第1話
西暦1945年7月10日 東京
官邸の炊事場では、麦の混じる米が静かに蒸れていた。
吉田めるは、升で量を確かめ、余分な湯気を逃がす。
米七、麦三。今月に入って三度目の配分変更だった。
塩壺の底は薄く、ひとつまみを三等分する癖がついている。
奥の廊下は、紙の擦れる音で満ちていた。官僚が持ち込むのは、感情ではなく数字だ。
「本日未明、B-29編隊、延べ213機。主目標・中京工業地帯。副目標・港湾周辺」
報告は簡潔だった。
「投下物。焼夷弾M69系 約18,400発、500ポンド級汎用爆弾 312発。散布半径、想定値±12%」
被害は項目別に読まれる。
「市街地焼失率 26.8%。電力供給停止、最大41時間。上水系統の圧力低下、
市域の19%。鉄道、操車場二か所で転轍機損傷」
人的被害は、分けて示された。
「民間人。負傷8,920、行方不明1,140。軍関係者。負傷1,230、行方不明210」
誰も補足しない。数字は、夜の温度を下げる。
めるは手を止めずに聞いていた。意味を噛み砕かない。官邸に入ってから覚えた距離の取り方だ。
隣で愛花が、盆に紙を敷く。しおむすびは計36。官邸に詰める全員分ではない。
「迎撃の結果」
別の声が続く。
「迎撃機出動94機。交戦接触27。確認撃墜3。帰投不能11。燃料不足による不時着9」
敵の損耗も数字で置かれる。
「敵編隊の帰投率96.7%。投下精度、予測内」
沈黙が一拍入った。
「対処案」
机上に三行が並ぶ。
「一、都市防空の分散化。夜間灯火規制の再徹底。違反検挙は抑制し、即時是正」
「二、工業疎開の前倒し。稼働停止率を20%以内に抑える」
「三、迎撃の選択集中。次回来襲予測に合わせ、出動数を72機に制限」
最後に、静かな一文。
「反撃は行わない。先制に見える行動は取らない」
めると愛花は顔を上げ、盆を持った。
「しおむすび、出来てます」
声は低い。
「一くちでもいいので、食べてください」
官僚が受け取り、短く礼を言う。誰も立ち止まらない。
「……武運を」
同じ言葉が二度、夜に置かれた。
官邸の時計が時を告げた。午前一時。次回、大型来襲の予測は、七日から十日。
それまでに出来ることを洗い直し、同じ判断を繰り返さない。
その方針だけが、静かに共有された。
しおむすびは冷めても形を保っていた。夜は、まだ続く。
◇
地下の会議室は、地上より静かだった。厚い扉が閉まると、外の靴音も紙の擦れる音も遠のく。
残るのは、換気の低い唸りと、机上に並ぶ資料の白。
「報告します」
担当官は立たない。座ったまま、短く言葉を切る。
「極秘案件、進捗評価。段階記号β-7。実用可否の判定、限定的に可」
数字が続いた。
「成功率、静的条件下で62%。輸送・環境変動を含めた総合成功率、
38〜41%。再現性、低。量産性、なし」
誰も眉を動かさない。成功率が四割前後という評価は、期待でも失望でもなかった。
ただ、現実だった。
「保有数」
「二。以上」
紙が一枚、めくられる。
「付随影響。使用後の政治的影響評価、極大。軍事的即効性、限定。抑止効果、未評価」
次の頁。
「対策。秘匿維持。追加試験、不可。再計測は理論値のみ。判断期限、不定」
言葉が少ないほど、重い。
反対派の生筋有喜が、指で資料の端を揃えた。
「“限定的に可”とは、何を指す」
担当官は一拍置く。
「条件が揃った場合のみ、です。天候、輸送、判断の一致。いずれかを欠けば、失敗率は五割超」
生筋はうなずかない。否定もしない。
「失敗した場合の影響は」
「技術的失敗の評価は回収不能。政治的影響は、成功時と同等。差はありません」
成功も失敗も、戻らない。会議室に、その理解が共有される。
「現下の空襲に対する位置づけは」
別の声が問う。
「反撃手段ではない。現時点では」
言い切りが置かれた。
「先制に見える行動は取らない。大規模・大型来襲に対する最終カードとしてのみ検討」
誰も反論しない。反論の余地がない。
「結論」
議長がまとめる。
「当夜は判断しない。保全を最優先。記録は最小化。知悉者は限定」
時計を見る者はいない。時間は、上で流れている。
会議が解かれると、資料は回収された。紙は残らない。残るのは、二という数字と、四割という重さ。
地上に戻ると、官邸の廊下に灯りがあった。
盆に並ぶ、しおむすびの湯気。誰かが一つ、手に取る。
食べることと、決めないこと。その夜、同じ重さで置かれた。
◇
生筋有喜は、机に広げた被害一覧を、上から順に指でなぞった。
都市名、投下量、焼失率、復旧見込み。どれも見慣れた項目だ。
違うのは、今夜の数字が、どれも“鈍い”ことだった。
「大規模・大型は七日から十日」
誰かが会議でそう言った時、生筋は首肯も否定もしなかった。幅としては妥当だ。
過去三か月の来襲記録を重ねれば、同規模の再編に必要な日数はその範囲に収まる。
整備、補給、気象。要因はいくつもあるが、結論は一つだ。
連続は来ない。だが、来る。
問題は、その間に何をするか、ではない。何をしないかだ。
生筋は迎撃結果の列を見た。出動数、接触率、帰投不能。
いずれも改善余地はあるが、劇的ではない。選択集中をしても、損耗の質は変わらない。
相手の帰投率が九割を超える限り、こちらが“勝った”とは言えない。
「反撃は、先制に見える」
言葉に出さず、頭の中で繰り返す。反撃の定義を誤れば、数字はすべて裏切る。
都市機能停止率が何%であろうと、政治的影響が極大なら、計算は成立しない。
別紙に視線を移す。極秘案件の評価表。成功率は四割前後。
再現性なし。量産不可。二という保有数が、何度見ても増えない。
生筋は、その数字を嫌った。少なすぎるからではない。多すぎるからだ。
ゼロなら議論は要らない。一なら事故だ。二は、選択になる。
「判断しない、が最適」
彼はそう結論づける。今夜は、だ。
七日から十日の警戒幅があるなら、その間にやるべきは準備ではない。
記録を減らすことだ。知る人を増やさない。言葉を増やさない。判断の材料を、増やさない。
生筋は、官邸の外の灯りを思い浮かべた。疎開で暗くなった街。復旧見込み四十時間の電力。
水圧低下十九%。数字は人を守らないが、嘘をつかない。
彼が恐れているのは、失敗ではなかった。成功でもない。
成功と失敗が同じ結果を生むことだ。戻れない、という点で。
「今夜は、決めない」
それは逃げではない。統治の技術だ。判断を先送りにすることが、唯一の合理である夜がある。
生筋は、その夜が今だと認識していた。
扉の向こうから、盆の触れ合う音がした。しおむすびの匂い。
誰かが食べる。数字では測れない補給だ。
生筋は資料を閉じた。七日から十日。
大規模・大型が来る前に、来なかった時の計算を続ける。
それが、反対派の役目だった。
補足:なぜ「大規模・大型空襲」は七日から十日の間隔になるのか。
太平洋戦争末期、日本本土に対する空襲は「連日行われていた」という印象を持たれがちだが、
史実を精査するとそれは正確ではない。
正しくは、連日に何らかの航空活動は存在したが、
都市壊滅級の大規模・大型空襲は連続して行われていない。
その最大の理由は、B-29爆撃機の運用特性にある。
B-29は当時としては画期的な超長距離爆撃機であったが、その代償として整備負荷が極めて高かった。
特にエンジンの信頼性は低く、1回の長距離出撃ごとに大規模な点検と部品交換を要した。
200機規模の編隊を再編成するには、最低でも数日から一週間前後が必要であった。
加えて、焼夷弾主体の都市空襲では兵站面の制約が大きい。
M69などの焼夷弾は嵩張り、補給・再装填・安全確認に時間を要する。
これは単なる爆弾補給ではなく、基地全体の再整備作業を伴う工程であり、
連日同規模での投入は非現実的だった。
人的要因も無視できない。
B-29搭乗員は片道だけで七時間以上を要する長距離飛行を行い、
夜間爆撃を含めれば一回の任務は十数時間に及ぶ。
連日の同規模出撃は乗員疲労と事故率を急激に高めるため、米軍自身が意図的に間隔を空けていた。
さらに気象条件も重要である。
焼夷弾攻撃は風向・湿度・雲量に大きく左右され、条件が揃わなければ効果が激減する。
1945年夏季の日本周辺は気象が不安定であり、好条件が連続することは稀だった。
これらの要因を日本側は被害記録と来襲頻度から把握しており、
「次に来るとすれば最短で一週間、通常は十日前後」という警戒幅を設定するのは合理的判断であった。
したがって「次回来襲の警戒幅は七日から十日(大規模・大型)」という表現は、
後知恵ではなく、当時の観測と経験に基づく現実的な評価と言える。




