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俺の話を聞いてくれー西武新宿線界隈ー  作者: あいまいもこ


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2/13

無職って、何日目から自覚するの?

沼袋駅の改札を出ると、夜はだいたい同じにおいがする。

油と湿気と、少し遅れた夕飯のにおいが混ざった、行き先のない匂いだ。

商店街の照明は半分だけ点いていて、シャッターは半分だけ閉まっている。

いつ来ても、街はちょうど“途中”の顔をしている。


居酒屋の引き戸を開けると、黒川がもうカウンターに座っていた。

舞台役者、という肩書きはまだ本人の中で現役らしいが、実際はほぼ無職だ。


「お、ミシマ。今日は早いな」


「今日は用事がなかったから」


「それ毎日じゃん」


そう言われて、否定できないまま隣に座る。

リホが無言でおしぼりと水を置いた。


「今日は何もなかった日って感じ?」


「まあ、そう」


「一番多いタイプね」


少し遅れてハルが入ってくる。コンビニ夜勤上がりのままの格好だ。


「お疲れっす。今日、廃棄にシフォンケーキ出たんすけど、誰も持って帰らなくて」


「そんな悲しい話ある?」


「俺ですら持って帰らなかったっす」


「それ、逆にすごい判断ミスだろ」


三人が揃ったところで、とくに意味もなく最初の注文が通る。

枝豆、唐揚げ、安い焼き鳥。

この店で頼むものはいつも同じだ。


しばらく、どうでもいい話が続いた。

コンビニの変な客、哲学堂の池に落ちた鳩、商店街の潰れたラーメン屋。

会話が一周したあたりで、黒川が急に言った。


「なあ」


グラスの水滴を指でなぞりながら、黒川がこちらを見た。


「無職ってさ」


妙に真剣な顔だった。


「何日目から“自覚”すると思う?」


一瞬、誰も答えなかった。

油がはぜる音だけが、間を埋める。


「え、初日じゃないっすか?」


ハルが即答した。


「辞めた次の日の朝、目覚まし鳴らなくて、“あ、俺いま社会にいない”って」


「それはフリーターの感覚だな」


黒川が言う。


「本物の無職は、もっとこう……じわっと来るんだよ」


「どういう“じわっと”ですか?」


「今日は休養。明日は準備。明後日は応募しようかな、って思い続ける感じ。で、ある日、季節が変わってる」


唐揚げを一つ食べながら、ミシマが口を開いた。


「無職って、“仕事がない状態”じゃなくて、“今日の説明ができない状態”なんじゃない?」


「急に文学部出てきましたね」


「出てないけど」


黒川はうなずいた。


「それだよ、それ。今日何してたって聞かれて、答えに困った瞬間、無職になる」


「じゃあ俺、毎日無職じゃないっすか」


ハルが即座に言う。


「夜勤あるけど、昼間の説明は何もできないんで」


「それは“半無職”だな」


「何その区分」


黒川は少し考えるふりをしてから言った。


「じゃあさ、職業欄に“無職”って書いた瞬間が、正式な自覚日じゃね?」


その言葉に、ミシマは唐揚げを一つ、皿に戻した。


「俺、この前書いたよ」


「え?」


「区役所で」


ハルが身を乗り出す。


「ガチのやつじゃないっすか」


「震えました?」


「いや、震えなかった。職業の選択肢に“無職”がなくて、“その他”になった」


「それ、余計つらくない?」


リホが鼻で笑った。


「“その他の人たち”って、だいたい一番多いのよ」


「その他が最多派って、世界終わってません?」


黒川が言うと、リホは伝票を置きながら言った。


「終わってる人から集まってるのがこの店でしょ」


そのとき、奥の席で常連のおっさんが小さく咳払いした。


「無職ってな」


焼酎を一口飲んで、ぽつりと言う。


「数え始めたら、まだ大丈夫だ」


三人が同時にそちらを見る。


「数えるのやめた瞬間からが、本番だぞ」


「怖いこと言わないでくださいよ」


黒川が笑いながら言う。


「じゃあ俺、まだ大丈夫ですね。ちゃんと失業してからの日数、覚えてます」


「何日目だ?」


「えーっと……」


黒川は指を折りはじめたが、三本目で止まった。


「あれ?」


そのまま指が止まった。


「……何日目?」


「“三本目で詰まる”が一番危ないやつだ」


ミシマが静かに言った。


ハルが急に真顔になる。


「でも無職って、割り勘のときだけ急に“全員まとめて同じ種族”になるの、ずるくないっすか」


リホが間髪入れずに言う。


「さっきから伝票、ずっと見てるけど?」


「今月、ガチでやばいんで」


黒川が言った。


「夢追ってると、金の減りが早いんだよ」


「夢って、使い過ぎると借金になるんですよ」


ミシマが言う。


「利息は“自己嫌悪”で」


一瞬、三人とも黙った。


外で電車の音がした。

沼袋を通りすぎる音だった。


黒川が急に笑った。


「じゃあさ、無職って“なるもの”じゃなくて、“塗り替えられるもの”なんじゃね?」


「何に?」


「“いまの自分”に」


いいことを言ったつもりの空気が、一瞬だけ店内に浮かびかけた。


その空気を、リホが伝票で叩き落とした。


「はい、いまの自分たち、一万二千円ね」


現実が戻る。


ハルが財布を開く。


「無職って、支払いのときだけ団結力高くないっすか」


「共通の敵が“お金”だからな」


黒川が言った。


ミシマは少しだけ考えてから言った。


「無職って、“仕事がない人”じゃなくて、“明日の説明を先送りにしてる人”なんじゃないかな」


黒川がうなずく。


「じゃあ俺、無職じゃないわ。明日オーディションあるし」


三人が同時に言った。


「それ、先週も聞いた」


店の外で、もう一本、電車が通りすぎた。


誰も何も言わなかった。

ただ、それぞれの“何もなかった一日”が、空いた皿の上に積み重なっていくだけだった。


沼袋は今日も、誰の人生にも、はっきりした答えを渡さなかった。

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