手で包む。
「ルファ」
この人に呼ばれる自分の名前は、なんて甘美な響きを持つのだろう。白髪の美しい人が目の前で、自分の手を握りしめ、名前を呼び、微笑んでいる。
「ロジェ」
無性に彼の名前を呼びたくなって口にすると、ロジェは笑みを深くする。
今までちっとも表情が読み取れなかったのに、今はわかる。
彼はルファに名前を呼ばれて心から喜んでいる。そして、ルファを勇気づけようとしている。
「それじゃあ私達は退散しようか、キエル」
「まったく、手がかかりますね」
ふん、と鼻を鳴らしたキエルはティセルカの腕に抱きつく。
ティセルカは引っ付くキエルを連れて、静かに部屋を出て行った。
ルファはロジェを見上げる。
窓から差し込む月の光が彼の輪郭をなぞり、白髪が淡く光っている。
真夜中であるために、火がついた蝋燭も少ない。二人の間に流れる静寂は、なんだか心地良い。
「そこに座って」
近くに置いてあった椅子を指定され、ルファは素直に座る。
ロジェはその場に跪き、ルファの片足を少し持ち上げて、丁寧にヒールの高い靴を脱がせる。
「赤くなってる。痛いだろうに」
「痛く、ありません」
──嘘だ。本当は痛くて痛くて仕方ない。
だけど、なにも出来ないくせに弱音を口にしたくなかった。頑張りたかった。なにか一つでも出来ることが欲しかった。
ロジェはルファの意地を苦笑して、もう片方の足からも靴を脱がせてくれる。
足を見せるなど淑女としてはしたないことだが、 庶民のルファはその概念があまりない。裸足で歩き回っていた事もあるし、さほど抵抗はなかった。
なにより、靴を脱いだ時の解放感に比べたら、はしたなさなどどうでも良くなる。
「ダンスは下手くそだね」
「ロジェは意地悪ですね。どうせ私の無様な姿を見ていらしたのでしょう?」
目を細めてそう言うが、ロジェは肩を竦めてみせただけだ。
「こんなに頑張らなくていいんだよ」
その言葉と、その表情は、同情か。それとも別のなにかか。
なんとも言い難い顔をしているロジェに、ルファは自分の気持ちを伝えたくて。自分のこのどろどろとしたものを明かしたくて。
跪いたままこちらを見上げるロジェに、詰め寄るように言葉を発する。
「でも、私はなにも出来ません。なにも持っていません。なんの、価値もないのです」
だって、皆そう言う。出来損ないだと。ルファはなんの価値もない出来損ないだと罵る。人魚としての価値も皆無。ルファ自身もなんの取り柄も持たない。
だから、なにかがほしい。なにかを手に入れたい。自分だけにしかない、なにかを。
そして、他の人と同じようにできる、普通の能力も。
ロジェはルファの独白を黙って聞き、持っていた靴を床に置く。ことりと音が響いた。
そっと、まるで触れることが許されない高貴な者の手に触れるようにゆっくり、ロジェはルファの手を握る。
「歌って」
「……え?」
「ルファ、歌って」
なにを言われたのか、一瞬理解出来なかった。
彼は歌を願うのか。この、自分に。
とても優しい温かな眼差しで、ルファをじっと見つめるロジェは握る手に少し力が入った。
「歌って」
ロジェはその言葉しか知らないかのように、もう一度繰り返す。
その言葉で、どれだけ心が震えたか、ロジェにはきっと理解できない。
なにも望まれず、なにも手にできず。
そんなルファに、彼は欲しかった言葉を言ってくれた。
歌は好きだ。昔、もう顔も覚えていない母が歌ってくれた子守唄。
ルファは自分を包んでくれる彼の手を、握り返して微笑んだ。
「喜んで」
彼はルファの返事を聞くと、ゆっくりと瞼を下ろした。ルファも目を閉じて大きく息を吸う。
「…………っ」
放たれた声はどこまでも澄み渡る高音。
喉を、唇を震わせて、精一杯の想いを込めて歌った。




