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トレビの泉は知ってる?後ろ向きにコインを投げて、水の中に沈んだら…幸せになれるみたいだよ。
…でも、振り返るのは怖いんだ。
俺は、きっと入ってるだろう、と振り返りもしないかもしれない。
今、閉じたままの携帯が震えている。
まず、これを開く勇気が必要だ。CDラックからイーグルスをかける。
【Take it easy】のイントロが陽気に流れ出す。
前向きに考えよう。俺は昨日、婚約者にフラれた。だけど、すごく美人と知り合いになった。
もし、そのつながりが断たれようとも…昨日より悪くなるはずはない。
よしと決めたわりに、そろそろと薄目を開けた。
【もう、今回だけだからね!!それでどこで待ち合わせるの?】
…俺は目をパチクリと開いて何度も読み返した。嘘じゃないだろうか?相変わらず後ろでは、イーグルスが流れているのだから、現実に違いない。
俺はすぐにメールを返した。少し現金だが。
【1時間後に、中央駅前で。服装は普通でかまわないから】と、打ち込んで、急いで風呂へと向かった。
チノパンにジャケットを合わせ、フォーマルに決めた。香水を一吹きして、家を出る。
…俺は人を待たせるのが好きじゃないから、かなり早めに出たはずなのに、リコはすでに駅で待っていた。
笑顔で手を振り駆け寄ってくる。
『早いね?まだ30分もあるじゃない』
「いや、自分だって早いじゃない」
『だって…早く会いたかったんだもの』と笑顔で言われたら、どんな男もイチコロだろう。
だけど…俺には響かない。信用するとは誓ったものの、美辞麗句には疑心暗鬼になってしまう。
「…そっか。嬉しいよ。ご飯は食べたの?」と、あえて気のないそぶりをして。
『会いたいってメールくれたから、急いできたのに、その返事はひどくない?』と、素直に怒る彼女を、少しだけ信用する気になった。
ただの"客"なら怒らないで合わせるだろ?
だから「ゴメン、本当に嬉しいよ」と、笑顔で返した。
『ならいいけど』と、腕を絡めてくる彼女。
やはりすごくキレイだ。思わず笑顔に引き込まれてしまう。
「なにかリクエストはある?」
『う~ん…洋食屋さんかな?』
「わかりました、お姫様」とおどけながら、思考回路をフル回転させる。
(…あそこは昨日行ったし…、あそこは休みだよな…、あ、あそこにしよう)
路地を右に曲がり、奥まった細い道に入った。