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誠の旗、五十の刃 ―新選組血風録―  作者: 妙原奇天


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あとがき

 ここまでお付き合いくださったあなたへ、深く頭を下げます。五十話という長い呼吸を、ゆっくり確かめるように歩いてくださって、ありがとうございました。


 本作は、敗北の史を“敗北の物語”にしないための試みでした。旗が降りる瞬間ではなく、その後に何をどう畳み、誰を先にし、どの順番で塩と糸を回したのか――その具体の連なりにこそ、人の尊厳が宿るのではないか。そう考え、剣の光ではなく、湯気の白や紙の薄さに焦点を合わせました。派手な場面を削ぎ、短い命令文を繰り返し置いたのは、当時の人々が生き延びるために実際に必要だった“合図”のリズムを、物語の拍として残したかったからです。


 私は「英雄譚」より「仕事譚」を信じたいのだと思います。池田屋や函館戦争の名は誰もが知っていても、鍋の蓋の角度や、針の戻し先、紙に押された印の乾き具合は、あまり語られません。けれど、暮らしはそうした細部の反復でできています。怒りを一拍遅らせ、端から話し、退くための道筋を先に敷く――この地味な手順が積み重なるところに、歴史の“呼吸”がある。そう信じて、書き進めました。


 史実との距離について、少しだけ。登場する人名・地名・出来事は広く知られた史料に依拠していますが、物語上の整合と人物の呼吸を優先し、時系列の圧縮や会話の創作、視点の交替を行っています。とりわけ女たちの章、学校の章、写真の章は、史の余白に残った生活の音程をこちら側で補筆した部分が多い。誤りや過不足があれば、すべて筆者の力の足りなさです。


 書きながら、何度も“名を半歩遅らせる”ことを自分に言い聞かせました。名を呼ぶことは力ですが、ときに相手の今を傷つける。未詳のまま留める勇気、距離を礼とする構えを、物語の内部にも、書き手の姿勢にも置いておきたかった。未詳は不親切かもしれません。けれどその不親切が、読む人それぞれの想像と思いやりを呼び出すことを、私は信じています。


 また、蝦夷の章における土地と海の描写は、今を生きる人びとへの敬意なしには書けませんでした。海は怒らず、人が怒る。怒りは視界を狭める――その一文に、私は何度も立ち返りました。視界を広げるのは、いつも手順でした。塩の掴み方、糸の撚り方、印の押し方。薄いものほど長く残るという言葉は、紙の質の話であると同時に、言葉の置き方の話でもあります。強く主張する前に、薄く置いて、読む人の丁寧に委ねる。あなたの丁寧に、たしかに支えられました。


 書き手としての幸運は、登場人物たちが終始“構えの人”でいてくれたことです。斎藤は剣を抜かぬために剣を帯び、永倉は語りの稽古に晩年を捧げ、原田は退く者の背を守るために前を向き、近藤は名の帰郷によって土に混ざり、土方は最後の一瞬まで列を保った。彼らの背中を過剰に神話化しないよう、しかし薄く光らせるよう、文を削り、余白を残しました。鳴らない鐘がよく響くように、鳴らない描写が遠くまで届くことを願って。


 読者の方々からいただいた感想の中に、「自分の仕事場で“順番と手順”の札を作りました」とありました。胸が熱くなりました。歴史は遠いところにあるのではなく、台所や職場や教室の端に立っています。旗はもう掲げられないけれど、白い布は動線の白として今日も揺れる。もしこの物語のどこかに、あなたの暮らしへ持ち帰れる小さな札が一枚でもあったなら、書き手として、それ以上の喜びはありません。


 最後に、謝意を。長い道のりをご一緒くださった読者に。語りの稽古を教えてくれた先人の記録に。風の向きを一歩分だけ教えてくれた土地に。そして、物語の外側で静かにこの世界を支えている“塩”と“糸”に。ありがとうございました。


 筆を置きます。置くというのは、遠ざけることではない。帰り道を確かにすることです。海鳴りが少し近くなりました。呼吸を合わせ、一歩、前へ。誠は、次の順番で待っています。

 また、どこかの“端”で。

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