ちゃんと働くって誰基準?
ミシマは、実家のグループLINEに送られたメッセージを三度読み直した。
《最近どう? ちゃんと働いてる?》
“ちゃんと”の部分が、特に攻撃力高めだった。
文字なのに、音で刺されてる感じがする。
ミシマは布団に顔を埋めて唸る。
「ちゃんとって何……」
たぶん、世の中でもっとも雑に使われる単語なのに、
もっとも規格が分からない言葉だ。
黒川からメッセージが来た。
《今日、19時。ハルが“ちゃんと働いた”日らしい》
《初耳のジャンル》
---
夕方。沼袋の居酒屋。
黒川はカウンターで、なぜか面接帰りみたいな服を着ていた。
「お前、今日どうした?」
ミシマが聞くと、黒川は肩を落とした。
「親に言われた。“そろそろ普通の仕事しろ”って」
「あー……“普通”も分からんワードだよね」
「しかも面接で“役者をやってました”って言ったら、“じゃあうちでやりたいことは?”って聞かれて固まった」
「役者やりたいんだろ」
「そう。だから何も言えなかった」
二人で苦笑いしていると、ハルが入ってきた。
彼は珍しく明るかった。
「今日は働いたんす!」
ミシマが拍手する。
「すごいじゃん。何やったの?」
「仕分けのバイトっす。しかも今日だけ」
黒川が首をかしげる。
「それで“ちゃんと働いた”扱いなの?」
「いや、自分の中での話っすよ。“今日は頑張ったな俺”って」
ミシマは思った。
“ちゃんと働いた”の基準は、案外このくらいで良いのかもしれない。
---
リホが水を置きながら聞いてくる。
「三人とも、今日は何の日なの? やけに達成感あるけど」
ミシマが言う。
「“ちゃんと働いてるかどうか”の話してたんです」
リホはあっさり答える。
「そんなの本人が決めれば?」
三人が同時に固まる。
黒川が言う。
「いや、でも周りが言うじゃないですか。“そろそろ働け”とか“ちゃんとしろ”とか」
「だから何? その人たちとあなたの人生は別でしょ」
ハルがぽつり。
「でも、そう言われると“自分ダメなのかな”って思っちゃうんすよね」
リホはため息をつく。
「偉そうな人ほど、自分が思う“ちゃんと”を他人に押しつけるのよ。
働き方なんて百人百通りよ」
ミシマはうなずく。
「じゃあさ、ハルの“今日だけ仕分けた”のも立派?」
「立派よ。やらないより何倍もいいじゃない」
ハルは感動していた。
---
ビールが届き、三人はわりと真面目なモードになっていた。
黒川が言う。
「俺、役者で食っていきたいけど、親には“それは働いてるって言わない”って言われたんだよな」
ミシマが言う。
「じゃあ売れたら?」
「売れたら“すごいね”って手のひら返すらしい」
「それもう働き方関係なくない?」
ハルが焼き鳥をかじりながら言う。
「俺も今日、バイト先で“この仕事長くやる気ある?”って聞かれて困りました」
「どう答えたの?」
「“質問の意図が分かりません”って言ったら黙られたっす」
「正直者め」
ミシマがビールを飲んで言う。
「働くってさ、“稼ぐ”と“生きる”の二つに分かれるよね。
でも親とか社会は“稼ぐ”だけ見てくる」
黒川がうなずく。
「でも俺、好きなこと続けたら、いつか稼げるかもしれないって思ってるんだよな」
ハルが言う。
「そういうのも“ちゃんと働く”の内側じゃないっすか」
ミシマがまとめる。
「つまり、“ちゃんと働く”って本人の気持ちの話で、
外側の人が決めるもんじゃないってことか」
三人が同時にうなずく。
リホが唐揚げを置いて、さらっと言う。
「まあ、働きすぎて壊れる人より、働かなすぎて悩んでる人のほうがよほど健全だけどね」
三人は同時に“名言出た…”の顔をした。
---
店を出ると、夜の沼袋は静かで、駅前の明かりだけがぼんやり光っていた。
黒川が言う。
「なんか今日は、“働け”って言われても前ほど刺さないわ」
ミシマが言う。
「俺も。“俺の基準で働いたかどうか”を判断すればいい気がしてきた」
ハルが言う。
「じゃあ俺、今日めっちゃ働いた日だわ」
黒川が爆笑する。
「一日だけで人間こんな強気になる?」
「一日だけでも十分なんすよ。ゼロが一になるし」
ミシマが言う。
「“働く”って、そもそも自分を動かすことでしょ。
誰かに説明するためじゃなくて」
黒川が言う。
「そうだな。俺も明日、オーディションの練習ちゃんとやろう」
ハルが言う。
「俺も明日、ちゃんとサボろう」
「張り切って言うな」
三人は笑いながら分かれていく。
沼袋の夜は何も変わらない。
けれど今日だけは、少しだけ心が軽かった。
“ちゃんと”の基準は、とうとう外側じゃなくて、
内側に置けるようになってきた。




