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第9話

 西暦1945年 夏・八月中旬 東京郊外


 夜の湿気が重く残る中、都心から外れた施設の一室に、制服の影が静かに集まっていた。

 灯りは最小限、窓は覆われ、外気の流れだけが室内にわずかな動きを与えている。

 名目は意見交換会。だが議事録は残らず、出席者の名も公にはならない。

 集まっているのは、軍の中でも声の大きい者たちだった。


 空襲は続いている。被害は積み重なり、復旧は追いつかない。

 配給は減り、腹は満たされず、苛立ちは日常の一部になっていた。

 彼らが口にする言葉は勇ましいが、その根にあるのは焦燥だ。

 戦況が好転しているという実感はなく、それでも「終わり」を受け入れる準備もできていない。


 誰かが言った。「まだやれる」。別の誰かが続ける。「我らは神の国だ」。

 言葉は古く、響きは強い。だがそれは信仰というより、空腹と不安を覆うための合言葉に近かった。


 話題は自然と、最近官邸で配られた果物と干物に移る。バナナの箱が十、魚の干物が束で。

 些細な量だが、今の状況では目立つ。あれを手配したのは、生筋有喜――企画院総裁だという。

 当初は嘲りもあった。誤魔化しだ、一時しのぎだ、そんなものを配って何になる。

 だが数日が経ち、その果物が家族の口に入った時、空気が変わった。

 子供が笑い、病人が食べ、家の中に久しぶりの甘味が戻った。理屈ではなく、体感が先に来た。


 「総裁は、分かっている」 誰かがそう言った。

 「小さいが、着々と希望を作っている」

 

 その言葉は、次第に集会の中心を占めていく。希望という言葉が、現実の不足を覆い隠し始める。

 希望があるのなら、まだ耐えられる。耐えられるのなら、まだ戦える。

 論理は飛躍しているが、空腹の夜には十分だった。


 生筋の名前は、次第に持ち上げられていく。彼は軍人ではない。

 だが数字を動かし、物を動かし、目に見える成果を出している。だからこそ都合がいい。

 彼の仕事は、彼らの言葉に意味を与えてくれる。


 「総裁も、まだやれると思っているはずだ」

 「だから、ああして手を打っている」

 誰も、生筋本人の言葉を確かめてはいない。

 彼が何を考えているかより、何をしているかが利用される。行為が、勝手に意味を付与される。


 やがて、話は一歩踏み込む。味方に引き入れる、という発想だ。正面からではない。

 思想を理解する必要もない。ただ、同じ方向を向いているように見せればいい。

 彼が作った小さな成果を、彼らの大義に組み込む。それだけで、「まだやれる」は補強される。


 ここで、希望は性質を変える。人を支えるものから、人を誤らせるものへ。

 生筋が意図したのは持続だ。時間を稼ぎ、終わり方の選択肢を残すこと。

 そのための食糧であり、物流であり、数字だった。

 しかしこの部屋では、それが延命の証拠として再解釈されている。

 延命は準備ではなく、継続の理由になる。


 空襲で削られ、配給で耐え、わずかな甘味で息をつく。その循環が、判断を先送りにする。

 判断を先送りにすることが、戦う意思と混同される。混同は、集団の中で増幅する。


 集会は静かに終わる。誰も声を荒げない。だが、決意めいたものだけが残る。彼らは満腹ではない。

 それでも、先ほどよりは軽い足取りで部屋を出ていく。


 外は変わらず蒸し暑い。街は暗く、灯りは少ない。

 だが、どこかに希望があるという感覚だけが、彼らを前に進ませる。

 その希望が、どこへ向かわせるのか。この夜、まだ誰も考えていなかった。


 ◇


 夏・八月中旬 台湾南部沿岸および内陸農園地帯


 朝の空気は湿り気を帯びているが、東京のそれとは質が違った。

 息を吸えば、土と草と海が混じった匂いが鼻に入る。

 日本軍の駐在担当は、内陸の農園から沿岸へ向かう未舗装路を、帳面を抱えて歩いていた。

 距離はさほどない。だが、彼の中では二つの現場を往復する意味がはっきりと分かれている。


 農園では、バナナの葉が風に揺れていた。背丈ほどに伸びた株が、一定の間隔で並んでいる。

 苗はすでに現地にあったものを基礎に、日本側が選別をかけたものだ。

 病気の兆候が出にくい株、実付きの安定した株。

 それらを区画ごとに分け、収穫時期が重ならないよう調整している。


 現地農民にとって、バナナは日常の作物だ。特別な説明は要らない。

 だが、日本側が持ち込んだのは、作り方ではなく「続け方」だった。

 どの区画で、いつ、どれだけ収穫できるか。それを先に決め、帳面に落とす。

 出来高ではなく、予定を共有する。そのための線引きと印付けを、駐在担当は黙々と確認していく。


 「この列は、次の月に回す」


 農民が頷き、別の列に目をやる。命令ではない。合意だ。収穫量はまだ小さい。

 だが、途切れない。急がない代わりに、崩れない。日本側が評価しているのは、その一点だった。


 帳面の半分を埋めると、駐在担当は農園を離れる。海に向かう時間だ。

 同じ帳面を抱えたまま、彼は沿岸へ歩く。

 畑と海は分かれているが、彼の中では一つの線で繋がっている。


 浜辺には、小型船が数隻並んでいた。どれも形が違う。

 現地で調達した木材を使い、日本側が簡素な設計図だけを渡して作らせたものだ。

 大型船はない。燃料も限られる。だからこそ、浅瀬を中心に、無理をしない漁が選ばれている。


 漁法は、日本独自の沿岸技術を噛み砕いたものだった。網を広げて一気に獲るのではない。

 魚の動きを読む。時間帯と潮位を重視し、魚が集まる瞬間だけを狙う。

 現地の漁民にとっても馴染みのある感覚だが、日本側が強調したのは、

 その感覚を記録し、共有することだった。


 黒板には、簡単な図と数字が並ぶ。風向き、潮の高さ、出漁時刻。

 誰が船を出し、誰が戻りを待ち、誰が加工に回るか。

 役割は日ごとに少しずつ変わるが、帳面に残る。残すことで、次が楽になる。


 水揚げされるのは、小魚が中心だ。鰯に近いもの、鯵に似たもの、現地名で呼ばれる魚も混じる。

 量は多くない。だが安定している。重要なのは、獲った後の速さだった。

 浜に上がった魚は、すぐに内臓を取り、洗われ、塩を振られる。


 塩加減は、現地の感覚よりもやや厳しい。日本側が伝えたのは、「曖昧にしない」という姿勢だった。  

 重さを量り、時間を測り、並べ方を揃える。特別な技術ではない。

 ただ、徹底される。日本人特有の、食品に対する几帳面さが、そのまま手順として落とし込まれていた。


 干し場では、魚が一定の間隔で並べられる。影が重ならないよう、向きも揃える。

 天候が怪しければ、即座に燻しに切り替える。

 薪は現地で調達できるものに限定され、煙の量も管理される。

 強すぎれば苦味が残り、弱ければ水分が抜けない。その境目を、感覚ではなく記録で共有する。


 加工の合間にも、帳面は開かれる。

 日付、天候、漁獲量、乾燥時間。数字は簡素だが、空白は許されない。

 記録は責任ではなく、次の判断材料だ。誰かが忘れれば、次の日に必ず確認が入る。

 叱責はない。ただ、同じ失敗を繰り返さないためだ。


 日本軍の役割は、ここでも一貫している。作らない。指揮もしない。

 環境を整え、権限を整理し、外部からの干渉を防ぐ。

 漁民と農民が、同じ手順を安心して繰り返せるようにする。

 そのために制服はあるが、銃は倉庫に置かれている。


 乾物は、まず現地で消費される。農園で働く者、漁に出る者、その家族。

 余剰が出た分だけが保管される。輸送は急がない。

 年に数回で十分だ。軽く、腐らず、扱いやすい。それが選ばれた理由だった。


 駐在担当は、夕方、再び農園に戻る。朝と同じ場所で、葉の影が少し伸びているのを確認する。

 帳面には、畑と海の数字が並ぶ。片方は待つ仕事、もう片方はすぐ返る仕事。

 どちらも派手ではない。だが、同じ思想で回っている。


 戦争の音は、ここまでは届かない。だが、終わった後も残るものが、確実に積み上がっている。

 そのことだけを確かめ、彼は帳面を閉じた。


 ◇


 夏・八月下旬 東京 大蔵省副大臣執務室


 麻生一郎は、机上の図面から視線を上げずに、鉛筆の先で一つの円をなぞった。

 直径三十センチ足らず。羽根は四枚。軸は単純で、複雑な加工を必要としない。

 どこにでもある扇風機の形だが、彼の関心は外見ではなかった。


 電力消費、素材、組立工程。数字を書き込み、線を引き、また消す。高性能は要らない。

 静音性も二の次だ。重要なのは、夏を一つ越えられるかどうか、その一点だった。


 麻生は、内需という言葉を声に出さない。代わりに、雇用と時間を考えている。

 戦争が終わるかどうかは分からない。だが、終わった後に人が動けるかどうかは、いま決められる。


 朝鮮半島と満州国に八割の工程を置く構想は、机上では整っていた。

 鉄板の打ち抜き、簡易モーターの巻線、外枠の成形。現地には、すでに工場と労働力がある。

 軍需で疲弊しきっていない場所を使う。日本本土に残すのは、最終組立と検査だけだ。


 理由は一つではない。輸送効率もある。空襲リスクもある。だが、最大の理由は雇用だった。

 本土で働く場所を、完全に失わせない。そのために、最後の二割を残す。

 組み立て、確認し、箱に詰める。その工程があるだけで、人は仕事を持てる。


 麻生は椅子に背を預け、天井を見上げる。扇風機は贅沢品だ。だが、全くの不要物でもない。暑さは、思考を奪う。疲労を蓄積させる。働く意欲を削ぐ。小さな風があるだけで、作業は続く。


 机の端には、生筋有喜から届いた簡潔な報告書が置かれている。

 台湾のバナナ、沿岸の干物。数字は控えめだが、線は途切れていない。

 麻生は、その共通点を見ていた。どれも即効性はない。だが、回り続ける。


 極右系軍部の動きも、耳に入っている。

 「まだやれる」という言葉が、あちこちで囁かれていることも知っている。

 希望は人を立たせる。同時に、人を誤らせる。麻生は、その両方を理解していた。


 生筋が作っているのは、希望ではない。余地だ。誤解されやすいが、そこが重要だった。

 余地がある限り、人は選ぶ。選べる限り、暴走は遅れる。


 扇風機の構想も、同じ線上にある。勝つためではない。続けるためでもない。

 終わった後に、立ち上がる足場を残すためだ。誰にも気づかれずに進める必要がある。

 気づかれれば、別の意味を背負わされる。


 麻生は、図面の端に小さく日付を書き込んだ。試算段階。検討中。まだ何も決まっていない。

 決まっていないからこそ、動ける。


 窓の外では、夏の空が白く霞んでいる。風はない。

 だが、机の上には、風を作るための線が引かれていた。派手ではない。だが、消えない線だ。


 麻生は鉛筆を置き、報告書を閉じた。国家を救う構想ではない。戦争を終わらせる策でもない。

 ただ、終わった後に、誰かが働ける余白を残す。そのための、小さな考案だった。


挿絵(By みてみん)


『 1945年前後に官公庁・軍施設に置かれていた大型扇風機 』

~おまけ~  「兵器にならなかった機械」


① 扇風機は「贅沢品」ではなく「労働維持装置」だった


1945年前後、日本において扇風機は家庭電化製品というより、業務用設備に近い位置づけだった。

一般家庭に常設されている例は少なく、主な設置先は官庁、工場、病院、鉄道関連施設、通信所など、

人が長時間留まり、集中力や体力を要求される場所である。


当時の日本は慢性的な栄養不足にあり、夏場の高温多湿は、労働力の消耗を加速させた。

冷房設備など存在しない時代において、扇風機は唯一、

熱を直接下げずに人間の耐久力を引き延ばす装置だった。


重要なのは、扇風機が「快適さ」を目的としていなかった点だ。

目的は明確で、

・作業者の脱水と疲労の抑制

・集中力低下の遅延

・熱中症による離脱の回避


つまり、生産性を一時間でも延ばすための設備である。


このため、戦時中の電力配分においても、扇風機は「不要不急」の枠に完全には落とされなかった。

照明や通信設備と同じく、止めると即座に作業効率が落ちる装置として扱われたからだ。


贅沢品ではない。かといって必需品とも言い切れない。

この曖昧な位置づけこそが、戦時下における扇風機の現実だった。


② 小型化・量産化が意味した「思想としての工業」


戦時期の日本において、扇風機の設計思想は大きな転換点に差しかかっていた。

それは性能向上ではなく、小型化と単純化である。


大型で高性能な機械は、資材を食い、輸送を圧迫し、修理も難しい。

一方、小型で構造が単純な機械は、

・部品点数が少ない

・現地修理が可能

・組立工程を分散できる


という利点を持つ。


扇風機は、まさにこの条件に合致していた。

モーター、羽根、保護網、台座。

構成要素が少なく、設計思想を統一すれば、地域ごとの分業生産が成立する。


この発想は、単なる製品設計ではない。

「どこで、誰に、どの工程を担わせるか」という、国家全体の労働配置思想そのものだった。


朝鮮半島や満州で八割を作り、日本本土で最終工程を担うという案は、

・占領地での雇用確保

・本土工場の稼働維持

・輸送負担の最小化


を同時に満たす、極めて現実的な構想である。


扇風機は兵器ではない。だが、兵器よりも長く人を働かせる装置だった。

この時代に扇風機をどう作るかは、

「戦争をどう続けるか」ではなく、

「戦争の中で社会をどう壊さずに保つか」という問いに直結していた。


③ 扇風機が象徴する「勝たない技術」の価値


扇風機は、戦況を逆転させない。

敵を倒さない。

前線を押し返さない。


それでも、戦時下の国家にとって、扇風機は確実に意味を持っていた。


・病院で、患者を一人多く救う

・工場で、作業者が倒れる時間を遅らせる

・官庁で、判断が一つ遅れずに済む


これらはすべて、数字に現れにくいが、確実に効く効果である。


扇風機は「勝つための技術」ではなく、

**「負けきらないための技術」**だった。


戦争末期において、国家が本当に失うのは兵器ではない。

判断力、回復力、生活の連続性だ。


その連続性を、静かに支えていたのが、

音を立てて回る羽根だった。


だからこそ、扇風機は戦後も残った。

兵器が廃棄され、思想が否定されても、

人が暑さに耐えながら生きる現実は変わらなかったからだ。


扇風機は、敗戦後の日本でも回り続ける。

それは、破壊ではなく、生活に属する技術だった証拠でもある。

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