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11話

 俊道が台湾に根を下ろす決意を固めてから、季節は本格的な夏へ移っていた。

 朝の陽射しは強いが、湿度の質は本土とは違う。

 空気はどこか柔らかく、植物と海が混ざった甘い匂いを含んでいた。

 俊道は、その匂いを胸いっぱいに吸い込みながら、毎日同じ道を歩いていた。

 農園と浜を結ぶ、土がむき出しの一本道だった。


 畑では、バナナの葉が大きく広がり、青さが日ごとに濃くなる。

 風が吹くと、葉と葉が擦れ合い、低い音を立てる。

 それは機械音とは違う、ゆっくりとした、生き物のリズムだった。

 農民たちは、その音の変化で天気を読む。俊道もまた、その音を聞き分けられるようになっていた。


 海では、乾物の棚が増えていた。俊道が作った木枠は丈夫で、潮風にさらされても歪みにくい。

 漁民はその頑丈さを気に入り、彼に頼む仕事が自然と増えていった。

 誰に命じられたわけでもない。

 気が付けば、彼の周りには常に“何か手を入れるべき物”が置かれていた。


 「おまえさん、手が早いなぁ」


 漁の親方が、削り出した木片を見て感心したように言った。

 俊道は肩をすくめて、笑った。


 「飛ぶより、こういう方が性に合ってるみたいです」


 訓練で鍛えた手先の器用さが、意外な形で役に立っていた。

 人を殺すための技術より、人の暮らしを支える技術の方が、

 自分には向いている――その事実が、俊道を静かに変えていった。


 やがて、彼の働きぶりは日本軍の駐在将校の耳にも入った。

 軍といっても、この地域は戦闘が主ではなく、統治と管理が中心だ。

 駐在班は、農民や漁民の生活に深く関わることが多い。

 その彼らにとって、俊道の存在は“便利な青年”以上の意味を持ち始めていた。


 「西野という男がいる。漂着して、命を拾ったらしい。

  だが、働きぶりが良くてな。文句ひとつ言わん。人を動かすでもなく、自分の分を黙々とやる」


 駐在分隊長がそう話すたび、兵士たちは興味深げに首をかしげた。

 特攻隊上がりの青年が、畑で汗を流し、木枠を作り、網を直す――

 その落差は、どこか物語めいて聞こえた。


 ある日、偶然この地域を巡察していた陸軍少佐が、俊道の姿を目にした。

 小柄な体つきで、大きな木箱を一人で抱えて歩く後ろ姿。

 その歩き方がどこか軍人らしく、しかし力みのない自然さがあった。


 少佐は分隊長に尋ねた。


 「あの男、何者だ?」


 「西野俊道。桜花隊にいたらしいですが……生き残った、と。

  詳しくは本人も語りません。だが、ここでは誰よりも働く男です」


 その答えに、少佐は目を細めた。

 桜花の乗員が生還するなど、まずありえない。

 名簿上では、ほぼ全員が“戦死扱い”になっている。

 もし生きていれば、それは軍内部の登録上も扱いに困る存在だ。


 「……珍しい話もあったものだ」


 少佐はそう呟き、その場を離れた。

 しかし彼の中には、小さな興味が残っていた。

 “飛んで死ぬはずの兵が、生きて土を耕している”

 という事実は、戦地の報告書には載らない種類の話だった。


 その後、分隊長は少佐の指示を受け、俊道に軽い聞き取りを行った。

 出撃の経緯、漂流の様子、島伝いの移動。

 俊道は必要最低限のことだけを話した。


 「……死ぬはずだったんですが、気付いたら、泳いでました。

  あれは、もう理屈じゃありません」


 その言葉は淡々としていた。

 誇張も、奇跡めいた語りもなかった。

 ただ、生き延びたという“結果だけ”がそこにあった。


 分隊長は、その簡潔さに逆に説得力を感じた。

 生還者の多くは、語りたがらない。

 語れば“生き残った理由”を問われるからだ。

 戦時では、それが責めとして扱われることもある。


 「……ここでの生活は、悪くありません」


 俊道は最後にそう付け加えた。

 その一言には“帰る場所を失った者”だけが持つ重みがあった。


 巡察を終えた少佐は、本土に戻る際の報告書の隅に、

 ほんの数行だけ記録を残した。


 ――台湾南部に、生還した桜花搭乗員あり。

  名は西野俊道。働き者。現地民に好かれる性質あり。

  特記事項:任務外行動につき、今後の扱いは要検討。


 それは、誰かの目に止まらなければ、ただの余白に埋もれる文章だった。

 だが、この行に気付く人物がいる。

 生筋有喜――企画院総裁であり、“人事の妙”を見つける嗅覚に長けた男である。


 俊道がまだ知るよしもない“縁の糸”が、この時から静かに動き始めていた。


 ◇


 少佐が台湾南部で書いた報告文は、決して正式な稟議ではなかった。

 任務外の雑記に近い。だが、戦時の組織というものは、意外な箇所から情報が流れる。

 航空関連の生還者情報は、統計上の扱いが難しく、各部局で共有されやすい。

 そのため、少佐の書いた“数行”は、企画院へ回覧される資料の端に紛れ込んでいた。


 生筋有喜の机にそれが届いたのは、昼下がりだった。

 配分会議を終え、次の資料に目を通していた時、

 書類束の中に“桜花搭乗員生還”の文字があることに気付き、手を止めた。


 生筋は読み飛ばさなかった。

 特攻は、理論上“帰還を前提としない”。

 だから生還者は、軍内部でも扱いが分かれる。

 英雄視されることもあれば、居場所を失うこともある。

 なぜなら、制度の外へはみ出した存在だからである。


 その“はみだし方”に、生筋は価値を感じた。


 書類にはこう書かれていた。


 ――台湾南部に、桜花搭乗員・西野俊道、生存。

   現地にて農漁作業に従事。働きぶり良好。

   現地住民・日本軍駐在からの評価高し。

   ただし任務外行動につき、今後の扱いは未定。


 短い。だが、読み取れる情報は多かった。


 生筋は指で書類の端を押さえ、静かに思索に沈んだ。

 彼の興味は“生き残った理由”ではない。

 生き残った後、どう振る舞っているかだ。


 戦時の日本では、“生き残ってしまった特攻隊員”は扱いに困る。

 制度上は死んでいることになっている者が戻れば、名簿が乱れ、配給記録が乱れ、

 家族への通知もやり直しが必要になる。軍事組織はそれを嫌う。


 だから、彼らは“存在していい場所”をほとんど持たない。


 だが、台湾南部での西野俊道は――

 居場所を“自分で”作っていた。


 農園の固定枠を作り、干物棚の設計を改善し、漁民と農民の間をうまく繋いでいる。

 指揮せず、命じず、しかし周囲が自然と彼を必要とする。


 この“自然発生的な役割”は、本土の官僚機構では絶対に作れない。

 机上の人事では生まれない。


 生筋は思った。


 ――数字を扱える人間だけが、国家を支えるわけではない。

  時に、制度の外に落ちた者が、制度では作れない価値を持つ。


 その価値は、戦後を見据えた企画院にとって小さくない。


 戦争が終われば、日本は“復旧と食料供給”に国家の全力を振り向けねばならない。

 台湾・南方資源は、その柱になる。

 そこで現地民と日本側の双方に信頼される人材は、政治的にも軍事的にも扱いやすい。


 「西野俊道……か」


 生筋は静かに名を口にした。

 呼び捨てでもなく、感情的でもなく、ただ確かめるように。


 企画院の秘書官が近づき、小声で言った。


 「総裁、その資料……特別扱いなさいますか?」


 生筋はすぐには答えなかった。

 書類束を閉じ、沈黙の中で言葉を選ぶ。


 「まだだ。まだ判断しない。

  だが――“どう使えるか”は見ておく必要がある。」


 秘書官は頷いた。

 生筋が即断しない時は、必ず“見えない線”を描いている。

 その線が、後に制度を動かすことになると知っていた。


 生筋は資料を丁寧に揃えながら続けた。


 「特攻で死ぬはずだった男が生きて、現地で役に立っている。

  これは、軍には使いづらい。

  だが、我々には使い道がある。

  制度の外を歩ける者は、制度を補助できる」


 その言葉は、企画院の理念を象徴していた。

 数字で動く国家を、数字では扱えない人間が支える――

 その両輪が必要だと、生筋は常に考えている。


 秘書官が問う。


 「では、台湾との連絡線に……?」


 生筋はわずかに笑った。


 「決めるのは早い。まずは確かめる。

  その少佐に、もう一度台湾へ行かせろ。」


 命令は淡々としていた。

 だが、その一言で動く人間は少なくない。


 書類にたった数行の“余白の記録”が、

 この瞬間、小さな政策の芽に変わった。


 俊道はまだ何も知らない。

 畑で汗を流し、海で木を削り、乾物棚の影を見て一日の長さを測っている。


 彼が本土の巨大な行政機構とつながり始めたことを、

 本人が知るのは、もう少し先のことだった。


 ◇


 東京の官庁街は、夕刻になると独特の静けさに包まれた。

 昼間は膨大な書類と人の声で満ちていたが、日が傾くと、机上の紙だけが白く浮き上がり、

 働く者たちの影が長く伸びる。


 机には、毎日更新される「行方不明者」「戦死者」「未帰還兵」の一覧が載る。

 番号と氏名、所属、最終確認地点。

 書式は整っているが、その裏側にある人生の破断音は、紙からは聞こえない。


 事務官たちは、それらを淡々と分類し、印を押し、回し、次の担当へ送る。

 仕事は事務的だが、心はそうはいかない。「本日の未帰還兵一覧」に自分の同僚が載る日もある。

 昨日まで向かいの机に座っていた男の名が、整った行の一つになってしまう。

 その度に胸がざわつき、目元が熱くなるが、それを机の上に出すことは許されていない。


 「名前を書くということは、その人を手放すということだ」

 ある中年の事務官が、かすれた声でそう漏らしたことがある。

 失った者の数を紙で数えるたび、残された者の心の一部が削られていくようだった。


 しかし、日が暮れれば、彼らもそれぞれの生活に戻らなければならない。

 闇市へ向かう足取りは重いが、今日を越えるためには必要な儀式だった。

 正規の配給だけでは足りない。家族が待っている。体を休めるための食事が必要だ。


 闇市の灯りは、不思議な明るさを帯びていた。

 裸電球がぶら下がり、油で黒ずんだ鍋の蒸気がゆらゆらと立ち上る。

 屋台ごとに違う匂いが混ざり、焼けた芋の甘さ、干物の焦げた香り、

 どこかから流れてくる合成酒の匂いが、戦時下とは思えない熱気を生む。


 並んでいるものは、決して豪華ではない。

 乾麺、欠けた茶碗、割れた皿、少量の野菜、黒ずんだ魚。

 だが、手に入るかどうかがすべてだった。

 事務官たちは、給与袋の中身と相談しながら品物を一つひとつ確かめる。


 「これ、今朝入ったばかりだよ。少し高いけどね」

 露店の老婆が言う。声は明るいが、その背後には戦後を見据えた逞しさがあった。


 家へ戻る途中、彼らの手には膨らんだ配給袋や闇市で買ったわずかな食材が提げられている。

 これで家族の明日の分まで持つだろうか。そんな問いが常に心にある。


 ある若い女性事務官は、家に帰る前に立ち止まることがあった。

 通りに掲げられる「未帰還兵調査のお知らせ」の赤紙が、彼女の胸を締め付ける。


 彼女の夫はフィリピン戦線で行方不明になった。

「生きているかもしれない」という希望と、「もう帰らないかもしれない」という恐怖が、

 毎晩交互に押し寄せる。


 職場では淡々と業務をこなすが、自分が捺印した数字の中に、

 夫と同じ境遇の者が数えられていると思うと、手が震える瞬間があった。


 「今日も帰っていないのね……」

 独り言のように呟き、玄関の戸を開ける。中では幼い子どもが小さな手を振り、夕飯の匂いが漂う。

 その温かさが、かえって胸に痛い。夫が座るはずの場所は、毎日同じように空いていた。


 東京郊外の住宅地では、似た光景が日常だった。

 暗がりの中で、影が揺れる。井戸端には、人々が列をなし、水をくむ音だけが響く。

 遠くでは空襲警報の試験音が鳴り、人々は無意識に空を見上げる。


 街の灯りは節電で消され、道は薄暗く、家々の窓には防空紙が貼られている。

 それでも、家族を守るための生活は続く。

 人々は味噌汁の薄い香りに安堵を見つけ、煎餅布団に体を沈めて明日を待つ。


 だが悲惨な現実は、日常のさらに下に潜んでいた。

 行方不明の通知書は、戦死公報よりも辛いことが多い。

 理由が分からず、遺骨も戻らず、どんな最期だったのか家族には伝えられない。


 「不明」の文字は、家族に永遠の待ち時間を与える。

 心が壊れる者もいれば、淡々と受け止める者もいる。どちらも、責められない。


 事務官たちは、それを知りながら毎日机に向かう。

 裁断された紙の端が指に触れるたび、人の命の区切りを決めているような錯覚に襲われる。

 それでも続ける。国を支えるという名のもとに。


 東京の空には、まだ爆音はない。だが、じわじわと迫る敗戦の気配が、夕暮れの空気に混じっていた。

 人々は明日を知らず、ただ今日を積み重ねていた。


 挿絵(By みてみん)

1945年直後の闇市は、上野・新橋・新宿・梅田・栄など全国に広がり、人々の生命線となった。

人気は芋・雑穀・乾物・古着・日用石鹸。

だが物不足ゆえ、軍放出品の残り物、代用たばこ、正体不明の肉まで並んだ。

秩序なき混沌こそ、復興前夜の呼吸そのものだった。

~おまけ~ 闇市屋台 5つの実像


戦時末期から敗戦直後にかけて、正規の配給制度は形だけとなり、人々の胃袋を支えたのは闇市だった。

官庁の帰り道に立ち並んだ屋台には、いまの日本では想像できないほど多様な工夫と逞しさが詰まっていた。

ここでは、当時の記録・証言から“闇市屋台の核心5項目”をまとめて紹介する。


**①「代用ラーメン」の大流行


— そば粉ゼロ、出汁は謎、それでも熱々なら行列**


戦争中の屋台には、本物の小麦やそば粉はほぼない。

そこで広まったのが、**“代用ラーメン”**と呼ばれる麺料理。


麺の材料は

・ふすま(小麦外皮)

・イモ粉

・寒天の残渣

・大豆カス

など混合。当時の屋台は「今日は何の麺か分からない」が日常だった。


スープは、正式な出汁ではなく、干物の煮出し液や海藻水などを薄く使う。

それでも、寒空の下で湯気が立つだけで売れた。

味ではなく、“温かい”という事実そのものが価値だった。


屋台の主人たちは、「今日は奇跡的に味が出た」と笑っていたという。

いまのラーメン屋台文化の源泉の一つ。


**②“ニセ肉”文化の誕生


— 肉はない、だが肉らしきものは大量に出回った**


闇市で肉料理と書かれていても、本物の肉が出るとは限らなかった。

代わりに使用されたのは以下のような食材。


・カツ節の戻し+片栗粉

・魚のすり身

・大豆粕

・鳥皮の端切れ

・謎の脂身(出所不明)


これらを油で焼くと、遠目には「焼肉」っぽく見える。

屋台側は一切嘘をついていない。客も理解している。

これは「騙す・騙される」という関係ではなく、

**生きるための“合意形成”**だった。


結果的にこれらが「戦後の肉加工食品/ミックスミンチ文化」の礎にもなったと言われている。


**③「闇市カレー」という謎料理


— ルウなし、具なし、だが“カレー”だった**


戦時中から闇市にまで続いた“カレー風料理”。

材料に本物のカレー粉が入っていたことは少ない。


一般的なレシピは、


・小麦粉の代わりにイモ粉を炒る

・色づけにウコンの残渣や黄色い香辛料を少量

・油脂はほぼなし

・具材は玉ねぎの皮の周り、あるいは芋少量


だが、人々はこれを「カレー」と呼び、驚くほど人気があった。

理由は明白で、**「香りだけで異国の豊かさが想像できた」**からだ。


闇市カレーは、食文化の“希望の象徴”でもあった。


**④屋台で起きがちだった“揉め事と助け合い”


— 闇市は無法地帯、だが全員が無法者ではない**


闇市はしばしば無秩序だった。

・値段の急変

・露天同士の縄張り争い

・憲兵や警察による摘発

・スリ、置き引き


事件は多かったが、同時に「助け合い」も共存していた。


例えば、

お金の足りない母子に対し、屋台主が

「次でいいから食べさせな」

と言う話は複数の回想録に残る。


また、空襲が近い時、屋台主が鍋を捨てて

「逃げろ、みんな!」

と叫んで客を避難させた例もある。

闇市は無法であり、同時に人情の集積所でもあった。


**⑤「汁と鉄板の匂い」で人が集まる


— 飢えの時代に“匂い”が経済だった**


闇市では、“香り”が最大の広告だった。


・油で炒める音

・焦げた醤油

・干物を焼く白い煙

・熱々の芋を割った甘い匂い


これらは、今でいうSNS広告より強力だったと言われる。

人々が匂いに吸い寄せられ、行列を作り、食べ終えた後も

「どこの匂いだ?」

と話題にする。


物の乏しい時代に、

**「匂いこそが最大の娯楽」**という状態が生まれていた。


屋台主たちは火加減一つに命を込めた。

焦げれば客が離れ、香りが良ければ数十人の列ができる。

それほど、嗅覚が“幸せの指標”になっていた。


まとめ


闇市の屋台は、単なる食の場ではなく、


・生きるための工夫

・食文化の原型

・無法と人情の同居

・匂いが生む経済

・偽物と本物の境界を曖昧にした世界


これら全てが混じった、戦時日本の縮図だった。

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