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「リコリコっ」
もちろん返事などあるはずもなく、空にこだまするばかり。
さっきから鳴らしっぱなしの携帯にも出る気配すらなかった。
息が切れ、足がもつれる。お気に入りのジャケットも泥まみれだ。
「ちっくしょう」
思わず大きな声を上げ、地面を叩いた。擦りむいたところから、心臓の音が聞こえる。おそらく…血が出ているのだろう。
いくら名を呼んでも、手がかりすらなく、フラフラと泥だらけの身体を引きずり、街を歩いた。
…まるで初めて知り合った日みたいだ。婚約者にフラれ、浴びるように酒を飲んで転がっていたあの日。
確かに、そのことも忘れるぐらい忙しい日々だった。
世界が違う。そんな言葉はクソ食らえだ。俺もお前も何も変わらない。変わらないじゃないか
もう…疲れたよ…リコ。
あの日のように、汚れることも厭わずに壁にもたれかかってしゃがみこむ。街行く人の視線さえどうでもよかった。
下を向いても出てくるのはリコのことばかり。
…その瞬間、トントンと肩を叩かれた。
「あ?何だよ?」イラつき任せに吐き出した言葉に…そいつは飄々とかわすように言った。
『嫌なことがあったんですか?忘れちゃいましょうよ?』
…この声は…ウオッチマン
ガバッと身体を起こし、じっと見つめる。細長い体つき、相変わらずな口調。…間違いない。彼だ。
「忘れられないよ…いや、忘れやしねえよ。お前の顔は」
『…おや?どこかでお会いしたことが?これは失礼致しました』
「リコはどこだ」
『はて?…私は案内人でございますから…中のことはトンと無知でして』
「とぼけるな」
胸元を絞り上げるように、揺さぶった。
『…離せよ』
飄々とした仮面が剥がれ、俺の手首を掴んで力を込める。
「普通に話せるんだな」
手首を掴まれたまま、壁に叩きつけた。胸骨を押し込むように、力を込めて、何度もレンガ造りの壁に。
「話すまでやめねえぞ?」
咳き込むウオッチマンを気にも止めず、何度も叩きつける。
『わ…わかった話すから』
「よし、じゃあ話せよ」
俺は掴んだ手を離さずに、そのまま言った。
『今日は…いや、最近は休んでいるんですよ…』
「呼べ」
『どこにですか?』
「駅前でいい。早く呼べ」
『離してくれなきゃ…』
もう一度思いきり壁に叩きつける。
諦めたのか、ポケットを探り、電話をかけた。