自販機の光と、言えない話
ミシマが店を出たとき、沼袋の夜は少し生ぬるい風を運んでいた。
黒川とハルは先に帰って、店の前にはミシマとリホだけが残った。
「今日は、珍しく静かね」
「給料日前だからな。財布だけじゃなくて、みんな心まで細くなるんだよ」
「あなたも?」
「俺は……まあ、元から太くはないから」
リホが少し笑った。
それだけで、ミシマは胸の奥が妙に落ち着かなくなる。
店から哲学堂方面へ歩くと、角にある古い自販機がまぶしいほど光っていた。
この街のどこよりも明るいのは、たぶん照明の調整が壊れているからだ。
リホが言う。
「なんで、あの自販機だけあんなに必死に光ってるんだろうね」
「存在感アピールじゃない? “気づいて”って」
「自販機が? なんか可愛いじゃない」
ミシマは笑ったが、心のどこかで胸が疼いた。
“自分も誰かに気づかれたくて光っていた時期があった”
そんな記憶がよぎった。
リホがコーヒーを買い、缶を両手で包むようにして立っている。
「最近、さ……」
彼女の声は少しだけ弱かった。
「一人でいるのが楽だなって思うのよ。昔は寂しいって思ってたのに」
ミシマはその言葉を聞いて、喉の奥がつまるような感覚になった。
「楽なほうに逃げてる気もするけど……まあ、逃げてもいいよな」
「ミシマは? 一人って、楽?」
「うーん……楽って言うより、“自分の扱い方が一番わかる”っていうか」
「へぇ」
「他人にどう見られるか気にするより、自分のバランスだけ気にしてればいいし」
リホは夜風に髪を揺らしながら缶コーヒーのプルタブをいじっている。
「でもね、人の優しさってさ……重く感じる日、ない?」
ミシマは息を止めた。
「ああ……ある。むしろ、最近多いかも」
「誰かが“無理しなくていいよ”って言ってくれると、逆に“無理してないのがバレた?”って感じちゃうの」
ミシマはゆっくり思い出すように言った。
「優しい言葉ってさ……受け取れる日と、跳ね返しちゃう日があるんだよな」
「そうそう。それ」
リホは笑うけれど、その笑いには少し影があった。
「好きだった人のこと、思い出す日とか特にそう。優しさが一番つらい」
ミシマは、胸の奥に沈んでいた“言わないでいた記憶”がざわつくのを感じた。
「好きだった人、か」
「“だった”ね。もう“好きかどうか”とか考える気力がないから」
「……いるの? その、“だった人”」
リホは自販機の光をじっと見つめていた。
「いるよ。でもね……たまに思うの。“私なんか愛されるわけないのに、なんで期待してたんだろう”って」
ミシマは返す言葉が見つからなかった。
愛される自信なんて、自分だって持っていない。
むしろ、ずっと持てたことなんてない。
リホがミシマの顔を覗き込む。
「ミシマは、愛される自信ある?」
「……正直、ない。誰かと比べて“自分だけ欠けてる”って思う瞬間多いし」
「わかる。それ」
沈黙が落ちた。
けれど、その沈黙は不思議と居心地は悪くない。
リホがふと歩き出し、哲学堂の方向へ向かいながら言った。
「この街に何しに来たんだろうね、私たち」
「それ、俺の台詞だよ」
「じゃあ二人とも、理由忘れたまま住んでるの?」
「たぶん、この街にいること自体が“理由”なんじゃない?」
リホは短く笑う。
「なんか、今日のミシマ、珍しくいいこと言う」
「気のせいだよ」
「……そうかも」
その“そうかも”が、なぜかほんの少しだけ温かかった。
二人は並んで歩いた。
恋人でもなく、友達というほど軽くもなく。
曖昧な線のまま、沼袋の夜風がその間をゆっくり通り抜けていく。
自販機の光が遠くなる頃、リホがぽつりと言った。
「また、外で少し歩こうよ。こういう感じ、悪くない」
ミシマはうなずいたが、声には出さなかった。
言葉にしたら、きっと壊れてしまいそうだったから。




