「断罪4:血塗られた施療院」
亡命を認めた王子。
私は熟慮して側に置くことにした。
今まではガレスにその任を任せていたが、ガレスには他にやってもらいたい事が出来たからだ。
私は玉座に座し、広間に漂うざわめきを冷ややかに見渡していた。燭台の炎が揺らめき、廷臣たちの顔を赤く照らし出す。その場の空気は張りつめ、まるで一つの刃のように鋭く緊張していた。
私の傍らには、黒き鎧に身を包んだルシアンが静かに立っている。亡国の王子が女王の専属近衛として玉座の側に控える――その光景は廷臣たちに深い動揺を与えていた。民衆の列からは「女王の剣となった」と囁きが漏れ、恐れと期待が入り混じった視線が私たちに注がれていた。
一方、広間の中央には近衛兵長ガレスが膝を折り、頭を垂れている。筋骨たくましいその姿は、これまで幾多の断罪を執行してきた誇りそのものであった。私はゆるやかに彼へ視線を落とし、冷徹に言葉を放った。
「ガレス。お前には国の軍備を担わせる。兵を鍛え、武具を整え、国境を固めよ。帝国の影が忍び寄るこの時、我が王国を守る楯となれ」
ガレスは無言のまま頷いた。その顔は伏せられていたが、私は確かに感じ取った。表の断罪の場から遠ざけられる悔しさ、女王の傍を離れる不満――それでも逆らうことのない忠誠。その矛盾を抱えながらも、彼は命令に従うことを選ぶのだ。
「……御意にございます」
低く絞り出された声は、鉄のように重かった。
私は続けて玉座の傍らに立つルシアンへ視線を移した。彼は一歩進み出て、胸に手を当て深く頭を垂れる。その瞳は炎を映すようにまっすぐで、揺らぎがなかった。
「陛下の剣として、この身をお傍に捧げます」
その言葉に廷臣たちは息を呑み、民衆はざわめいた。亡国の王子が女王の剣となる――それは恐怖と興奮を煽る寓話のように広間を駆け巡った。
私は玉座から立ち上がり、二人を見渡した。冷ややかな微笑を浮かべながら、その行く末を見定めるように。ガレスは裏方で軍を動かし、残酷な断罪を遂行する「黒き手」となる。ルシアンは玉座の側に立ち、象徴として剣を掲げる「白き盾」となる。二人を使い分けることで、私の炎はより強く燃え上がるだろう。
(忠誠と血、誓いと愛――すべては私の掌で絡み合い、やがて断罪の舞台に導かれるのだ)
■
王宮の広間に、すすり泣きがこだました。群衆をかき分けて進み出たのは、痩せこけた一人の母であった。衣は薄汚れ、指は骨ばり、両の目は泣き腫らして赤く染まっている。彼女は玉座の前に膝をつき、震える声で訴えた。
「陛下……どうかお聞きくださいませ。病に伏した幼子を施療院に預けました。ですが数日後、院から届いたのは『死にました』という一言だけ……遺体すら見せてもらえぬまま、私は子を奪われたのです……!」
その叫びに、広間はざわめいた。廷臣たちは顔を見合わせ、民衆は口々に呟いた。
「施療院は病を癒やす聖なる場のはずだ……」
「院長は敬虔なる聖職者。そんなことが……」
困惑と疑念が渦を巻き、広間を重苦しく包み込む。施療院は人命を救う場――その常識が揺らぎ、群衆の顔には恐れと不安が浮かんでいた。
私は玉座に身を預け、静かに口元を歪めた。母の涙に心を痛めることはない。ただ、その背後に潜む腐臭を嗅ぎ分けていた。
「病が奪ったのではあるまい。真実は病ではなく、欲の中に潜むものかもしれぬ」
私の声が低く広間に響いた瞬間、ざわめきは収まった。人々は息を呑み、冷ややかな女王の言葉に耳を傾ける。
私は片手を掲げ、女官長セラフィナに視線を送った。
「調べよ。施療院の帳簿も倉庫も、すべて余すところなくだ。隠された真実を暴き出せ」
「御意にございます、陛下」
セラフィナは一礼し、冷徹な眼差しで母を見やった。その表情は憐れみではなく、証言を手掛かりとする冷たい観察者のものだった。群衆は静まり返り、母は嗚咽を漏らしながら額を床に押し当てた。
私は玉座の上から見下ろし、胸中で冷笑を深めた。
(救いの名を借りて命を弄ぶ者がいるのなら、その罪は炎で浄めねばならぬ。断罪の舞台は整いつつある……)
翌日、施療院の調査が始まった。私は玉座に座し、セラフィナとルシアンがそれぞれの報告を携えて戻るのを待った。広間には民衆が詰めかけ、空気は重く張り詰めていた。
まず進み出たのはセラフィナだった。冷徹な眼差しで帳簿を掲げ、群衆の前で広げる。
「陛下。施療院の帳簿には、死亡したと記された子どもたちの数が実際よりも多く記されております。記録と遺族の証言が一致せず、明らかな改竄が見受けられました」
彼女はさらに帳簿の奥から、汚れた紙片を取り出した。そこには見慣れぬ暗号のような文字が記されている。
「ここをご覧ください。花嫁候と補孤児と記された名が並び、隣には銀貨の額が記されています。これは明らかに奴隷商人との取引記録です」
ざわめきが広間を走る。群衆の中には顔を覆って泣き出す者もいた。
続いて、ルシアンが進み出た。黒き鎧に身を包んだ姿は凛然としていたが、その瞳には怒りと悲しみが混じっていた。彼は調査の成果を低く報告した。
「施療院の地下倉庫には、病を癒すはずの薬と共に、不自然な薬瓶が並んでいました。成分を確かめたところ……これは、病人の顔色や肌艶を一時的に良く見せる薬。まるで見栄えをよくする準備のように」
彼はさらに、革紐に通された札を掲げた。それは小さな腕輪や首輪に付けられていたもので、表面には名前と番号が刻まれていた。
「これは奴隷商人が用いる札です。子どもたち一人ひとりに付けられていました」
群衆が息を呑んだ。その時、遺族の一人が悲鳴のように叫んだ。
「それは……うちの子の名だ! まだ生きていたのに……!」
呻きが広がり、疑念は怒りへと変わっていく。別の男が拳を振り上げ、叫んだ。
「奴隷商人に渡していたのだ! 死者を装い、子を奪い、売り飛ばしていたのだ!」
その叫びが火種となり、群衆の怒号が広間を揺らした。
「子を売った院長を許すな!」
「救いを語る舌で、裏では我らの命を弄んでいたのか!」
私は玉座から冷ややかに群衆を見下ろした。怒りの炎はすでに十分に燃え広がっている。真実の輪郭は鮮やかに浮かび上がり、断罪の舞台は整ったのだ。
広間の中央に引き出された施療院の院長は、白衣を血と埃にまみれさせたまま鎖に繋がれていた。群衆の怒号が石壁を震わせ、燭火は荒れ狂うように揺らめいている。その中心で、院長は必死に声を張り上げた。
「私は誓って、人を救ってきたのだ! 施療院はルクス・デイ教の慈悲の場……決して人を害するための場所ではない!」
だがその叫びは空虚に響き、群衆の怒りを鎮めることはなかった。人々は拳を振り上げ、「偽善者め!」「子を返せ!」と罵声を浴びせる。
私は玉座から立ち上がり、冷徹な眼差しを院長へと向けた。声は低く、だが刃のように鋭く広間を切り裂いた。
「誓い……その言葉はこの場で幾度も聞いた。だが、汝の誓いが救った命はどこにある。母の涙を、子の声を、誰が証している」
院長の顔から血の気が引き、唇は震えた。だが言葉は続かず、重苦しい沈黙が広間に落ちた。その瞬間、傍らに控えていたルシアンが前へ踏み出す。黒き鎧の胸が光を弾き、鋭い剣先が院長の喉元に突きつけられる。
「真実を語れ」
その声は若き怒りに満ちていたが、同時に揺るぎなき威厳を帯びていた。群衆の目が一斉にルシアンへと向けられ、亡国の王子が初めて女王の剣として断罪の場に立った瞬間を目撃した。
院長の体が震え、汗が滴り落ちる。ついに恐怖に屈した声が絞り出された。
「わ、私は……売った金で教会に献金を捧げていたのだ! 子を売ることで得た銀貨を……ルクス・デイ教の祭壇に捧げ、罪を贖おうとしたのだ!」
その告白に群衆の怒りは爆発した。「神の名を騙った!」「教えを穢した!」と怒号が轟き、広間は揺れる。院長は鎖の中で縮こまり、声を上げることもできずに群衆の憤怒に押し潰されていた。
私は冷ややかにその姿を見下ろし、心の奥で嗤った。
(また誓いか。だがその誓いは血と涙を糧にした偽りに過ぎぬ。ここにこそ断罪の舞台は整ったのだ)
広間の中央に設けられた断罪の壇は、群衆で埋め尽くされていた。石壁に反響するざわめきは、処刑の恐怖と期待に震えている。燭台の光に照らされ、玉座の上から私は冷徹に宣告した。
「救いの誓いを偽り、命を売り物にしたその舌に、癒しの言葉は不要だ」
私の言葉が響いた瞬間、広間の空気は凍りついた。人々は息を呑み、次の光景を待ちわびるように沈黙する。合図を受けたセラフィナが一歩進み出て、鋭い声を放った。
「鉄の柩を」
奥の扉が開かれ、兵たちによって重々しい棺が運び込まれる。その音は石床を震わせ、群衆の背筋を凍らせた。棺は黒鉄で作られ、内側には無数の逆棘が並び、光を浴びて冷たく輝いていた。救いを謳う施療院の象徴が、いまや逆さの残酷な具現となって姿を現したのだ。
ガレスが無言で歩み出る。その顔は感情を一切映さず、鎖に繋がれた院長を乱暴に引きずる。男は必死に足を踏ん張ったが、鍛え抜かれた腕に抗う術はなかった。
「やめろ……! 私は誓って、人を救ってきたのだ!」
院長の絶叫は虚しく響き、群衆の嘲笑と怒号にかき消された。ガレスは一切聞く耳を持たず、無造作に院長を柩へと押し込んだ。鉄の内側の棘が肉を裂き、鮮血が滴り落ちる。広間には鈍い音と呻きが響き渡り、観衆の顔が蒼白に染まった。
「ひいいっ……! やめ……!」
棺の蓋がゆっくりと閉ざされていく。内側の棘がさらに深く肉を裂き、臓腑を突き破るぬめった音が広間に響いた。
骨がめり込み、砕ける鈍い衝撃音が連続し、院長の口からは血泡混じりの絶叫がほとばしる。
呻きは悲鳴に変わり、やがて咽び声となって途切れがちに響いた。
血は隙間から滴り落ち、石床を赤く染め、観衆の足元へと流れ広がる。
鉄と血の臭気が混ざり、吐き気を催すほど濃く漂った。群衆は震えながらも目を逸らせず、己の喉を押さえて息を呑んだ。やがて蓋が完全に閉じられると、内部から聞こえるのは肉が引き裂かれる湿った音と、絶え絶えの呻きだけとなり、広間は戦慄に包まれた。
重苦しい沈黙の中、ガレスが無言で鉄の柩に鎖をかけた。分厚い鉄環が打ち鳴らされる音が広間を震わせ、群衆の背筋に冷たい戦慄を走らせる。彼は巨大な鎖を天井の滑車へと通し、ゆっくりと柩を吊り上げた。血がしたたり落ち、赤黒い筋を石床に描いていく。
「……」
ガレスの表情は変わらない。だが、その無慈悲な動作は言葉よりも雄弁に処刑を語っていた。柩が火台の上に吊された瞬間、彼は片手を上げて合図を送る。兵士たちが一斉に松明を投げ込んだ。
轟、と炎がうねりを上げ、鉄の棺を包み込んだ。火は瞬く間に柩全体を舐め、鉄を赤熱させていく。内部からは肉が焼け爛れる匂いと、骨が爆ぜる音が漏れた。やがて、血に濡れた断末魔の叫びが柩の隙間から噴き出し、広間を満たした。
「やめろおおお……!」
耳を裂く悲鳴は炎に呑まれ、次第に低く、くぐもった呻きへと変わっていく。そして鉄の響きだけを残し、ついに声は絶えた。
群衆は震えていた。だが次の瞬間、誰かが叫んだ。
「正義の裁きだ!」
それを合図にしたかのように、怒涛のような歓声が広間を揺らした。涙に頬を濡らしながら叫ぶ者、祈りを捧げる者、拳を振り上げる者――恐怖と熱狂は渦を巻き、炎の光に赤く染まった顔が一斉にこちらを仰いでいた。
私は玉座の上から冷ややかにそれを見下ろし、心の奥で囁いた。
(誓いはいつも偽り。だが、この炎の中でしか真実は示されぬ)
その傍らに立つルシアンは、剣を佩いたまま沈黙していた。炎に照らされた横顔は蒼白で、瞳の奥に複雑な光が揺れている。
(これは正義か……あるいは恐怖による支配なのか)
ルシアンは独り言なのか、わざと私に聞こえるように言ったのか分からないがつぶやいていた。
彼の胸に芽生えた揺らぎは、消えることなく燃え盛る炎の残響と共に広間に溶け込んでいった。




