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第二話 錦を衣て褧衣す、何でもひけらかせば碌なことにならない

前回のあらすじ

■通行人を殺して生け贄にしたら主人公は祟られた!■


本作の1話分は、アニメ1話(約30分)や連載漫画1話分に相当するボリュームで執筆しています。そのため、1話あたり通常より長めです。

ご拝読の際は一度にお時間を作るのが大変かもしれませんが、物語の世界観・キャラクター・怪異描写を存分に味わっていただくための構成です。

楽しい読書体験になりますよう、心からお祈り申し上げます。

 学びが終われば公族大夫 (こうぞくたいふ)は父を待ち迎える。


 士匄(しかい)欒黶(らんえん)も例外ではない。彼らは門の前に座して、折り目正しく背筋を伸ばし、待つ。


 門が開き、政堂から威儀正しく出てくる(けい)――つまりは父へぬかずいて拝礼し、挨拶の儀を行うのが毎日のならいである。


 さて、父にうやうやしく拝礼し、挨拶を行う士匄の儀は完璧といってよかった。


「さすが、法制士氏(しし)の嗣子。儀礼の美しさは完璧なのではないか? 范主(はんしゅ)


 欒書(らんしょ)が、感心したようすで士燮(ししょう)へ笑いかける。


 それを受けるように、士燮が慎み深い仕草で立ったまま拝礼し、


正卿(せいけい)におかれましては我が嗣子に言祝ぎ(ことほぎ)、まことに恐悦至極でございます。わが一族の当然のこと。法制を司るもの、礼と儀、そして世の習わしも司るものですから」


 と静かに返す。


 それは、大夫(たいふ)の教科書と言って良い謙譲の言葉であった。士氏(しし)の当主としての矜持と節度にあふれている。


 ところで、士匄は言いたいことは誰であろうが言うべき、という父親と真逆の男である。


「最近の父上は眉間にしわが無い。ご心配ごともないようで」


 この、最後の一言はまさに舌禍。


 親を平気で品評する品の無さ、節度の無さ、責任の無いでしゃばり、余計なことを垂れ流す口。


 他者に対しては功を譲り諸事穏やかな士爕であるが、息子にはもちろん拳骨を喰らわせた。


 欒黶といえば、お大尽の息子として、ゆったりと()()()正しい拝礼で父を迎えた。


 そして、


「お疲れ様です!」


 とあまりに軽薄な言葉を添える。


 欒書は士爕のように礼がなっていないと殴ることなく、深みのある笑みで頷いた。


 彼は、この少し軽薄ながらも悪気ない息子がかわいいらしい。バカ親というものかもしれない。


 


 政堂前にて父を出迎えた後、士匄は欒黶を伴って馬車にて自邸へと向かった。


「父上も、あのくらいわたしに優しくしてもよいのに」


 馬車に揺られながら士匄はごちた。


 隣で同じく馬車にゆられる欒黶がけらけらと笑う。


「いやしかし、父上が(なんじ)を褒めたとき、范主(はんしゅ)はまんざらでもなかったぞ。良き嗣子(しし)だと他の方にもおっしゃっているそうだ」


「そのくらい知っている。しかしもっと褒めろといいたい」


 士匄は子供のような言葉を吐きながら唇を弾いた。


 士匄はアホではない、士爕が息子として己に期待していることくらいわかっている。だが、認めているかとなれば、そうではないであろう。


 今日の失言も、士匄は親を(おもんぱか)ったつもりであり、殴られるようなことではない、親を労ったと褒めてほしいくらいであった。


 その発想自体が僭越かつ傲岸であり、叱られ殴られるということに、この青年は気づいていない。


 さて、そんな士匄に、親に褒められるは良い、我が父は常にお褒め下さる、と欒黶が得意げに言う。


 褒め言葉は、姿勢が良いやら、弟の相手をして偉いやら、二十を超えた跡継ぎに対するものではない。


 もっと悪く言えば『生きていて偉い』である。


 父親である欒書は欒黶の才の無さに気づいており、はっきりいえば諦めている。


 ただ、息子はバカであればあるほどかわいいものである。意味なく褒め甘やかすため、欒黶の無邪気な傲慢は天井知らずであった。


 宮殿からの大通りを馬車はゆく。士氏の邸は遠くない。大貴族が住む一角にある。


 ご、と強い風が吹いて黄砂が宙を舞い、士匄たちの衣を汚していく。春の強い風により黄砂が吹き荒れる季節である。


 桃園(とうえん)で優雅に花を愛でていても風が視界を黄色くしていくことなどしばしばであったが、この日もそれなりに酷い。


 そのような黄砂で汚れても、慌てふためいて体をはたくのは卑しい身のもの。


 大夫の令息である二人は、ゆったりとさりげなく砂を払いながら、雑談を楽しむ。


 それこそが選ばれた貴人であるといわんばかりであり、そのような余裕と意地がなければ、蔑まれるのが当時の貴族であった。


 ふと、士匄の背に重い不祥がのしかかり、空気が澱んだ。


 欒黶といえば、楽しそうに己の祖を自慢している。


 と、いうことは、何でもはじき飛ばす欒黶をくぐり抜けるような霊が来た、ということであった。


 士匄は根性のある()だな、と舌打ちした。この、澱んだ空気もよろしくない。吐き気さえ感じた。


 ぴきん、と何かがひび割れるような音が鳴った。どこか心の奥がざわつくような怖気(おぞけ)のする音だった。


 士匄の空耳というわけではないようで、欒黶も首をかしげる。


「何の音だ。氷が割れるような?」


 欒黶の言う氷は、氷河が軋む音である。


 黄河は冬の間、水面に氷が張ることも少なくない。雪解けの時、その氷と共に雪と水が一気に流れ、洪水を起こすことさえある。


「もう春も半ばというのに、氷などなかろう。あれは木のひび割れる音だ。ほら、職人が失敗したのか、時々拵えた木の細工が割れるときが――」


 そこまで言って、士匄は息を飲んだ。


 この場で、ひび割れる音が聞こえるような木造のものなど、ひとつしかないではないか!


 士匄は欒黶の襟首をひっつかみ抱きかかえると、そのまま馬車から身を投げた。


「な、なんだあ、范叔(はんしゅく)――!」


 意味わからず、欒黶が叫ぶ。


 と同時に、まるで断末魔のような音を立てて馬車の車軸が折れ、その勢いで両の車輪が無秩序な方向へ走りゆく。


 バランスを崩した車輪の動きに馬たちはいななき暴れぶつかり合い、勢いよく倒れた。


 御者はその勢いで放り出され馬の下敷きとなり潰される。もう一頭の馬は馬車のど真ん中に向かって倒れた。


 大惨事である。


 思いきり背中を打った欒黶も、腕や膝を打った士匄も、茫然とそのさまを見た。


「士氏は馬車の材をけちっているのか?」


 欒黶が極めてまぬけなことを言った。


 士匄にとりついた霊か何かの仕業、とは思わなかったらしい。


 元々、霊障に合うことも無ければ、強運すぎて不祥が避ける青年である。呪い祟り障りとは思わないのであろう。


「我が家がそのようなことをするわけがなかろう。あれだ、御者の運が悪かったのだ」


 士匄は強く言い切った。


 瞬間、『ごお、おぉおお』と土が崩れるような音が鳴り響いた。


 士匄だけに聞こえているようで、欒黶は気づいていない。


 どちらにせよ原因は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()であることは()()()()()()


 が、そんなことを言えば、この友人は(わら)うか(なじ)るか、とにかく面倒なことになるに違いない。


「大夫の嗣子が徒歩とは、父が知れば嘆き悲しむかもしれんが、まあ俺は歩くのも好きだ。士氏の射場は中々にいい、我が欒氏(らんし)のものより楽しい。早く行こう。今日こそ汝を負かす」


 欒黶が今度こそは体の汚れを払いながら笑った。


 友だちが()()だと何も考えないから楽でいいなあ、と士匄は深く頷きながら立ち上がった。


「毎度言うが、お前が勝ったこと無いだろう」


 指で肩をこづいて言うと、だから負かすのだ、と欒黶が少し拗ねた顔をした。


 そうして二人、歩き出したが、士匄の身から不吉不祥は離れることなくまとわりついていた。




 春秋時代、大夫(たいふ)の主な武器は弓矢である。


 戦場では馬車――兵車で移動し指揮をしながら闘い矢で敵を射る、この時代の花形である。弓射は貴族の嗜みであり誉れであった。


 弓の鍛錬は馬車に乗ってすることも多いが、士匄と欒黶は遊戯感覚である。


 射場に立った二人は、矢をつがえ的に当てていった。


 欒黶は性格上集中力が弱い。


 引き絞った弦から矢を放つとき、気が抜け姿勢が歪む。結果、的の端に刺さったり、中には外れることも多い。


「あの的はなんだ、動いているのではないか」


 バカバカしい八つ当たりをしながら持っていた矢を一本、腹立ち紛れに地に叩きつけた。


 それを鼻で笑いながら、士匄も矢を放った。


 士匄は集中力を瞬間的に高めるのが得意である。


 と、いうよりは。


 この一族は集中力が異様に高い。


 父はその上で注意深く、祖父に至っては化け物じみた集中力と観察力があったらしい。こうなれば肉食獣に近い本能なのやもしれぬ。


 その獣じみた集中力で、的の中央へ吸いこまれるように矢が刺さった。


 終われば得意満面に、欒黶へ顔を向ける。


 己の力を誇示せずにはいられないのは、士匄の悪い癖であった。


 その額には脂汗が浮いている。


 雑多な霊は欒黶に当てられ寄ってこないが、馬車を破壊したらしいこの不祥は士匄にのっかり絡みついたままなのである。


 それを意地とプライドと集中力でなんでもないように振る舞っているというわけであった。


 ここまでくれば、いつか意地で死ぬのではないかと思うほどである。


「そうだ賭け弓をせぬか。そうだな……。勝てばわたしの馬をやる。おまえが負ければ自慢の奴隷ひとつ」


「馬とは大きく出たな。乗った」


 馬は貴重な消費動物であり戦場の機動力そのものである。それをやるというのであるから、士匄の自信のほどが見えるであろう。


 奴隷も『自慢』となればなかなかの財産だった。欒黶が今気に入っている自慢の奴隷は歌舞音曲に優れ、夜も良い女である。


 士匄は漁色家というほどではないが、歌舞音曲のたぐいは好きなほうであった。


 そうやって互いに顔をつきあわせ話している間、先ほど士匄が放った矢がほろりと的から抜けた。


 深く突き刺さったそれは、本来自然に外れることなど無い。


 むろん、二人は気づかない。


 その、動かぬはずの矢が向きを変え、強弓(こわゆみ)で放ったように鋭く飛び、二人の鼻先をかすめるように風を切って通り過ぎた。


 か、と強い力で地に刺さる。


 士匄は顔を引きつらせた。


 欒黶も同じように顔を引きつらせながら鼻を触る。ほんの少しかすったようで、小さな傷ができていた。


「俺の……俺の見目良い顔に傷ができたではないか! なんだこれは! 汝だろう、范叔(はんしゅく)!」


 欒黶が顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。


「わたしがしたわけではないわ! お前を狙うなら堂々と目の前で弓をかまえている!」


 士匄も負けじと怒鳴り返した。


 その剣幕に怖じることなく、頭に血が上った欒黶が士匄につかみかかって殴ろうとした。


 が、士匄はその腕をとり、逆になぎ倒す。


 背を地に叩きつけられながら、欒黶が、があ、と吼えた。


「汝は今日、俺を不祥避けにしたろう! 俺は顔も心も良いスパダリだから快く受けてやったが、俺にまで災難がくるということは、そうとうな祟られぐあいではないか! 俺はしばらくお前に会わん! その()か呪いか祟りか知らんが、それをなんとかしてこい!」


「会わぬと言うが、宮中で会うではないか。お前はアホか」


 呆れて見下ろす士匄に、さぼる! と欒黶が噛みつくように宣言した。


 有言実行。


 欒氏(らんし)嗣子(しし)は、正卿(せいけい)の息子であるにも関わらず友人の霊障が迷惑だからという理由で、翌日からさぼった。


 


 そういうわけで翌日。


 宮中で夜明けの明りにさらされながら、士匄は呆れを隠さず口を開く。


「よくもまあ、しょうもないことでサボりやがる。弱いおつむがさらに悪化するぞ」


「范叔がよろしくないかと。元から雑多な()がついてまわりやすいご体質なのは仕方無いとはいえ、ここ数日の不祥不吉に凶の()()の数は異常です。盾がわりにされた欒伯(らんぱく)が怒るのも仕方がないでしょう。まあ、それでさぼっちゃえるあの方の神経もどうかと思いますけど」


 出仕した士匄から子細を聞いた趙武(ちょうぶ)が呆れた顔を隠さずに言った。


 学びの間へ向かう最中の渡り廊下で鉢合わせしたのである。 


「お前一人か。韓伯(かんはく)はどうした」


「韓伯は先に出られ、夜明け前にお一人で散策をされるとのことです。眼病を患っているからこそ、お一人でなされたいと。お体も丈夫でないのに立派な方です」


 韓伯は韓無忌(かんむき)のことである。彼は弱視であり、趙武が介添えしていることが多い。


 しかし、韓氏(かんし)の跡継ぎとしての矜持か、このような行動に出ることも多かった。


 趙武が少し俯く。


 生まれる前に親を亡くし、韓氏(かんし)の世話になっている彼にとって韓無忌(かんむき)は兄のようなところがあるのであろう。


 その少し湿気た声音は、身内を(おもんぱか)る情が乗っていた。


「それでも成人し、次の(けい)(もく)されておられるのだ。(やまい)多きもの才ありと言うが、案外長生きするもの。周囲がしおしおとするほうがよろしくない。わたしなど、また、変なものがついてきて、いる、が、このようにピンピンしている」


 士匄は言いたいことを言っただけであるが、趙武は何やら慰められた気持ちになり微笑した。


 まあ、それはともかく、士匄の顔色は悪く、霊障による凶の卦が強い。近づかれただけで不幸が移りそうな様相である。


「先達に申し上げるは極めて不遜なことですが……えんがちょしてよろしいでしょうか」


 しずしずとうやうやしい仕草で、趙武が両手をかかげ、双方の中指と人さし指を交差させた。そうして、えんがちょ、えんがちょ、と呟く。


 士匄はすばやく趙武の肩を掴み、それどころか引き寄せて肩を抱きかかえる。まとわりついた雑多な霊の一部がそろりと趙武にも移った。


「やめてくださいいいっ、(けが)れ! 穢れが移る! いえ伝染(うつ)るーー!」


「なああにが、えんがちょだ、ガキかお前は! 若輩だったな、じゃあガキだ!」


 とてもではないが、どちらも将来国を背負う青年のやることではない。


 二人は未就学児以下のようなやりとりで廊下で暴れ回った。


「びゃっ」


 参内してきた同じ公族大夫(こうぞくたいふ)荀偃(じゅんえん)が、渡り廊下で叫び、凍りついた。


 そこには、趙武を羽交い締めにして押し倒す士匄がいた。


 見た目だけであれば、嫋々(じょうじょう)とした美少女を組み倒しているイケメンである。


「あっ。あっスミマセン! あ、いや、その、そうですね、趙孟は范叔に教えを請うご関係、やっぱり! いや、あの朝です、が! あー、スミマセン、お邪魔しましたあ!」


 口早に叫び、走り去る荀偃を二人は慌てて捕まえようと駆け出し、


「違う!」


「違います!」


 と揃って唱和した。


「いえいえ、こんな朝から!」


 パニックを起こしている荀偃は聞こえていないらしい。


 士匄は無理やり素っ首捕まえる。それでも走ろうとする荀偃に合わせて共に走る。


 趙武もつられて走る。


 趙武どころか荀偃にまで雑多な鬼の一部が移りゆく。


 三人はもつれるように学びの間へ入り、倒れ込んだ。


「……宮中では常に落ち着くのが肝要。廊下を走るな」


 公族大夫の年長、学級委員長な韓無忌が表情ひとつ変えず 静かに言った。小学生への注意と変わらない。


 穢れをまとったまま、三人は拝礼した。


 傲岸な士匄でさえ黙って首肯せねばならぬほどの、醜態であった。


 結局、韓無忌が宮中にいる巫覡(ふげき)を呼びつけ、士匄とついでに二次被害にあった趙武と荀偃を祓った。


 巫覡も少し呆れており、


「士氏の嗣子とあろうものが、毎度君公(くんこう)のおられる宮に不浄(ふじょう)を持ち込むのはいかがなものか。いくらなんでも異常というものです。必ず何か呪いか祟りの原因がおありのはず。士氏できちんと解決してください。」


 とやんわりと説教をして去っていった。


 士匄は苦い顔を隠さず、おとなしく拝聴した。

お読みいただきありがとうございます。第一章『因果応報、春の祟り』は10話構成です。よろしければ10話までこの全く反省の色の無い主人公の末路を見守ってくださると幸いです。

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