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『…そうよね。初めからわかってた。世界が違うってこと』
涙をたたえたまま、哀愁を帯びた表情もまた、すごく綺麗だと思った。
…否定はできない。確かに俺は…普通のサラリーマン。彼女は…日のささない世界の住人。
それに…こんな綺麗な子が、商売抜きで一緒にいるはずもない。分不相応なのはわかっているつもりだ。
『ねえ…何か言ってよ』
音楽ならいくらでも選べるのに、言葉はひどく選ぶのが難しい。
「ごめん。いろいろと考えていたんだ。間違わずに聞いてほしい」
慎重に言葉一つ違えないように。
「確かに働いている世界は違うとは思うよ。だけど今、ここに俺がいて、リコがいて。俺たちが生きる世界に違いなんてない。ないんだよ」
なぜだか俺は熱くなっていた。
「確かに俺はこういうのは初めてだし、よくわからないけど、楽しかったんだ。それは信じてもいいだろ?」
リコは黙って頷いていた。
「俺、今日婚約者にフラれてさ。けっこう自棄になっていたんだ。なんだかどうでもよくなって。それで偶然あんなことになって。最初は疑ってた。今も少しだけ」
『…そうだったんだ』
「でもリコといて笑えた。楽しかった。それは嘘じゃないんだ。…だから、そんな悲しいこと言うなよ」
自分でも自分がわからなかった。なぜこんなにもドライでいられなかったのか。
…所詮ある種の"契約"でしかないのに。
ふうふうと切れる息。俺は備え付けのエビアンを飲み干した。
『ありがとう』
一呼吸おいて、静かになった部屋に響く。
彼女は部屋の照明をすうっと落とした。…たぶん泣いているのだろう。時おり鼻をすする音が聞こえる。
俺はソファーに腰かけたまま、それを見るでもなく、見ないでもなく、ただ黙っていた。
こうしていると、およそビジネスなんてことを忘れてしまいそうだ。どこにでもいるただの"女の子"じゃないか。
涙の雨も和らいだ頃、微かに衣ずれの音がする。
『…ねえ、どうして離れたままなの?』
誘うように、リコがささやく。
「泣き顔を見つめるほど悪趣味じゃないんでね。泣き止んだかい?お姫様」
俺は少し笑いながらそう答えて、ベッドサイドに歩み寄った。
少しは暗闇に目も慣れてきた。俺たちは、まるで恋人同士のように、指を絡ませる。それを制するように、少しだけ強く握りしめた。
そして、ゆっくりとリコは話り始めた。自分のことを。信頼の証として。