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俺の話を聞いてくれー西武新宿線界隈ー  作者: あいまいもこ


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3/13

沼袋の静かな夜は、大体、無職の反省会になる。

沼袋の南口、いつもの居酒屋。

引き戸を開ける前から、油の匂いがわかる。


「……あ、ミシマ。今日早いね」


すでに一杯目を始めている黒川が手を挙げた。


「誰にも会ってなくてさ。喋らないと人間に戻れないから」


「分かる。今日、俺も誰とも会ってない日」


ハルが唐揚げをつつきながら言う。


「いや、仕事は?」


「コンビニ夜勤は人に含まれないっす。だって店内の八割、無言の客っすよ」


「それは客のジャンルの問題じゃない?」


「いや、俺の人生の問題っす」


ミシマは座る前にため息をひとつつく。


「今日さ、区役所行ってきたんだよ」


「お、ついに。何しに?」


「書類。で、職業欄に“無職”って書く瞬間があって」


黒川がグラスを持ったまま固まる。


「……とうとう正式に?」


「正式に。“その他”じゃなくて“無職”。今回はあった」


「え、あるんだ……。俺のとき“その他”しかなかったのに」


ハルが笑いながら割り込む。


「ミシマさん、震えました?」


「震えなかったけどさ。書いた瞬間に“今日が何曜日か分からない人間”に確定した気がした」


「無職って、曜日を失うよな」


黒川がうなずく。


「俺なんか昨日、金曜だと思って風呂入らなかったもん」


「それ関係ある?」


「なんか、金曜って風呂サボりがちじゃない?」


「知らないよそれ」


しばらく枝豆をつまむ音だけが続く。


深夜帯の沼袋は、駅前の雑踏が全部水に沈んだみたいに静かだった。


「でもさ」


ハルがふいに言う。


「朝起きる意味って、まだあると思います?」


ミシマがコップを置く。


「……なんでいきなり哲学?」


「俺、今日、昼の三時まで寝てて。で、起きた瞬間“なんで起きたんだろ”って」


「人間として危ないけど、気持ちはわかるよ」


黒川がストローをくわえながら言う。


「朝ってさ、目的ある人だけにくるご褒美なんだよ。俺らには昼が来る」


「ご褒美、遅いな」


「人生に早起きボーナスがないんだよ、俺ら」


ミシマは苦笑する。


「でもさ。今日“無職”って書いたとき、少しだけ清々しくて」


「え、そっち?」


「なんか……“ここから先、誰のレールにも乗ってないんだな”って」


黒川が斜め上を見る。


「沼袋で言うと……“未来あるのか問題”だな」


「この街全体の話にすんなよ」


「いや、でもあるだろ。ここ、何年住んでる?」


「覚えてない」


「それだよ。“覚えてない”街に未来あると思う?」


ハルが横から言う。


「俺らが未来ないだけじゃないっす?」


「それ言うならお前もだろ」


「そうっすね」


三人同時に笑った。


店の外で、誰も乗ってない自転車が風で揺れた。


沼袋の静かな夜は、たぶん東京で一番、未来の話に向いてない夜だ。


「でもさ」


ミシマが、唐揚げを一つだけ指でつまむ。


「もしこの街に未来がないんだったら……俺らが居られる理由、むしろある気がする」


「どういう理屈?」


「何も変わらない街は、何も変わらない人間にはちょうどいいっていう意味」


黒川が、ゆっくりグラスを回す。


「……なんか今日、お前しっとりしてるな。無職書いた余韻?」


「たぶんそれ」


ハルが吹き出す。


「無職って、精神的に一番忙しいステータスなんすね」


「そう。誰より働いてないのに、誰より考えてる」


店の奥から、常連のおっさんがぼそっと言う。


「考えてるうちは、まだ大丈夫だ」


三人がそっちを見る。


「考えるのやめたら、本物の無職だ」


「やだなその定義……」


黒川が苦笑する。


ミシマはゆっくり言った。


「まあ、今日は……“まだ大丈夫な無職”でいいか」


ハルがうなずく。


「じゃあ、俺も今日まだ生き延びましたってことで」


「お前は働いてるだろ」


店の外で、一台の電車が通りすぎた。


沼袋は、今日も誰の背中も押してはくれなかったけれど、

ほんの少しだけ、立ち止まったままの人間を許してくれた。

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