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閑話:1945年の産業と生活4本勝負

※R15について


 本章には成人向けの業態名や社会背景が登場しますが、

 直接的な性的描写はありません。

 あくまで歴史的・文化的考察としてお読みください。

①国産自動車 ― 車はある。でも国がない。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 戦時中の日本に「国産自動車はなかった」と思われがちだが、それは半分正しく、半分まちがいである。

実際には、国産自動車は“あった”。たしかに存在した。

しかし、そのほとんどは戦場へ行きたがる兵士のように、すぐ軍に徴用されてしまい、

民間で見ることがほぼ不可能だっただけだ。


 では当時の日本の自動車産業がどれほど悲壮だったか。ビジネス書風に整理していこう。


―――――――――――――――――


■1:そもそも自動車を作る余裕がない


―――――――――――――――――

 日本の自動車メーカーは1945年時点で「会社としては存在するが、

製造業としては息切れ寸前」という、なんとも胃痛の走る状態だった。


 理由は単純である。「鉄がない」「燃料がない」「工場の半分が軍需に吸われた」「残った工場が空襲で燃えた」。

この四重苦の結果、自動車は“作りたい気持ちはあるが、物理的に作れない工業製品ランキング”の堂々第1位に輝くこととなる。


 とくに深刻だったのが 鉄不足 である。

 車体を作るどころか、部品1つ作るだけでも会議が必要なレベル。

いまのベンチャー企業が「開発予算が足りません!」と叫んでいるのを100倍シビアにしたような話だ。


―――――――――――――――――


■2:それでも日本には“世界初級レベル”の車があった


―――――――――――――――――

 そんな状況でも、日本は自動車産業をゼロから立ち上げていた。

代表例が 九五式小型乗用車(くろがね四起) 。

四輪駆動で、世界的に見てもかなり早期に誕生した4WD車である。


 しかしここで一つ問題がある。

 作っては軍に取られる。

 直しても軍に取られる。

 どう頑張っても軍に取られる。


 結果、一般市民は「国産自動車?噂には聞くが、見たことはない」という、

ほとんど怪談のような存在になってしまった。


―――――――――――――――――


■3:トヨタも日産も、当時は“ほぼ軍事工場”


―――――――――――――――――

 いま世界を席巻しているトヨタや日産も、当時は軍需工場化していた。

兵站車両、航空エンジン、トラックの製造。いわば“自動車メーカーの皮をかぶった軍事工場”である。


 では民間車両はどうなったか?

 答えは簡単。「作られない」か「作っても消える」である。これは紛れもなく、当時の経済構造が生み出した悲喜劇だ。


―――――――――――――――――


■4:ガソリン不足は、自動車の存在意義そのものを揺るがした


―――――――――――――――――

 1945年の日本は、ガソリンの入手がほぼ不可能だった。

 そこで登場したのが 木炭車・薪自動車 である。


 いまの若者に説明すると、

「自動車がサウナストーブを背負って走っている」

とイメージすればだいたい合っている。


 当然、出力は弱く、スピードはゆるく、煙はもくもくである。

 もはや車というより、町中を走る小型蒸気機関車のようだった。


―――――――――――――――――


■5:まとめ ― 日本の自動車産業は“死んでいなかったが、生きてもいなかった”


―――――――――――――――――

 1945年の国産自動車は、誇れるほど発展していたわけではない。

 しかし、完全に途絶えたわけでもなかった。

 「努力して作った → 軍に取られる → また作る」

という無限ループによって、最低限の技術と工場だけは残った。


 のちの高度経済成長期に日本の自動車産業が一気に伸びたのは、

戦時中に“細い糸一本だけでも切らずに持ちこたえた”技術者たちの粘り強さがあったからである。


 ◇


② 家電製品 ― 「家に電気?まず電柱を立ててください。」


━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 1945年の日本における“家電製品”は、現代の感覚で言う家電とは大きく異なる。

まず前提として、当時の一般家庭に「家電」というカテゴリが成立していない。

そもそも家庭に電気が安定供給されていないからだ。

家電の普及以前に、「電気きてません」という究極の初期不良が発生していたわけである。


 それでも、人類の工業化の波は容赦なく押し寄せる。

都市部では、かろうじて電柱が立ち、工場や官庁には電源が供給されていた。

そこに現れるのが、当時の“最新機器”――扇風機とラジオである。


―――――――――――――――――


■ 扇風機:最新鋭の“風を作る機械”


―――――――――――――――――

 戦時中の日本で扇風機は、単なる涼しさを提供する装置ではなく、

工場での生産性を上げるための“産業用送風機”として重宝された。

一般家庭どころか、地方官庁ですら1台しか持っていなかったという例が多い。


 素材は鉄。戦争末期の鉄不足を考えると、扇風機は非常に贅沢品だった。

それでも軍需工場の熱気は異常で、扇風機がなければ作業員が失神するレベルだったため、

優先度は高かった。


 なお、扇風機の羽根が鉄製であるため、落とすと床に穴が開くこともあった。

「涼むつもりが家を破壊する」という、いまでは考えられない事故も実在した。


―――――――――――――――――


■ ラジオ:情報と propaganda の生命線


―――――――――――――――――

 ラジオは、扇風機より普及していた。

戦時下の日本政府が「国民統制の主力ツール」として、普及を積極的に促したためである。

民需を敵視する軍部ですら、ラジオだけは例外的に優遇している。


 しかし問題は価格だ。

 ラジオ1台は、当時の平均月給の数か月分に相当する。


 そこで登場したのが 共同ラジオ。

 商店街・町内会・工場などに1台だけ置かれ、毎日の放送は人だかりの中で聞くスタイルが一般的だった。


 つまり、ラジオは家電というより“町内文化装置”。

 放送時間になると、町のあちこちで人が立ち止まり、同じ方向を向いて聞く。

まるで“町が一瞬だけ同じ呼吸をする”ような現象が生まれた。


―――――――――――――――――


■ どれだけ電気が足りなかったかという話


―――――――――――――――――

 1945年の電力事情は極めて不安定で、停電は日常。

台風や空襲が原因ではなく、単に送電能力が足りなかったからだ。

しかも、戦時の統制で「家庭への電力供給は後回し」。

そのため、せっかくラジオや扇風機を買っても、夜になると電気が来ないという落語のような状況が頻発した。


 戦後の復興期に家電が爆発的に普及したのは、戦時中の“使いたくても使えなかった”という鬱憤が、

国民の深層に溜まっていたためとも言われる。


―――――――――――――――――


■ まとめ:家電は“ある”が、“使える”とは言っていない


―――――――――――――――――

 扇風機――鉄不足の中で生き残った奇跡の工業製品。

 ラジオ――国民統制と希望をつなぐ情報機器。


 この2つはたしかに“家電”であった。

 しかし、それを家庭で自由に使えるほど日本に余裕はなかった。


 戦時の家電とはつまり、

「存在はするが、国民が使えるとは限らない」

という、極めて日本的な曖昧さと悲哀に満ちた製品群だったのである。


 ◇


③ 悪徳商法 ― 「合法です。気持ち的にはアウトです。」


━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 1945年の日本は、物資不足・情報不足・役所の手続き遅延が三位一体となり、

“詐欺ではないがやたら怪しい商売”が次々と生まれていた。

人々はそれを 「抜け道ビジネス」 と呼び、役人は 「統制の盲点」 とため息をつき、

実行者は胸を張って 「合法ですから」 と主張した。これは現代のねずみ講の祖先と言える。


―――――――――――――――――


■ 方式:買って損し、紹介して損し、それでも笑っている


―――――――――――――――――

 典型的なモデルがある。

 それは「品物の価値<配布の仕組み」という、いわば“仕組みだけで泳いでいるビジネス”だ。


 たとえば、とある地方で流行したのが 『増殖米券』 である。


内容は簡単だ。


① 米1合ぶんの交換券を買う(高い)

② 2人に勧誘すると、あなたにも1合分が戻ってくる

③ 勧誘された2人がさらに紹介すると、もう1合ボーナス

④ 実際の米は統制で滅多に来ない


 この時点で現代人は「詐欺では?」と思うが、当時の法令では“米そのもの”を売買しておらず、

あくまで“将来の交換権”なので、“灰色だが黒とは言えない”絶妙な位置だった。


 しかも恐ろしいことに、この手の商法は 意外と笑顔で成立していた。

 理由は単純で、誰も本当に「米が欲しい」と思っていなかったからだ。

 人々が欲しかったのは 「希望」 であり、「自分が誰かに必要とされている」という感覚だった。


―――――――――――――――――


■ ■ “合法スレスレ商法”が繁栄した3つの背景


―――――――――――――――――


① 物資不足による価値の逆転


 商品そのものより「つながり・仕組み・順番待ち券」が高騰した。

 もはや市場は“感情”で動いていた。


② 情報の欠落


 新聞もラジオも統制下。

 「正しい情報」と「面白い噂」の境界線が消え、

 人々は“雰囲気”で買っていた。


③ 統制経済の盲点を突く巧妙さ


 ねずみ講は「商品が動かず、金と人だけ動く」ため、

 配給制度が逆に“監視しにくい市場”を生んでしまった。


―――――――――――――――――


■ 名物:幻の万能薬「赤玉ドリンク」


―――――――――――――――――

 戦時中、特に人気だったのが 万能滋養ドリンク。

 栄養ドリンクとは言っていない。

 言っていないが、言っているように聞こえる怪しい存在だった。


 「糖分・酢酸・謎の香料」を混ぜただけの飲料を、

 “体力増強・精神安定・勝利祈願にも効く”と宣伝し、

 紹介者には1瓶プレゼント。


 当然科学的根拠はない。

 だが、飲んだ者はこう言った。


 「……元気になった気がする!」


 この“気がする”が最大の原動力で、現代のサプリ商法につながる。


―――――――――――――――――


■ まとめ:戦時の悪徳商法は、詐欺より優しかった


―――――――――――――――――

 現代のねずみ講は財産を奪うが、

 1945年のものは 希望をほんの少しだけ与えてしまう 点が厄介だった。


 誰も本気で儲かるとは思っていない。

 それでも人は、“誰かと一緒に何かを買う”という行為自体に救われていた。


 つまりこうだ。


戦時の悪徳商法は、人を騙すものではなく、人がすがるものだった。


 ◇


④ 戦時日本の性風俗 ―「合法・統制・そして、めちゃくちゃ忙しい産業」


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 戦時中の性風俗事情は、一言でいえば “合法だが、国にも軍にも振り回された大産業” である。

現代のイメージとは違い、当時の性風俗は 税収・衛生管理・社会秩序の維持のために、

国が直接コントロールしていた正式な制度 だった。


 つまり、1945年の性風俗は「夜の民間企業」ではなく、

半分官営・半分市場・半分カオス の三本柱で進んでいた。


―――――――――――――――――


■ 公娼制度:国が“許可制”で運営した「社会インフラ」


―――――――――――――――――

 当時の日本には “公娼制度” が存在した。

 これは国が認め、警察と衛生局が監督し、地方自治体が登録を管理するという、

超・公的な仕組みである。


 ポイントは3つ。


① 「違法ではない」どころか「制度として存在」


 営業許可施設であり、国が税金を徴収し、衛生検査も義務化。

 現代の感覚で言えば、飲食店の営業許可とほぼ同じ扱い。


② 女性の所在・年齢・健康状態を官僚機構が把握していた


 登録制のため、人数・所在地・移動まで管理されていた。

 軍需工場よりもデータが整っていたという説すらある。


③ 軍も「必要悪」として容認


 兵士の暴走防止、性病対策、慰安所運営など、

 “統率のための装置”として軍が明確に扱っていた。


 要するに、公娼制度は

「国家がつくった治安維持ツール」 だったわけである。


―――――――――――――――――


■ 料金は統制、利用は抽選、でも噂は自由


―――――――――――――――――

 戦時下では物価統制が厳しく、風俗料金も当然のように統制対象となった。

 とはいえ、統制は紙の上であり、実態は次のようなものだった。


・正規料金:役所が決めた

・実勢価格:現場が決めた

・利用機会:抽選・整理券・紹介制

・噂:インフレ


 特に“抽選制”は珍しくなく、

 ある街では「当選番号が兵站部の食料配給よりも盛り上がった」という笑えない記録すらある。


 ※もちろん本作では描かないが、構造としては必須の知識。


―――――――――――――――――


■ 統制経済下の“女性の働き口”でもあった


―――――――――――――――――

 1945年、女性の労働市場は極端に狭かった。


 ・工場

 ・農作業

 ・看護

 ・縫製

 ・家政

 ・登録制の娼業(公娼)


 選択肢は少なく、特に都市部では

「安定して現金収入が得られる数少ない職業」 が公娼だった。

 衛生検査や宿舎の提供など、当時としては“待遇が一定していた”点もある。


 そのため、戦時中は登録希望者が逆に増える現象まで起き、

 行政側が「いや、もう枠がいっぱいです」と困惑した記録が残っている。


―――――――――――――――――


■ 軽口業(カフェ・女給・ダンスホール)という“グレーゾーン”


―――――――――――――――――

 1940年代の大都市では “カフェー” と呼ばれる接客業が大流行した。

 これは現代のキャバクラにも似ているが、もっとゆるく、もっと混沌。


 ・お酒

 ・おしゃべり

・ダンス

・チップ(戦時でもある)


 この業態は公娼制度の外にありながら、

 実態としては“人と金と情報が流れる社交場”となっていた。


 軍人、役人、闇市商人、作家、映画関係者……

 あらゆる層が交わる場所で、

 ここから驚くほど多くの“戦後の大物”が生まれた。


 つまり、夜の経済は戦後復興の母胎でもあった わけだ。


―――――――――――――――――


■ 結論:戦時日本の性風俗は「国策産業」だった


―――――――――――――――――

 現代の感覚で語ると誤解するが、

 1945年当時の風俗は


・治安維持装置

・兵士管理装置

・女性の労働市場

・税収源

・都市社交ネットワーク


 という、複数の役割を同時に果たしていた“仕組み”であり、

 既に“文化インフラ”の一部だった。


 だからこそ言える。


戦時の日本において、性風俗は“誰かの欲望”ではなく、“国家の事情”で存在した。


挿絵(By みてみん)

 ~後書き~

 本編とは少し離れた戦時雑学を、ここまで読んでくれてありがとう。

 もし今回の閑話で 、

 「ん……これ、もっと掘り下げたら絶対おもしろいやつだ」 と感じた項目があったら、

 どうぞ遠慮なく作者にアタックしてみてね♪


 気まぐれな作者さんのこと、

 機嫌がよければ特集回をひょいっと組んでくれる……かもしれません。

 (逆に、機嫌が悪いと“幻の企画”として永遠に封印される可能性も……!?)


 そんな緩い距離感も含めて、この作品の裏道を楽しんでくれたら嬉しいな。

 また次の話で会いましょう。

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