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「断罪5:沈黙の井戸──毒水の領主」

 王都レガリアの玉座の間は、朝の光を受けて冷たく輝いていた。高い天井から吊られた燭台の金細工が鈍く反射し、石床には緊張に満ちた人々の影が長く伸びている。私は玉座に身を預け、その視線の先に進み出た村人たちを見下ろした。


 先頭に立つのは、風に焼けた顔を涙で濡らした老女だった。背中は曲がり、手に握られた小さな布包みには村の土が詰められている。その震える声が、静まり返った広間に届いた。


「陛下……どうかお聞きください。王都近郊の村にて、我らの井戸を掘った領主が、水を独占しております。金や娘を差し出さねば、一滴たりとも与えぬのです……」


 老女の言葉に群衆がざわめき、廷臣たちが顔を見合わせた。水は命の源であり、王国の民にとって最も神聖な共有財。だがそれを独占し、取引の道具にするなど、まさに命を握る暴挙にほかならない。


「子や孫が渇きに倒れました……水を得ようとすれば娘を差し出せと言われ……!」


 震える声に嗚咽が混じり、村人たちが次々と膝をつく。広間の石床に涙が落ち、乾いた音を立てて染み込んでいく。


 廷臣の一人が小声で囁く。

「まさか……水を人質にとは……」


 私はゆるやかに立ち上がり、玉座の階段を一段降りた。金糸の衣が石床を擦る音が、広間全体の緊張をさらに強める。村人たちの怯えた瞳が一斉に私を仰いだ。


「水は命。その命を奪うことは、血を奪うことと同じ……」


 私の声は低く冷たく、刃のように響いた。村人のすすり泣きがぴたりと止み、廷臣たちまでも息を呑む。


「奪う者は命で贖え」


 その一言に、広間の空気が震えた。セラフィナが静かに一歩進み出て、冷徹な声で命を受ける。


「御意にございます、陛下。すぐに調査隊を編成し、領主の井戸を調べ上げます」


 村人たちは床に額をつけて感謝の言葉を口にした。だがその顔には安堵と同じだけ、これから起こる“断罪”の予感が刻まれているのを私は見抜いていた。


 私は玉座に戻り、指先で玉座の肘掛を軽く叩いた。


(この国において水は血脈だ。それを握る者は神をも僭称する……ならば、神を焼く炎で裁いてやろう)


 玉座の間に集められた廷臣たちの前で、セラフィナが調査の結果を報告していた。彼女の手には、井戸の構造を写し取った羊皮紙と、押収した証拠の数々がある。燭台の炎が揺らめき、石壁に映る影が不穏に伸びていった。


「陛下……調査の結果、領主は契約の水なるものを井戸に設けておりました。富や娘を献上する者にのみ、その水を与えていたのです」


 その言葉に広間がどよめく。廷臣たちは顔を見合わせ、群衆の中からは押し殺した怒りの声が漏れた。


「水まで買わねばならぬのか……」  

「娘を差し出してまで……」


 セラフィナはさらに別の羊皮紙を掲げた。そこには井戸の地下構造が細かく描かれている。


「そして、ガレスが発見しました。井戸の下には秘密の貯水庫があり、そこに毒草が沈められていました。富める者には“契約の水”を、貧しき者には毒を含んだ水を……貧者が飲めば病死する仕組みです」


 ざわめきが爆発した。村人たちの怒号が石床を震わせる。


「子を返せ!」  

「神を騙る悪魔だ!」


 私は玉座の上から静かに見下ろし、ゆるやかに立ち上がった。金糸の衣の裾が石床を撫で、群衆の視線が一斉に私へと集まる。


「生殺与奪を握る井戸の神ごっこ……滑稽だ」


 私の声は低く冷たく、広間全体に広がった。群衆はその一言で沈黙し、怒りはさらに凝縮されていく。ルシアンもその傍らで拳を握りしめ、怒りを隠しきれない表情で領主を見据えていた。


 セラフィナは一礼し、報告を締めくくった。「すでに証拠はそろいました。あとは陛下の御裁きのみにございます」


 私は小さく頷き、内心で炎の裁きの舞台が整ったことを悟っていた。(水は命。奪った命は、奪われるがよい)


 玉座の間の中央、石床に設えられた断罪の壇に領主が立たされていた。両手は鎖で縛られ、顔には汗と脂の光がにじんでいる。群衆は押し寄せ、ざわめきが天井の高みに反響していた。燭台の光は揺れ、石壁に映る影はゆらゆらと歪んで領主を取り囲むようだった。


「かんばつの中で富む者からしか取れぬのは当然だ」


 領主は唇を震わせながらも、なお傲慢に声を張った。「貧しき者に水を与えるのは罪を増やす。国を滅ぼすことになる。私は選別しただけだ!」


 その言葉に、群衆の間から激しい怒号が飛んだ。


「子どもを餓えさせておいて正義を語るな!」  

「水は命だ! 貴様は神ではない!」


 怒りと憎悪の熱気が一斉に噴き上がり、廷臣たちも顔を険しくする。私の傍らでセラフィナが一歩進み出て、冷たい声で告げた。


「陛下、さらなる証をお見せいたします」


 その合図でガレスが前に進む。彼の逞しい腕に引かれて、領主の家令が鎖に繋がれて連れ出されてきた。家令の顔は蒼白で、眼窩は恐怖に窪んでいる。ガレスは無言で拷問器具を取り出し、鉄の爪を鈍く光らせた。


「井戸に沈めた毒草のことを話せ」


 低く唸るような声に、家令の喉がひくつく。群衆は息を呑み、石床の上で重苦しい沈黙が落ちた。ガレスが器具の先をゆっくりと家令の指に押し当てると、皮膚が裂け、血の珠が浮かんだ。


「ひぃっ……! 言います……言います……!」


 悲鳴は石壁に反響し、群衆の胸を震わせる。家令は全身を震わせ、ついに吐き出した。


「領主様は……契約の水と称し、富める者にだけ清らかな水を……そして貧しき者には……毒草を沈めた水を……病を装って……死んだように見せかけて……連れ去った者たちを……帝国の奴隷商人に……」


 その告白に群衆は爆発した。

「悪魔め!」

「水を返せ!」と叫び、石床を踏み鳴らす音が広間を揺らした。領主の顔色がみるみる変わり、唇が震えだす。私は玉座からその光景を見下ろし、冷ややかに瞳を細めた。


(生殺与奪を握る“井戸の神”ごっこ……その滑稽さを血で贖わせてやろう)


 夕暮れの光が王宮の中庭にある大井戸の水面に赤い輝きを落としていた。群衆は回廊を埋め尽くし、誰もが息を呑んで中央の光景を見つめている。腐草と血の匂いが混ざった風が吹き抜け、廷臣たちの頬に冷たい汗が伝った。


「水を奪う者は水に呑まれて果てよ」


 私の声は井戸の底から響くように低く、重く、王宮全体を震わせた。瞬間、ざわめきは止み、全員が視線を私に釘付けにした。


 ガレスが一歩進み出る。彼の背に担がれていたのは、鉄で作られた逆さの籠だった。元は井戸を囲うための鉄枠を改造したものだが、内側には鋭い鉄の爪が逆向きに並び、捕らえられた者を逃がさぬよう組まれていた。錆びついた鉄が夕陽を受けて鈍く光り、残酷な儀式の器そのものだった。


「や、やめろ……!」


 領主が縛られた鎖を軋ませながら叫ぶ。だがガレスは無言のまま鎖を引き、領主を逆さにして籠に押し込んだ。鉄の爪が肉に食い込み、鮮血が逆さに滴り落ちて井戸の縁を染める。呻きが空気を震わせ、群衆の喉からどよめきが漏れた。


「これが……これが陛下の……なさることなのか!」


 領主の声は逆さになった血流と恐怖で震え、やがて言葉を失った。ガレスはゆっくりと滑車を回し、鉄籠を井戸の闇へと下ろしていく。水面が波打ち、腐肉と毒草が浮かぶ底の影が広がった。


 ずぶり、と音を立てて籠が水に沈む。泡が立ち、腐臭が立ち上る。領主の足が水面から消え、井戸の奥からはくぐもった喘鳴と泡立つ音だけが聞こえた。鉄籠がさらに深く沈められ、やがて声は泡に飲まれて消えた。


「正義の裁きだ!」


 誰かが叫ぶ。その声を合図にしたように、群衆のあちこちから同じ叫びが巻き起こった。涙に頬を濡らしながら叫ぶ者、嗚咽を噛み殺す者、それぞれの胸にあるのは恐怖と興奮の入り混じった鼓動だった。水の解放を告げる鐘のように、群衆の声は井戸の底まで届いていく。


 私はゆるやかに歩み出て、井戸の縁に立った。炎の光と腐った水の匂いを吸い込み、静かに告げる。


「命を預ける井戸は、今や自由だ」


 その言葉に群衆は再び息を呑んだ。次の瞬間、歓声が嵐のように回廊を揺らし、風が吹き抜けて水面を波立たせた。私の裾がかすかに揺れ、冷ややかな微笑が口元に浮かんだ。


(水は血脈。そして血脈を汚した者は、水の闇で息絶える……この国に真の秩序を刻むには、まだ多くの“井戸”を裁かねばならぬだろう)

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